9 すれ違い
ぶ厚く垂れこめた灰色の雲から、雪がちらちらと舞い落ちる。
今日も朝から、御茶ノ水界隈は身も氷るほどの寒さに見舞われていた。
JR御茶ノ水駅から吐き出されてきた数多のサラリーマンたちは、めいめい白い息を吐きながら、それぞれの戦地へと行進していく。
夏樹はマフラーを口元にかぶせ、コートに手を突っ込みながら、行き交うサラリーマンたちの間を縫って、足早に予備校へと向かっていた。
痛いほどの寒風が、露出した肌を次々に切り裂いていく。
足元では、水気を多分に含んだぐしゃぐしゃの雪が、容赦なく靴を濡らした。
夏樹は歩きながら、昨日の出来事を思い出す。
MOTS内でのストーカー騒動後、結局タイミングが合わず、ユウトとは再会できなかった。
フレンドメッセージに、《ナツキ》の無事を報告しておいたので、心配はしていないと思う。ただ、次にログインした時に、いろいろと言われるに違いない。
――そういえば、ユウトのそっくりさんは、冬期講習以降一度も見かけてないな……。
ぼんやりとユウトのことを考えていると、ふと、年末の冬期講習で出くわした、ユウトと顔の作りが瓜二つの少年を思い出した。
件のそっくりさんは、普段は夏樹と別校舎のようだった。
幸いにも、廊下などでばったり出くわすような事態には遭遇していない。
――夏帆の告白の言葉を伝えるまでは、ユウトに夏帆と僕との関係を知られちゃダメだ。あのそっくりさんが、ユウト本人かはわからないけど、リスクは極力減らさないとな……。
夏樹の自己満足とはいえ、夏帆の姿でもって、あくまで夏帆本人として、夏帆の想い人に、夏帆が残した言葉をありのまま伝えたい。
夏帆が果たせずに残した想いを、代わりに成し遂げてやることこそが、夏帆に対する罪滅ぼしになる。夏樹はそう考えていた。
そのためにも、夏帆と夏樹との関係を、ユウトに知られるわけにはいかなかった。
ふたたびユウトのそっくりさんに出くわす可能性はある。その際は、再度、全力で逃げだすつもりだった。
気が付くと、通い慣れた校舎が目前に迫っていた。夏樹はコートのポケットから、入館証を取り出そうとした。
「よう、ちょっといいか?」
そのとき、不意に横から声を掛けられた。
夏樹は一瞬、どきっと身を震わせた。
――その声は……。
イヤな予感がする。
聞き覚えのあるその声は、ついさっきまで夏樹の頭の中でぐるぐると回っていた、ユウトのそっくりさんのものではないか。
まるで潤滑油の切れた機械のように、ギギギっと鳴りそうなほどつっかえつっかえ、夏樹は声のするほうに顔を向けた。
「おまえ、楠夏樹だな?」
「な、何のことかな?」
そっくりさんからの問いに、夏樹はさあっと血の気が引いた。
「お前と同じ学校の奴に聞いたから、ごまかしても無駄だよ。目立つ容姿をしているんだし」
夏樹は押し黙った。
どうやら、目の前のそっくりさんは、すでにいろいろと夏樹のことを調査済みらしい。
――マズいマズいマズい! ユウトにバレた!?
夏樹はどうごまかそうかと、必死で頭をフル回転させる。
そっくりさんは一歩、夏樹に近づいた。そのまま手を伸ばし、夏樹の肩を掴もうとする。
――どうしようどうしようどうしよう! あぁぁぁぁぁぁっっっっ!
夏樹は無意識のうちに、伸ばされたそっくりさんの手を払いのけた。
そっくりさんは驚いた表情で、払われた手を見つめている。
「ご、ごめん!」
そっくりさんが動揺している隙に、夏樹は逃げ出そうと考えた。
今そっくりさんと言葉をかわせば、何か致命的な失敗をやらかしかねない。
「お、おいっ!」
そっくりさんの戸惑いの声を無視し、夏樹は駅に向かって駆けだした。
時々、ぬかるんだ地面に足を取られそうになる。だが、どうにか転倒は避け、夏樹はひた走った。
「お前が、あの《ナツキ》だったのかーーーっっっ!!」
背後から、そっくりさん――ユウトの怒声が聞こえた。
夏樹は声にも構わず、足を止めない。
すれ違う学生たちが、顔をしかめ、泥を跳ね飛ばすなと怒鳴っている。
だが、今の夏樹の最優先事項は、ユウトから逃げきること。誰に文句を言われようとも、立ち止まる気はなかった。
――決定的だ。あのそっくりさん、ユウト本人だよ……。
最悪の状況になった。
このままでは、夏樹が果たそうとした作戦は、実行不可能になる。
――どうしたらいいんだよ……。
ハッハッと息を切らせながら、夏樹は駆けた。
胃が、ずしりと重い。頭の中が、ぐるぐると回っていた。
どうにか、駅前まで戻ってきた。
振り返ってみたが、ユウトの姿はない。
――もう、今は何も考えたくない。家に帰って、MOTSに籠ろう……。
現実逃避かもしれない。だが、今は心を落ち着け、安らげる時間が必要だった。
――うさっちと、はやく触れ合いたい……。
夏樹はため息をつきながら、改札を通過した。
予備校から戻るや、夏樹はすぐに部屋へこもった。
両親は仕事で不在のため、咎める者もいない。MOTSに集中できる。
夏樹はベッドに飛び込むと、専用ヘッドギアを装着し、電源を入れた――。
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