第6話 謎の少年
北の大国ロマリオン帝国。南のエレシエル王国との泥沼の大戦を制し、一時期は大陸の覇者ともなった至高の帝国は現在、一転して暗く停滞した雰囲気に包まれていた。
それもある意味では当然だ。滅ぼしたはずのエレシエル王国が、唯一生き残っていた王族であるカサンドラ王女を御旗に立てて復活を果たし、今までは中立の立場を堅守していた小国家群も軒並みエレシエルに与したのだ。
それによって復興間もないはずのエレシエル王国との軍事バランスは拮抗してしまい、帝国としても迂闊に攻め入る事が出来ない状態となってしまった。
尤も迂闊に攻め込めない理由は軍事バランスだけではなく……
「ええい、忌々しい! 南の猿共め!
帝都ガレノスに聳える皇帝の居城。広大にして壮麗な謁見の間は、しかし対照的な陰鬱な空気に包まれていた。その原因はこの城の主たる皇帝が常に不機嫌なのと、その不興を怖れる臣下達の雰囲気にあった。
この日もまた皇帝グンナールの苛立ちに満ちた怒鳴り声が謁見の間に響き渡る。報告を行っている大臣の1人がビクッと身を竦ませながら、皇帝の不興を怖れて平身低頭する。
「も、申し訳ありません。多数放っている間諜からの報告では、皇女殿下は新設されたエレシエル大闘技場において魔物との試合を生き延びて、この度一つ上の階級に昇格したと――」
――ガァンッ!!
大臣の報告が中断される。グンナールが玉座の脇の卓にあった空の杯を、その大臣に向けて思い切り投げつけたのだ。頭に杯が当たった大臣は呻いて更に深くひれ伏す。
「うつけ者がっ! 予は救出の算段を問うておるのだ! お前達が持ってくる報告はいつも娘の現状報告だけだ! そのような事、子供でも出来るわ! 建設的な意見を聞かせいっ!」
「も、も、申し訳ありませんっ!!」
皇帝の勘気に触れた大臣は増々恐縮するばかりだ。苛立ったグンナールは更に機嫌を悪くし、これ以上実のない報告を聞いても苛立ちが募るばかりと判断して、怒鳴り付けてその大臣を下がらせる。
「全く、役立たずどもめ……! それにしても忌々しいのは南の土人どもだ。事もあろうに我が娘を人質にしてこちらを牽制しよるとは……」
グンナールが吐き捨てる。彼には何人かの子がいたが、現在エレシエル王国に囚われている皇女クリームヒルトはその中で唯一の女系であった。その為グンナールとしても目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりであったのだが、そんな愛娘であるが故に人質としての効果も絶大であった。
帝国軍が占領した旧王国領をむざむざ取り返されたのも、極めて大きな要因として奴等の人質となったクリームヒルトの存在があった。
「父上、最早我慢も限界です。この上はすぐにでも討伐軍を編成し、土人どもを今度こそ徹底的に殲滅するべきです。どのみちこのままでは妹は、遅かれ早かれ『剣闘試合』という名目で奴等に処刑されます。その前にこちらから行動に移しましょう!」
皇帝の不興を怖れずにそう進言するのは、その長子であり皇太子でもある第一皇子のハイダルだ。文武両道に優れ、帝国の次期皇帝に恥じない自慢の皇太子であったが、グンナールは渋い顔を崩さない。
「それが出来るならとうにやっておる。忌々しい事にエレシエル王国は急速に復興し、既にかなりの軍事力を取り戻しておる。それに加えて小国家群どもが軒並み奴等の味方となっている現状では攻めたくとも攻められんのだ。それどころか迂闊に動けば奴等に付け入る隙を与えて、逆に攻め込まれる危険性さえある」
「それは、そうですが……ではこのまま手をこまねいているしかないと?」
