3 後悔
――なんだよ、これ……。
夏樹は、壇上に飾られた夏帆の写真を見つめた。
白い菊の花で包まれた壇の中で、夏帆は周囲に笑顔を振りまいている。
あちこちから、鼻のすする音が聞こえた。焼香のにおいがあたりに立ち込め、薄ぼんやりと白い靄がかかっている。
夏樹は、夢の中にいるような、まるで現実味のない光景を前に、ただただ戸惑った。
「ほら、夏樹。火葬場へ移動するわよ」
母に制服の袖を引っ張られ、夏樹は駐車場に移動した。
火葬場での、最期の見送りの時間になった。
棺に横たわる夏帆の顔を見ても、夏樹はまだ実感がわかない。
顔に触れた時の、冷たい蝋のような感触だけが、妙にはっきりと夏樹の脳裏にこびりつく。
傷ひとつない顔……。
いったいどうすれば、夏帆の死を受け入れられるのか。
つい先日まで、やかましいばかりに夏樹に声をかけてきたあの夏帆と、目の前の物言わぬ少女と、いったいどこが違うというのか。
夏樹は、父から聞いたあの日の状況を、改めて思い返す。
掃除当番を代わってもらった夏帆は、いつもどおり自転車に乗って、自宅に帰ろうとしていた。ところが、校門を出てすぐの交差点に差し掛かるや、信号を無視して突っ込んできた車に、運悪くはねられた。
打ち所が悪かったとしか言いようがないと、医者は言ったらしい。夏帆は、目立った外傷がないにもかかわらず、もう二度と、目を開くことはなかった。
夏樹が病院に到着した時には、すでに手遅れの状態だったそうだ。結局その日は、夏帆に会わせてもらえず、そのまま家に帰された。
その瞬間から、夏樹の時間は、ぴたりと止まった。警察とのやり取りだったり、通夜や葬式の準備だったりと、家の中は相当にあわただしかったはずだ。しかし、夏樹は何も覚えてはいない。
ふと気が付けば、制服を着こみ、葬儀場の最前列に座っていた。時が再び動き始めるまでに、どれほどの時間を要したのだろうか。それ程に、夏帆の死は、夏樹にとって受け入れられるものではなかった。
――くそっ!
静かに目を瞑る夏帆から視線を逸らし、夏樹は棺からそそくさと離れた。
両親をはじめ、周囲の者は皆、泣き腫らしていた。その中で、夏樹だけは、ただの一滴も涙をこぼさなかった。
時折、薄情な兄だとささやく声が聞こえる。
夏樹はいたたまれなくなり、火葬場の待合室から外に出た。
乾燥した冬の寒さに身を震わせつつ、屋根の煙突に目を遣る。
――夏帆……。
高性能の焼却炉に変わって、目に見えた煙は出ないはずだ。
だが、なぜだか夏樹の目には、煙突の先から一本の白い筋が、ゆらゆらと天に向かって伸びていくように見えた――。
葬儀をすべて終えて、夏樹は一足先に自宅へと戻ってきた。
いまだにふわふわと、地に足がついていない。夏樹は考えを放棄し、自室に向かった。
二階の自室は十畳の大部屋で、中央を厚手のアコーディオンカーテンで区切っている。右が夏樹、左が夏帆の部屋だ。
夏樹は何とはなく、夏帆の部屋にフラフラと入りこんだ。
からかわれないようにと、少しでも男らしくあろうとした夏樹の影響を受けたのだろうか、夏帆の部屋は青系の色で統一され、小ざっぱりと片付けられている。少女趣味っぽいものは一切、目に入らない。
何も知らない人間にこの部屋を見せれば、ほぼ間違いなく、少年の部屋だと答えるはずだ。
夏樹は、勉強机の上に置かれた一台のヘッドギアに、すうっと視線を引き寄せられた。
新作VRMMO『MOTS』専用のヘッドギアだ。
無意識のうちに、夏樹はヘッドギアを握り締めていた。
――こいつさえなければ……。
ヘッドギアを持った手を、大きく頭上に振り上げた。
――こいつさえなければ、夏帆は死ななかった!
振り上げた手が、プルプルと震える。手のひらに、べっとりと汗が滲み出してきた。
――あの時、僕が掃除当番を引き受けなければ! 夏帆の言うとおりに、素直にゲームをやるって言っておけばっ! 夏帆は、事故なんかに遭わなかったっ!
手に持つヘッドギアごと、一気に腕を振り下ろした。……しかし、途中で勢いは弱まる。
結局、ヘッドギアを投げ捨てるなんて、できやしなかった。
夏樹はよく覚えていた。
夏帆がどれだけ苦労をして、このヘッドギアを買ってもらったかを。
ヘッドギアを始めて手にしたときに、どれだけ嬉しそうな顔をしていたかを。
脳裏に、夏帆の顔が浮かんでは消えていく。
――くそっ! 結局僕は、どうすればよかったんだよっ!
胸がぎゅっと締め付けられた。罪の意識が、次々と夏樹に襲い掛かってくる。
目に熱いものが込み上げてきた。床に、ポツリポツリと黒い染みができる。
夏樹は両ひざに手をつくと、くしゃりと顔をしかめた。
「うわぁぁぁぁっっっっ!!」
そのまま、吼えるような声を上げて、ただひたすら泣いた。
どれくらいの時間、泣いていただろうか。
気づけば、部屋の中はすでに薄暗くなっていた。
夏樹は照明をつけて、改めて夏帆の部屋に視線を巡らせた。
ふと、勉強机の引き出しの一つが、わずかに開いているのに気が付いた。隙間から、見覚えのある冊子がちらりと覗いている。
「母さんからもらった、日記帳だよな……」
夏樹は引き出しを開け、日記帳を取り出した。
見てはいけないと思いつつも、手は勝手にページをめくり始める。
日記帳には、日々の学校の様子の他にも、色々と夏帆の想いが綴られていた。
――夏帆っ……!
夏樹は、日記帳のとあるページに、目が釘付けになった。
幼いころ、夏帆はいつも夏樹の陰に隠れているような、おとなしい女の子だった。
口答えをしない夏帆を狙って、時折暴力を振るってくる子供もおり、夏樹は幾度となく撃退してきた。
そんな当時の夏樹を、まるで自分を助けてくれるヒーローのように感じていたと、夏帆は綴っている。
夏帆は、そのヒーローの印象が忘れられず、現状の夏樹が受け入れがたかったらしい。
かつての夏樹に戻ってもらいたい一心で、ぼっちを解消できるような手段を、なんとしても見つけ出してみせると書き記されていた。
たとえ、夏帆自身が夏樹に嫌われるような結果になったとしてもかまわない。きっと夏樹を変えてみせる、と。
あれほど強引にMOTSに誘ってきたのは、こういった想いがあったためなのかと、夏樹は理解した。
――ごめんな、夏帆。僕は、お前の気持ちに、ぜんぜんっ……!
夏樹は頭を抱え、髪をクシャっと掻き毟った。
妹の秘めていた想いにも気づかず、ただ現実から逃げ続けていた。そんな自分が、許せなかった。
と同時に、夏帆からの強い兄妹愛も感じた。夏樹の胸はいっぱいになる。
――バカな僕を、許してくれっ!
いつの間にか、また涙があふれてきていた――。
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