第52話 甦る悪夢
スルストは何があったのか、既に身体中血まみれであった。しかしそれは自身の傷というよりは、
『ら、乱入……乱入だぁぁぁっ!! し、神聖なる試合に、まさかの乱入が発生してしまったぁぁっ!! これは重大なルール違反です! 衛兵! すぐにも…………え? あ、は、はい』
スルストの乱入に動揺した司会が即座に衛兵を出動させようとする。しかしその途中で誰かに制止されたらしく、戸惑ったようにその指示を中断する。
一方そんな外野の動きとは関係なくアリーナ上で睨み合うカサンドラとスルスト。
「……もしクリームヒルトを殺す寸前まで追い詰めれば、確実にあなたが乱入してくる。ジェラールにそう言われていて半信半疑だったけど、まさか本当に的中するなんて。こうなると信じがたいけど
カサンドラが呟く。ジェラール? カサンドラの口から彼の名前が出た事で、私はそういえば彼がデービス兄弟の試合の後、スルストの事をカサンドラに伝えると言っていた事を思い出した。というよりむしろ何故その事を忘れていた。
カサンドラはスルストと対峙しながらもそれ程慌てている様子が無い。いかにカサンドラと言えども、スルストとまともに戦うのは分が悪いはずだ。それなのに衛兵の投入も止めて……
スルストがお構いなしにカサンドラに斬り掛かろうとする。だがその時スルスト目掛けて放たれた
「……!」
スルストは咄嗟に大剣で飛来した矢を斬り払う。そして周囲に視線を向けた。私も釣られて目線を動かし、そして驚愕した。
アリーナと観客席を隔てる塀から身を乗り出すようにして、大勢の
カサンドラが手を挙げて合図する。するとアリーナの門が開き、そこから大勢の武装した男達が雪崩れ込んできた。衛兵とは違う質の良い統一された武装。整然とした動き。
この男達は、全員
最早疑いようがない。私との試合は最初からスルストを
「まだ完全にジェラールの言う事を信じた訳じゃないけど、とりあえず試合に乱入して私に斬り付けたというだけでも手討ちにする理由は充分よね? エグバートとギャビンの仇もここで討ってあげるわ」
カサンドラの言葉を合図に騎士たちが包囲を狭めてくる。勿論その外側からは弓兵達がいつでも矢を放てるように準備している。
有り体にいって万事休すというやつだ。いかにスルストが【マスター】ランクの剣闘士とはいえ、たった1人でこの状況を覆す事は不可能だ。それが
だが……駄目だ!
カサンドラはかつてシグルドとあれだけ因縁の戦いを繰り広げたというのに、もう
いや、そうではない。ジェラールから話を聞いただけで、まだ本人が言っていたように
「だ、駄目……駄目よ! 逃げて! 逃げなさいっ!」
私は思わず声を張り上げていた。だが周囲の誰も……カサンドラでさえ、私がスルストに対して逃げるように言っているのだと
カサンドラが私を哀れんだように冷笑する。
「助けにきてくれた白馬の王子様の身を案じるお姫様……。なんて感動的なのかしら。感動的過ぎて……反吐が出るわ。安心しなさい、あなたも一緒に殺してあげるから。どのみち私との試合に負けたんだから文句はないわよね?」
「……っ」
混じり気の無い憎悪を向けられて私は怯む。この試合自体はスルストを誘き寄せる罠だったのかも知れないが、カサンドラの私に対する憎しみは本物だ。
周囲を囲む騎士たちがスルストだけでなく私に対しても殺気を向けて迫ってくる。スルストが私の方に振り向いた。
「……心配しないで、クリームヒルト。君を殺そうとする奴等は、俺が一人残らず皆殺しにしてあげるから」
「……! 待っ――」
私が制止の声を上げようとした時には、スルストは……天に向かって
髪型や装備などは同じだが、肌と髪の色だけが一瞬で変わったのだ。これが……スルストの本来の姿か。そして姿だけでなく、今までとは比較にならない闘気や……得体の知れない謎の圧力がその小さな体から強烈に発散される。
これは……これは、紛れもなくシグルドと同じ……
「な……な……ば、馬鹿な。そんな……これは、シグルドと同じ……? お、お前は本当に……ドラゴンボーン!?」
私と同じくシグルドと深い因縁を持つカサンドラは、即座にその類似性に気付いたようだ。そして驚愕と……
「ひっ!? あ、あなた達、何をしているの!? 殺せっ! あいつを殺すのよぉっ!!」
スルストの視線に射抜かれて恐怖に身を震わせたカサンドラが、半ば悲鳴のような叫び声を上げて周囲の騎士たちをけしかける。
やはりスルストの変化に戸惑って気圧されていた騎士たちだが、女王の命令によって覚悟を決めて斬り掛かってくる。どの騎士も兵士達とは比較にならない身のこなしだ。この数の騎士に周囲から斬り掛かられたら、まず一溜まりも無い。……普通の人間であれば。
『སེ༌ཚུ༌རྡ༌ང༌』
スルストが、かつてのシグルドと同じように龍の言語で咆哮した。【
しかしシグルドがよく使っていた『衝撃』や『火炎』などのような、直接的な攻撃効果は発生しなかった。その代わりに彼が持っている大剣が、何か青白い光の膜のような物に覆われる。あれは……
「ぬぅぅぅぅあああああっ!!」
スルストがそれまでの寡黙で物静かな印象からは想像がつかないような気合の叫びを発する。そして彼はデービス兄弟と戦った時のように大剣を水平に構えて、自身の身体を独楽のように旋回させる。
剣風の竜巻が騎士たちに襲い掛かる。しかし騎士たちは皆優秀な戦士だ。当然ながらその攻撃に反応して、持っている剣や盾で攻撃を受け止めようとする。それでスルストの動きが止まれば、他の騎士たちが一斉に彼を槍衾のようにするだろう。だが……
――血風と血煙が舞った。それも尋常でない量だ。
スルストに斬り掛かった騎士たちが次々と大剣の竜巻に巻き込まれて、その胴体を輪切りにされて転がっていくのだ!