ハイダルとてその辺りの状勢は良く理解した上で発言している。このままではエレシエル王国は増々力を付ける一方であり、妹のクリームヒルトもいずれ必ず命を落とす事になる。リスクはあっても今動くしかない。それがハイダルの考えであった。
「戦力だ。攻め込むにせよ救出部隊を送り込むにせよ、戦力が圧倒的に足らんのだ。下手を打てば逆に奴等を調子づかせこちらが窮地に立たされる事になる。シグルドが生きておればな……」
グンナールが声に苦悩を滲ませる。かつて帝国に栄光を齎した英雄シグルド・フォーゲル。戦士として圧倒的な技量を誇るだけでなく、人間にはあり得ない数々の異能を使いこなし、邪龍王すらも討伐してのけた真正の怪物。
今この帝国が苦境に立たされている要因ともなった『フォラビアの変』において敵の卑劣な策略に嵌まり、最終的には現在のエレシエル王国の女王となったカサンドラ王女に討たれたという。
そもそもシグルドの死によって今の状況になっているので言っても栓のない事ではあるが、もしあの英雄シグルドが健在であれば、グンナールも迷うことなく軍事行動を決断していたはずだ。
「何か……現状を打破する一手が無いものか……」
想念に沈むグンナール。ハイダルもその他の臣下にも無論良い手立てなどなく、黙って見守る事しかできない。謁見の間が更に暗い雰囲気に包まれかけた時……
「――父上っ! 兄上! もしかしたらその問題、解決できるやも知れませんぞ!」
「……!」
突如、謁見の間にずかずかと踏み込んできて、大声を張り上げる者があった。
事前の承認も無く勝手に皇帝に拝謁する行為は
しかも謁見の間に踏み込んで皇帝の許可なく発言するなど考えられない事であり、それが例外的に許されているのは……
「カスパール!? いつ帝都に戻ってきたのだ!? というより何故戻ってきた! お前の
その姿を見たハイダルが真っ先に目を剥いて怒鳴り付ける。
現れたのは彼の弟の第二皇子であるカスパールであった。ハイダルに比べて素行不良が目立つ皇子で、特に女性関係にだらしなく、先だっても国内の有力貴族の令嬢複数と関係を持ち、各家が自分の娘こそが皇子の正妃になる権利があると主張して、一触即発の状態になってしまった。
グンナールは貴族たちの調停と彼等の体面を保つ為に、カスパールを帝国で最北の僻地であるシルヴィスの街の領主として『赴任』させた。体のいい左遷である。
少なくとも3年の間はシルヴィス領から出る事は罷りならんという沙汰を受けていたにも関わらず、こうして堂々と帝都の、しかもグンナールの前にまで姿を現した弟の正気を疑うハイダル。
しかし兄から怒りの詰問を受けても、カスパールはどこ吹く風でへらへらとしている。
「いやいや、申し訳ありません、兄上、父上。可愛い妹が南の野蛮人どもに囚われて心を痛めていたのは俺も同じ。妹を助け、奴等を成敗しようと皆が一丸となっている時に、俺だけ除け者というのは余りな仕打ち。国の有事という事で大目に見ては頂けまいか」
「心を痛めていただと? 何を抜け抜けと……! そもそも私や父上は勿論、国中の将軍や大臣達が既に打開策を模索している状態だ! 今更お前程度が出てきた所で何ができる! 大人しく蟄居しておれ!」
心を痛めていると口では言いながらにやにやと笑っている弟の姿に、ハイダルは青筋を立ててホールの出口を指し示す。
カスパールは子供の時から勉学に興味を示さず放蕩な性質であり、ろくに帝王学も収めていない出来損ないというのがハイダルの認識であった。
反面武芸は好きだったらしく個人的な武勇だけはかなりの腕だとハイダルも認めていたが、軍を率いる将軍としてはその自分勝手な性格も相まって二流以下であり、軍務にも就けづらいという何とも扱いに困る存在であった。
こんな男がこの局面において何かの役に立つとも思えず、むしろ余計な混乱を引き起こしかねないと判断したハイダルは、さっさとこの愚弟を追い出そうとする。だが……
