第17話 『奈落剣山』

 1週間後。いよいよ私の試合の日がやってきた。どんな試合形式かも解らないので、私はとにかくジェラールに言われた通りどんな試合にも対応できるように、この数日間はただひたすらに自分の武技を磨く訓練に費やされた。


 この闘技場の試合は1週間に1回のペースで開催され、試合は午前の部3試合と午後の部4試合の全7試合に分かれており、基本的に私の試合はいつも午後の部1番目で行われていた。


 しかしあの『火炎舞踏会』もそうだったが、大掛かりなギミックを設営し試合終了後はそれを撤去する作業がある為か、今日も私の試合はその日の1番最後の『メインイベント』である7試合目に回されていた。


 そして今日、前の6試合が全て終了した。私は現在ブロルの指示によって、自分以外の他の闘士達の試合を見る事は許されていなかった。なのでただ終わったと聞かされただけだ。


 本日最後の試合だけあって準備する時間だけはたっぷりあったので、いつもの試合用のあの露出度の高い『鎧』に着替えた後はひたすら精神統一とイメージトレーニングに終始していた。どちらも私の柄ではないが、ジェラールから試合前に無理に訓練などして怪我をしたら本末転倒なので、柔軟体操や準備運動以外で武器を持って身体を動かす事は禁止だと言われていた。


 そして控室に呼びに現れた衛兵に促されて、双刃剣を携えた私はアリーナへと出る。そしてそこで目に入ってきた光景は……



「な……何なの、これは!?」


 思わず呟きが漏れてしまう。広いアリーナの中央辺りに『リング』が設営されていた。そこまでは前回の『火炎舞踏会』と同じだ。だが今回は前回に比べても尚、非常識な構造の『リング』であったのだ。


 直径10メートルほどの円形の中に……無数の剣山・・が突き出ていた。剣山の間隔はかなり狭く、少なくとも落ちたら・・・・一溜まりも無く全身串刺しだ。


 そう、落ちたら。


 円形の剣山の上には細い橋のような物が何本か渡されており、明らかにあの上で戦えという事なのだろう。橋自体は金属で補強されており丈夫そうではあったが、何と言っても細くて狭い。差し渡しは精々が50センチ程度しかない。あれではちょっと大きく飛び退ったりしただけで、たちどころに足を踏み外してしまう危険性が高い。


 こんな所で戦えというのか? それは余りにも……馬鹿げている!



「ほら、あそこの階段からさっさと昇るんだよ」

「う、うぅ……!」


 躊躇する私に対して、衛兵達が容赦なく槍で私を剣山の方に追い立てる。橋の1つに階段が取り付けられており、剣山の上の『リング』に昇れるようになっていた。衛兵が顎でそこを指し示す。


 衛兵たちの顔はどれも醜い嗜虐心に満ちており、私に情けを掛ける気などこれっぽっちもない事が見て取れる。それどころか躊躇する私の様子を見て愉しんでさえいるようだ。そしてそれは観客席を埋め尽くす群衆共も同じであった。


 私の様子に嘲笑する笑い声や、さっさと行けと促す罵声や怒号。ここに私の味方は1人もいないという事実を改めて思い知らされる。


 衛兵に追い立てられるようにして、備え付けの階段を昇らされる。そして私が橋の上まで進むと、衛兵達が階段の部分だけを橋から切り離す。どうやら最初から取り外し可能な構造になっていたらしい。



 つまりこれで私は剣山の上に刺さった形で固定された、狭くて細い橋に取り残された形となった。



 自分がリングに降り立って解ったが橋は全部で3本あり、それが1メートルほどの間隔を開けて縦に並んでいる。橋と橋の間には当然剣山以外には何もなく、渡るにはジャンプして渡る必要がある。


「……っ」


 今、私は幅が50センチ程度の細い板の上に乗っていて、そこから少しでも足を踏み外したり、バランスを崩して転んだりすれば、それだけで串刺しになる恐ろしい場所に立っているのだ。


 まだ試合が始まってもいない。ただ立っているだけなのに、心臓の動悸が激しくなり口が渇いて、妙に足に力が入りづらくなり転ばないように意識するようになった。


 今の段階でこれでは、試合が始まったらどうなってしまうのだ。本当にこのリングで戦う事など出来るのか。私は暗澹たる気持ちと共に恐怖を感じた。



『さあ、紳士淑女の皆様! 本日の最終試合……メインイベントは、皆さまお待ちかねの、北の魔女クリームヒルトを処刑する為の特別試合となります! まずはこの試合を観戦する為に特別に来場された我等が女王、カサンドラ陛下に盛大なる拍手を!』



 ――ワアァァァァァァッ!!



