第2話 取り巻く現状
エレシエル大闘技場。エレシエル王国が
カサンドラ自身がフォラビアで剣闘士として戦っていた事や、王国復興の
忌々しい事に闘技場はそれなりに盛況なようで、そこに集まる者達を見込んで商売人も集まり、王都と隣接するもう一つの街を形成するに至った。新しく出来たこの街は『ニューヘブン』と名付けられ、今のエレシエル王国の復興・発展ぶりと精強ぶりを象徴するシンボルとなっているらしかった。
といっても通常はロマリオンで開かれている剣闘のように、時には互いの命を懸けての戦いが行われるような凄惨な殺し合いではなく、大半の試合があくまで競技として戦いの技術を競い合う健全な物であるらしい。
だが……一つだけ例外があった。それがまさに私の存在だ。
「着いたぞ。ここから先は生きるか死ぬかの世界だ。精々足掻いてみせろ」
「くっ……」
先導するジェラールの台詞に私は唇を噛み締めて呻く。私達の前には装飾の施された格子門が立ち塞がっていた。この先が……今から私が
私達の前にある門がゆっくりと上にスライドして開いていく。その先にはアリーナに続く通路が口を開けているが、ジェラールはその場で腕を組んだまま動かない。この通路を通るのはアリーナで戦う戦士のみという訳だ。
「…………」
私は緊張に喉を鳴らしてから、意を決して門を潜り通路を歩いていく。どの道ここまで来たら引き返す事は出来ないのだ。
アリーナが近づくにつれて、一種の
これから卑しい南の金毛土人共の憎悪と
通路を進んでいくと次第に熱気が強くなり、ざわめきが耳に入るようになる。そして……光が見えてきた。私は通路の
「……っ」
建物の中では遮られていた陽の光が一気に降り注ぐ。私は一瞬眩しさに目を細めて手を翳した。
いよいよアリーナへと出てきた。天井はなく、だだっ広い円形のリングとなっている。フォラビアの大闘技場に比べるとやや狭いが、それに比肩する程の広さだ。こんな巨大な建造物を短期間で作ってしまえる事自体が、今のエレシエル王国の復興と発展ぶりを物語っていた。
ここはあの女の遊び場、箱庭だ。そして私はその遊び場の中でこれから命を懸けて戦わねばならない。これが今の私とあの女の立ち位置の差という訳だ。
だがそれも今だけだ。私は必ず生き延びてここから這い上がってみせる。そしてあの女に、自分の罪深さと愚かさを骨の髄まで思い知らせてやるのだ。
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!
「……!」
私がアリーナに姿を見せた途端、まるで空気が割れるかと思うほどの大音量の怒号や僅かな喝采が響き渡った。音だけでなく熱気や空気の震動が私のもとまで伝わり、思わず身体を硬直させてしまう。
このアリーナは円形のリング部分を囲うように段差状になった観客席が併設されていて、基本的にどの席からでもこのリングを一望できるようになっていた。
貴族などの連中ほど前列の屋根が付いた特等席に座れるようになっており、上に行くに従って庶民共の席になっているようだ。
そして……王族が観覧する為の主賓席。エレシエルの王族は今、あの女だけのはずだ。しかしその席は今は空席となっていて、誰も座っていなかった。今の私の試合など見る価値も無いという事か。私は剣の柄を握りしめた。
そしてそれとは別に、私の『鎧』からむき出された素肌に、大量の好色な視線が浴びせられるのを感じる。今の私は殆ど下着が鎧になったかのような衣装を纏っているのだ。特に男達にとってはさぞ見応えがある事だろう。
注目を浴びる事自体は嫌いではない。むしろそれが当たり前の環境でこれまで生活してきたのだ。ただしそれは偉大な帝国の皇女としてあるべき、崇拝と畏敬、羨望による注目であった。
私は本来そうした視線を浴びるべき存在なのだ。断じて下衆な南方人どもの好色で卑猥で、侮蔑すら含んだ、場末の娼婦にすら劣るような下劣な視線などではない。
くそ! 汚らわしい視線で私を見るな、土人共が! 存在の次元そのものが違う高貴な私の素肌は、本来貴様らのような愚劣で低俗なゴブリン共が見れる代物ではないのだぞ!
