第44話 暴君ルーベンス
それから1週間後。特殊試合『虫籠蝶々』を勝ち抜いた私に対しても【マスター】ランクへの『昇格試合』が執り行われる事となった。
これは元から決まっていたらしく、当然『虫籠蝶々』で死ねばそれまでだが、もし生き延びた場合は通常の【エキスパート】ランクの試合では私の
なので今現在私を取り巻くドラゴンボーンの問題とは無関係に、実質的に【マスター】ランクの試合を戦わされる羽目になった。
昇格試合は実質的にその昇格後のランクと同ランク扱いの試合となる。なので私の相手はスルストのように【エキスパート】ランクの相手が複数か、ガストンのようにレベル5相当の魔物相手か、もしくは……【マスター】ランクの闘士が相手という事もあり得る。
【マスター】ランクの闘士は先日昇格したスルストとガストンを除けば、後はエレシエル八武衆と呼ばれるカサンドラの側近たちだけだ。スルスト達は私との対戦を拒否したらしいので、もし戦うとしたら八武衆の誰かという事になる。
ブロルやレイバンなどの姿を思い起こす。彼等か、彼等と同レベルの闘士を相手に私が勝利する? その構図を想像できなかった。しかしその問題は現実として間近まで迫って来ていた。想像できなかろうが何だろうがやるしかないのだ。勝つしかないのだ。
そこで私はふと考えた。そういえば自分がここまで昇格した後の事を考えていなかったが……もしかして、ジェラールと戦う可能性もあるのだろうか。
いや、どうだろう。私の処刑試合に関しては拒否が認められている。現にそれでスルストやガストンは私の相手に選ばれなかった。
カサンドラやブロルは陰険に私の相手にジェラールを推そうとする可能性も考えられたが、拒否できるのであれば意味がない。
……まああれこれ考えても仕方がない。どうせいつものように試合開始その時まで対戦相手の情報は解らないのだ。そんな状態にももう慣れた。私は私にできる最善を尽くすまでだ。
ふぅ……と大きく息を吐いてアリーナに向かう。いつもの闘技用の『鎧』を身に着け、双刃剣を手に持ち、準備は万端だ。
『さあ、お集りの皆様! いよいよ本日のメインイベント! 今や押しも押されぬ人気闘士となった【胡蝶】のクリームヒルトの昇格試合となります! 過日の『虫籠蝶々』を生き延びた雄姿はまだ皆様の記憶にも新しいでしょう! 果たして舞い踊る華麗な蝶は、本日も我々に奇跡を見せてくれるのか!? 注目の一戦だぁぁぁぁっ!!』
――ワアァァァァァァァ!
アナウンスに観客席から歓声が上がる。だが心なしか歓声の大きさがいつもより小さいような。いや、気のせいではない。確かに大多数は埋まっているが、いつものように超満員という程ではない。
恐らくは先日のスルストの試合が原因か。あの凄惨な試合内容に女性客の一部が失神などしていた。ロマリオン帝国の民と違って、普段あそこまで血生臭い殺し合いを見た事があまりないらしいエレシエルの民には少々刺激が強かったらしい。
もっともそれに関しては私の知った事ではないが。基本的に私が死ぬ所を見に来ている連中なので、多かろうが少なかろうがどうでもいい。
それよりも問題なのは今から私が戦う事になる対戦相手の方だ。アナウンスと共にアリーナの中央まで進み出る。いよいよ相手の登場だ。
『さあ、それでは【胡蝶】がマスターランクに昇格できるのか、はたまた無残にもその命を散らすのか……。運命の瀬戸際となる対戦相手の登場です! 唯我独尊! 傍若無人! 誰の命令も受けないと豪語する究極のアウトロー! エレシエル八武衆の1角にして我が軍の右衛将軍! 【暴君】ルーベンス・ゴディーナだぁぁぁぁっ!!』
――ワアァァァァァァァァッ!!
