第31話 新たな戦いへ


「しかし先程も言ったように、俺が死んだ事で龍の魂は新たなドラゴンボーンに宿った。そしてその者はお前のすぐ近くまで来ている。自分が何者なのかも知らず、ただ本能的にお前という存在を手に入れる為だけにな」


「……!」


 そうだ。確かに最初そんな事を言っていた。しかしだとすると気になる事が。



「もし……もしだけど、その新たなドラゴンボーンと私が、その……ま、交わった場合、何が起こるの?」



 非常に嫌な予感を覚えながら尋ねる。そしてその予感は正しかった。


「そのドラゴンボーンは即座に死ぬだろう。そしてお前の中に宿った胎児に龍の魂が受肉・・する。それによってその胎児はフロスト・ドラゴンの幼体に変わる。当然母体となったお前も、幼体の成長に耐え切れず内側から身体が破裂して死ぬだろうな」


「……っ!」


 私は知らずの内に顔が青ざめていた。それは即ちシグルドと交わって・・・・いた場合もそうなっていたという事だ。皮肉にも私はカサンドラによって命を救われていたのだ。


 だが安心してばかりもいられない。新たなドラゴンボーンが間近に迫ってきているというのだ。



「内なる声に支配されたドラゴンボーンは、決してお前の事を諦めはしない。お前が死ぬまで手に入れようと執着するはずだ。フロスト・ドラゴンが復活したら、それを斃せる者は最早誰もおらん。【邪竜王】ファーブニルも死んだ今、フロスト・ドラゴンは他の魔物を統率して、この大陸を我が物顔で征服しようとするだろう。人間にとっては暗黒時代の始まりという訳だ」


 シグルドがまるでそうなる事を憂いているかのような口調で警告する。わたしはここで根本的な疑問が浮かび上がった。


「何故……あなたは私にこの事を教えてくれたの? あなたはドラゴンボーン……つまりはフロスト・ドラゴンの生まれ変わりでもあるんでしょう? その目的が遂げられた方があなたにとっては良い事なのでは……?」


 こんな話を聞いた以上、私がその新たなドラゴンボーンを受け入れる事は絶対にないだろう。逆に言えば、何も知らなければシグルドの時のように受け入れてしまう可能性はあった。


 となるとシグルドが私の夢に現れてこうして警告してくれた事は、はっきり言えば逆効果のはずだ。



「……かつてのお前は愛するに値しなかった。だが今のお前はそこまで悪くはない」


「……!!」


「それに俺はフロスト・ドラゴンなどではなく、あくまでシグルド・フォーゲルという名の1人の人間だった。俺には俺の人格がある。前世など知った事か。奴が何を目論んでいようが関係ない。この俺の人生をいいように操った事の報いを受けさせてやる」


「シ、シグルド……」


 その押さえた口調に、彼の中にある本物の怒り・・を感じた。記憶を失った状態で転生した事によって、シグルドというフロスト・ドラゴンの意志とは全く別の、一個の人格が培われていたのだ。


 そして真実を知った彼は、自分の人生がただフロスト・ドラゴンが復活する為だけの、操作された偽りの生であった事に激しい怒りを感じているのだ。唯我独尊で絶対の自信に満ち溢れていたシグルドだからこそ、その怒りは常人など比較にならない程強かったのだろう。


 だが……



「全てが偽りだった? 私はそうは思わないわ」



「何?」


 戸惑ったような彼の顔を見上げる。


「エレシエル王国を滅ぼして私と婚約するまでは、全て決められた道の上だったかも知れない。でもその後は? フォラビアでの生活はフロスト・ドラゴンの意志とは関係ないものだったはずでしょう?」


「……!」


「フォラビアにいた時のあなたは、他の誰でもないシグルドというあなた自身だった。それは間違いないわ。あの闘技場を作り上げ、【グランドチャンピオン】として君臨していたあなたは紛れもなく本物だった。カサンドラとの確執だってそう。偽りの人生なんかじゃない。あなたは確かにあそこで自分の人生を生きていたのよ」


