第47話 狂龍の不安
その日はこのエレシエル王国の女王カサンドラと、ロマリオン帝国の皇女にして現在はこの国の虜囚であり、尚且つ新進気鋭の剣闘士でもあるクリームヒルトの試合が行われる日であった。
何と言っても大国の姫同士の直接対決だ。しかも両者の因縁は今や多くの国民の知る所であった。更に言うならクリームヒルトもカサンドラも極めて人気の高い闘士と言える存在だ。
否が応でも期待が高まる一戦に市民達の関心は最大限に達していた。その為特にこの日は王都のハイランズもこの『ニューヘヴン』の街も、直に始まるだろう世紀の一戦に向けて全体的に浮ついた雰囲気になっており、当然この試合を直接見ようと大勢の市民や貴族達が予約に詰めかけ、闘技場は久しぶりの超大盛況となっていた。
街の酒場や飯屋だけでなく様々な場所で、2人の姫の因縁、試合の展開や勝敗予想などが盛り上がり、街はかつてない程の賑わいを見せていた。
だが……そんな賑わいの間隙を突くようにして、街の陰から陰を渡り歩く2つの人影があった。その2人はどんどん人気のない郊外の工業地区に分け入っていく。
毎週闘技場での試合が開催される日は、工業地区全体が休みとなる週休日と被っているので、ましてや本日の試合に対する期待や盛り上がりもあって、この辺りには人影は皆無であった。ただ操業を停止している農林業や鉱業の工場が寂しく立ち並んでいるだけだ。
「ふ……国民の休日に闘技試合の開催日を合わせているのは、勿論観客の動員を見込んでの事だろうが……
2人のうち1人、先日【マスター】ランクに昇格を果たした剣闘士、【鮮血】のガストン……ロマリオン帝国の第二皇子カスパールは、そう呟いて皮肉気に口の端を歪めた。
「……あれだ。あの鋳造工場だ」
そのまましばらく隠密を継続して工場街を進んだ所で、カスパールの家臣にして現在は相方でもあるスルストが一つの建物を指差す。
かなり大きな建物で、スルストが鋳造工場と言ったように、主に衛兵や一般兵士達の武具を鋳造で量産する為の施設のようだ。
「なるほど、あそこなら衛兵達が出入りしていても不自然は無い。それに国が直接管理する施設なら出入りする業者も口は堅いだろうしな。国家の
カスパールは納得したように頷いてほくそ笑んだ。そしてスルストと2人で物陰に身を潜めながら近くまで行くと、正面入り口には何人かの衛兵が警護に立っている様子が窺えた。どのみち彼等がこれからやろうとしている事を考えると、衛兵は全員
カスパールはスルストに目線だけで合図すると、一気に物陰から飛び出した。すると即座に気付いた衛兵達が反応する。
「……! おい、ここは軍の施設だ。一般人は立ち入り禁止――」
みなまで言わせずカスパールの凶刃が煌めいた。首筋を斬り裂かれた衛兵は、傷口から大量の血を噴き出して事切れる。
「な……!! く、曲者!?」
「捕えろ、いや、殺せ!」
それを見た他の衛兵達が慌てて臨戦態勢を取るが、そこに追随してきたスルストの大剣が薙ぎ払われ、何人かの衛兵がまとめて薙ぎ倒される。当然即死だ。
勿論その間にカスパールも次の獲物に斬り掛かっている。時間にして1分も掛からない短時間でその場にいた衛兵は全滅していた。
「ふむ、他に巡回や増援が駆け付けてくる様子はないな。やはり思った通り今日に限っては警備も手薄になっているようだ。何と言っても二大国の姫同士が直接対決するという世紀の一大イベントを控えているとあっては、そちらに関心やリソースが割かれるのも止む無しであろうな」
「……あの女王はクリームヒルトを殺すと思うか?」
得心したように独りごちるカスパールだが、スルストは別の事が気になるようだ。その問いにカスパールは頷いた。
「まあ殺すだろうな。むしろこの機会を待っていた可能性さえある。闘技場のシステムに則ればクリームヒルトが【マスター】ランクまで昇格しなければ、自らが直接手を下す事が出来なかったからな。待ちに待った機会を逃すほどあの女王様はお人好しではあるまい」
かつてフォラビアに囚われの身となり、今の妹と同じように剣闘士として戦わされ、数奇な運命を経てこのエレシエル王国の女王に返り咲いた女傑。しかもその過程であの英雄シグルドをも倒しているのだ。
間違いなくその身には不釣り合いなほどの激情と苛烈さを秘めているはずだ。カスパールにはそれが解った。であるなら確実にかの女王は、クリームヒルトを大衆の面前で痛めつけて殺す事に躊躇いを感じないだろう。
このままであればクリームヒルトは今日確実に死ぬ事になる。時間的な猶予はない。だからこそカスパール達は今日を
「だが何故今回に限ってそこまで不安を覚える? 今までにも危機的な試合は数多くあったはずだが、お前は落ち着いたものだっただろう」
確かにカサンドラ女王は【マスター】ランクにも劣らない腕前の持ち主だが、あくまで女同士だ。クリームヒルトとてかなり腕を上げているし、妹が勝つ可能性だって充分ある。
今までにもあの『虫籠蝶々』や直近のルーベンスとの試合を含め、まずクリームヒルトは生き残れないだろうという下馬評の試合は数多くあった。勿論結果として全て勝ち残ってきている訳だが、それは今だから解る事。
だがそのいずれの試合においても、クリームヒルトに執着しているはずのスルストは、まるで最初から結果が解っているかのように落ち着いていた。そして事実その通りになった。あまりにスルストが平然としているのでカスパールもいつしか安心して、見世物を楽しむ気分で妹の試合を観戦していたのだ。
だがそんなスルストが何故か今回の試合に限っては先程のような自信の無さを吐露し、焦燥を抱いている様子なのが気になった。
カスパールの問い返しにスルストはかぶりを振った。
「魔物も、他の人間の闘士達も、俺には皆
「……!」
それが原因か。
彼女はかつてスルストと
考えても解らない。スルスト自身にも解らないようだ。いずれにせよ今日の試合に限っては、スルストはクリームヒルトの勝利を確信できずにいるのは確かだ。
どのみち大体の準備は整ったので決行の時期ではあった。今日の試合は国民や貴族、兵士達に至るまで高い関心を集めていて、その分警戒が緩んでおり、こちらとしても実行しやすい条件が揃っていたのでお誂え向きであった。
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