第30話 ドラゴンボーン誕生秘話

 その夜、私は夢を見た。私は自分が夢を見ているという自覚があった。いわゆる明晰夢という物だ。


 夢の中で私はどことも知れない宮殿のような場所にいた。一見ガレノスの城内のようにも見えるが、微妙に細部が異なる。だが私はそのどこか解らない宮殿の中に何の疑問も抱かずに佇んでいた。


 着ている物も卑猥な鎧や簡素な平服ではなく、もう大分長い間着ていないような気がする豪奢なドレス姿であった。


 私の目の前に唐突に1人の男性が出現した。私はやはり何の疑問も抱かずにその男性を見上げた。


 見上げるような立派な体躯、剛毅な印象の風貌、鍛え抜かれた肉体、背中には巨大な剣を背負っている。それは……



「……シグルド・・・・



 それはまさしくフォラビアで命を落としたはずの英雄シグルド・フォーゲルであった。


「久しいな、クリームヒルトよ」


 記憶にある通りの力強い声。私はこれが夢であると解っていても疑問を感じざるを得なかった。それくらい目の前のシグルドには存在感と独自の意志・・・・・のような物が感じられた。



「何故……? あなたはあのフォラビアでカサンドラによって殺されたはずじゃ……? あなたが首を刎ねられる所を見たわ」


「確かに肉体・・は死んだ。だが俺の……龍の魂は不滅だ」


「龍の魂?」


「そうだ。俺の肉体が死んだ事によって、龍の魂は既に別の身体・・・・に宿っている。そしてその新たな『龍の生まれ変わりドラゴンボーン』は、もうお前のすぐ近くまで来ている。だからこそ俺はこうしてお前と話す事が出来ているのだ」


「……!」

 明かされる重大な情報に私は目を見開いた。シグルドの……魂を受け継いだ者がすぐ近くまで来ている? 


 勿論魂だのなんだのといった話は、普通であれば妄想と笑い飛ばす類いの話だ。しかしシグルドに関して言えばそれは当てはまらない。彼ならそんな事もあり得る。そう自然に思えてしまう、ある意味で超常の存在なのがシグルドであった。



「何故? 何故あなたは死してまで私を追い求めるの? 私はもう以前の私とは違う。私という個人は何の価値も無いつまらない女だという事を知っている。あるのはロマリオン帝国の皇女という身分だけ。帝位が欲しいの? あなた程の英雄がそんな理由だけで、以前の私のような我儘で傲慢で扱いにくい女のご機嫌を取っていたの?」


 改めてその疑問が湧く。以前までの私なら例え神話の英雄であっても、それでようやく私と釣り合うくらいに思っていて、彼の求愛は当然の事でそこに何の疑問も抱いていなかった。


 だがそんなはずはないのだ。今の私なら分かる。私は皇女という身分以外何もない愚かで空虚な存在であった。今だってそうだ。シグルド程の英雄が追い求める価値など無い。


 皇帝の座を狙っていたのだろうかとも思ったが、彼ならば己の実力だけで新しい王国を打ち建ててしまう事さえできたはずだ。私のような愚かな女に阿る必要などない。


「……かつては俺自身にも解らなかった。何か本能的な部分で、お前でなければ駄目だと訴える声があった。だが魂だけの存在となった今ならその理由が解る。いや、正確には……思い出した・・・・・と言うべきか」


「え……?」



「それは黎明の時代に結ばれた古の契約……。そしてその契約はロマリオン帝国の建国神話・・・・に密接に関わっているものなのだ」



「……! け、建国神話ですって?」 


 ロマリオン帝国の建国神話は確かに存在する。私も幼い頃からの教養で知識としては知っていた。


 それはまだ神代の時代。北の大地は幾多の部族が相争う野蛮で過酷な土地だった。しかしその無数の部族の1つを、野心と覇気に満ち溢れた若き族長が継いだ。後に始皇帝と称される英雄イングヴァールである。


 イングヴァールは強大な武力とカリスマ性を併せ持ち、周辺の部族を次々と攻め滅ぼして勢力を拡大させていった。


 だがその台頭を怖れた他の部族は一時的に手を結んで連合を組み、イングヴァールの部族に対抗した。強健なイングヴァールも、より強大な勢力となった部族連合の数の暴力の前に敗退を重ね、徐々に追い詰められていった。


 進退窮まったイングヴァールは、彼等の部族が元々神獣として崇めていた氷の龍フロスト・ドラゴンに助けを求めた。


 フロスト・ドラゴンは助けてやる見返りに、イングヴァールの妹で絶世の美姫として名高かったヘルミールを生贄・・に所望した。


 妹を差し出す事に躊躇するイングヴァールだが、ヘルミールは兄の勝利と北の大地統一を願って自ら生贄となる事を了承し、自分からフロスト・ドラゴンの元へと赴き犠牲となった。


 ヘルミールの尊い自己犠牲によってフロスト・ドラゴンを味方に付けたイングヴァールは、その元凶となった連合部族に怒りをぶつけるかの如く苛烈な逆襲を開始し、遂には敵対部族を全て滅ぼして北の大地を統一する事に成功。ロマリオン帝国を打ち建て初代皇帝として君臨した。



