第20話 毒牙のレイバン

 この日も闘技場のアリーナを囲む観客席には、剣闘士達の試合を待ち望む観客たちが詰めかけ、その熱気がアリーナの体感温度を上昇させていた。


 詰めかけているのは軒並みエレシエル王国民であり、市民もいれば裕福な商人と思しき者もおり、また席は違うが貴族たちの姿もあった。衛兵達も含めれば、あらゆる職業、身分の人間達が揃っている事になる。


 それらが剣闘試合という共通の娯楽に熱狂する。選手や試合内容に歓声を上げている時は民も貴族も無い。ただ1人の『観客』であった。そこには一体感、連帯感のようなものがあった。


 カサンドラ本人か、もしくはカサンドラにこの闘技場を作らせて剣闘試合の振興を促した人物は単に国威の高揚というだけでなく、これ・・も狙いだったのではないかと、今初めて入った観客席からの情景を眺めながら私は思った。



「す、凄い人の入りね? 私の試合の時もかなり埋まってるけど……他の試合はいつもこんな感じなの?」


 私は隣に座るジェラールに問い掛ける。観客席は超満員と言ってよい状態で、中には席に座れずに一番上の通路に立って見ている連中までいる。


 因みに私達が座っているのは基本的には市民用の席であり、その中では最もグレードの高い裕福な商人や役人が主に使用するスペースであるらしかった。


 流石に『国民感情』からして、私を貴族や高官用の貴賓席に座らせるのは避けた方が良いというジェラールの判断のようだ。勿論周りの席にいる観客たちは私の存在に気付いていたが、ジェラールが横に座って睨み・・を利かせている為に大きなトラブルは発生していなかった。


 それに正直、観客たちも今この時に限っては私の存在などどうでもいい様子であった。それもそのはず……



「いや、この試合は特別だ。何せ……他ならぬカサンドラ陛下御本人の試合が見られるのだからな。メインイベントはその日の最後の試合に取ってあるとはいえ、いつもはそれでも最後までは見ずに帰っていく観客もそれなりにいる。だが今日は誰も帰っていない。それどころかこの試合だけでも見ようと更に人が増えているようだな」


「……!」


 そう……。今日これからこの日最後の試合……メインイベントなのだが、エレシエル女王カサンドラ本人が戦うとあって、観客がいつも以上に詰めかけて恐ろしい程の熱気となっているのだった。



 カサンドラ・エレシエル……。あのシグルドを殺し【英雄殺し】の異名を得た女王。私はその現場・・を直に見ているが、正直あの時のシグルドは既に満身創痍と言ってよい状態だった。


 まともに力を発揮できない重傷人を倒しておいて【英雄殺し】とは片腹痛い。その直前にはあの女は、確かラウロとかいう【ヒーロー】ランクの剣闘士に無様に敗北して、あわや暴行されかける寸前だったのだ。


 あの時の情けない姿を見れば、ここにいる臣民共の大半はあの女に幻滅する事だろう。


 あの忌々しい反乱軍の決起がなければ、カサンドラは間違いなくあの場で敗北して、最終的には殺されていたはずなのだ。ただ悪運だけが強い、その程度の女なのだ!



 カサンドラへの敵意と憎しみに想念していた私は、観客の人込みを縫うようにしてこの場に誰かが近付いてきたのに気付かなかった。



「――ほうほう。あの時城で見て以来だったが……随分と頑張ってるみてぇじゃねぇか。それに戦士としても確実に成長してるみてぇだな。ジェラールの教え方が良かったのか?」



「……っ!?」


 唐突に間近で話しかけられて、私は思わずビクッと身体を震わせて振り向いた。私が普段あまり聞く機会のない、かなり粗野で品の無い口調だった事もあって二重に驚いたのだ。


 いつの間にか私の隣の席に(私から見れば)かなり異様な風体の男が座っていた。まず目に付くのは頭頂部からまるで鶏冠のように逆立つ赤い髪だ。それ以外の部分は剃り上げられた、いわゆるモヒカンスタイルだ。


 タチの悪い傭兵や山賊などに、相手を威嚇する為かこういう髪型にする人間がいるらしいが、当然の事ながら私が見たのは初めてだった。


 剃り上げている部分にタトゥーなのかやはり赤色で文様が彫られており、凶悪な様相を助長している。


 体格的にはジェラールやブロルらとそう変わらないようだが、二の腕を剥き出しにしており、その筋肉は極限まで鍛え上げられているのが見て取れた。



 私が何となく気圧されるものを感じて息を呑んでいると、男はニヤニヤと笑いながら無遠慮な目つきで見やってくる。


「……レイバンか。そう言えば今月の担当・・はお前だったな」


 私を挟んで反対側の隣に座るジェラールが、男――レイバンの方にチラッと視線を投げかけて溜息を吐いた。



「その男はレイバン・コール。エレシエル王国の左衛将軍にして、この闘技場の【マスター】階級に名を連ねる1人でもある」



「……っ!」


 ジェラールの紹介に私は目を瞠った。つまりはジェラールやブロルと同じ【エレシエル八武衆】の1人か! 


