第38話 もがく胡蝶

『さあ、それではいよいよ試合が始まります! 身体にユンゴルの樹液を塗った係員達が魔物の入った檻を搬入します! 『虫籠』に魔物が投入された瞬間から試合開始となります! それ以前に壁を登ろうとした場合、失格扱いで処断の対象となりますので、クリームヒルト選手は『虫籠』の中央で待機していて下さい!』



「……っ!」


 反射的に壁に足を掛けようとしていた私はそのアナウンスに固まる。くそ、どこまでも……!


 私は歯噛みしながら言われた通り『虫籠』の中央まで進んで、そこで双刃剣を構えて待機する。



 魔物専用の入り口が開き、そこから黒塗りの鉄の箱を乗せた巨大な台車が合計で4台現れた。4台の台車は、闘技場の係員達がそれぞれ二人掛かりで押している。


 因みにユンゴルの樹液は、これを身体に塗る事で唯一どんな魔物も嫌う臭いを発する効果的な魔物除けとして重宝されている。原料となるユンゴルの木自体が特殊な立地にしか自生しない限られた希少品であり、本来は一部の王侯貴族や聖職者、大商人などしか持っていない高級品だ。


 尤もかなり強烈な臭いを発するので、私は帝国にいた時も使用した事はなかったが。


 台車が4台で係員は計8人。彼等が全員ユンゴルの樹液を塗っているのだとすると、随分奮発したものだ。魔物を投入する際にどうしてもその場にいなければならない人員なので、やむを得ずという事だろう。


 『特殊試合』の大掛かりな仕掛け自体もそうだが、私1人を追い詰めるのに金を掛け過ぎではないのか。その分『特殊試合』の評判で客を呼び込めるから問題ないという事か。



 私がそんな事を考えている間に事態は進む。4台の台車のうち2台が別々の場所から『虫籠』に近付き、上に乗せた鉄の箱を『虫籠』の外壁に接触させる。他の2台は後ろで待機している。あちらは恐らく最初に投入した魔物が倒された時の交代要員・・・・なのだろう。


 それぞれの台車の係員の片方が、『虫籠』の外側に取り付けられた鎖を下に巻いて引っ張っていくと、滑車を介して外壁の一部が上にスライドして開いていく。そしてもう片方の係員が、鉄の箱の扉に付いた紐を下に引っ張っていくと、同じように鉄の箱も扉が上にスライドして開いた。


 鉄の箱と『虫籠』の外壁は接触している為、双方の扉が開いた事で2つの空間がダイレクトに連結される。そして2つの鉄の箱から、唸り声と共に大きな影が『虫籠』の中に飛び込んできた!


「……!」


 ほぼ同時に台車が離れて、『虫籠』の扉が下に物凄い勢いでスライドしながら閉ざされる。そして入れ替わるように待機していたもう2台の台車が、いつでも次の魔物を投入できるようにスタンバイ・・・・・する。



『さあ、それでは死の脱出ゲーム、『虫籠蝶々』開始です! 【胡蝶】は自らを絡め捕らんとする捕食者たちを躱して無事に逃げ延びる事が出来るのかぁっ!?』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 試合開始のアナウンスと共に、観客席が大興奮の歓声に包まれる。こうなったら……やるしかない!



 現れたのはどちらもレベル3の魔物で、エルダーアインと、アースウルフの上位種ダイヤウルフの2体だ。


 今の私なら1対1であれば危なげなく倒せる相手だが、2体いるとそれだけで危険度は跳ね上がる。ましてやこいつらを倒した所で、即座に次の魔物が投入されるだけなのだ。その魔物がこいつらより与しやすい相手である保証はどこにもない。


 魔物達は例によって別種であっても、目の前に美味しそうな獲物がいる状況では互いに争う事なく、私のみにターゲットを絞って襲い掛かってくる。


 機動力の関係で、まずは巨狼ダイヤウルフが私に接近して攻撃してくる。その咬筋力は人間の骨ごと容易く噛み砕く程だ。


「く……!」


 私は『虫籠』の壁に向かって後退しつつ、双刃剣を風車のように旋回させてダイヤウルフを牽制する。ダイヤウルフは旋刃を警戒して攻撃を中断する。よし、このまま外壁に取り付いて……


「っ!?」


 ダイヤウルフと外壁に意識を取られ過ぎた。側面にエルダーアインが回り込んでいる事に気付くのが遅れた。


 エルダーアインはその長い腕を振り回して側面から襲い掛かってくる。当然無視する事は出来ない。私は双刃剣の旋回させたまま側面に向き直りエルダーアインを牽制する。


 それによってエルダーアインは怯んで攻撃の手が止まるが、そうなると今度はダイヤウルフへの対処が甘くなる。巨狼が私の隙を窺って襲い掛かろうとする。


「くそ……!」


 そうなると当然ダイヤウルフへの牽制を優先せざるを得ないが、そうなるとエルダーアインがこれ幸いと攻撃してくる。



 2体とも知能が高い魔物なので、即席の連携で私が同時に対処できない位置取りで挟撃してくる。


 このまま2体の攻撃に反応して剣を振り回しての牽制を続けていれば、私の体力と気力が先に尽きるのは間違いない。当然とても壁を登るどころではない。この状況で壁を登る為にこいつらに背を向けるのは文字通りの自殺行為に等しい。


