10 バグ

 年が明けた。

 冬期講習も終え、まる一日時間が使えるようになった夏樹は、今日も今日とてMOTSにログインをするつもりだった。

 すでにゲームを始めて二週間、ゲーム内時間では数か月の時間を過ごしている。

 かつて夏帆が組んでいた、リリアやユウト以外の固定パーティーメンバーとも、全員無事に再開できた。ちょくちょく狩りに出たり、クエストをこなしたりしている。

 他のゲームで見かけるようなギルドシステムは、まだMOTSには実装されていない。実装された際には、おそらく、今の固定パーティーをそっくりそのまま、ギルドに移行することになるだろう。

 ただ、社会人メンバーもおり、全員が揃うときは、それほど多くない。必然的に、歳の近いリリアやユウトと組んで活動する時間が、圧倒的に増えていった。

 それなりの時間をリリアやユウトと過ごしたものの、夏樹の二人に対する印象は、初ログイン時に抱いたものとそう変わってはいない。

 リリアはおっとりしたおとなしめの見た目とは裏腹に、おしゃべりで活発な少女だ。《ナツキ》をものすごく大切にしてくれているようで、夏樹が女の子っぽくない振る舞いをすれば、即座に注意をしてくれる。

 常に、《ナツキ》の傍らにピッタリと張り付いて、ニコニコと優しい笑顔を振りまいてくれていた。

 ユウトも、少々キザったらしいところはあるが、実に男らしい、さっぱりとした性格だ。

《ナツキ》に気があるようなそぶりも時折見せるが、直接的なアピールはしてきていない。ただ、たまに《ナツキ》の隣をめぐって、リリアと口喧嘩をしているのは、困ったものだった。

 夏樹はベッドに横たわり、専用ヘッドギアを装着する。

 いつものシステムチェックを終え、MOTSへとログインした。




 前日にログアウトをした、夏樹たちのパーティーが拠点にしている街《ヴァルタ》の宿屋の一室から、ゲームがスタートした。

 ベッドから起き上がり、システムコンソールを開く。夏樹は指でメニューを操作し、うさっちを顕現させた。


「うさっち、行くよー!」


 夏樹が声をかけると、うさっちはぴょんっと跳ねて夏樹の身体にしがみつき、するすると登って肩に乗った。


「えっと、今ログインしているのは……。ユウトだけかー」


 夏樹はさっとフレンドリストを確認したが、いつも一緒に狩りをしている面々の中で、ログインの表示が出ているのは、ユウトのみだった。

 リリアはまだ、繋いでいないようだ。


 ――前衛と後衛になるから、一応ペア狩りはできるか……。でも、リリアが繋ぐまで、もう少し待ったほうがいいよなぁ。きっと、ユウトとペアで狩りに行けば、リリアは怒るはず……。


 夏樹は腕を組みながら、考え込んだ。

 とそこに、ポーンとシステム音が鳴り響いた。フレンドからの通信要請で、相手はユウトだった。


 ――狩りの誘いかな? ただ、やっぱり二人きりはまずいよなぁ。この前の予備校での一件もあるし、妙な勘繰りを入れられてもイヤだ。


 年末の冬期講習で、現実世界(リアル)でのユウトとみられる男子学生と、ばったり出会った。《ナツキ》イコール夏樹だとバレてはいないと思いたいが、確証は持てない。

 昨日までは、必ずリリアもそばにいたので、ユウトと二人きりになる機会はなかった。ユウトが《ナツキ》そっくりな顔立ちの夏樹を見て、何らかの疑問を抱いていたとしても、リリアのような第三者がいる場で、聞いてきたりはしないだろう。現実世界の事情を詮索する行為は、基本的にはマナー違反だとされているからだ。

 もし、ユウトから何らかのアプローチを仕掛けてくるとしたら、二人きりになった時のはずだ。


 ――ここで、素直に通信を繋いでいいのか? でも、夏帆だったら、待たせずに通信を始めるはず。今、通信要請を無視したら、なおさらユウトにおかしな疑念を抱かせかねない、か……。


 夏樹はふうっと息を吐くと、すぐに通信を繋いだ。


『おう、ナツキー。よければ少し、ペアで狩りに行かないか?』


 漏れ聞こえてきたユウトの声に、いつもと違った様子は感じられない。

 どうやら、予備校での一件の追及ではなく、単なる狩りのお誘いのようだ。

 夏樹は思わず天を見上げ、大きく息をついた。きゅっとこわばっていた筋肉も、次第にほぐれていく。


「別にいいけど……。もうちょっと待てば、リリアちゃんも繋いでくるんじゃない?」


『悪いな。実はオレ、今日は家の用事があって、あまり長時間は接続できないんだ。少しでも狩りがしたくて……。で、せっかくナツキが繋いでいるんだし、その……、行くならナツキと一緒がいいなって。か、構わないか?』