アナウンスと共に、私の時よりは大きな歓声が沸き起こる。それと同時に対面の門が開き、そこから1人の男が進み出てきた。
かなり大柄な男だ。2メートル程はありそうだ。以前に戦ったあのトルベンより大きい。その巨躯を傭兵のような武骨な板金鎧に包み、巨大な長柄の武器を両肩に通して担いでいる。
それは長柄の先端が刃ではなく無数の棘が突き出た棍棒のような形状になっていた。いわゆる狼牙棒と呼ばれている武器だ。
濃い髭に覆われた堀の深い顔にはいくつもの傷痕があり、特に左目は大きな裂傷が走っており、その上から眼帯を装着していた。
この男がジェラールやブロル達と同じ八武衆の1人、【暴君】ルーベンスか。かつてフォラビアで開催された『ロイヤルランブル』ではカサンドラは勿論、ジェラールとも死闘を繰り広げた闘士だという。
尚その際ジェラールは側頭部にあの狼牙棒の一撃を喰らったのだが、よく無事だった物だ。
ルーベンスはアリーナの中央まで進み出て私と正対すると、その巨体で私を見下ろしてきた。
「やっと会えたな。フォラビアでは主賓席にふんぞり返って俺達を見下ろしていた高貴な皇女様が、今や俺達と同じ場所にいて死闘を強要されている……。どんな気分だ?」
「……!」
まさかいきなりこんな不躾な質問をされるとは思わなかった。過去の自分を思い出さされ思わず顔が強張るが、ルーベンスは悪意でにやけるでもなく至って真面目な表情であった。純粋な好奇心という感じだ。
「……過去の私が褒められた人物じゃなかった事は純然たる事実よ。でもそれを謝ったりする気は無いわ。私は既にその罰を受けていて、それは今この時も継続中だから。今ここにいる私は、ただ1人の剣闘士クリームヒルトよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「……! ほぅ……」
私が目線を逸らさずに睨み上げてやると、ルーベンスは何故か興味深そうに顎鬚を撫でた。
「面白い……。レイバンから話を聞いて興味は持っていたが、どうやら奴の見立ては正しかったようだ。これは予想外に楽しめそうだ。そのジェラール譲りの双刃剣が飾りではない所を見せてみろ」
レイバンは私の『虫籠蝶々』の後、間もなく前線へと戻っていった。恐らく次の
『さあ、それでは両者準備はいいか!? 昇格試合、始めぇぇぇっ!!』
アナウンスの合図と共にいよいよ試合が開始された。私は咄嗟に飛び退って双刃剣を構える。ルーベンスはニヤリと口の端を吊り上げると、狼牙棒の柄を両手で把持し、一気に斜め横方向に薙ぎ払ってきた!
「ぬぅんっ!」
風を乱す轟音。そして恐ろしい速度で振るわれる棘付きの凶器。これに当たったら露出度の高い『鎧』しか身に着けていない私の身体など、一瞬で挽き肉に変わるだろう。
私は更に後方に飛び退ってルーベンスの先制攻撃を躱した。いける。確かに凄まじい速度だ。威力もそれに見合う物だろう。だが神経を集中させる事で、辛うじてその軌道を見切って対処する事ができた。
ルーベンスはそのまま連続で狼牙棒を振るって攻撃してくる。やはり辛うじてだが見切る事が出来る。これなら私にもチャンスがありそうだ。【マスター】ランクというからどれ程のものかと思ったが、私も自分で知らない間に腕を上げていたらしい。【マスター】ランクと言えどもそこまで過度に怖れる必要はないのだ。
「ふっ!」
相手の一瞬の隙を突いて、今度は自分から攻勢に出た。双刃剣の刃を突き出す。ルーベンスは流石の反応でそれを躱すが、私は柄を旋回させてもう一方の刃で掬い上げるように斬り付ける。ルーベンスは少し目を見開いて、更に大きく飛び退る。
逃がすか!
私は双刃剣を旋回させて横薙ぎに斬り付ける。ルーベンスは私の攻撃を巧みに躱しつつ、長柄の武器である狼牙棒を的確に操って反撃してくる。だが奴の攻撃は既に見切った。
決して油断は出来ない強敵である事は確かだが、勝てない相手ではない。手応えを感じた私は一気に勝負を決めるべく大胆に踏み込もうとする。するとルーベンスが今までとは違う動きを取った。
「むぅん!」
「……!」
まるで双刃剣のお株を奪うように、狼牙棒を高速で旋回させたのだ。余りの速度に棘付きの先端部分が見えなくなるほどで、その見た目の迫力と肌で感じる風圧に私は思わず足を止めざるを得なかった。
『おおぉーーー!! ルーベンス選手、得意技の『大車輪』を発動だぁっ!! これには流石の【胡蝶】も近づけないかぁっ!?』
――ワアァァァァァァァァッ!!
