第35話 被弾

 私を取り巻く状況がどうであれ、周囲は容赦なく動いていく。ましてやカサンドラにドラゴンボーンの件を伏せておかねばならない現状では、私の立ち位置自体はほぼ変わっていないと言ってもいい。


 即ち……相変わらず拒否権の無い強制試合を勝ち抜かねばならない状況という訳だ。



『さあ、紳士淑女の皆様! 今回も『特別試合』の時間がやって参りました! 東門から登場するはお馴染みの、ロマリオン帝国皇女にして現在は特別枠の剣闘士でもある艶美なる舞姫! 【胡蝶】のクリームヒルトだぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 私がアリーナに入場すると満座の観客席から大きな歓声が沸き起こる。艶美なる舞姫、か。まあ初期の頃の、北の魔女だの地獄の悪鬼だのに比べて随分出世・・したものだ。そしてそんな呼び名に特に抵抗なく歓声を上げる民衆達。そう言えば最近は私に対するブーイングも殆ど無くなっている。


 特に以前の試合でエレシエルの元騎士であるジャイルズを殺さなかった事で、民衆の私に対する感情が如実に変化してきているようだった。


 しかし変わったのは彼等だけではない。というより彼等の変化は、私の変化・・・・に釣られた物であるはずだ。


 最底辺の剣闘士からスタートし、過酷な戦いやジェラール達とのやり取りを経て、今の私はここに来る前までの私とは確実に変わっているという自覚があった。もう以前のような視点や考え方で物事を見れなくなっていた。


 命の危機や過酷な体験というのは、良くも悪くも人を変えるものであるらしい。


 無論変わったとは言っても、今現在に至るまで私が命がけの試合を強要されている事実は変わらないし、この国の民衆がそれを見て喜んでいるという事実もまた変わらない。100%の和解や歩み寄りは難しい……というより不可能だろう。それはロマリオンとエレシエルの今までの歴史を鑑みればどうにもならない事だ。


 だから私もこれ以上の物は望まない。私の人気が上がって虜囚の立場から解放されて、故国に帰してもらえるなどという甘い幻想も抱いていない。この街から脱出・・を図るのは未だ私にとって命題であった。


 そして脱出を図る為にも、今は目の前の試合を生き延びなければならない。



『さあ、そして西門から対戦相手の登場です! エレシエル八武衆が1人、前衛将軍【鉄壁】のアンゼルム率いる重装歩兵部隊『ジャガーノート』の一員! 【重戦士】トルベン・クルトだぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 対面の門より現れたのは全身甲冑フルプレートに身を包んだ大柄な戦士であった。その鎧は隙間なく全身を覆っており露出している部分が殆ど無い。またその頭部もバイザー付きの全面兜フルフェイスに包まれ素顔を垣間見る事は出来ない。極めて露出度の高い『鎧』しか身に着けていない私とはある意味対照的だ。


 そして右手には肉厚の戦斧が握られ、左手には縁が地面にまで届きそうな巨大な盾――大楯を携えている。


 これまで戦ってきたどの敵よりも重装備だ。今までにないタイプの敵と言える。そしてそれだけでなく、相手が魔物ではなく人間である事が私の気持ちをより憂鬱にさせた。



 トルベンは甲冑をガチャガチャと鳴らしながら私の前まで歩いてきた。これだけ重そうな武器防具を身に帯びていながら、その動きに停滞は見られない。まあアナウンスが言っていた経歴が本当なら当然の事ではあるのだが。


「……あなたも私や帝国に対して何か恨みがあるのかしら?」


 私との試合を志願、もしくは依頼を了承したという事なので何らかの理由はあるはずなのだが、トルベンは兜に包まれた頭を横に振った。



「別に恨みはない。女王やブロル卿から、お前を殺した者にはエル金貨100枚の『特別褒賞』が約束されているのでな」



「……っ!」


 何の感情もなく淡々と告げてくるトルベンの言葉に絶句する。確かにそういう話もジェラールから聞いていたので、金目当ての輩もエントリーしてくる可能性は考慮していた。


 だがいざ実際に対峙してみると、何故だろう……怨恨による殺意を剥き出しにしていたジャイルズよりも余程怖い・・と感じる。


 ある意味で生の人間らしい動機だからだろうか。何の事情も忖度も関係ない、ただ自分の利益の為に赤の他人を殺す……。


 山賊などに理不尽に襲われた被害者は皆こういう恐怖を味わっているのかも知れない。



『さあ、それでは両者準備はいいか!? 試合開始ぃぃぃっ!!!』



「……!!」


 だが当然私が何を思おうが試合は待ってくれない。容赦なく試合開始の銅鑼が鳴らされる。


 銅鑼の音が鳴り終わらない内にトルベンが動いた。私に対して大股に一歩踏み込んでくると、振りかぶった戦斧を躊躇いなく振り下ろしてきた。一片の容赦も躊躇もない動き。相手は本気で私を殺すつもりだ。賞金を得る為だけに。