 さりとてこのままではジリ貧だ。


「……!」


 私は決断した。とりあえずこの現状を打破しなければ何も出来ない。この試合のルールは脱出という消極的な勝利条件だが、それを得る為にはこちらから積極的に攻めていかなければならないのだ。



 私はダイヤウルフに対して旋刃を振り回して積極的に牽制する。巨狼は大きく後ろに跳び退って距離を取る。すると当然エルダーアインの方はチャンスとばかりに私に後ろから迫ってくる。しかし、それは私の誘い・・だ。


「ふっ!!」


 私は即座に方向転換すると、自分からエルダーアインに攻撃を仕掛ける。ダイヤウルフが再び距離を詰めてくる前に終わらせなけらばならない。


 エルダーアインは長い腕を薙ぎ払ってくるが、既に奴の動きは見切っている。腕を躱しつつカウンターで胴体に斬り付ける。手応えと共に血が噴き出し、エルダーアインが怒り狂って暴れる。


 ち……流石にレベル3は一太刀では倒せないか……! だが時間は敵だ。私は間髪入れず追撃を繰り出す。


 エルダーアインは私に両腕で掴み掛ろうとしてくるので、私は敢えて避けずに刃を真っ直ぐに突き出す。双刃剣の刃は狙い過たず巨猿の喉元を刺し貫いた!


 観客席が歓声に沸き立つ。



 魔物の死亡を確認する暇もあればこそ、私は素早く剣を引き抜くと再び背後まで迫って来ていたダイヤウルフを牽制する。ダイヤウルフはエルダーアインが倒されたのを見て明らかに警戒の度合いを上げており、自分からは積極的に攻めてこなくなる。


 飛び掛かってきてくれればいっそ楽だったんだが、そう上手くはいかないようだ。視界の隅では既に『虫籠』の投入口が再び開かれ、スタンバイしていた鉄の箱の扉が開かれていた。次の魔物が投入されようとしている。いつまでもダイヤウルフにかかずらっている時間は無い。


「下がれ! あっちに行きなさいっ!」


 私は大声を上げて双刃剣を大仰に振り回してダイヤウルフを遠ざけると、武器を持ったまま跳び上がるようにして片手で『虫籠』の外壁に取り付いた!


 観客席から再び歓声が上がる。


 魔物を1体倒せば、次の魔物が投入されるまでに若干のタイムラグはどうしても発生する。その間だけは魔物の圧が減るので、その一時的な間隙を利用して一気に壁をよじ登ってしまおうという作戦だ。



 だが魔物の圧は減るだけであって、無くなる訳ではない。


 当然だが壁を登ろうと背中を向けて四肢を壁に掛けている体勢は無防備極まりなく、魔物にとってはどうぞ襲って下さいと言っているようなものだ。


 ダイヤウルフはその機動力で素早く接近すると、壁を登ろうとしていた私の脚に噛み付いてくる。露出している太ももに噛み付かれる事は避けたが、脛の部分が魔物の顎と牙が挟み込まれる。


「ぐ……!?」


 脛の部分は幸いにして脚甲に覆われているので骨ごと噛み砕かれるのは免れたが、ダイヤウルフは私の脛に噛み付いたまま恐ろしい牽引力で私を壁から引きずり降ろそうとしてくる。


 物凄い力だ。このままでは壁から引き剥がされるか、私の脚が引き千切られてしまう。


「放し……なさいっ!」


 私は左手で壁に掴まったまま上体を捻り、右手に持った双刃剣を振るってダイヤウルフを斬り付ける。だが不安定な体勢で放つ斬撃は牽制にしかならない。ダイヤウルフは私の脚を放して飛び退る。


 だがとりあえず追い払う事はできた。この隙を逃さず壁を登ろうとするが、右手に双刃剣を持ったままなので中々上手く登れない。そうこうしている内に……



「……っ!」


 新たな魔物の叫び声と跳躍の音・・・・。私は本能的に背筋に寒気を感じて、壁から手を離して地面に飛び降りた。


 次の瞬間、直前まで私が張り付いていた壁の部分に大きな影が飛びついていた。茶色っぽい体毛に柔軟そうな四足獣のフォルム。鋭い鉤爪で壁に取り付いたまま私を見下ろすのは……同じくレベル3の魔物、巨大山猫リュンクスだ。


 以前に『奈落剣山』でも戦ったこいつが新たな魔物か!

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