「…………」


 シグルドが吃驚したように目を瞬かせて私を見下ろしていた。彼のそんな表情を……ましてや私に向けられるのを初めて見た。それはともすれば痛快な、悪くない気分だった。



「……そこまで悪くはないという言葉は訂正しよう。今のお前は……すこぶるいい女だ」


 それは不器用な彼としては最大級の賛辞であったのだろう。シグルドは私が今まで見た事もない程穏やかな表情をしていた。


「シグルド…………っ!?」


 彼に返事をしようとした時、急に辺りの風景が……夢の宮殿が歪んで徐々に崩れ出した。


「これは……」


「……どうやら別れの時が来たようだ。俺の意志も人格も……全て新たなドラゴンボーンに吸収されて跡形も無く消え去る。だがその前に、お前にどうしても真実・・だけは伝えておきたかったのだ」


「…………」


 記憶を取り戻して怒りに支配された彼は、その一念だけで自我を保って、新たなドラゴンボーンに憑りついていたのだろう。そして私に真実を暴露するという目的が果たされた今、彼を支えていた執念が消え、崩れ去ろうとしている。


 それでいながらシグルドは穏やかな表情のまま私に手を差し出した。



「最後だ。消え去る前に俺と一曲踊ってはくれぬか。生前・・はお前を愛していなかったが故に一度も踊る事は無かったが……今は心からお前と踊りたい気分なのだ」


「シグルド……ええ、勿論よ。最後まで付き合うわ」


 私は彼の差し出す手を取った。徐々に崩れていく宮殿のどこからか楽曲が流れてくる。これは私の好きだった楽団の曲だ。彼はそれを知っていたのだ。



 崩れゆく歪んだ宮殿のホールで、私はシグルドとワルツを踊った。彼は武骨な外見からは想像もできないほどの繊細さで私をリードしてくれる。


「……戦いにのみ明け暮れた生だったが、こういうのも存外悪くないものだな」


「本当よ。初めてとは思えないくらい。あなた、こっちの才能もあったんじゃない?」


「ふ……それは勿体ない事をしたな」


 彼は笑いながらそっと自分の口を私の耳に近付けた。


「最後に一つだけ……お前に頼みたい事がある。もしお前がエレシエルの虜囚からも、そしてドラゴンボーンの妄執からも無事逃れる事が出来たなら……」


 そして彼は頼み事・・・の内容を私に伝えた。私はしっかりと頷いた。


「あなたの願い、確かに聞いたわ。必ず実行する。約束するわ」

「ありがとう、クリームヒルト」


 彼は満足そうに微笑んだ。そして後は何も喋る事無く、崩壊していく夢の宮殿を舞台に、私達はいつまでも優雅に踊り続けた……




*****




「…………」


 私は目を覚ました。そこは見慣れたニューヘブンの闘技場の簡素な一室であった。時刻はすっかり朝になっていた。体感的にはとても長い夢を見ていたような気分だった。


「シグルド……」


 そして目が覚めても、私は『夢』の内容を忘れる事無く正確に記憶していた。シグルドは確かに私の中にいたのだ。そして今はもういない。



 私は知ってしまった。私の血族とドラゴンボーンの血塗られ呪われた宿命を。今また新たなドラゴンボーンが迫りつつある事も。そしてその裏に隠されたフロスト・ドラゴンの恐ろしい企みも。


 全てを知ってしまった以上、もう今までの私ではいられない。剣闘試合を生き延びてこの街を脱出するだけではない。ドラゴンボーンの妄執と、その裏にいるフロスト・ドラゴンの復活を阻止するという、より大きな目的が出来たのだ。


「……よし!」


 私は気合を入れて起き上がった。今日も新たな一日が始まる。そして新しい戦いも。



 身支度を整えた私は、この二つの戦い・・・・・を生き延び勝ち抜くために、扉を開けて自らの戦場へと赴いていくのであった。

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