『さあぁぁ、本日も剣闘日和だ! お集まりの王国市民の皆様! 今日は恒例の「特別試合」の日だっ! 今回初めてこの特別試合を観覧される方も多いでしょうから、ここでもう一度この「特別試合」の
――ワアァァァァァァァァァァァァ!!
フォラビアにもあった拡声装置を使った耳障りな司会の声が響き渡る。同時に観客席の土人共が更に興奮して歓声を上げる。
『皆様も記憶に新しいあの屈辱の日々……。前王陛下や王妃様が討たれ、王都ハイランズが陥落したあの悪夢の日。あの日以来私達は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、傍若無人なロマリオンの圧政に耐え忍んできました。その時に私達が受けた暴虐の数々、今でも褪せる事なく思い出せます。ここに集う皆様の中には奴等によって財産や尊厳だけでなく、家族や愛する者を奪われたという人も多い事でしょう』
司会のアナウンスに愚民どもが同調するように頷き、中にはすすり泣きを上げたり怒りの声を上げる者もいた。
全く馬鹿げた茶番だ。暴虐だと? あれは至高のロマリオン帝国がその他の国や民族を従え服従させるという、この世の
お前達こそがその正しい在り方を否定して、世界に無用な混乱を引き起こす害悪だと何故理解しない?
『しかし! 苦難の日々は遂に終わりを迎えたのです! 我らが偉大なるエレシエル王族最後の生き残りたるカサンドラ
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!
あの忌々しい女の名前に下民共が熱狂して拳を振り上げる。あの女は今やこの国の女王というだけでなく、守護神のような扱いで半ば神格化されているらしい。この連中の様子を見る限りそれは真実のようだ。
あの女が守護神だと? これ以上無いというくらい馬鹿げた、笑えない最低最悪の冗談だ。反吐が出る。
『そしてそれだけでなく女王陛下は、憎きロマリオンの
――Buuuuuuuuuuuuuu!!
司会の煽りに乗せられた馬鹿どもが一斉に、アリーナの中央に立つ私に向けて怒号やブーイングを浴びせる。
それだけでなく純粋な怒りや憎悪の視線も大量に向けられているのを感じる。くそ……! 有象無象どもの分際で私をそんな目で見るな、無礼者めが!
私は皇族たる矜持を持って、絶対に連中に弱みなど見せないように敢えて胸を張ってそれらの視線と怒号、そして憎悪を受け止める。
『本来は即刻処刑しても飽き足らないこの魔女ですが、カサンドラ陛下はただ処刑するよりもこの魔女に、そして憎きロマリオンに長く苦痛を与え続ける方法を考え出しました! そう! 皆様が今ご覧になっているまさに今の状況がそれです! 皆様がご存知の通り、この闘技場はロマリオンで行われているような野蛮な戦いを排した、健全で誰もが楽しめる競技としての剣闘が催されます。しかしあの女の出る「特別試合」だけは別です!』
司会が興奮してがなり立てている。全くご苦労な事だ。私としては既に何度も聞いているし、聞く価値もないような戯言のオンパレードで耳が腐る。いいからさっさと試合を始めろ。
『あの女には常に命を懸けた試合が強要されます。相手は大半が鹵獲した魔物ですが、負ければ当然死、勝てば徐々により強い魔物を当てていきます。いずれは死に至ると解っていながら無様に抗う魔女の姿を我々は存分に楽しむ事ができる訳です。そしてもしあの女が生き延びれば、時には我らがエレシエル王国の精鋭たる他の剣闘士達が
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!
再び空気を震わせるような怒号と歓声が響き渡る。ようやく茶番が終わったようだ。さて、それではここからが本番だ。
私は詰めていた息を、ふぅっと吐いて剣を構えた。
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