第25話 伝説の誕生


『お、おおぉぉぉっ!! し、信じられない! 今、目の前で奇跡が起きました! レベル4の魔物3体を同時に相手にして、カサンドラ陛下が勝利したぁぁっ! 我等が偉大な女王はこれほどまでに強かったぁっ!』

 

 ――ワアァァァァァァッ!!


 ギャラリーが総立ちになって再びの大歓声が沸き起こる。これは興奮するのも仕方ないだろう。今アナウンスは奇跡と形容したが、客観的に見ればそれは紛れもない事実だからだ。


 年若く美しい女戦士が露出度の高い衣装に身を包んで戦い、凶悪な魔物と3対1で戦い勝利を収めてしまうなど、まるで物語か英雄譚の中の世界だ。しかもそれが自分達の女王なのだから、熱狂するなという方が無理な話だ。



 大歓声を浴びながらカサンドラは流石に体力が底を尽きかけている様子で、『鎧』から剥き出しの素肌を全身汗に濡れ光らせて、肩で荒い息をしながら片膝を着いていた。


 しかしそんな状態でもカサンドラは司会の方に目を向けて、また剣を振った。そう……まるで今のがクライマックスであるかのような盛り上がりだったが、今のは4戦目。まだ最終戦・・・が控えているのだ。


 カサンドラは片膝を着いて喘いでいるような状態だというのに、休憩なしで最終戦を開始しろと言っているのだ。


 もういい。もう充分だ。お前は今の戦いでもう完全に民衆の心を鷲掴みにした。これ以上やる必要はない……!



『へ、陛下……流石に、これ以上は……。もう充分では?』



 私の心を代弁したかのような司会の言葉。しかしカサンドラは激しくかぶりを振ってまた剣を動かした。どうあっても最後までやる気だ。女王自身の意思で命令されては臣下は従う他ない。



『わ、解りました。それでは……最終戦です! 幾多の人間の命を刈り取った地獄の処刑人! 脅威度レベル5・・・・! 恐るべき迷宮の番人、フォルゴーンだぁぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァッ!!

 ――ウオォォォォォォッ!!



 歓声とも悲鳴ともつかない大音量が観客席から巻き起こる。それも当然だ。


 レベル5だと!? 分類上はレベル4までの【村落規模の危機】を飛び越えて【都市規模の危機】にランクアップするレベルだ。つまり理論上はレベル5の魔物1体で、自警団を備えた村を壊滅させ、より規模の大きい衛兵隊が常駐する街にまで少なくない被害を与えうるという事だ。


 流石にシグルドのような力の持ち主はいない為、この闘技場にストック・・・・しておける魔物はレベル5が限界と言われている。その上限ギリギリ、つまりこの闘技場で戦う事が出来る最高峰の魔物なのである。


 過酷な4連戦を勝ち抜いた後に、インターバルもなしでレベル5と対戦だと!? 正気の沙汰ではない! だが容赦なく正面の門が開き、そこから魔物の巨体が姿を現した。



 それは長柄の巨大な斧を携えた筋骨隆々の巨人であった。体長は優に3メートルを超えており、筋肉の厚みが凄まじい事になっている。顔は何となく人間の骸骨を連想させる不気味な面貌であり、身体中に黒い紋様のような物が走っていた。


 エレシエル軍はよくこんな化け物を捕まえられた物だ!


 その化け物……フォルゴーンが、不気味な目でカサンドラを見据えると、斧を振り上げて恐ろしい咆哮を発した。戦闘開始だ! もう今更待ったは掛けられない。後は殺るか殺られるかだ。



 フォルゴーンは斧を振りかぶって大きな足音を鳴らしながらカサンドラに迫る。その巨体の迫力だけで気の弱い者なら腰を抜かすだろう。


 魔物が斧を薙ぎ払った。離れた観客席にまで風圧と振音が届きそうな剛撃。盾で受ければその盾ごと一撃で胴体を両断されるのは確実だ。流石にこの威力を受け流す事は出来ないようで、カサンドラは跳び退る事で薙ぎ払いを躱した。


 躱す事はできたが、かなり際どい。やはり体力の消耗が大きいのだ。フォルゴーンは容赦なく追撃してくる。大の大人が3人がかりでようやく持ち上げられそうな馬鹿げたサイズの長斧を、まるで子供が棒切れを振り回すかの如き速度で薙ぎ払う。


