【アプレンティス】

第7話 示された光

「ふぅ……ふぅ……はぁ……」


 口からは荒い息が漏れる。心臓の動悸がうるさい。剥き出しの肌を滴る大量の汗が煩わしい。


「ギギャッ!」

「……!」


 闘技場のアリーナ。目の前にいる人間の子供ほどのサイズの緑色の肌をした醜い小人が、持っている粗末な槍を突き出してくる。


 ゴブリンと呼ばれるポピュラーな魔物で、脅威度レベルは2。身体能力はそれ程高くないが、武具で武装する知能があり素人相手には充分恐ろしい魔物である。


 側には別のゴブリンが血を流して息絶えていた。私が剣で斬り付けて倒したものだ。今回の試合は武装したゴブリン2体が相手であった。


 人間に近い容姿をしているだけあって戦い方も人間に近く、私にとっては初めてのタイプの敵。しかもそれが2体だ。思うように戦えずに消極的になってしまい、結果として苦戦を強いられる羽目になり、今何とか1体は斃したものの、かなり無駄な体力を消耗してしまっていた。


 今も残りのゴブリンが突いてくる槍を捌いて凌ぐのが精一杯で、中々反撃に転じる事ができない。



「ギギィッ!」


 ゴブリンは調子に乗ってどんどん槍を突き出してくる。その度に私は後退せざるを得ない。


 くそ……卑しい小鬼如きが……! 


 訓練を積んだ傭兵や騎士なら一刀の元に斬り伏せられるような雑魚相手に苦戦して追い詰められている自分の非力さが恨めしい。


「う……!」

 その時、背中に壁が当たる感触。どうやら後退を続ける内にアリーナの壁際まで追い詰められていたらしい。これ以上後ろに下がる事が出来ない……!


 観客席にいるエレシエルの土人共が興奮して歓声を上げる。奴等はこのまま私がこの取るに足らない小鬼に無様に殺される光景を想像しているのだろう。


 だがそうは行かない。こいつらの思惑通りになるなど、それこそ死んでも御免だ。至高のロマリオン帝国唯一の皇女であり選ばれた存在であるこのクリームヒルト・ロマリオンは、貴様ら有象無象の思惑など飛び越えて、この神に見捨てられた地獄から必ず脱出するのだ。


 こんな所で断じて死ぬ事などあり得ない!


「……!!」


 私は激情を力に変えて、敢えて自分から前に踏み込んだ。ゴブリンが槍を突き出してくる。私はその軌道を予測して身体を捻って躱す。……いや、躱そうとした。


 しかし後ろに下がるならいざ知らず、逆に前に出ているのでとても回避は間に合わず、完全には躱しきれなかった。


「ぐぅ……!」

 私の胸当ての下辺りの剥き出しの肌を、槍の穂先が掠った。掠ったとは言っても、人を殺傷する目的の武器が掠ったのだ。私の珠の肌に裂傷が走り、派手に出血する。


 観客共が大歓声を上げる。うるさい、馬鹿共が。


 私は歯を食いしばって強引に敵との距離を詰める。これが何の覚悟も無くいきなり傷つけられたら痛みとショックでパニックに陥っていたかも知れないが、予め負傷を覚悟してカウンターを狙うつもりだったので何とか苦痛を堪える事ができた。


「ギゲッ!?」


 ゴブリンが慌てて後ろに下がろうとするがもう遅い。私は奴の喉元目掛けて剣を突き出した。敵が棒立ちで受けてくれたお陰で、狙い過たず喉元を貫く感触が剣を通して伝わってきた。


 ゴブリンが槍を取り落として倒れ伏す。



『おおぉーー!! 本日の『特別試合』もクリームヒルト選手が制したぁっ!! だが今回、彼女は初の流血! ようやく憎きロマリオンの血が流れる瞬間を目撃できた! 【アプレンティス】に上がった成果・・は着実に出ているぞ! 北の魔女が無様にアリーナの露となる時は近付いている! 皆さん! 今はその時を想像して待とうではありませんか!』



 ――ワアァァァァァァッ!!



