第4話 闘技場の支配人

 ファングラット3匹相手の試合を生き延びた私は、しかし当然ながら自由は与えられず、再びジェラールによる訓練の日々に戻っていた。そんなある日……


「しょ、昇格試合?」


 いつもの訓練場。私のオウム返しにジェラールは律儀に頷いた。


「そうだ。先日の試合ではレベル1とはいえ、魔物を3匹同時に相手にして生き延びた。そこでブロルから、そろそろ次の段階・・・・に進ませるべきだという話があった」


「……!」

 ブロルというのは、あの女によってこの『エレシエル大闘技場』の支配人・・・に任命されている男で、ジェラールとは対をなすこの国の右大臣も兼任している男でもある。


 あの女……カサンドラの信奉者で、その崇拝ぶりはあの女が自分の小水を飲めと言ったら、喜んでひざまずいて口を開け舌を出すだろうという程だ。


 あの女に従いつつも、どこか一歩距離を置いている節があるジェラール(だからこそ私もこの男だけは多少信用に足ると思っている。あくまで多少だが)とは色々な意味で正反対だ。


 ブロルはいつも傲慢で嫌味な態度で私に接してくる男で、元々エレシエルの貴族だったらしいので、それで私を逆恨みしているようだ。


 私から見ればエレシエルの貴族など土人がしゃっちょこ張って必死に偉ぶってるようにしか見えない滑稽な存在なのだが、一応ブロルもとてもそうは見えないが、ジェラールと同等の【マスター】クラスの剣闘士であるらしい。


 そんな男が、私に対して『昇格試合』を持ち掛けてきたというのだ。絶対にただで済むはずがない。



 因みにこの闘技場でも、シグルドが作ったフォラビアの闘技場のシステムを参考に、極端に実力の違う者同士の試合が組まれないように階級制を採用していた。


 とはいえフォラビアの階級とは名称や数などが異なっており、全部で6つの階級に分かれていた。



 即ち【王者チャンピオン】、【達人マスター】、【熟練者エキスパート】、【精鋭アデプト】、【見習いアプレンティス】、そして最下級の【素人ノービス】の全部で6階級だ。



 私の現在の階級はこの最下級の【ノービス】クラスで、文字通りの素人、奴隷や農民の徴集兵レベルという訳だ。


 この私がどんな形であれ最下級に置かれるなど屈辱極まりないが、現実問題として自分の剣の腕がまだまだその程度であるという自覚はあった。



 だがそこへ持ってきて『昇格試合』だという。昇格という事は間違いなく現在の階級である【素人ノービス】から、一つ上の階級【見習いアプレンティス】への昇格という事だろう。


 その試合に勝てば一つ上に上がれるのだ。それは即ちあの女に一歩近づくという事だ。階級が上がっていけばあの女も私を無視できなくなるはずだ。


 ブロルがどういう腹づもりだろうが関係ない。昇格は私にとっても大きなメリットが有るのだ。尻込みする理由はない。



「御託はどうでもいいわ。試合内容と日時だけ教えなさい」


「ほぅ……やる気はあるようだな。内容に関しては俺も知らん。詳しい話はブロルから直接聞け。というより特別試合……つまりお前の試合のマッチメイクは基本的にあいつが管理している。陛下・・から特別に要望・・がない限りは、だが」


「……!」

 要望……つまりあの女が私の試合に口を出してくるという事か。面白い……。絶対にそうなるまで上り詰めてやる。


 私は改めてそう決意すると、昇格試合の詳細を聞くためにジェラールに連れられて、この闘技場内に設えられた『支配人室』へと赴いた。




*****



「ふん……来たな。浅ましい銀髪紅瞳の賤女めが……」


 支配人室を訪れた私に対するブロルの第一声がそれであった。


 ブロル・エリクソン。この『エレシエル大闘技場』の支配人にして、この王国の右大臣でもある男。そしてカサンドラの熱烈なシンパ……。


 土人の象徴たるケバケバしい金髪をぴっちりと後ろに撫でつけた髪型で、その顔も見るからに陰険で神経質を絵に描いたようだ。見た目ばかり派手な下品な貴族服がまるで似合っておらず、服に着られている感がありありで思わず失笑してしまう。


 ブロルの眉がピクッと吊り上がる。


「おい、卑しい魔女。まさか今嗤ったのか? 何を嗤った? 貴様に何かを嗤う余裕も資格もあると思っているのか、下郎めがっ!」


 猜疑心の強そうな見た目に違わず、そういう所だけは無駄に敏感らしい。いきり立つ馬鹿の反応が面白くて、私はこれ見よがしに口の端を吊り上げた。


「何を嗤ったですって? 勿論馬鹿で滑稽なお前の事に決まってるじゃない。南の土人風情が何を勘違いしたのか、貴族だの王族だの……。お前などあの売女の小水でも飲んで悦んでるのがお似合いの犬コロに過ぎない癖に」



「き、き、き……貴様ぁぁぁっ!! 偉大なる女王陛下を侮辱するかぁっ!! そこに直れ! 今ここで私が成敗してくれるわ!!」


 完全にいきり立ったブロルが顔を赤くして立ち上がると、腰に提げていた細身の剣を抜き放った。明らかに我を忘れている。私は挑発し過ぎた事を悟ったが後の祭りだ。


 私が何か言う暇もあらばこそ、ブロルは完全に殺す気で私の心臓目掛けて突きを放ってくる。自身も『マスター』階級の闘士であるというのは本当らしく、その突きは私には反応さえ出来ないような速度で私の心臓に吸い込まれ――