 これが帝国の建国神話の大まかなあらましだ。勿論細かい部分や他の登場人物の『外伝』などもあり、全部併せれば結構な一大叙事詩になるのだが、それは今重要な事ではないだろう。


 シグルドが頷いた。


「そうだ。それが一般的・・・に伝わっている神話の内容だ。それは大筋では正しい。イングヴァールが北の大地を統一したという結果だけ・・・・を見るならばな」


「結果だけを?」


「そもそも巨大で強大なドラゴンを、女を1人餌にしただけで味方に付ける事など可能だと思うか?」


「……!」


 言われてみれば確かにその通りだ。かつてのシグルド自身の『服従』の力でさえ、魔物の意志を縛る事は出来ても、完全に味方に付ける事は不可能だ。ましてや強大であろうドラゴンを従える事など。


 冷静に考えればおかしい点は多々あるのだが、建国神話など一種の物語のような物だし、それを真面目に歴史的事実として考察しようなどという人間はいなかった。



「真実はもっと複雑で……おぞましい物だ。フロスト・ドラゴンは確かにヘルミールを所望した。しかしそれは食料として喰う為ではない。ヘルミールと交わり・・・、出来た胎児に己の魂を受肉させ、人間として転生する事こそが目的だったのだ」



「な…………」


 大仰な誇張どころではない。余りにも意外というか荒唐無稽な内容に、私は唖然として目を見開いた。


「当時そのフロスト・ドラゴンは【邪龍王】ファーブニルとの勢力争いに敗れ、瀕死の重傷を負ってイングヴァールの部族が住まう地方の山に身を潜めていたのだ。それがイングヴァールら部族の崇拝対象になる切欠であったのだが。だが自らの緩慢なる死が避けられないと悟ったフロスト・ドラゴンはイングヴァールの窮状に付け込んで、ある取引を持ち掛けたのだ」


「……! それが先程言っていた……?」


 ヘルミールと交わって受肉するだの何だのというおぞましい話。シグルドは再び頷いた。


「そうだ。龍の魂を持って生まれた子供は【龍の生まれ変わりドラゴンボーン】として、人の身でありながら龍の力を使いこなす超常の存在となる。ヘルミールを自分に差し出せば、そのドラゴンボーンの力でイングヴァールの窮状を救ってやるという契約・・だ」


「……!」


 それが彼が先程言っていた『古の契約』の内容という訳か。だが……ドラゴンボーン? そして人の身でありながら超常の力を操る? それはまさに今私の目の前にいる存在を想起させはしまいか?


「あなたは……あなたは、この話にどう関わっているの?」



「それは後ほど解る。とにかく……部族連合に追い詰められていたイングヴァールは、この悪魔の契約を飲んで妹を氷龍に差し出した。何故ヘルミールでなければならなかったのかは、そのフロスト・ドラゴン本人にしか解らんので今となっては不明だ。そして……特殊な方法でヘルミールと交わったフロスト・ドラゴンは、その直後に身体が氷像と化して砕け散った。だが受肉には成功していた。龍の魂が宿った胎児は恐ろしい速度で成長し、母体であるヘルミールの腹を突き破って・・・・・・・この世に誕生した。龍が、人に、転生したのだ」



「……っ!」


 凄惨にして凄絶な生誕の光景を想像して私は息を呑んだ。いや、ある意味では【龍の生まれ変わりドラゴンボーン】という人を超えた魔人の誕生には相応しいとも言えるのか。


「そして誕生したドラゴンボーンは契約通りイングヴァールの味方となり、常人を遥かに上回る身体能力と、何よりも龍の力……即ち【龍叫シャウト】を使いこなし、敵対する部族連合を容赦なく殺戮していった」


 人の身に転生したとはいえ、化け物じみた身体能力と龍の力を使いこなす超常の存在だ。エレシエル王国軍を蹂躙し、一度はロマリオン帝国を大戦の勝利者に導いたシグルドの戦果を考えれば、部族連合もエレシエル王国軍と同様の憂き目に遭っただろう事は想像に難くない。


「そしてドラゴンボーンの力によって遂に部族連合は壊滅し、イングヴァールは北の大地の覇者となった。だが話はそこで終わらなかった。ドラゴンボーンは戦を勝利に導いた事で、イングヴァールに更なる報酬・・を要求した」


「報酬?」


「……当時まだ幼かったイングヴァールの娘との婚姻・・だ」


「な…………」


 私は絶句してしまう。だがシグルドは至って真面目な表情だ。



「権力や次期皇帝の座を欲した訳ではない。フロスト・ドラゴンの魂にとって人の肉体はあくまで仮初の容れ物に過ぎん。奴の本当の目的は自らの完全なる復活。ドラゴンボーンがイングヴァールの娘と交わる・・・事によって、生れてくる子供は完全な龍の幼体と化す。そこに再び受肉する事で、フロスト・ドラゴンは完全復活を遂げるという訳だ」



