第27話 希望

 カサンドラのガントレット戦から1週間後。ブロルに予告されていた通り、私の【エキスパート】階級への昇格試合が実施された。


 昇格試合では実質的に一つ上の階級として扱われるので、私の相手にはレベル4の魔物が解禁されるはずだ。当然私もそのつもりでアリーナへと出たのだが……


『グフ、グフ……オ、女……女ァァ……!!』

『ウ、美味ソウダ……。欲シイ……欲シイィィィ!』


「く……ち、近寄るな、ケダモノ共!」


 私は野卑で下品な視線から逃れるように、腰を引いた姿勢で双刃剣を振り回して牽制する。



 私の目の前には巨大な身体に醜い豚の頭を乗せた魔物が2体・・、私の露出度の高い『鎧』から剥き出しの素肌や胸などを食い入るように見つめて涎を垂らしていた。


 レベル3の魔物、オークだ。それぞれ巨大な棍棒を携えている。今日の昇格試合の相手はこのオーク2体であった。レベル4の魔物ではなく、レベル3が2体同時という内容だ。


 それだけならまあまだ良いのだが、問題はこのオークという魔物の性質・・にあった。この豚頭の醜い魔物は人間の女が何よりの大好物なのだ。


 勿論人間を好んで襲うのはどんな魔物も同じだが、こいつらの大好物とはそういう意味ではない。こいつらは人間の男に関しては他の魔物と同様にただ殺して喰らうだけだが、女に関しては……それも若い女に関しては、殺す前に必ず凌辱・・しようとするという最悪の悪癖があった。


 その性質は人間にも広く知られており、オークと言えば女性の天敵の代名詞的存在でもあった。


 ゴブリンなどと同じくオークに上位種が存在しており、強力な者になるとレベル4、最上位種となるとレベル5の者もいるらしいが、目の前のこいつらはレベル3の一般・・タイプだ。


 本来私にとって戦力的にはそこまで怖れる存在ではないはずなのだが、やはりどうしても女の天敵という先入観と、実際に私の姿を見て興奮して涎を垂らす様子に、どうしても怯みがちになってしまう。


 くそ……。この組み合わせはブロルの悪意か、それともカサンドラ自身の意向か。何であっても私には乗り越えて生き延びる以外に選択肢はないのだが。



『オ、オォ……女ァァァァァッ!!』

「……っ!」


 興奮しきった魔物は全ての欲望と衝動の赴くままに咆哮し、私目掛けて突進してくる。観客達から歓声と悲鳴が同時に上がる。


 こうなったらやるしかない! 相手は複数だが、所詮はレベル3の魔物2体のみだ。落ち着いて対処できれば今の私なら倒せない相手ではないはずだ。


 不本意だが私の脳裏には先週のカサンドラのガントレット戦の4戦目が思い浮かんでいた。あの女はレベル4の魔物3体に鮮やかに打ち勝っているのだ。レベル3の魔物2体に手こずっているようではお話にならない。


 私は双刃剣を構えて自分から敢えて前に出てオーク共を迎撃する。先頭のオークが棍棒を薙ぎ払ってくる。


 オークの巨体でこんなデカい棍棒で殴られたら、私のような女なら最悪即死しかねない。私を欲しいと言ってる割にはそんな事にも頭が回らない低能ぶりだ。いや、それともこの『鎧』の効果で奴等を極端に興奮させて、最低限の理性すら奪っているのか。


 いずれにせよ喰らう訳には行かないので、私は極力冷静にオークの棍棒の軌道を見切って、屈み込むようにして躱した。


 そしてそのまま双刃剣を煌めかせてオークの脚を斬り付ける。巨体で肉厚の身体が特徴的なオークだが、脚には比較的刃が通りやすい。事実私の非力な斬撃でも傷を付けて出血させる事ができた。


『グガッ!』


 怒り狂ったオークが今度は真上から棍棒を叩きつけてくるが、私は素早く横に逸れて回避する。そこにもう1体のオークが迫ってくる。やはり棍棒を振り下ろしてくるが、私は身を逸らして躱すとカウンターで腕に斬り付ける。


 それだけで斃す事は出来ないが、怒り狂ってより興奮させる事はできた。私の狙い通りだ。



 オーク達と戦いながら私の脳裏には再びカサンドラの3対1の試合が思い返されていた。今の私にはあそこまでの動きはできない。だが多対1の試合に於いて参考にできる部分は数多くあった。少なくとも激昂したオーク2体が相手なら充分立ち回れるはずだ。


 私は腕を斬り付けてオークを敢えて挑発する。すると狙い通り激昂したオークは何も考えずに棍棒を薙ぎ払う。私は素早くもう1体の脚を斬り付けたオークを盾にするように回り込む。


 ――ガゴォッ!!


