第28話 享楽と妄執

 エレシエル王国の新都市ニューヘヴン。その街を象徴する『エレシエル大闘技場』。1週間に一度の間隔で闘技試合が開催されるこの闘技場で、今日も試合が行われていた。


 今カスパールの目の前には、怒り狂った巨大な熊型の魔物がいた。脅威度レベル4のペレスカーンだ。


 優に3メートルはある巨体が突っ込んできて、その巨大な前脚に付いた鉤爪を振るう。人間がまともに喰らったら一撃で重傷を負うか、当たり所によっては即死する威力だろう。


 ならば当たらなければ良い。既にこの魔物の動きは見切っている。


「ふっ!」


 カスパールは呼気と共に素早く飛び退って魔物の爪撃を躱す。そして魔物が体勢を立て直す前に接近。すれ違いざまに二振りの剣を閃かせる。カスパールの剣が煌めく度に魔物の身体が切り裂かれ、血風が舞う。


 その華麗な剣捌きと体捌きに観客席から感嘆の溜息が漏れ出る。


 一方追い詰められたペレスカーンはやぶれかぶれに、その巨大な口を開けて体当たりする勢いで噛み付きを仕掛けてきた。その咬筋力は人間の頭蓋骨など一瞬で噛み砕くはずだ。だがカスパールは慌てる事無く冷静に、自らも後方へ飛び退りながら双剣を挟み込むように振るう。


 双剣は左右からペレスカーンの首筋に突き刺さった。頑丈な魔物も両側から首筋に深々と剣を突き立てられては即死は免れない。


 地響きを立てて地に沈む魔物。その死を確認して汗1つ掻いていないカスパールは血糊を拭った剣を収める。



『おおぉぉーー!! 何と華麗で、それでいて力強い剣捌きか! レベル4であるはずのペレスカーンが全く相手にもならなかったぞ! ガストン・・・・選手、昇格試合を見事勝ち抜き【エキスパート】階級への昇格を果たしたぞぉっ!! 先週同じく【エキスパート】階級への昇格を果たしたスルスト・・・・選手に続いて、驚異のスピード昇格だ! 彼等の実力なら【マスター】階級への昇格も夢ではない! 不動と思われた闘技場のランキングにまさかの変革が訪れるかぁっ!?』



 ――ワアァァァァァァァァッ!!



 観客席から大歓声が上がるが、ただ必要な作業・・を終えたに過ぎないカスパールには特に感慨も無かった。


 だが今の所は極めて順調だ。この【エキスパート】階級まで昇れば、ニューヘヴン内でかなり自由が利くようになる。カスパールの計画の為にも、最低でもこの階級までは昇格しておく必要があったのだ。



 アリーナから退場すると通路の先にはスルストが待っていた。アナウンスの言う通り彼も先日同じように【エキスパート】へと昇格していた。彼もカスパールも最初の剣闘士への登録審査の段階でその実力の一端を垣間見せており、最初から【アデプト】階級に編入されていた。


 しかし当然レベル3の魔物など敵ではない為、すぐに昇格試合の話が持ち上がり、2人共異例のスピード昇格を遂げたのだ。


 カスパールはスルストに頷きかける。


「よし、ここまでは上手く行っているな。だが本番はここからだ。この先はより慎重さが求められる。心しておけ」


「ああ」


 スルストは言葉少なく頷く。これは演技ではなく元々年の割には寡黙な性格だと知っているのでカスパールも特に気にしていない。むしろ変に口数が多かったり軽い性格の奴より信用できるし扱うのも楽だ。


「来週にはクリームヒルトの試合を見られそうだな。我が妹ながらよくこれまでの試合を生き延びられたものだ。お陰で我等も無駄足にならずに済んだ」


「…………」


 クリームヒルトの名に僅かに反応するスルスト。やはり彼はクリームヒルトに対して何らかの感情を抱いているようだ。



「……前から聞きたかったのだが、お前は随分妹に執心のようだが、何か理由があるのか?」


 いつ死んでもおかしくない環境にあるクリームヒルトの救出に志願したからには害意はないと思われるが。スルストはかぶりを振った。


「俺にも解らない。もしかしたら記憶を失う前に会った事があるのかも。いずれにしても俺の心よりももっと奥深い本能的な部分が俺に訴えかけるんだ。皇女様を助け出して自分の物にしろ・・・・・・・って」