 なるほど、これだけでも普通の兵士や傭兵なら一溜まりも無く吹き飛ばされ、手に負えないだろう。これがレベル5の力か。


 カサンドラは辛うじて躱し続けているが、万全の状態であってさえいなし続けるのは困難なこの死の暴風を、ましてや既に4連戦して体力が底を突きかけている状態で躱し続けなければならないのだ。


 事実カサンドラの動きは最初の頃より明らかに精彩を欠いてきており、激しく息を切らして足元も覚束なくなっている。


「く……」


 私は4戦目からずっと身体中に力が入りっぱなしであった。今もフォルゴーンの大斧がカサンドラの身体を掠めそうになる度に、無意識に歯を食いしばって身体が緊張に力んでしまう。手に汗握るとはまさにこの事だ。


 くそ……何故よりにもよってこの私が、カサンドラなぞの心配をしなければならないのだ! あんな女、魔物の斧で両断されてしまえば良いのだ。


 だが頭ではそう考えていても、身体はあの女の危機に反応して緊張してしまう。それはもう理屈ではなかった。私はいつしかあの女に……いや、あの女の戦い・・に魅了されていた。


 その事実は、私が戦士としての技量だけでなくエンターテイナー・・・・・・・・としてもカサンドラに完敗している事の証でもあった。


 この期に及んでは認めざるを得なかった。あの女は全てにおいて私の遥か上にいるのだという事実を。



 私も観客達も息を詰めて見守る中、試合の状況が動いた。カサンドラが遂にアリーナの壁際に追い込まれたのだ。絶体絶命のピンチに観客席は総立ちになる。勿論この私もだ。


 フォルゴーンが容赦なく斧を振りかぶる。カサンドラにはもう逃げ道が無い。終わりだ。誰もがそう思った。


 だがその時、カサンドラが初めて前に出た。自ら魔物の懐に飛び込んだのだ。一見無謀な行動に見えるが、フォルゴーンは巨体な上に武器もポールウェポンなのが災いして密着するほどの至近距離となると、意外と死角が多くなる。


 対してカサンドラは比較すれば遥かに身体が小さいし、武器も小剣なので近接戦闘はまさに自身のフィールドだ。


 フォルゴーンの薙ぎ払いを屈むようにしてギリギリで回避したカサンドラは、敵の懐に潜り込んでその巨体に小剣を突き立てる。


 流石にその一撃だけでは倒せないが痛痒を与える事はできたようで、フォルゴーンは怒り狂ってカサンドラを蹴り飛ばそうとする。だがその時には彼女は剣を引き抜いて、素早く魔物の後方に回り込んでいた。そして今度は脚を斬り付ける。


 案の定というかフォルゴーンは密着してちょこまかと動くカサンドラに対処できていない様子だ。その間にもカサンドラは次々と剣を振るって魔物の身体に傷を増やしていく。


 もうすでに体力は限界のはずなのに、あれだけ畳み掛けるような攻撃を仕掛ける体力がどこに残っていたのか。このまま行けば勝利できるのでは? と私だけでなく全てのギャラリーにそんな期待を抱かせた。


 いや、全てのギャラリー、ではない。



「レベル5は【都市規模の危機】。このまま終わる程容易くはあるまい」


「ああ。フォルゴーンといや、アレ・・があるからなぁ。まあそれは女王様も解ってるはずだが」


 【マスター】クラスである2人の超戦士はまだ厳しい表情のままだ。


 アレ? 私は思わずレイバンに問い掛けようとしたが、その時アリーナの状況が再び動いた。



 カサンドラの機動に対応できなくなったフォルゴーンが動きを止めて、全身で踏ん張るような仕草を取った。カサンドラが斬り付けても反撃しようとせず踏ん張ったままだ。


 何だ? 負けを認めて降参でもするつもりか? だが魔物がそんな事をするはずが……


「……! 言ってる傍から来るぜ! 逃げろ、姫さん!」


 レイバンが彼にしては真剣な声音での警告。その声が届いたはずもないだろうが、カサンドラが踵を返して全力でフォルゴーンから遠ざかり始めた。



 その直後、フォルゴーンの口が不自然なまでに大きく開いた。そして逃げるカサンドラの方向に向けたその口から……まるで血潮のように赤い噴霧が放射状に吐き出された!



