第45話 暴君の愉しみ
「かぁぁぁっ!!」
まるで咆哮のような叫びを上げると、ルーベンスが突進してきた。石畳が抉れるような強烈な踏み込み。その巨体も相まって凄まじい迫力だ。
私は本能的に怯みそうになる心と身体を必死に叱咤して、迫りくる巨体から目を逸らさずに迎え撃つ。
空間ごと薙ぎ払うような剛撃が迫る。躱して反撃など思いもよらない。私にできる事はとにかく飛び退って回避する事だけだ。薙ぎ払いを後ろに跳んで躱すが、ルーベンスは恐ろしい膂力で強引に狼牙棒を切り返す。
「……っ!?」
予想より遥かに速く再び迫る追撃に、まだ体勢の整っていない私は半ば地面に身を投げ出すようにして避けるしかなかった。
私は地面に腹ばいになって倒れ込むが、ルーベンスは宣言通り一切容赦する事無く、地を這う私に追撃してくる。上段からの叩き付け。ルーベンスの膂力で叩きつけられるそれは、私の頭でも身体でも一瞬で醜い血だるまの肉塊に変えてしまうだろう。
「くぅ……!!」
最早外面を気にしている余裕などない。私は土塗れになるのも構わず必死で地面を転がる。直後に炸裂音。石畳の欠片が身体に降り注ぐ。だが構っていられない。
揺れる視界の中で再び武器を振り上げるルーベンスの姿。私はまた転がる。転がる。転がる。最早双刃剣を手放さないように意識するのが精一杯だった。
そして何度目かの横転で、ようやく少しルーベンスとの距離が離れた。今しかない!
私は横転からそのまま動きを止める事無く身体を起こした。視界は揺れて、身体中は土と汗で汚れ、肩で大きく息をしている。有り体に言って酷い有様だ。
「はぁ! はぁ! はぁ!! ふぅっ!」
「くくく……どうした? まだ1分も経っておらんぞ?」
「……っ!?」
ルーベンスの嘲るような声に私は衝撃を受ける。体感的にはもうとっくに3分など経過したくらいの感覚だったのだ。絶望に足が震えそうになるが、寸での所で堪える。
くそ……とにかくやるんだ! やるしかない!
「ぬぅぅんっ!!」
ルーベンスが無情にも再び襲い掛かってきた。今度は狼牙棒を槍のように前に突き出してくる。それでも槍使いであったジャイルズのお株を奪うような鋭い突きであり、私はやはり避けるので精一杯だ。だが既に体力を消耗している事もあって、回避だけでも厳しい。
一発でも当たったら即死の攻撃を躱し続けるという状況のもたらすストレスと消耗は想像以上の物だ。体力は勿論、気力や精神力が恐ろしい勢いで摩耗していく。
くそ、まだか? まだなのか……!?
時間など測っている余裕は当然ない為、完全にルーベンスの感覚に拠っている。もしやもうとっくに3分は経っているのにそれを告げていないだけではないのか。そんな疑念も芽生えてくる。
攻撃を考慮せずに完全に回避や防御に徹する事で辛うじて持ち堪えている状態だが、それとていつまでも続くはずがない。いや、もう既に限界だ。
「ふん!」
「……っ!!」
そこにルーベンスがフェイントを交えて、突きから薙ぎ払いに攻撃を変化させてきた。しまった……!
体力を消耗し時間制限だけを気にしていた事で、いつしか集中力が乱れていたらしい。私はフェイントに完全には対応できなかった。
横殴りに迫る狼牙棒に対して私が出来たのは、咄嗟に双刃剣を盾のように掲げる事だけで……
「あぐぁっ!!」
直後に身体全体が揺さぶられるような途轍もない衝撃。私はそれに抗う事が出来ずに、再び今度は最初の時より大きく吹き飛ばされた。
「ぐ……ぅぅ……!」
地面に転がった私は痛みと衝撃で呻く。直撃は免れたが伝播した衝撃だけでも、このまま一日中ここで寝ていたい欲求を極限まで増幅する。だが勿論そんな事はできない。
「くくく……このまま死ぬか!?」
「……っ」
そして当然ルーベンスがそれを黙って見ている事など無い。哄笑しながら狼牙棒を振り上げて迫ってくる。このままではまた先程の繰り返しだ。
「う……おぉぉぉぉぉっ!!」
私は痛む身体に鞭打って強引に立ち上がる。そして自分から双刃剣を旋回させてルーベンスに斬り付けた。
「……! ふ、いい判断だ!」
ルーベンスはあっさりと私の攻撃を躱しながら少し嬉しそうな口調になる。【マスター】ランクであるルーベンスの猛攻をただ防戦一方で受け続ける事など不可能だ。それでは到底3分ももたない。
例え勝てずとも時間を稼ぐなら、こちらからも攻撃していかなくてはならない。それによって僅かでもルーベンスの攻撃が停滞し、時間を稼ぐ事が出来るのだ。
文字通り攻撃こそ最大の防御だ。
「うわぁぁぁぁっ!」
私は雄叫びを上げて自分を鼓舞しつつ、狂ったように双刃剣を振り回す。当然ルーベンスには通用せずに全て躱されてしまうが、防戦一方よりは確実に効率よく時間が稼げた。
だがルーベンスもいつまでも私の、追い詰められた鼠のような反撃を許してはいない。少し飛び退って距離を取ると私が追撃するよりも速く、狼牙棒を今度は低めの角度で私の脚目掛けて薙ぎ払ってきた。
「……っ!」
私は攻撃の手を止めて後ろに飛び退らざるを得ない。すると即座にルーベンスが攻勢に転じてくる。長柄の狼牙棒がまるで独自の意思を持っているかのように縦横無尽に跳ね回り、あらゆる角度から私の隙を狙って迫る。
私に躱せたのは最初の何撃かだけだ。そして体力の消耗も手伝って、後ろに跳び退ろうとした時に足がもつれて転倒してしまう。
「く……!」
急いで立とうとするが、体力の消耗は私が思っていたよりも激しかったらしく、脚がガクガクと震えて上手く立ち上がれない。完全に気力だけでルーベンスと戦っていたのだ。
ルーベンスが私を見下ろしながら口の端を吊り上げる。そして大きく狼牙棒を振りかぶった。そして動きの鈍った私目掛けて容赦なく振り下ろしてきた!