ルーベンスの派手な大技に観客席が沸き立つ。この『大車輪』とやらで私の攻勢は強制的に中断されてしまった。悔しいが一旦仕切り直すしかない。
だが大丈夫だ。私の実力は決して奴に劣ってはいない。次こそは奴に大技を使わせる間もなく勝負を決めてやる。私が離れたのを見てルーベンスが『大車輪』を止める。よし、今だ!
私はやや低い姿勢で踏み込みルーベンスに肉薄する。奴が迎撃の為に狼牙棒を振りかぶる。だがもう奴の攻撃をは粗方見切っているので、その攻撃を躱しつつカウンターで勝負を決める。
私はルーベンスの攻撃に備えるが…………突如、奴の身体からこれまでとは比較にならない、物理的な圧力さえ伴うような闘気が噴出した。
「え…………っぁ!?」
私が違和感を覚える暇もあればこそ、ルーベンスが狼牙棒を薙ぎ払ってきた。ただし、今までの攻撃よりも格段に速い。私にはその軌跡すら殆ど見えないような速さで、私は完全に目測を誤った。
直後、私の持つ双刃剣の刃に恐ろしい程の衝撃が加わり、到底踏み止まる事さえできずに薙ぎ倒された。余りの勢いにそのまま地面を何回か転がってようやく私の身体が止まった。
「ぅ……ぁ……」
な、何が……起きた? 奴の攻撃が突然速くなって、私は殆ど対処さえできずに吹き飛ばされて……
「そら、いつまでも寝ているな」
「……っ!」
見上げるとルーベンスが狼牙棒を大上段に振りかぶっていた。私は慌てて更に横転するようにして立ちあがった。直後に狼牙棒が先程まで私が寝ていた場所を叩く。
「ふぅ……! はぁ……! はぁ……!!」
今の一幕だけでかなりの体力を消耗させられてしまった。私は大きく息を荒げながら、重く感じるようになった双刃剣を構える。ルーベンスはそんな私を見て人の悪そうな笑みを浮かべる。
相変わらず試合開始直後には感じなかった、研ぎ澄まされた闘気が奴の身体から発散されている。そして先程の殆ど見切れなかった一撃。何が起きたのか結論は明らかだ。
「ふ……実はこの試合の前に、少しジェラールと話をしてな。今のお前に興味を持ったのはそれも理由だ」
「……!」
丁度ジェラールの事を思い浮かべた直後に彼の名前が出てきて、僅かに動揺する。ジェラールは私の試合に関しては対戦相手等は知らされないはずではなかったのか。いや、ルーベンスの帰国と私の昇格試合のタイミングから予想したのかも知れない。
「今のカサンドラに関しては俺も少々思う所があってな。お前の存在がそれを変える切欠になるかも知れんというジェラールの話は興味を惹かれるものがあった。だから……お前に
「チャ、チャンス……?」
私は無意識に縋るような口調になってしまう。ルーベンスは再び口の端を吊り上げると、指を3本立てた。
「3分だ。今から3分の間、俺はお前を
「も、もし3分間、耐え切れなかったら……?」
私が聞くとルーベンスは肩を竦めた。
「その時はお前も所詮その程度の器だったと諦めるさ。そんな程度の奴にカサンドラを変えられるはずもないからな」
「……っ」
至極当然のように告げるルーベンス。明らかに本気だ。だが逆に言えば、3分間持ち堪える事が出来たなら私は生き延びられるという話も本当なのだろう。
「さて、余り長々と話していると観客共に怪しまれる。今から3分の間は完全な殺し合いだ。文字通り死ぬ気で抗ってみせろ。勿論
ルーベンスはそう言って再び狼牙棒を掲げた。同時にその身体から本物の殺気が解き放たれる。こうなったらやるしかない。先程までとは違い、生きるチャンスが出てきたのだ。ならばそれに対して全力を尽くす以外に選択肢は無い。
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