勿論騎士たちは質の良い鎧を着込んでおり、尚且つシグルドの大剣を受け止めようと剣や盾を掲げる。……そういった数々の防御をまるで脆い藁人形のように突き破って、胴体ごと次々と両断していくのだ。
明らかに異常な現象であった。いくらスルストが優れた剣士であり尚且つ怪力を誇っていようと、あんな風に鎧を着込んだ人間を何の抵抗も無く綺麗に輪切りにできるはずがない。しかも防御した剣や盾ごと一緒にだ。
そこで私は気付いた。あり得ない現象は、ドラゴンボーンの真骨頂だ。スルストが先程使ったシャウト……。大剣を覆っているあの青白い膜が、物理法則を無視する非現実的な切れ味をあの大剣に与えているのだ!
最初に斬り掛かった10人程の騎士が、一瞬で血だるまのオブジェクトに変わって地面に転がった。雑魚の兵士ではない。エリート軍人である騎士が、である。
残った騎士たちが、この人知を超えた光景に明らかに動揺して動きが鈍る。そして勿論そんな隙を見逃すスルストではない。まるで獲物に飛び掛かる肉食獣のような動きで次々と騎士たちを屠っていく。それは最早戦いというより虐殺といった方が正しかった。
程なくしてあれだけいた騎士たちを殲滅した怪物は、1人残ったカサンドラにターゲットを切り替える。
「ひっ……ひぃぃぃ!? こ、来ないで! 来ないで、化け物ぉぉぉっ!!」
恥も外聞もない。これがかつて同じドラゴンボーンであるシグルドを倒した【英雄殺し】の姿か。
いや、シグルドを倒した時、彼は満身創痍といっていい状態であり、本来まともに戦っていればカサンドラは瞬殺されていたはずだ。
本人もそれは自覚していたのだろう。結果としてシグルドを殺す事は出来たが、それはあの女にドラゴンボーンという存在の強大さと恐ろしさを、トラウマとして植え付ける結果ともなった。
しかしシグルドは死にドラゴンボーンという存在は滅びたので、それでも何も問題はなかった。……問題ないはずだった。今日この時までは。
まさかドラゴンボーン自体は不滅であり何度でも甦る存在だったなどと、誰に想像できただろう。
カサンドラにとってはまさに完全に終わったはずの悪夢が、再び形を変えて目の前に現れたようなものだ。それは【英雄殺し】の虚飾を剥ぎ取るには充分すぎる程の衝撃だった。
だが冷血の怪物はそんな哀れな女に容赦なく肉薄する。周囲を固める弓兵達が慌てて斉射するが、女王が近くにいる為その規模は散発的なものだ。それでもかなりの数の矢がスルストに降り注ぐが、彼はそんな儚い妨害を悉く斬り払って恐ろしい勢いでカサンドラに一直線に迫る。
カサンドラは泣きそうな顔になって、それでも本能的に抵抗しようと剣と盾を掲げる。
だがその時弓兵達の斉射に紛れてアリーナ上に新たに一つの影が乱入していた事に、この場の誰も気付かなかった。それは先のスルストの突進にも劣らない速度で踏み込んできた。
そして今まさにカサンドラに凶刃を振り下ろそうとしていたスルスト目掛けて、目にも留まらぬ速度で剣を突き出した。
「……!」
それはドラゴンボーンであるスルストが無視できない程の鋭さで、彼は突進の勢いを止めて横に跳んでその神速突きを躱した。
新たな乱入者は長剣を構えた癖のある金髪の美丈夫であった。一見優男だが、その身体から発散される闘気はスルストのそれにも劣らないほど研ぎ澄まされていた。
「ふぅ……済まない。遅くなってしまったね、カサンドラ。まさかジェラールの話が本当だとは私にも予測できなかったよ」
「サ、
カサンドラが絶望の表情から一転して喜色を浮かべる。
それは私も直に見た事は数度しかない、カサンドラの
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