第18話 追う者、追われる者


「くそ……!」


 私は毒づきながら双刃剣を構える。しかし当然ながらいつもよりへっぴり腰だ。その自覚はあった。そんな私の様子を見て観客席から嘲笑が沸き起こるが、それを気にしている精神的余裕はない。


 逆にリュンクスの方は、平地にいるのと全く変わらないような軽やかな挙動で距離を詰めてくる。私は防衛本能から剣の刃を突き出す。


「……っ」


 そしてそれだけでバランスが崩れそうになり心胆を寒からしめる。当然そんな状態で放った突きが魔物を傷つけられる訳はない。


 リュンクスは身を屈めて私の牽制を軽々とやり過ごすと、獰猛な唸り声と共に身を乗り出して前脚で引っ掻いてきた。私は咄嗟に後ろへ下がってそれを躱す。すると……


「ひっ……ぃ……!」 


 身体がグラつく。視界が揺れる。両足を全力で突っ張って辛うじて転倒を堪える。全身から汗が吹き出し、動悸と呼吸が乱れる。


 ただ後ろに下がって敵の攻撃を躱しただけ。いつも当たり前のように行っているその動作が当たり前に出来ない。足場の狭さと周りの剣山を意識してしまい、身体に余分な力が入り却ってバランスを崩しそうになる。頭では解っていても身体の反応はどうにもならない。


「……っ」


 自分が1人で綱渡りをしている状態でも危ういというのに、今は試合の真っ最中なのだ。私が勝手にバランスを崩して無様なダンスを踊っている間に、当然リュンクスは容赦なく距離を詰めてくる。


 その鋭くて長い牙を剥き出しにして私に噛み付くような動作を取る。何とか体勢を立て直した私は、必死になって剣を振るって魔物を寄せ付けないように牽制する。


 相手を倒すどころの話ではない。自分が死なないように、橋から落ちないように集中するのが精一杯だ。そしてそんな事に意識を割いていれば、敵への攻撃は精彩を欠く一方となる。


 リュンクスは余裕の体で私の牽制を躱しつつ、まるで私を嬲るように少しずつ前進してくる。私はそれに押されるようにして徐々に後退を余儀なくされる。


「……!」


 しかし橋は無限に続いている訳ではない。いや、それどころか長さ自体も10メートルに満たない短い『橋』なのだ。当然後ろに下がり続けていれば、いつかは終わりが来る。


 私は自分が『橋』の端に追い詰められている事に気付いた。これ以上後ろに下がれば剣山に真っ逆さまだ。観客席からは歓声や悲鳴が上がる。


 リュンクスは心なしか目を細めたような気がした。そして一気に飛び掛かっては来ずに、ジワジワと前進して私を剣山に追い立てようとしてくる。


 こいつ……私を嬲って遊んでいる・・・・・……!? 


 私がこの足場に全く対応できておらず、自分にとって何ら脅威となる存在ではないと見抜いたのだ。猫は鼠などの小動物を必要以上に甚振って遊ぶ癖がある。リュンクスも外見的にはデカい猫なので、同じ悪癖が発動しているようだ。


 だがどのみちこのまま追い詰められれば後が無い私はリュンクスの牙に掛かるか、剣山に落ちるかの2択しかない。いや……実はもう一つ道がある。



 『橋』は3本あるのだ。今私達が立っているのは真ん中の橋。左右どちらかの橋に跳べば・・・、とりあえずリュンクスの圧迫からは逃れられるし、相手の出方を見て迎撃の体勢も整えられる。


 だが……橋と橋の間は1メートル程開いており、渡るには剣山の上をジャンプして飛び越えなければならないのだ。


 ここを……ジャンプして飛び越える? 


 1メートルジャンプして、上手く対面の橋に着地出来ればいいが、もし少しでも着地点がズレたら? もしくはジャンプそのものに失敗して対面の橋に届かなかったら? いや、よしんば着地出来たとしても、上手く反動を殺して体勢を安定させられるか? もし勢い余ってつんのめって転んでしまったら?