『ウガッ!?』


 そのオークに仲間の棍棒が命中する。流石に頑丈なオークも同じオークの攻撃は痛かろう。仲間のオークが怯んでもお構いなしにオークが再び私を狙って棍棒を振るう。しかし私はもう1体のオークを中心にして円を描くように逃げ回る。するとまたそのオークの攻撃がもう1体に命中する。


 殴られたオークは最早私を襲うどころではない。痛みに呻いて棍棒を取り落として屈み込む。よし、絶好のチャンスだ。


 私は隙だらけになったそのオークの首筋に刃を突き入れた。オークは2.5メートルはある巨体だが、屈み込んでしまえば私でも急所を攻撃しやすい。首を貫かれたオークは血と泡を吹いて即死した。これで残りは1体だ。観客席が歓声に沸く。



『ヌ……?』


 残ったオークは流石に事態に気付いたのか戸惑ったような声を上げる。だが今更気付いてももう遅い。レベル3単体なら問題なく倒せる。だが決して油断はしない。


 私はオークが振り回す棍棒を冷静に避けると、その懐に潜り込んで双刃剣を車輪のように回旋させる。


『グゲッ! ギャァッ!!』


 回転刃をまともに喰らったオークは大きく怯んでたたらを踏んだ。そこで更に追い打ちに再び脚を斬り付ける。するとオークは堪らず片膝を着いた。


「ふっ!!」


 気合一閃。私の突きは狙い過たずオークの喉笛を貫いた。



『勝負ありっ!! クリームヒルト選手、オーク2体の連携を崩し危なげなく勝利したぁぁっ!! これで彼女は【エキスパート】階級への昇格を果たしたぞぉぉっ!! 上級剣闘士の仲間入りだぁぁぁっ!!』



 ――ワアァァァァァァァッ!!



 決着が付いた事でアナウンスが入り、それに合わせて歓声が上がる。しかし心なしか今までよりも歓声が小さくなっている気もする。


 それも仕方がないだろう。先週のカサンドラの試合に比べたらお遊びもいい所だ。これで熱狂しろという方が無理な話である。



 私は溜息を吐いた。カサンドラに呑まれかけた事で気力が萎えてしまい、ちゃんと戦えるか不安だったが、蓋を開けてみればその心配は杞憂であった。これもジェラール達があの場を取り成してくれたお陰だろう。


 だがカサンドラはあの試合によって臣民達からの崇拝・・を確実なものとし、この先私がどれだけ試合を勝ち抜いた所でその崇拝は揺るがないだろう。フェイバリットゲームは完全にあの女の勝ちだ。それは認めるしかない。


 無論私にあれ以上の試合が出来るなら別だが、それは可能だとしてもずっと先の話だ。それまで修行を続けて試合を生き延びて……それでようやくあの女に並び立てる位置まで到達できる、かも知れないというレベルだ。


 それは気の遠くなるような話であり、現実的ではない。これからは【エキスパート】階級となって試合の危険性も増々上がる一方なので、いつ最悪の事態に陥るかも分からない。やはり私が生き延びる為には、何とかしてここから脱出する以外にないのかも知れない。


 ジェラールもあくまでカサンドラに忠誠を誓っている身なので、私が本気で脱走しようとすれば敵に回るだろう。味方に付けるのはかなりの博打となる。



 どうしたものだろうか。私は控室に戻る途中の通路を歩きながら1人思案する。その時、私の視界の端に何か光る物が目に入った。


「……?」


 通路の床に何かが落ちているようだ。金属の光沢を帯びており、ゴミにしては高価そうだ。誰か貴族の落とし物だろうか。


 通路には他に誰もいなかった事もあって、私は何気なくその落とし物に近付いて観察してみた。


「……っ!?」


 そして思わず瞠目した。それはドラゴンを象った紋様が施された銀のレリーフであった。


 ただのドラゴンではない。我がロマリオン帝国の皇室の象徴・・・・・ともされている氷の龍フロスト・ドラゴンの紋様だ。他ならぬロマリオンの皇女である私がその紋様を見間違えるはずもない。


 そしてもう一つ重要な事は……フロスト・ドラゴンはロマリオン皇室の象徴である為に、フロスト・ドラゴンを象った装飾品を身に着ける、もしくは所持する事が許されているのはロマリオン皇族のみ・・である、という点だ。


 そしてこれは皇室の者しか知らない事だが、同じフロスト・ドラゴンでも皇族一人一人によって微妙に意匠が異なっている。このレリーフのドラゴンは角が3本生えている。このデザインは…………カスパール兄様の物だ。


 放蕩が祟ってお父様とハイダル兄様によって、最北のシルヴィス領に左遷された第二皇子。しかしその剣の腕だけは本物だったらしい。



 カスパール兄様がここに来ている? そしてこのレリーフを私に見えるように置いていった。



「……!」

 私は反射的にレリーフを拾い上げた。心臓が高鳴っていた。もしかしたら……もしかしたら、私はここから逃げられるかも知れない。


 だがまだだ。私から下手に兄様を探し回るなどのアクションは起こさない方が良いだろう。向こうから接触してくるのを待つのだ。このレリーフを置いていったのは、私に希望を捨てるなというメッセージを伝える為だろう。


 ならば私のやる事は決まりだ。とにかくその時・・・が来るまで、何としても試合を生き延びる事だ。


 希望があれば戦える。どんな過酷な試合も必ず生き延びて見せる。私は自分の中に新たな目標と共に闘志が湧いてくるのを自覚していた。

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