 ユウトは声色を上げ、口ごもりながら聞いてきた。


 ――おぉっと、これってもしや、デートのお誘いか? 長時間接続できないってのが、ペア狩りを誘うための単なる口実なのかどうかはわからない。けど、リリアがいない今は、確かにチャンスだな。


 ユウトは緊張しているのだろう。ゴクリとつばを飲み込むような音が聞こえてきた。夏樹は苦笑する。


「オッケー。そういった事情なら、ペア狩り、承知したよぉ」


《ナツキ》の正体を詮索されるのではという不安は、解消された。であるならば、この機会に、改めてユウトがどんな人物なのか、しっかりと見極めてやろうと夏樹は思った。夏帆の告白相手として、申し分はなさそうだ。だが、もう一押し欲しい気持ちもあった。


『んじゃ、悪いけど、街の北門前で待ち合わせなー』


「了解了解。すぐ行くねー」


 ユウトからの通信を切ると、夏樹はすぐさま狩りの準備を始めた。

 消耗品――特に、リキャストタイムの間に使うためのマジックアイテムが、いくつか不足していた。

 ペア狩りなら、精霊術が使えない間の何らかの攻撃手段を持っておかないと、色々と不便だ。

 まずは、魔術屋に寄らなければならない。

 マジックアイテムは、《精霊使い》のスキルの中でも、黒系統を伸ばした時に覚える、《付与精霊術》を使って作られる。システムが用意した汎用品もあるが、プレイヤーが手ずから作ったマジックアイテムのほうが、威力が大きくて役に立つ。

《ヴァルタ》の街には、夏樹たちがひいきにしている《付与精霊術》使いのプレイヤーのお店があった。いろいろとオーダーメイドで融通をきかせてくれるので、大変ありがたい存在だ。

 ちなみに、夏樹はいまだに、夏帆の残したマジックアイテムには一切手を付けていない。

 どれほど時間が経とうが、夏帆の遺品だという思いは拭い切れず、どうしても使おうという気にはなれなかった。

 夏樹は宿を出ると、うさっちと連れ立って、件の魔術屋精霊たちの憂鬱に向かった。




 目的の店は、街の中央通りに面していた。

 中央通りは、《ヴァルタ》でも最も人通りの多いメインストリートでもあり、店を持つには一等地だと言える。オーナーは、MOTSにベータテストから参加をしており、その時の経験を活かし、いち早くこの場所を確保したらしい。

 夏樹は中央通りに足を踏み入れた。

 とその時、突然視界の端に、不気味な赤い三角マークが映りこんだ。同時に、システムの警告音がピーピーと響き渡る。


 ――なんだ、これ……。バッドステータスの表示?


 得体の知れない現象に、夏樹は思わず足を止めた。周囲を見回したが、特におかしなものは見当たらない。道行く人々にも、何の変化も見られなかった。だが――。


 ぞくりっ……。


 背筋が凍った。


 ――誰かに、見られている?


 もう一度周囲を見渡したが、やはり、異常はない。

 なぜだか、身体が震えだす。眼前の景色が、不気味に瞬く赤い三角の表示以外、すべてが灰色になったかのように色を失った。


 ――システムのこんな挙動、今まで見たことも聞いたこともないぞ……。


 インターネットで収拾したMOTS関連の情報にも、仲間たちから聞いた最新のアップデート情報にも、今夏樹が直面しているようなおかしな現象について、言及は一切なかった。


 ――くそっ、僕だけが食らった、ゲームのバクかなんかか?


 夏樹は怒った。こんな寒気のするようなバグを、放置しているゲームの運営に。

 すると、耳に飛び込む警告音が、一層強くなった。


 ――もしかして、僕がこのアバターの本来のプレイヤーじゃないから、システムの挙動が狂ったのか?


 夏樹は不安になった。もしこのバグらしき現象が、夏帆とは別人であるはずの夏樹のログインによってもたらされた結果だとしたら、もう二度と、夏帆としてログインができなくなってしまうのではないか。


 ――イヤだ。そんな事態は望んじゃいない。夏帆の願いを、叶えられなくなるっ!


 そのとき、警告音が止み、赤い三角表示が消えた。

 サッと、眼前の色彩が元に戻る。隣ではうさっちが、不思議そうにきょとんと首を傾げていた。


 ――どうやら、僕の取り越し苦労だったのかな。今のバグは、見なかったことにしておこう……。


 夏樹はホッと頬を緩めて、うさっちに心配ないとうなずいた。

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