 一見それこそ血を吐いたかのように思えるが、違う。何故ならその赤い噴霧は地面に付着すると、硬い石畳を原型を留めない程にドロドロに溶かしてしまったのだ。観客席からは悲鳴と歓声が同時に上がる。


「な、何……? 何なの、あれは!?」


 私は驚愕に目を見開いて、思わず疑問が口をついて出る。それに答えたのはジェラールだ。


「フォルゴーンの武器は巨体や筋力だけではない。奴はああして自分の胃液・・を逆流させて噴射できるのだ。そしてあれこそがあの魔物をレベル5足らしめている能力なのだ」


「……!」


 フォルゴーンの胃酸噴射は途切れる事無く続いている。胃液をそのまま吐いているのではなく、かなり薄くして唾液と混ぜて噴射しているらしく、かなり長時間噴射を続けられるらしい。


 あの強酸の噴射をもともに浴びると、木や石は勿論鉄などの金属まで溶けてしまい、盾で防ぐのも難しいらしい。当然人間の身体など一瞬で骨まで溶かされる。事実放置されていた今までの魔物達の死骸が、噴霧を浴びてグズグズに溶け崩れていく。カサンドラも噴霧を浴びたらああなるのだ。



 彼女はなけなしの体力を振り絞るように強酸の範囲外に逃れようとする。フォルゴーンは噴射を継続しながらカサンドラを追いかける。ただ逃げるだけでは歩幅の差ですぐに追いつかれてしまう。


 するとカサンドラはフォルゴーンから遠ざかるのをやめて、大胆に迂回するような軌道で走り出した。迂回しつつ魔物の背後に回り込む気か。当然そうはさせじとフォルゴーンも胴体ごと首を巡らせて噴射の方向を切り替えてカサンドラを追跡する。


 帯状になった赤い噴霧が必死で走るカサンドラの背中を追いかけ、徐々にその距離が縮んでいく。やはり体力が底を尽きかけているのがキツい。カサンドラの走りは見ているのがじれったくなるほど、緩慢なものに変わっていた。


 しかしカサンドラはそこで前方に飛び込むようにして大きく跳躍した。そして一気にフォルゴーンの背後に回り込む事に成功した。フォルゴーンは慌てて首を巡らせようとするが、それよりもカサンドラが密着してその背中に剣を深々と突き立てる方が早かった。


 脊椎を貫いて重要な器官に損傷を負ったらしいフォルゴーンの胃酸噴射が止まる。そして今度は本物の血をその口から吐き出すと、両膝を着くように崩れ落ちた。それでもしぶとく大斧でカサンドラを攻撃しようとするが、それより早くカサンドラが止めの一撃として首筋に再び剣を突き立てた。


 それが完全に止めとなり、魔物は息絶えて地へと沈んだ。



 ……………………



 誰も、何も言わない。あれほどうるさかった大歓声がいつの間にか静かになっていた。一瞬の静寂がアリーナを支配した。



『う……う、うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!! き、奇跡だ。いや、そんな陳腐な言葉では表現できない! わ、我等が女王は、真なる英雄だ。遂に、ガントレット戦を本当に5連戦、勝ち抜いてしまったぁぁぁぁっ!! 新しき伝説の誕生だぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァッ!! 

 ――ウオォォォォォォォォォォッ!!!



 静寂の後に、再びこれまでにも増して凄まじい、空気が割れんばかりの大歓声が巻き起こった。


 その立役者であるカサンドラは大歓声を浴びながら、完全に体力が尽きた様子で、地面に四肢を投げ出して横たわり激しく息を荒げていた。


 相変わらずの露出鎧から汗に濡れ光った肉体が惜しげも無く晒されていたが、最早それを好色な目で見ている者など誰一人いなかった。 



 割れんばかりの大歓声と拍手とに包まれ称賛され賛美されるカサンドラ。私はその姿を眺めながら、彼女と自分の『差』を思い知らされて固く唇を噛み締めていた。手が無意識の内に動いて、あの女に対する惜しみない拍手を捧げそうになるのを全力で堪えねばならない程だった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る