 あらゆる悪い可能性が瞬時に私の頭を駆け巡る。そのどれかが起きただけで一巻の終わりだ。


 だがこのままではリュンクスに嬲り殺しにされるだけだ。私がへっぴり腰で振るう剣など奴には通用しない。どうしても一旦仕切り直す必要がある。そしてそれには橋を渡らなければならない。


「……っ!」


 やる! やってやる! やってみせる! 私は出来る! ジェラール、私に勇気を頂戴!



 一大決心を固めた私は……今立っている足場を蹴って、右側の橋に向けて大きく跳躍した!



 観客席から再びの悲鳴と歓声。それらをBGMに剣山の上を跳ぶ私は、妙に周囲の時間がゆっくりとした物に感じられた。その瞬間だけは歓声も遠い物になり、下に広がる剣山も現実味の無い夢のような感じがした。


 一瞬の浮遊感。そう、時間にすれば実際にはそれはほんの一瞬の出来事だった。私には永遠のようにも感じられたその一瞬の後……私の足は隣の『橋』に着地する事に成功した!



「……っ!」


 無事の着地に胸を撫で下ろすのも束の間、事はそれで終わりではない。跳躍からの着地の勢いで私の身体はそのまま前につんのめりそうになる。狭い足場で僅かでも足を踏み外したら、文字通り地獄へ真っ逆さまだ。


 慌てて制動を掛ける。余り掛け過ぎると今度は後ろに倒れそうになるので、横方向に足を踏ん張って全力で身体を安定させる。その甲斐あってどうにか持ち直す事ができた。


 隣の『橋』へ跳躍して飛び移る事に成功したのだ。観客席が歓声に沸き立つ。



「ふっ! ふぅっ! はぁ! はぁっ!」


 私は激しい精神的疲労と緊張の反動から激しく息を吐き出す。心臓がうるさいくらいに高鳴っている。だが残念ながら悠長に気持ちを落ち着けている暇はない。


 リュンクスが私を追うようにして、私が移った『橋』に軽々と自らも飛び移ってきたのだ。私があれだけ躊躇して死ぬ思いで、何とか無様に飛び移った苦労を嘲笑うかのような余裕ぶりだ。 


 だがそれを嘆いてばかりもいられない。あんな思いをしてようやく得た仕切り直しの機会だ。もう一度飛び移るなど絶対にごめんだし、そもそも次も上手く飛び移れるとは限らない。


 色々な意味で何としてもここで勝負を付けなければならなかった。



「ふぅーー……」


 私は意図的の大きく息を吐き出して精神を落ち着ける。そして跳躍の間も手放さなかった双刃剣を前に掲げて戦闘態勢を取る。幸か不幸か飛び移りを経験したお陰で、ただこの足場の上に立つだけならまだマシ・・だと思えるようになってきた。


 私の雰囲気が変わった事にリュンクスが敏感に気付いて、少し警戒するように動きを止めて威嚇の唸り声を発する。


 だが私の中にもう迷いはない。前回の『火炎舞踏会』と同じで、過剰な怖れはより自分の死亡率を高めるだけだ。


「ふっ!!」


 私は剣の刃を突き出す。先程までのへっぴり腰とは違って、腰の入った一撃だ。リュンクスが驚いたように後退する。どれだけバランス能力に優れていようと、足場の狭さは如何ともし難い。


 私の剣圧に押されたリュンクスが後退するが、あの巨体ではすぐに『橋』の終点に行き着いてしまう。それ以上は後ろには下がれない。私は双刃剣を風車のように旋回させて、その『面』によって奴を橋から押し出そうと試みる。


 するとリュンクスは一声吠えると、隣の橋に再び飛び移って逃れた。やはりそう来たか。リュンクスは橋の間を飛び移るのは容易なので、他に逃げ場がなくなれば必ず飛び移るはずだと解っていた。一見、足場を自在に渡り歩けるリュンクスの方が有利に思えるが……



 魔物は四肢を撓めると、隣の橋から直接私に対して飛び掛かってきた!