「……っ!!」
私は思わず硬直しかけるが、その時に気付いた。ルーベンスは明らかに無駄に大きく振りかぶっていて、そしてこの振り下ろしも先程よりも明らかにスピードが遅くなっていた。そのお陰で私は辛うじて狼牙棒を躱す事ができた。
「……丁度3分。見事だ」
「……!」
狼牙棒を地面に叩きつけた低い姿勢のまま、私にだけ聞こえるように呟くルーベンス。3分……ようやく経過したのか。私の人生で最も長い3分間だった。そして彼は本当に約束を守る気のようだ。
「さあ、立ち上がって好きなように俺を攻撃しろ。上手く
「……っ」
こうなったら私も生き延びる為にこの流れに乗るだけだ。私は反射的な動きで立ち上がった。観客からはルーベンスの攻撃をギリギリで躱して立ち上がったように見えるだろう。事実歓声が沸き上がっている。
「かぁっ!」
ルーベンスが狼牙棒を横薙ぎに払う。しかしその威力は明らかに先程までとは比較にならない。だが俯瞰した位置から見ているだけの観客達には解らないだろう絶妙な手加減だ。
私はその薙ぎ払いを身を屈めるようにして躱した。彼は好きに攻撃しろと言った。考えている余裕は無い。
私は双刃剣の刃を無我夢中で突き出した。ルーベンスは恐らく余裕で対処できたはずだが、敢えて回避を甘くして、結果私の突きがルーベンスの脇腹の辺り、鎧から僅かに露出した部分を斬り裂いた!
血が派手に噴き出す。観客席から再び大きな歓声が鳴り響く。
「……!」
「まだだ。もう一撃だ。それで
「く……!」
私は双刃剣を引き戻す。ルーベンスが傷を負ったにも関わらず反撃を振るってくる。やはりその一撃は精彩を欠いていた。上段からの振り下ろしを躱した私は、殆ど何も考えずに双刃剣の柄を旋回させて、下から掬うように斬り上げた。
その一撃はやはり
「さあ、
「う……うわあぁぁぁっ!!」
私は半ば狂乱しながら双刃剣を振り上げた。そして斜め下に向かって斬り下ろす。それは片膝を着いていたルーベンスの胴体を斜めに斬り裂いた。
「がはぁっ!!」
ルーベンスは苦鳴を上げて仰向けに倒れ伏した。
『お、お……おぉぉぉぉっ!? な、何と……【胡蝶】のクリームヒルト選手。我が国の英雄の1人である八武衆ルーベンス殿を破った! 破ってしまったぁぁっ!! し、信じられない。これでクリームヒルト選手はまさかの【マスター】ランクに昇格だぁぁぁぁっ!!』
――ワアァァァァァァァァッ!!
大歓声が大気を震わせる。
「ふ……くく……。何という顔をしている。勝者なら勝者らしく、勝ち誇って胸を張れ」
「……勝ったなんて思える訳ないでしょう。何故あなたは傷ついて私に負けたなんていう不名誉を背負ってまで、私を生かしてくれたの?」
ルーベンスがその気であれば、今頃間違いなく私の命は無かっただろう。だが彼は皮肉気に口を歪めただけだった。
「ふ……俺の出した条件をクリアした以上、誰が何と言おうとこの試合はお前の勝ちだ。今ここでお前を殺すより生かしておいた方が、この先何か面白い事が起きるような気がしてな。それはカサンドラの事だけではない」
「…………」
「俺は俺のやりたいようにやる。誰の指図も受けん。お前も、自分の目的を達する為に他者を利用する事を躊躇うな。お前には……ただ生き延びる以外にも何か成し遂げたい事があるのだろう?」
「……!!」
私は目を見開いた。ジェラールから何か聞いたのだろうか。だがそういう感じの言い方ではなかった。
「だったらその目的だけを見据えて邁進しろ。俺はしばらくの間リタイヤだが……何が起きるのか精々楽しみにさせてもらおう」
「…………」
闘技場から衛兵達が駆け付けてきてルーベンスをアリーナから運び出していくまで、私はずっと彼に言われた言葉の内容を噛み締め続けていた……
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