 私が勝った事でブーイングしていた連中が司会に煽られて、一転して歓声を上げる。ふん……愚かで暢気な連中め。誰がお前らの思い通りになどなるか。


 私は敢えて胴体を流れ落ちる血を拭う事もせずに、むしろその血を見せつけるように逆に胸を反らして力強く地面を踏み歩きながらアリーナを後にしていった。



*****



「……ぐっ」


 通路を通って広い控室に出る。周囲に誰もいない事を確認すると、私は胴体に走る激痛を我慢しきれなくなり、呻いてその場に片膝を着いてしまう。


 正直、エレシエルの連中に絶対に弱みは見せないという気力だけでここまで歩いてきたのだ。だがそれももう限界だった。


 あのアナウンスの言う事は当たっていた。私にとってこれが初めての明確な負傷であったのだ。


 痛い。激痛と言ってもいい。ガレノスの城で暮らしていたら絶対に経験しなかったであろう痛み。出血も酷い。


 また実際に武器を突き出され、それが己の身体を掠めて出血させられたという事実に対する恐怖もある。一歩間違えれば突き刺されて死んでいたのだ。



「く……」


 涙が出てきた。なぜ私がこんな目に遭わされなければならないのか。余りにも理不尽だ。


 もう嫌だ。帰りたい。ガレノスに……故郷に帰りたい。


「うぅ……く……お、お父様ぁ、お母様ぁ……。帰りたいよぅ……。お、お願い……私を助けてぇ……」


 傷を庇いながら私は、悔しくて悲しくて怖くて……ひたすらに涙が止まらなくなった。傷を負った事は私の中の弱気を刺激していた。


 このまま敵が強くなっていったら本当に私は生き残れるのか。今度は怪我では済まないかも知れない。今は何とかなってもいずれ遠からず……


 そんな事を考えるとまた激烈な恐怖が襲ってくる。それと同時にもう二度と生きてここから出られない……。二度とガレノスに、家族の元に帰れないという思いが悲哀となり、新たな涙が溢れて止まらなくなる。


 だがそこに……



「……気が済んだか?」

「……っ!?」


 突然聞こえてきた男の声に私はビクッと反応して顔を上げる。涙に滲んだ視界の向こうには見慣れた白装束の男、ジェラールが静かに佇んでいた。


「な、何で……」


 慌てて涙を拭くが、ジェラールは表情一つ変えずに口を曲げた。


「先程からいた。お前が気付かなかっただけだ」

「……!」


 どうやら私が悲嘆に暮れて泣いていた時に来たらしい。そしてしばらく声を掛けずに、私が泣いている様を見ていたという事だ。


 私は恥ずかしさの余り顔を赤くして慌てて立ち上がろうとして、傷の痛みに呻いて再び膝を着いてしまう。するとジェラールが近付いてきて……


「あ……!?」


 何とジェラールに抱え上げられたのだ! 私は思わず上擦った声を上げてしまう。しかも横抱きのこの体勢は……。こ、高貴なこの私を……!


「は、離しなさい! 自分で歩けるわ!」


「強がるな。いいから黙っていろ。このまま医務室まで行くぞ」

「……っ」


 有無を言わさないジェラールの口調に私は何も言えなくなって、そのまま彼に運ばれるに任せる事になった。



 私を軽々と抱えて歩きながらジェラールが呟いた。


「傷に関しては心配するな。表層を切られただけだ。見た目は派手で出血も多いが、適切に処置すればすぐに傷は塞がるし後遺症もないはずだ」


「……! そう……なのね」


 実は傷跡が残ってしまわないか、かなり心配ではあったのだ。だがジェラールの言葉に内心でホッとする。


「お前があの時ゴブリンの攻撃をある程度躱せた事が大きい。見事な体捌きだった」


「……っ」

 私は言葉に詰まってしまう。自分の戦い方や技術を褒められるなどという経験は今までなかった。その必要も無かった。私は存在するだけで皆から褒め称えられる存在だったのだから。


 自分の努力の結果を誰かに褒められ認められるというのはこんなに嬉しい物なのか。私は初めての感情に戸惑っていた。


 しかしジェラールはやや表情を厳しくする。


 

「しかし……今後は試合も増々厳しくなっていく一方だ。負ければ死が待っているのは勿論だが、今日のように例え勝っても無傷では済まないというケースが増えてくるだろう」


「……!」

 私は身体を震わせた。それは大いにあり得る可能性だ。この磨き抜かれた珠玉の肌が下賤な土人共の武器や、魔物の爪牙で傷だらけになっていく事を考えただけで暗澹たる気持ちになる。


 それに負けて死ぬ可能性もどんどん高くなっていくのだ。それに対する恐怖もある。だがジェラールはかぶりを振った。



「そう……このまま・・・・であればな」



「え……?」

 私は思わずジェラールを見上げた。



「まずは医務室へ行ってその傷の処置をするぞ。傷が塞がったら新しい戦い方・・・・・・の訓練を開始する」



「あ、新しい戦い方……?」


「そうだ。今の武器と戦術のままではお前は遠からず魔物共によって傷つけられ、やがては死んでいくだろう。それは恐らく陛下・・の意思でもある」


「……っ!」

 陛下、という言葉を聞いて私は眦を吊り上げた。あの女の思い通りにだけは死んでもなるものか。


「だが、お前に今までより厳しい訓練に耐える意思があるのなら、お前が生き延びられる確率は大幅に上がる。勿論雑魚共に傷つけられる事もなくなるだろうな」


「…………」


 今までよりも厳しい訓練と聞いて怯みかける。だが、私の肌を切り裂いて今もじくじくと痛み続ける傷の存在、そして何よりもあの女への敵意と憎しみが私の意志を後押しした。


「どうだ? お前にその意思はあるか?」


「……その新しい戦い方とやらを習得すれば、私は今よりも強くなれるのね? だったら迷う余地はないわ。あの女の元に辿り着く為なら、どんな訓練にだって耐えきってやるわ」


 私は確固たる意志を込めて宣言した。ジェラールが口の端を吊り上げる。


「ふ……いい覚悟だ。では数日後を楽しみにしておけ。さあ、医務室に着いたぞ。まずはその傷を塞ぐ事に専念しろ」


 話している内に医務室へ到着したらしい。私は彼に言われるまま、今は傷を治す事に専念しようと気持ちを切り替えるのだった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る