「まあ待て、ハイダル。来てしまったものは仕方がない。それよりカスパール。先程気になる事を言っていたな? 問題を解決できるとか何とか。何か腹案があるなら言ってみよ」
「父上!?」
ハイダルが愕然とした目を父である皇帝に向ける。息子の目にグンナールは苦笑した。
「正直に言えば今は藁にも縋りたい状況なのだ。カスパールとて無断で蟄居を破れば、体面上処罰を免れない事くらいは解っていよう。それを解った上で敢えてここまでやって来たのだとすれば、余程の事とも考えられる。まあとりあえず話を聞くだけ聞いてみても損はあるまい」
「ぬ……」
父の言っている事にも一理あると思ったハイダルが渋い顔で唸る。対照的にカスパールは得意気な表情になって気障に一礼する。
「流石は父上。良いご判断です」
「……因みにもし既出の意見やつまらぬ提案だと判断した場合、蟄居を破った罰は受けてもらうぞ?」
「もちろん解っております。必ずや父上も興味を持たれるはずです」
グンナールが目を細めて警告するが、カスパールは余裕の態度を崩さない。そこで初めてグンナールもわずかに興味を抱いた。
「実は今から半年ほど前になりますが、シルヴィス領内で供の者達と日課の遠乗りに出掛けている時に、とても面白い
「拾い物だと?」
「はい。それは見すぼらしい身なりの1人の
「記憶喪失の少年? それがお前の言う面白い拾い物とやらか? そんな物が現状に何の関係がある?」
父親からの問いに、カスパールは解っていますとばかりに何度も頷いた。
「口であれこれ説明するより
「な、なんだと?」
グンナールではなくハイダルが素っ頓狂な声を上げる。
「正気か、カスパール!? 氏素性も知れん怪しげな者を父上と引き合わせるつもりか!?」
ロマリオン帝国ほどの大国の元首としては一考にも値しない。どんな者が暗殺を企んでいるかも知れないのだ。だがカスパールはかぶりを振った。
「俺をお疑いか、兄上。もし俺が連れてきた者が父上を害する事があれば、俺は責任を取って喜んで兄上の処断を受けましょう」
「……!」
自分の命を差し出すとまで言ってのける弟に、ハイダルは何も言えなくなってしまう。グンナールが仲裁する。
「もうよい、ハイダル。いいだろう、カスパールよ。その者が現状を打破する鍵となるというのであれば、会ってみようではないか」
「ご英断に感謝いたします、父上」
一礼したカスパールが合図すると、彼の供と思われる騎士達に連れられた1人の少年が謁見の間に入ってきた。
年の頃は13、4歳ほどだろうか。銀色の髪に白い肌、そして紅い瞳。ロマリオンの皇族を始めとする純血の北方人種の外見的特徴を持った少年であった。
見すぼらしい身なりと言っていたが、半年ほどはカスパールの下にいたようだし、流石に身なりは整えられて仕立ての良い服を着せられていた。
「その少年が?」
「はい。名前を覚えていないようだったので、俺の方でスルスト・ムスペルムという名を与えました」
カスパールが頷いて少年――スルストの方に視線を向けると、スルストは供の騎士達と共にその場で臣下の礼を取った。
「……ご尊顔を拝謁賜り恐縮にございます、皇帝陛下。只今カスパール殿下よりご紹介に預かりましたスルスト・ムスペルムでございます」
記憶も身よりもないという先入観からは想像もできないくらい流暢に喋り、臣下の礼を取るスルスト。おそらくはカスパールに教え込まれたのであろう。
帝国に突如として名を現したスルストという少年。この少年が、遥か南方で囚われの身となっているクリームヒルト皇女の運命を大きく変えていく事になる……
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