「ふむ……」


 カスパールは思案した。皇族であり自分の妹でもあるクリームヒルトに対してかなり不敬な発言であるはずだが、カスパールはむしろソレ・・を望んでいるので特に気にした様子も無い。



 スルストには特別な力・・・・がある。元の外見は銀髪紅瞳。そして卓越した身体能力と剣技の遣い手。更にはクリームヒルトに対する妙な執着……


(似ているな。あの男……シグルドに)


 カスパールも数度だけ会った事のある龍殺しの英雄。スルストはこのシグルドと奇妙な符号が多かった。血縁関係があるかは分からないが、記憶を失う前はシグルドと何らかの関わりがあったのではないかと考えられる。


(……まあ、今は良いか)


 この場で考えても答えの出ない問題だ。今重要なのはスルストが自分に対して忠誠を誓っている陪臣であり、クリームヒルトの救出に乗り気であるという点だ。妹の救出が為って帝国に無事戻ってから考える時間はいくらでもある。


 カスパールがそう判断してスルストと共に控室に戻ってきた時、彼等に近付いてくる者達がいた。



「よう、随分と調子がいいみたいじゃねぇか、新参者のお二人さんよぉ?」



 見やるとそこには、趣味の悪い真紅の鎧に身を包んで同じく赤く染めた髪を逆立てた男と、対照的に蒼い鎧と蒼く染め上げた長髪を垂らした男の2人連れが立っていた。絡んできたのは赤い鎧の男のようだ。


 この闘技場の他の剣闘士のようだ。どうせ下らないやっかみで因縁でも付けようというのだろう。カスパールは面倒そうな表情を隠す事も無く溜息を吐いた。


「……何か用かな? 悪いが俺達は誰ともつるむ気がないのでね。大した用でなければこれで失礼させてもらうよ」


「おい、最速昇格だか知らんが、あまり調子に乗るんじゃねぇぞ? これまでは単に運が良かっただけだ。【エキスパート】に上がったからには、これまでのようには行かねぇぜ。魔物だけじゃねぇ。俺達【デービス兄弟】がいる限り、お前らは絶対に【マスター】ランクには上がれねぇのさ!」


 赤い男が自分の鎧を叩いて胸を張る。別にこの闘技場で剣闘士として大成する事が目的ではないカスパールとしては何の興味も無い話だったが、単純そうな男なのでとりあえず挑発を返しておく。


「ほぅ……? つまりお前達を倒せば【マスター】に昇格できるという訳か。随分と楽な条件だ。【マスター】とは安い階級のようだな」


「んだと、テメェ!?」


 案の定、赤い男は容易く激昂して詰め寄ってくる。だがそれを後ろにいた青い男が止める。


「よすんだ、兄さん! 先に絡んだのはこっちだろう!?」


「ぬ……!」


 青い男に制止されて赤い男はすんでの所で自分を抑える。どうやらこっちが兄のようだ。青い男が改めてこちらを見てくる。


「兄さんが失礼した。僕はギャビン。こっちは兄のエグバートだ。ただ君達と戦いたいというのは僕も同じだ。君二刀流のようだしね」


 青い男――ギャビンは、カスパールの腰に提げた二振りの剣にチラッと視線を向ける。この男も二刀流の遣い手らしい。


「その日が来るのを楽しみにしているよ。行こう、兄さん。僕達の試合の時間だよ」

「……けっ! いいか、てめぇら。もし俺達と当たる時は覚悟しとけよ?」


 捨て台詞を残してデービス兄弟はアリーナへの通路に消えていった。それを見送ったカスパールは肩を竦めると、今の一幕の間一言も喋らなかったスルストを連れて自分達も控室を後にしていった。



*****



 そして1週間後。カスパールは観客席から初めて剣闘奴隷の立場に落とされた妹が戦う姿を観た。隣にはスルストが座っており、食い入るように試合を……いや、クリームヒルトの姿を目で追っていた。