「落ち着け、ブロル」



 ――る直前で、同じくらいの速さで振り抜かれた別の刃によって跳ね上げられた。ジェラールだ。いつ剣を抜いたのかさえ私には解らなかった。


 私は死の恐怖と、命が助かった安堵で思わずその場にへたり込んでしまった。


「ジェラール、邪魔するな! この魔女は事もあろうに陛下を侮辱したのだぞ!?」


「この程度で一々キレていたら、こやつ相手に仕事は出来んぞ。それはお前にとっても困るだろう? 陛下からのご命令を忘れたのか?」


「ぬ……」

 ブロルが苦虫を噛み潰したような表情で唸る。そうだ。カサンドラは私をあくまで、かつてあの女がそうだったように剣闘試合で処刑・・する事を望んでいるのだ。それもこの闘技場の利益となるように、出来るだけ生かさず殺さずの状態を長く保つようにとも命令されているはずだ。


 つまりこの男にはどう足掻いても私は殺せないのだ。崇拝するあの女の意向に逆らう事になってしまうから。


 そう思って安堵し気を取り直したが、ジェラールは私の方を振り返って見下ろしてきた。


「お前もだ。今日はたまたま俺が一緒だったから良かったが、俺がいなければお前は確実にここで死んでいた。今見たように余り挑発が過ぎれば、ブロルは我を忘れて陛下の命令も無視してお前を殺すだろう。突っ張った態度も程々にしておけ」


「くっ……」


 私は歯噛みした。ジェラールに命を救われたのは紛れもない事実だ。だからといって礼を言う気などこれっぽっちも無いが。しかしブロルから本物の殺気を浴びせられた事で私の頭も多少冷えていた。


 あの女を見返して必ず生き延びてやると誓ったのに、こんな事で命を落とすなど馬鹿げている。


 いつもジェラールしか相手にしていなかったので、ついつい同じノリで挑発的な言動を取ってしまった部分があった。全く業腹ではあるが、このブロルの前では余りあの女を扱き下ろす台詞を吐かない方が無難のようだ。



「ふん、命拾いしたな、魔女め。さっさと立て。これ以上貴様の顔を見ているのも不快なので、手早く用件を済ますぞ」


 ブロルは忌々し気に鼻を鳴らして、自分の机に戻った。私もへたり込んだままではいられないので何とか立ち上がった。


「では本題だ。ジェラールから既に聞いているだろうが、貴様には【アプレンティス】への『昇格試合』を受けてもらう事になった。この闘技場のルールによって【ノービス】のままでは、今以上のレベルの相手や魔物と対戦させる事が出来んのでな」


「……!」

 階級が上がれば当然対戦する魔物のレベルも上がるという事だ。私は緊張に唾を飲み込んだ。



 この闘技場では剣闘士の階級によって、対戦できる魔物のレベルが厳密に定められていた。「不必要な事故を減らす為」との事だ。


 割り当ては単純で、【ノービス】ではレベル1の魔物のみ、【アプレンティス】になるとレベル2までの魔物と対戦できるようになる。【アデプト】でレベル3まで、【エキスパート】でレベル4、そして【マスター】でレベル5まで、と階級が上がるごとに魔物のレベルも一つずつ上がっていく。


 当然高レベルの魔物との戦いの方が派手で観客の入りや評判も高くなる。


 今この国は小国家群どもと同盟を結ぶ事によって、我がロマリオン帝国との戦を優位に進めて、現在はほぼ睨み合いというか小康状態になっているらしい。


 それで現在あの女の命令によって国内の治安改善に向けて、積極的な魔物の討伐が励行されているらしいのだ。


 で、誰の入れ知恵か、魔物の討伐と剣闘試合を結び付けて国威の高揚を図ろうという事で、魔物を捕えて「国の英雄」たる勇士が剣闘士としてそれを討伐するという演出が為されるようになった。


 それによってこの国の民どもは魔物に打ち勝つ勇士達を、新生国家の強さの象徴として称賛し祭りたてるという訳だ。


 そんな背景によって今この国では、この闘技場で剣闘士として魔物と戦う事は一種の花形として、軍人や傭兵たちの憧れにまでなっているらしい。



「昇格試合では一つ上の階級と同じ扱いとなる。即ち相手はレベル2の魔物だ。貴様が今まで倒していた鼠や兎のようには行かんだろうな」


「……っ」


 こちらを嬲るようなブロルの言葉に、私は挑発を返す余裕もなく緊張に身を固くする。



「試合は今より3日後。形式は1対1だ。どんな魔物が出てくるかは……当日のお楽しみだ」



「な……!?」

 私は目を剥いた。相手が解らないのでは対策のしようがないではないか。だが動揺する私を見てブロルは増々愉快そうに口の端を吊り上げる。


「楽しみは後に取っておいた方がいいだろう? 安心しろ。少なくとも1対1なのは本当だ。精々この3日間、気を揉みながら待ち続けるのだな」


「ぐ……!」


 問い詰めてもこの男を愉しませるだけで恐らく無駄だろう。私は歯噛みしながらも大人しく引き下がるしかなかった。


 こうして3日後、私の『昇格試合』の実行が決定された……

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