 そう。どれだけ足場の間を自在に飛び回ろうと、私に攻撃するには結局接近しなければならないという事に変わりはない。そして橋の上という互いに対等な条件ではなく、現在奴の下には足場は無い。更に言うなら、私には奴が必ず横から飛び掛かってくると解っていた。


「はっ!!」


 私は気合を発すると、身体を横に逸らしつつ双刃剣の刃を今度は縦に旋回させてリュンクスの前脚に斬り付けた。飛び掛かっていた最中だった魔物は私の攻撃を躱せずに、前脚を斬り付けられる。


 もちろんレベル3の魔物相手に私の斬撃が一度通ったくらいでは、本来怯ませるのが精々だ。これがまともな試合だったらむしろここからが本番という所だ。


 だが今の状況・・・・で少し怯むという事はつまり……



 私の斬撃で怯んだ事によって跳躍のバランス・・・・・・・を崩したリュンクスは、私のいる橋への着地に失敗し…………剣山の上に落ちた!



 一溜まりも無く全身串刺しになった魔物は、大量の血を噴き出しながらもしぶとくもがいていたが、やがて痙攣して動かなくなり剣山に沈んだ。


 私も一つ間違えればこうなっていたのだ。いや、その可能性の方が高かった。だが……リュンクスは剣山に沈み、私は橋の上に立っている。この結果が全てだ。



『……お、おおおぉぉぉっ!? こ、これは、信じられない! まさか、クリームヒルト選手が勝ち残るとは!? 狭い足場の上での戦いを余儀なくされるルールで、峻険な地をねぐらとするリュンクスにまさかの大勝!! カサンドラ陛下が提案した特殊試合『奈落剣山』を生き延びたクリームヒルト! これは大番狂わせかぁぁっ!?』



 ――ワアァァァァァァッ!!



 一瞬の沈黙の後、司会の動揺したようなアナウンス。そして続けて観客共の大歓声や怒号がそれを打ち消して響き渡る。



 私は大きく息を吐くと、カサンドラが座る主賓席を見上げた。私と目が合うとカサンドラは僅かに眉を吊り上げたように見えた。そしてやはり何も言わずに立ち上がると、そのまま観客席から退場していく。


「……!」


 おのれ、あの女め……あくまで私を無視する気か!? だが私はお前が僅かに不快気に顔を顰めたのを確かに見たぞ! 


 お前の提案した小賢しい試合を生き延びた私が目障りなのだろう? 


 だがお前は今更強権を発動して私を処刑したり、あからさまに階級の違う相手をぶつけて私を殺す事はできない。何故ならそれをすればお前は私に負けた・・・事になるから。この国の国民全員が内心ではそう判断するだろう。


 だからお前はランク分けに則った剣闘試合という枠組みの中でしか私を殺せない。お前が自分でそうしたのだ。私を甘く見たツケが回ってきたな?


 私がまさかここまで戦えるとは思っていなかったのだろう? くくく……どんな気分だ、カサンドラ? 目障りで仕方ない私を思うように殺せず、私がこうして勝ち上がって一歩一歩自分に近付いてくる姿を眺めているしかない気分は?


 今更後悔しても手遅れだぞ? このまま試合を勝ちあがりランクを上げて、じわじわと貴様を追い詰めてやる。目指すは最上位の階級【チャンピオン】だ。私がそこまで昇りつめればもう逃げ道は無い。国民の目がある中で、お前は私の挑戦を受けるしかなくなる。精々その時を楽しみにしているがいい。



 私は退場していくカサンドラの背中を眺めながら、かつてない程の高揚と勝利の気分に満たされていた…… 

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