「……!」


 この剣山リングに気を取られて気付く余裕が無かったが、主賓席にはあの憎たらしいカサンドラがいて、豪華な席に腰掛けて愚民共に手を振りながら、あの前にも見た路傍の石ころでも見るような無感情な視線で私を見下ろしてきた。


 私はカサンドラへの憎しみと敵意で、一瞬だけだが剣山への恐怖を忘れる事ができた。見ていろ、カサンドラめ。お前がどんな陰湿で理不尽な試合を仕組もうと、私は必ず生き延びてみせる! 来週にはお前の試合があるそうじゃないか。今度は私がお前を見下ろす番だ! その為にも絶対にこの試合を生き延びてやる!



『さあ、それでは試合内容の説明に移ります! といってもアリーナに設営されたあのリングをご覧頂ければ内容は一目瞭然でしょう! 試合名は『奈落剣山』!! 今からクリームヒルト選手は剣山の真ん中で、あの細い3本の『橋』のみを足場として魔物との試合を戦う事になります! 試合中、僅かでも足を踏み外せばどうなるかは、敢えて皆様に説明するまでも無いと思われます! この試合内容は流石に厳しいぞ! 悪運強い北の魔女も、いよいよ最後の時を迎えようとしています! 今日の試合に入場できた皆様は、憎き魔女の処刑が完遂される瞬間を見る事が出来る幸運に恵まれたぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァッ!!



 再び耳障りな歓声がアリーナに響き渡る。一度はカサンドラへの敵意で恐怖を忘れた私だが、司会のアナウンスと観客共の歓声で再び自分が今どういう場所に立っていて、これから何をしなければならないかを思い出して身を震わせた。


「……っ」


 くそ! 鎮まれ、私の心臓! しっかりしろ、私の脚! これからここで戦うんだぞ! 今からこんな事でどうする!



『さあ、それでは対戦相手の登場です! この剣山のリングで戦うに相応しい相手です! 獰猛にして静かなる夜のハンター! 優美なる野獣、リュンクスだぁぁぁっ!!』



「……!」


 対面の門が開いて現れたのは、四足歩行の獰猛な肉食獣であった。といってもアースウルフなどとは同じ四足歩行でもフォルムが微妙に異なっている。より前脚が発達しており、その『手』の先には鋭い鉤爪が備わっている。


 アースウルフに比べて全体的により柔軟そうな身体つきだ。頭部もそこまで鼻面が長くないが、その代わりに口からはやはり鋭い牙が覗いていた。


 レベル3の魔物、リュンクスだ。主に高山や渓谷など高低差が激しく険しい地形に棲息している魔物で、アースウルフとは違って基本的に群れる事無く単独で人間を襲う。またその狩りの方法もアースウルフとは対照的で、物陰や草むらなどに身を隠して獲物に忍び寄る、または待ち伏せをして一気に襲い掛かるというやり方が主だ。


 その武器は当然鋭い牙や爪なのだが、その瞬発力や柔軟性も大きな特徴だ。いや、それだけではなく……


 リュンクスが唸り声を上げながら、剣山リングの上にいる私を見据えた。衛兵共はとっくにアリーナから退避している。唯一の手近・・な獲物である私は、危険な剣山の上の不安定な足場に立っている状態だ。私を襲いたければ自分も同じ足場に立たなくてはならない。ホブゴブリンなど他の魔物であれば間違いなく私に襲い掛かるのを躊躇うだろう。



 だがリュンクスは躊躇いなく脅威的な跳躍力を発揮して、剣山の上の狭い『橋』の上に飛び乗ってきた!



 観客席から期待に満ちた大きな歓声が上がる。


 リュンクスはそれなりに巨体の魔物で、体重は300キロくらいはありそうだ。頭の高さも私の胸くらいある。そんな巨獣が差し渡し50センチ程度の『橋』に立てば、それだけでバランスを崩して剣山に転落してもおかしくはない。


 しかしリュンクスはどんなバランス能力と平衡感覚なのか、そんな狭い橋の上に全く危なげなく立っていて、下の剣山など目に入っていないかのように私を威嚇してくる。


 そう、これがリュンクスのもう一つの大きな特徴だ。険しい地形を棲み処とするこの魔物は悪路や不安定な足場を渡り歩く能力に長けており、切り立った崖の上の僅かな足場をジャンプして移動する事など日常茶飯事だ。


 つまりこの剣山リングは、まさにリュンクスの為に誂えられたような戦場という訳だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る