 相手はレベル3のオークが2体。これに勝てば妹も【エキスパート】ランクに昇格できるらしい。尤もカスパール達とは立場が違うので、恐らく自由は制限されたままで、ただ戦う魔物のランクが上がるだけであろうが。


 敵は2体いるが、妹はそこそこの立ち回りを見せて、危なげなくオーク達と戦っていた。


「ほぅ……虜囚となってからの短期間で随分腕を上げたものだな。しかも双刃剣とはまた珍しい武器を。恐らく妹に剣術を教え込んだ師匠・・の技か」


 そもそも全くの戦いの素人であったはずの妹が曲がりなりにもここまで勝ち上がってこれたのは、確実に誰かが彼女に訓練を施した故だろう。素人の女がただ剣を振り回すだけで勝てるほど魔物は甘くない。どんな低ランクの魔物であってもだ。


 しかも妹が扱っている双刃剣自体かなり珍しい武器で、その取り扱いには相応の習熟が必要なはずだ。独学で学ぶには限界があり、同じ流派の、それも恐らく達人級の師匠がいる事を示唆していた。


「くく……礼を言わねばな。そやつのお陰で妹は生き残り、そして俺にも帝位継承の機会が巡ってきたのだからな」


 カスパールは相変わらず試合を凝視しているスルストの方に目を向ける。



「どうだ、スルスト? クリームヒルトを直に見て何か思い出したか?」


「……いや、何も思い出せない。だが間違いない。俺は彼女と一緒になる運命なんだ。彼女を直に見てその予感は確信になった」


 スルストのそれは執着というよりは一種の妄執にも思えた。


「そうか。まあ何でもいいが……いざ邂逅しても、あまり最初からがっつき過ぎるなよ? 流石に引かれるぞ」


 気位が人一倍高い妹の事だ。物扱いしてその人格を無視した言動を取れば機嫌を損ねてしまうかも知れない。シグルドは武骨者の割にはその辺の扱いが上手かったが、スルストは若い分余裕が無いのか自分の妄執を前面に出し過ぎるきらいがあり、どうも色々な意味で危うい言動が散見される。


 がっついていると指摘されたスルストは我に返ったのか、少し顔を赤らめて目を逸らす。一応こちらの忠告を聞く余地はあるようだ。ならば最初の内は自分が近くにいて、スルストが変な言動を取りそうになったら修正してやれば良いか。


 カスパールがそう決めた時、アリーナで戦う妹が丁度オークの1体を仕留めた。他の観客達が歓声に沸き上がる。



「そろそろ決着が付きそうだな。では少し仕込み・・・をしておくか。行くぞ、スルスト」


 カスパールはスルストを伴って観客席を立った。そして闘技場の内部に入る。勿論屋内にも衛兵は常駐しているが、カスパール達は既に【エキスパート】階級の剣闘士となっている事もあって、支配人室や貴賓室など重要な区画を除いてはほぼ顔パスとなっていた。まさにこの為に【エキスパート】階級まで昇格したのだ。


 そして懐から皇族のみが所持を許されているフロスト・ドラゴンを象った銀のレリーフを取り出して、妹が試合終了後に戻ってくるであろう通路の脇に目に入るように置いておく。恐らくこれだけで妹には通じるはずだ。



「さあて、これから面白くなるぞ?」


 カスパールは見ようによっては無邪気とさえ言える笑みを浮かべる。勿論今回のミッションを成功させて皇位継承争いに名乗りを上げるのが最終目的だ。


 だが彼はそれとは別に、限られたリソースで敵地から捕虜を奪還するという難易度の高いミッションに、ウキウキと心が踊るような面白さ・・・も感じていた。


 雪と山以外何もない退屈極まるシルヴィスでの日々は長すぎた。やはり人間には適度な刺激が必要だ。



 これからこの闘技場、ひいてはニューヘヴンで妹を中心に巻き起こるだろう騒動を予想して、カスパールは再び堪え切れない楽し気な笑みを浮かべるのだった……


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