「く……!」


 私は大きく飛び退って戦斧を躱した。こうなったら躊躇っている場合ではない。戦わねばむざむざ殺されるのを待つだけだ。


 私は双刃剣を握り直すと、反撃の為に踏み込んだ。トルベンは戦斧を空振りした直後であり、重い甲冑が災いしてすぐには体勢を立て直せない。好機とみた私――


 ――ブオォンンッ!!


「え――――――あぐぁっ!!?」


 轟音。そして風を感じた……直後に、本能的に武器を翳して身を守った私の儚い防御越しに、恐ろしいほどの衝撃が身体を揺さぶった。


 激痛。そして何が起きたのかも解らないまま、私の身体は大きく吹き飛ばされて……


「あぅっ!!」


 背中から強かに地面に打ち付けられた! 再度の痛みと衝撃が私を襲う。



「あ……ぐぅ……」


 何だ……何が、起きた? 頭も身体も、内部で銅鑼が打ち鳴らされたような衝撃と痺れで一瞬思考が飛んだ。



『おおっとぉぉーー!! 【胡蝶】のクリームヒルト、まさかのダウンだぁっ!! これは彼女の戦歴始まって以来の事かぁっ!? 戦斧を躱したクリームヒルト選手だが、トルベン選手の楯払いシールドバッシュへの備えを怠ってしまったかぁ! これは痛恨のミスだぞぉ!! どうする、クリームヒルトォォッ!!』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



「……!」


 興奮した司会のアナウンスと観客席の大歓声。私はそれでようやく事態を把握した。


 大楯だ! トルベンが左手に持っていた大楯を武器として使用して薙ぎ払ったのだ。戦斧だけに意識が集中していた私は、反応が間に合わずにシールドバッシュをまともに喰らってしまった。


 あの質量の鉄の塊で殴り付けられたのだ。咄嗟に剣を盾にして防御したお陰で直撃は免れたものの、それでも尚ダメージは大きい。アナウンスの言う通りこれは痛恨のミスだ。


 身体が……重い。しかも動くと肩や背中に強い痛みが走る。大楯の薙ぎ払いや地面に打ち付けられた事によるダメージだ。尤も直撃していたら骨折か内臓破裂していただろうから贅沢は言えないが。


 しかしそれでも衝撃や痛みによって、身体の動きが大きく制限を受けてしまった事は間違いない。このダメージはすぐには回復できない。少なくともこの試合中は。


 つまり私は試合開始早々、大きなハンデを背負った状態で戦わねばならなくなったのだ。そして勿論トルベンはこれ幸いと容赦なく距離を詰めてくる。


「く……そ……!」


 私はダメージが蓄積した身体に鞭打って強引に起き上がる。その時には既に危険な距離まで迫って来ていたトルベンが戦斧を叩きつけてくる。


 私は必死になって横に転がりながら打ち下ろしを躱す。勿論その度に背中や肩に鈍痛が走る。トルベンが今度は大楯を突き下ろしてくる。私は激痛を堪えながら再び横転して楯を躱すと、僅かに距離が離れたのを見計らって、何とか立ち上がる事に成功した。だが……



「はぁ……! はぁ……! ふぅ……! はぁ……!!」


 呼吸が苦しい。息が上がる。痛みと疲労で足がふらつく。何とか仕切り直しは出来たものの状況は厳しい。


「大分辛そうだな? なら早く俺に殺されれば楽になれるぞ」


 トルベンはやはり淡々とした口調で戦斧と大楯を構えると、私に向かって突進してくる。


 死ねば楽になれる……。それは今の試合の事だけではなく、私を取り巻いている状況そのものにも言える事だった。もう何もかも投げ出して楽になりたい。そんな誘惑・・が私を惑わす。


「……!」


 そして一瞬の後にはそんな事を考えた自分に腹が立った。自分が死にたくないのは勿論だが、ここで私が死ねばそれはカサンドラに完全敗北したのと同じであり、それだけは絶対に認める訳には行かない。


 私は何としても生き延びてこの街を無事に脱出してみせるのだ。そうする事でようやく私はあの女に勝利・・する事が出来る。


 それだけでなく夢の中でシグルドから託された「願い」の事もある。私は彼にそれを必ず実行すると約束したのだ。その為にもこんな所で死ぬ訳には行かない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る