「な、何という……。でも、そうなるとイングヴァールの娘は……?」


 おぞましい話の連続に私は気分が悪くなる。龍の幼体を生む? 人に転生したドラゴンボーンを生む時でさえ、母体となったヘルミールは腹を突き破られて死んだのだ。ましてや龍の幼体など産んだ日には……


「無論娘が成人するまでは待つつもりではあっただろう。だから婚姻を要求したのだ。だが当然成人しようが出産となれば娘は確実に死ぬ事になる。妹を殺し、今また娘まで生贄に差し出せという悪魔にイングヴァールも反発した。また他に敵が居なくなった事で、強大なドラゴンボーンの力が自分に向けられる事を怖れたというのもあるのだろう。イングヴァールはドラゴンボーンを罠に嵌めて抹殺する事を決意した」


「ま、抹殺? そんな事が出来るの?」


 人に転生したとはいえ、龍の化身だ。それを殺すとなれば恐ろしい程の難事だ。シグルドを殺せと言われて実行できるかと言われると……


 そこまで考えて気付いた。シグルドは既に死んでいる・・・・・という事に。だからこそ私はこうして剣闘士などやっているのだ。


「カサンドラが俺を殺したように、ドラゴンボーンを殺す事自体は条件さえ整えれば十分可能だ。そして実際イングヴァールは娘との婚姻を了承したと見せかけて・・・・・ドラゴンボーンを油断させ、その婚礼の場で丸腰だったドラゴンボーンを大勢の伏兵による槍と矢の雨で殺す事に成功した」


「……!」


 ドラゴンボーンを殺す事に成功した。話がそれで終わっていればシグルドが存在していた理由の説明が付かない。彼はまた頷いた。


「そうだ。最初に言ったように例え肉体が滅んでも龍の魂は不滅だ。ドラゴンボーンは肉体が滅びる間際、自分を騙し討ちにしたイングヴァールにその龍の力で呪詛を掛けた。そして次にお前の血族に女子が生まれ長じた時、自分の魂もまた新たな肉体を得て復活すると最後に言い残した」


「女子が生まれ……長じた時?」


 私は何となく嫌な予感を覚えた。この話は私自身にも関係している。そんな確信があった。



「……恐らくお前の父グンナールや帝国の高官共はお前にひた隠しにしていただろうが……ロマリオン帝国には初代から脈々と受け継がれてきた忌まわしい慣習が存在していた。即ち……皇族に女子が生まれた場合は、国を滅ぼす厄災としてまだ赤子の内に殺してしまうという慣習が」


「な、何ですって……!?」


 完全に寝耳に水である。お父様やお兄様、それに宮臣達からも確かにそんな話は聞いた事が無い。聞いていれば絶対に憶えていたはずだ。だがこの状況でシグルドが嘘を言うとも思えない。


「全てはドラゴンボーンの呪いとその復活を怖れた初代皇帝イングヴァールが定めた事だ。だが長い時が経ち、次第にドラゴンボーンの恐怖もその存在すらも忘れ去られ、帝国にとって都合の良い建国神話に置き換わり、やがて建国時から続いた慣習を馬鹿げた迷信だとして、この悪習そのものを廃する事にした皇帝がいた。それが即ちお前の父グンナールだ」


「……!!」


 全ての線が一つに繋がり始めている。私はそれを理解した。



「そしてお前は殺される事無く成長し……遥か昔、ドラゴンボーンが死に際に残した呪詛の発動条件・・・・を満たした。不滅の龍の魂は予言通り、新たな肉体を得てドラゴンボーンとして甦ったのだ」



「それが……あなた、なのね?」


 私は確信を持って尋ねた。果たして彼は首肯した。


「その通りだ。だが一度肉体が滅んだ事で前世・・の記憶は忘れ去っており、俺は自分が何者なのかも知らずに、ただ本能的にお前を求めた。そしてやはり理由も解らず、お前が女として完全に成熟するまで抱いてはならんと思い込んでいた。いや、今にして考えれば内なる声・・・・にそう思い込まされていたのだろうが」


「…………」


「エレシエル王国にとっては災難以外の何物でもなかったであろうな。グンナールの娘可愛さの親心が俺の出現を促し、結果としてエレシエル王国の滅亡に繋がったのだからな。グンナールは知らぬ内に初代のイングヴァールと同じ道を歩んでいたのだ。即ち娘を生贄・・に差し出す事でドラゴンボーンを味方に付けて、立ち塞がる強敵を殲滅した、という意味でな」



「……じゃああなたが私に接近し、私の関心を買って婚約まで取り結んでいたのは、私を愛していた訳ではなく……?」


「……全てその内なる声の影響によるものだ。正直お前を愛していた事は一度もない」


「…………」


 ショックが無かったかと言われれば嘘になる。だが内心納得してもいた。最初に彼に言った通り、今の私はある程度客観的に自分という人間を顧みる事が出来るようになっていた。


 そしてまず間違いなく、シグルドのような本物の英雄から本心で愛されるような価値のある女ではなかった。当時はそれが分からない程に自惚れていたのだ。


 シグルドの動機と本心を聞けた事で、むしろ心の靄が晴れたような気がした。

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