第1話 日常風景
「ふぅ……ふぅ……はぁ……はぁ……」
疲労で息が乱れる。脚がふらつく。全身が汗に濡れる。ただし今度は走っているから疲れている訳ではない。
「立てるという事はまだやれるという事だ。さっさと剣を構えろ。続き、行くぞ」
「……っ」
目の前に佇む男……ジェラールは、私とは対照的に息一つ乱さずに、
場所は『エレシエル大闘技場』の中にある剣闘士用の訓練場の一つ。今の私にとっては嫌というほど見飽きた、そして地獄と言っても差し支えない場所である。
「来ないのならこちらから行くぞ?」
「く……う、うわぁぁぁぁっ!!」
容赦なく距離を詰めてくるジェラールに恐怖を感じた私は、防衛本能の赴くままに叫びながら斬り掛かる。
上段に振りかぶった訓練用の木剣を全力で振り下ろす。だが……
「疲労と焦りから予備動作が大きくなり過ぎだ。0点」
「……っ!」
私の剣の軌道を読んでいたかのように自然な動作でやり過ごしたジェラールは、自らの木剣を目にも留まらぬ速さで振り抜く。直後、脇腹を打ち据えられた激痛で私の身体が硬直する。
「戦闘中に動きを止めるな、馬鹿者が。0点」
「がはっ……!」
今度は肩口を打ち据えられて一瞬呼吸が止まる。
「絶対に敵から目を逸らすなと教えたはずだ。0点」
「ぐふっ!」
ジェラールの前蹴りがもろに私の腹にめり込み、私は抗う事さえ出来ずに吹き飛ばされて床に転がる。衝撃で剣も手放してしまう。だがそんな事に構っている余裕も無く、身体中の痛みに呻く。
「何をやっている。剣を手放すな。さっさと拾って立ち上がれ」
「う……ぐぅ……。も、もういや……。こんなの、もういやぁ……」
思わず涙が零れ、口からは哀願するような泣き言が漏れる。自分で屈辱を感じたがどうにも出来なかった。何故至高のロマリオン帝国の皇女である高貴な私が、こんな暴力に晒されて地面に横たわっているのか。何故私がこんな目に遭わねばならないのか。余りにも理不尽だ。
「因みに……
「……っ!!」
女王陛下という単語に私は身体を震わせた。処刑? 処刑だと? あの女が私を殺すという事か? ふざけるな……そんな事、絶対に……!
「どうする? 続けるかどうかはお前の自由だ。だが断言しておくがここで楽な方に逃げて死を選んでも、陛下はお前の死に露ほどの関心も示さんだろう」
「……!」
「もしお前にあの方を少しでも見返したい、鼻を明かしたいという気持ちがあるなら戦い続け、そして勝ち続ける事だ。かつてはあの方もそうやって生き延び、どん底から這い上がった。それはお前も良く知っているはずだな?」
勿論知っている。それが我慢ならなくて私はガレノスを出てフォラビアまで赴いたのだ。そして結果として奴等の罠に嵌ってこうして虜囚の身に堕ちる事となった。
「わ、私も……勝ち続ければ、這い上がれる……?」
「さて、それはお前次第だ。だが少なくともここで諦めて死を選べば、絶対に何のチャンスも掴めん事だけは確かだ」
「…………」
そうだ。私は石にかじりついてでも生き延びて、必ずあの女を出し抜いてやると誓ったはずではないか。あの女は私の事を見下しきって歯牙にも掛けていない。
絶対に……あの女に私の事を見させてやる。そして私を生かしておいた事を必ず後悔させてやる!
「ぐ……うぅぅぅぅ……!」
私は屈辱に震える心と、痛みで悲鳴を上げる身体を強引に奮い立たせて立ち上がる。そして目の前のジェラールをあの女そのものであるかのように、憎しみを込めて睨みつける。
「ふ……よく立ったな。では続きだ」
ジェラールはそんな私の姿を見て口の端を吊り上げると、容赦なく『訓練』を再開した。
その日を何とか生き延びた私だが、打ち身と筋肉痛と疲労で次の日は一日起き上がれなかったと言っておく。ジェラールが政務で数日不在にしていた事で冗談抜きに命が助かった。あの白い悪魔は、私が起き上がれなかろうが容赦なく訓練に追い込んだであろう事は容易に想像が付いた。
*****
そんな訓練の日々が続いたある日の事、また私の『試合』の日がやってきた。私に充てがわれた私室という名の、粗末な牢獄にジェラールがやってきた。
「昨日通達した通り、今日はお前の試合の日だ。準備は出来ているな?」
婦女子の部屋にノックもせずに無遠慮に入り込んできた男は、そう言って私の身体を眺め回してくる。
「……っ。ええ、出来ているわよ。そうしなければいけないんでしょう?」
私は抑えようとしても湧き上がってくる
今、私は
黒色の金属質な胸当てと腰当て、小さな肩当てに腕当て、そして金属靴
それ以外には一切衣類の類いを身に着けていないのだ。私の滑らかで高貴な白い素肌が惜しげもなく晒されてしまっていた。ほぼ下着と変わりない。いや、むしろ中途半端に腰当てや肩当てなどを身に着けている事で、却って素肌の露出感が強調されてしまっている節さえある。
男の劣情を催す事だけを目的とした下劣な衣装。当然鎧としての機能など一切期待できない。
偉大なるロマリオン帝国の皇女たるこの私が、下賤な愚民どもが見下ろす中で剣闘士として戦わねばならないというだけで耐え難い屈辱だと言うのに、このような姿を衆目に晒しながら試合をしなければならないのだ。
想像するだけで屈辱と羞恥心から身体が震える。これがあの女……カサンドラの意趣返しである事は間違いない。あの女もかつてフォラビアの闘技場で、下品な衣装を身に纏って試合を戦っていたのだ。そしてその時私は、それを特等席から見下ろす立場だった。
そんな私の姿を見下ろしてジェラールが頷く。
「ふ……そういう事だ。お前はエレシエル国民や少国家群の国民の目を楽しませ、彼等がロマリオンによって受けた被害から来る悪感情を慰撫するのだ。ロマリオンの皇女たるお前が地を這い回って剣闘士として戦う姿は、彼等にとって最高の溜飲となるからな」
「く……!」
私は歯噛みした。被害? 悪感情だと? 帝国の至高性と正当性を理解しない土人どもの逆恨みではないか! しかも私がそれを慰撫するだと? こんな格好までさせて、私を場末の下賤な踊り子だとでも思っているのか。
喉元まで出かかった罵声を寸での所で堪える。既にジェラール相手には散々繰り返した問答だ。そしてその全てが徒労に終わっている。
本当はカサンドラ本人にこの思いの丈をぶつけてやりたい所だが、生憎あの女は王城で私に剣闘士になれと通達してきたあの日以来、一度も私の前に姿を現していない。
私など興味もなければ眼中にもないという訳か。絶対に……絶対にあの女を私の前に引きずり出してやる。私を無視できなくしてやる……!
改めてそう決意した私は、目の前に佇むジェラールを睨みつける。
「……もう準備は出来てるわ。連れて行くならさっさとしなさいよ」
「ふ……いい顔になったな。良かろう。では行くぞ」
僅かに口の端を吊り上げたジェラールに促され、私はこの闘技場のアリーナへと赴くのだった……
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