「へへへ、宜しくな、お嬢ちゃん?」


 レイバンは馴れ馴れしい仕草で片目を瞑る。本来は私に話しかける事さえ不敬罪になるような下賤の者が馴れ馴れしい態度で接してくるのに、私はやや不快気に顔を顰めた。


 ただ私もいい加減自分の現状というやつは理解しているし、今の私はただの虜囚であり剣闘士に過ぎないのだ。この国では私に敬意をもって接する人間など誰もいない。それが現実だ。


 それにまあ考えてみれば、ブロルのような敵意むき出しの態度よりはマシかも知れない。あいつとはまともな会話すら出来ないし。 



 【エレシエル八武衆】はその出自から考えれば当然だが、殆どがジェラールのようにエレシエル王国とは本来縁もゆかりもない人間ばかりだ。むしろブロルの方が変わり種なのだ。


 このレイバンも私に対する態度からして、恐らくエレシエル王国の遺恨とは全く無関係なのだろう。彼等は皆ジェラールのように、カサンドラ個人に対する忠誠心のみでこの国に仕えているのだという。


「しかし俺は運がいいぜ。丁度俺が出仕・・する月に、女王様の試合が拝めるってんだからよ。その意味じゃお嬢ちゃんに感謝かな。あんたの奮闘・・が女王様の尻に火を点けたみてぇだからなぁ、くくく!」


「…………」


 レイバンの下品な物言いに私は眉を顰める。しかしやはり私達の推測は当たっていたようだ。それにこの言い方からして、レイバンは余りカサンドラに妄信しているという感じではない。同じ八武衆でもスタンスなどは微妙に異なるようだ。



 因みに他の八武衆が何をしているかというと、基本的・・・にはロマリオン帝国に睨みを利かせる為に前線の緩衝地帯に赴任しているらしい。だがずっと前線に赴任させたままでは士気も下がるだろうという事で、カサンドラは(もしくはあの女に進言した何者かは)前線にいる八武衆に、毎月交代で「戦況報告の為に出仕する」という名目で、各々の直属部隊の兵士達と共にハイランズに呼び戻して休暇・・を与えていた。


 八武衆はその『休暇』期間中にこの闘技場の試合にも出たりするらしいので、花形である【マスター】階級の試合は毎月異なる選手が出場するという事になり、民の間では「今月は〇〇の試合が見れる」という風に楽しみの一つになっているらしかった。


 尤も八武衆も全員が前線に赴任している訳ではなく、ジェラール達のように王都に詰めている者もいる。ジェラールとブロルと後1人が基本的に王都に常駐しており、残りの5人が前線に赴任している。このレイバンは前線赴任組の1人という訳だ。



「しかし女王様もだが、まさかあんたがここまでやれるとはなぁ。あの時は誰も予想してなかったろ。あんたの活躍・・は、実は俺達の所にも噂だけは届いてたんだぜ?」


「え……そ、そうなの?」


 私はつい反応してしまってレイバンを見やる。彼は我が意を得たりとばかりに頷く。


「おおよ。特に『火炎舞踏会』だっけ? 実際に試合を見た奴等が前線に戻ってきて、あーだったこーだったって吹聴したりで結構話題になってんだぜ? そこへもってきて先日の『奈落剣山』だろ? あの試合を見た連中も前線に戻ったら大いに話に花を咲かせるだろうぜ。いや、残留組の方が話を聞きたがってせがむかもな。今前線の兵士達の間じゃあんたは話題の人だよ」


「……! そう、なのね」


 私はそれを聞いてなんとも複雑な気分になった。私はただ自分が生き延びる為、そしてあの女に追いつく為に必死に戦っているだけで、それによって誰かを楽しませる為に戦っているつもりはない。ましてやそれが下賤なエレシエル国民ともなれば尚更だ。


 だが先程ジェラールから私を讃える声が観客達から出始めているという話を聞いた時もそうだったが、私の中になんともむず痒いような名状しがたい感情が湧き上がってくるのを抑えられなかった。



 いや、本当は解っている。ただそれを認めたくないだけだ。私は僅かながら……嬉しさ・・・を感じてしまっているという事を。



 だってそうだろう? よりにもよってこの私が……偉大なる至高のロマリオン帝国の皇女である私が、下賤な剣闘士稼業で観客から称賛されたからといって、それに喜びを感じるなどあってはならない事だ。しかも相手は憎きエレシエルの臣民共なのだ。


 普通に考えたらあり得ない話だ。少なくともガレノスやフォラビアにいた頃の私であれば、ただ嫌悪と侮蔑しか感じなかった事だろう。


 私は……私はどうしてしまったのだ?



「お喋りはそこまでだ。そろそろ始まる・・・ぞ」

「……っ」


 当てのない想念に沈んでいた私だが、ジェラールの声にハッと顔を上げる。それと同時に高らかなラッパの音がアリーナ中に鳴り響き、騒めいていた観客達が一様に静まる。


 いよいよだ。いよいよあの女が現れる。あの女が魔物と戦う。その姿を見る事が出来る……!

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