9 進路

 夏樹は、ぼんやりと窓の外を眺めた。

 薄曇りの天気の中、街行く人は皆、身を縮こまらせながら早足に歩いている。

 今朝テレビで見た天気予報では、夕方から雪になるようだ。

 今冬の初雪だ。もう数日早ければ、世間はホワイトクリスマスだと騒ぎ立てたに違いない。


「ま、僕には関係ない話だな……」


 冬休み真っただ中、年の瀬も押し迫っている。

 今、夏樹は一年後の大学受験に備え、予備校の冬期講習に参加をしていた。

 しかし、いまだに夏樹は、明確な進路を決めかねている。この冬期講習通いも、半ば、親からの強制だった。

 学力に合った、入れそうなところならどこでもいい。夏樹は、その程度にしか考えていなかった。文理の選択すら、明確には決めていない。

 あとからの変更が効きやすいという理由で、理系のクラスを選んではいたが。


「夏帆みたいに、明確な目標が持てればなぁ……」


 夏樹は独り言ち、ため息をついた。窓ガラスが吐息で、さっと白く曇る。

 夏樹は指で、曇ったガラスに『夏帆』と書いた。


 ――まだ、受け入れられてないってことだよな。


 VR内にいるとき以外は、常に夏帆の顔が、脳裏にちらついていた。

 これから四十九日の法要を迎える。徐々にでも、夏帆の死を受け入れられるようになるのだろうか。

 窓から壇上の講師へと、視線を移した。

 今は生物の授業中だ。

 夏帆は生命科学系に興味を持っていたので、受験する学部の選択肢が増える物理ではなく、あえて生物を選択していた。夏樹は生物にそれほど興味はなかったが、夏帆が受けるのならという理由で、一緒に取った。

 生前の夏帆の話では、夏樹と夏帆の生まれが、遺伝子の突然変異によるものだったことから、生命科学に興味を持ったらしい。

 講師が大きな身振りで、何やら喋っている。

 だが、その受験に役立つ、ありがたいはずの講義が、夏樹の耳にはまったく入ってこなかった――。




 休み時間になった。

 夏樹は、あいかわらずのぼっちだった。

 机に突っ伏して、寝たふりをしながら、次の授業が始まるのを静かに待つ。

 たくさんいるはずの同校の生徒からは、一切話しかけられなかった。遠巻きに、夏樹の様子を窺ってくるのみだ。

 夏帆の死が学年中に知れ渡り、夏樹はいつも以上に、『気を使われる人』になっていた。ただでさえぼっち気質なのに、今は余計な属性がついている。

 話しかけてくるような猛者が、いようはずもなかった。

 ときおり、他校の生徒がちらちらと夏樹を覗き見している。仲間内でなにかをささやいているが、どうせろくでもない話だろう。


 ――ふんっ、どうせ僕が、男には見えないってんだろ。男装の女子に見られるのなんて、もう慣れっこだよ。バカバカしい……。


 机に顔を伏せたまま、舌打ちをした。

 同時に、夏樹は自嘲もする。

 夏帆の思惑に乗って、性格改善のためにMOTSを始めたはいいけれど、まだまだ基本の性格は治っていないな、と。

 夏樹も頭ではわかっていた。自分から声をかけていけば、きっと誰かしら、友達を作れるに違いないと。かつて、心に傷を負う前の夏樹も、そうやって友人を作ってきたのだから。

 しかし、心の底では今もなお、信じていた友達から掌を返された苦い記憶が、しつこくこびりついて離れない。一歩を踏み出そうという勇気は、どうしても持てなかった。

 夏帆を演じているおかげで、MOTS内のリリアとユウトにだけは、ある程度心を許せるようになった。しかし、ぼっちの脱却までは、まだまだ先が長そうだと、夏樹はため息をついた。

 予鈴が鳴った。

 休憩していた生徒が戻るに合わせ、夏樹も身体を起こし、次の教科のテキストをカバンから出した。




 昼休み――。

 朝コンビニで買っておいたおにぎりとサラダを、夏樹はさっさと胃袋の中に詰め込んだ。

 仕上げとばかりにお茶ですべてを流し込むと、席を立ち、トイレに移動する。


 ――あーあ、一日が長いなぁ。早く帰って、うさっちに癒されたい……。


 廊下を歩きならが、夏樹は愛する白うさぎの姿を、脳裏に浮かべた。

 夏帆にはなんだかんだ言ったが、いつの間にか夏樹も、MOTSにすっかりはまり込んでいた。

 ぼんやりと夢見心地で廊下を進んでいると、不意に誰かとぶつかった。


「あっと、ごめん」


 夏樹は謝り、軽く頭を下げた。


「いや、こっちこそ。悪いな」


 ぶつかった相手も、軽く頭を下げて謝罪の意を口にした。

 人の往来の多い廊下のど真ん中で、周囲の注目も集めたくない。夏樹は顔を上げて、さっさとその場から離れようとした。

 だが――。


「えっ……」


 目の前の少年の顔を見て、夏樹は声を失った。


「あれ?」


 相手の少年も、不思議そうに首を傾げている。


 ――これって……、ユウトか? ゲーム内のユウトと、髪型は違うけれど、顔がそっくりだ。


 眼前の少年は、目鼻立ちがユウトに瓜二つだった。髪型が、ショートではなくウルフカットになっているところが、ゲームとの相違点だ。

 相手がユウトだとしたら、非常にまずい。

 今、夏樹は男用のブレザーを着用している。

 もし、少年がユウト本人だったとしても、今の夏樹とゲーム内の《ナツキ》とが同一人物だと見破られは、さすがにしないだろう。

 だが、何らかの関連を疑われ、そこから、夏樹と夏帆の関係性を知られでもしたら……。

 ユウトは、夏帆の想い人である可能性が高い。

 そんなユウトに、夏樹は、あくまで夏帆本人として、想いを告白したいと考えている。《ナツキ》の中身が夏帆ではなく夏樹だとばれてしまったら、作戦が台無しになりかねない。

 これ以上の接触は、非常にまずいと思った。

 少年から身を隠しつつ、夏樹はざわつく廊下を、人の間を縫うように駆け抜けた。

 背後から、ユウトのそっくりさんの声が聞こえた気がする。

 だが、夏樹は振り返らなかった。顔は見られたくない。

 そのまま、そそくさと自席に戻り、大急ぎで荷物を取りまとめた。

 今日はもう、これ以上の授業を受ける気にはなれない。

 夏樹は予備校を、逃げるようにして抜け出した――。

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