2 嫌な予感

「ここからが、見所なんだよ!」


 夏帆は目を輝かせながら、一人の少女を指さした。

 示された少女は、ゆったりとした水色のローブに身を包んでいた。おかげで、体型はよくわからない。ただ、おそらく細身ではないかとの印象を受ける。

 肩まで伸びるさらっとした金髪と、輝く碧眼を包むわずかに垂れ気味の大きな目が印象的な、少し大人びた美少女だった。

 MOTSは、現実のプレイヤーの遺伝情報を読み取り、骨格を忠実に再現している。なので、基本的には生身のプレイヤーとキャラクターアバターは同じ顔になっていた。このため、性別も自動的に決まり、いわゆるネカマ、ネナベプレイはできない。

 例外的に、髪型や瞳の色はカスタマイズできる。プレイヤーたちは、わずかばかりのカスタマイズ可能な部位をどうにかいじって、少しでも現実とは違う自分を作り出そうとあれこれ工夫をこらしている、と夏帆は説明した。

 ただ、この程度のカスタマイズだけでは、見た目を劇的に変えるのは難しいと夏樹は思う。

 元々がイケメンならイケメンに、ほどほどならほどほどに、残念な顔立ちなら……まぁ、推して知るべしだ。

 つまり、映像の少女は、リアルでもかなりの美少女だと推測が立つ。


 ――凛として、きれいな娘だな……。


 夏樹は少女から目が離せなくなった。映像の少女の一挙手一投足を見逃すまいと、自然とタブレットの画面に身を乗り出す。


「かわいい娘でしょ? 夏樹も私とゲームをはじめれば、会えるよ?」


 耳元にささやかれる悪魔の甘言に、夏樹の心はぐらついた。だが、それでも夏樹は首を左右に振る。

 幼少時の心の傷は、そうやすやすと癒せやしない。もう、友人に裏切られるのはごめんだ、と。

 少女はすぐわきに黒猫を従えている。よくよく見ると、他のプレイヤーキャラクターたちも、何らかの動物をそばに連れていた。

 少女以外のキャラクターたちが、徐々に熊に対する包囲を狭めていく。一方で、少女は両手を大きく広げながら、天に掲げた。

 瞬間、少女と黒猫が光り出す。光は激しく明滅し、すぐさま消滅した。

 あとには、愛らしい黒い猫耳の生えた少女が立っていた。


「さ、ここで精霊術の発動だよ!」


 夏帆はニヤリと口角を上げる。

 このMMOの醍醐味の一つが、精霊術と呼ばれる力らしい。夏樹は詳細までは知らなかったが。

 猫耳少女から放たれた風の刃が熊型魔獣に襲い掛かり、魔獣を覆っていた薄く白い靄のようなものを切り裂いた。

 とそこに、にじり寄っていた他のキャラクターたちが、各々の武器を構えながら声を張り上げた――ようだ。図書室だということで、夏帆は動画の音声を切っていた。このため、どのような掛け声を発したかまでは、わからない。

 ここで、猫耳少女以外のキャラクターも、いつの間にかそれぞれの身体に、動物の身体の一部らしきものをくっつけている様子に、夏樹は気付いた。

 夏帆が言うには、キャラクターたちは、それぞれが従える使い魔と融合することで、様々な力を発揮できるという。この《憑依精霊術》だけは、《精霊使い》と呼ばれるクラスだけではなく、すべてのキャラクターが使えた。

 だからこそ、MOTSは精霊術が醍醐味の一つだと言われているらしい。

 夏樹は特に興味もないので、それ以上の突っ込みは入れなかった。

 キャラクターたちの一斉攻撃を受けて、いつの間にか熊型魔獣は地面に倒れていた。パーティーメンバーたちは皆、手を叩きあって喜んでいる。

 気になる猫耳少女も、夏帆のものらしき手とハイタッチを交わしていた。

 そこで、映像は切れた。

 夏帆はタブレット端末をカバンにしまうと、夏樹に向き直った。


「ほらほら! 楽しそうでしょ? やろうよ、夏樹!」


 夏帆は夏樹の腕にしな垂れかかりながら、上目遣いに懇願する。

 その潤んだ瞳を見て、夏樹は戸惑った。

 イヤがっているところを無理やりに誘うだなんて、あまり夏帆らしくもない。妹をこうまで突き動かす動機は、いったい何だろう。

 夏樹はきっぱりと拒否の意思を示している。普段の夏帆であれば、さすがにこれ以上、しつこく迫っては来ないはずだ。

 何かほかに事情があるのだろうかと、夏樹は訝しんだ。


「さすがに怒るぞ? 僕にも、あんな馬鹿高いヘッドギアを買ってもらえるよう、父さんに頼めって言いたいのか?」


 夏樹に、夏帆のようなゲームに対する情熱はない。

 とてもではないが、父にVRMMO用のヘッドギアをもう一台買ってくれなんて、言えやしない。そもそも、やりたくもない物のために、なぜ夏樹が気を使う必要があるのか。


「それに、夏帆だって僕の事情、分かってるだろ? これ以上、煩わせないでくれよっ!」


 眠りを妨げられ、いつもよりも虫の居所が悪かった。つい、心なく声を荒げる。


「あっ……」


 夏帆は口元に手を当て、わずかに身をのけぞらせた。

 だが、すぐに頭を振って、夏樹にぐいっと顔を寄せる。


「むぅぅっ! 絶対に、ぜぇったいに、夏樹にゲームをやらせるんだからっ!」


 夏帆はぷくっと頬を膨らませた。


「今日のところは、これで勘弁してあげる! でも、私はあきらめないからね!」


 夏帆は椅子から立ち上がると、ビシッと夏樹の顔を指さしながら宣言した。

 突きだされた人差し指の先を見つめながら、困ったものだと夏樹はふうっとため息をつく。


「あ、そうそう、夏樹」


 夏帆は荷物をまとめながら、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。


「ついでなんだけど、掃除当番変わってくれる?」


「はぁ?」


「ちょっち、ゲームの中で大切な待ち合わせがあってね。あとで、絶対埋め合わせするから、よろしくーーーっ!」


 夏帆はそう言い捨てると、さっとスカートを翻し、嵐のように図書室から去っていった。


「おいおい、マジかよ……。ったく、しょうがねーなぁ」


 夏樹は頭を掻きながら、席を立った。

 たまにこうやって言い合いはするけれど、夏帆にはいつも世話になっている。掃除当番を代わってやるくらいは、別に構わなかった。

 あとで、夕飯のおかずを一品頂戴してやる、とは思ったが……。




「ふぅ、とりあえずこんなもんか」


 大きく息を吐きだしながら、夏樹は教室の隅に置かれた掃除用具入れに、モップをしまった。


「ったく、ただでさえぼっちなんだ。別の掃除当番班に入るのって、気まずくてイヤなんだよなぁ……」


 夏帆の掃除当番班の他の面々は、すでに一足先に帰っていった。昇降口などで一緒になるのもイヤだったので、夏樹はわざとゆっくりと片づけをし、帰宅タイミングをずらしている。

 と、そこに――。


「おいっ、橘はいるか!」


 担任が何やら慌てた様子で教室に入ってきた。

 普段は冷静で、冷たい印象を抱かせる担任だ。それが、目の前の慌てぶり。

 夏樹は、イヤな予感が脳裏をよぎった。


「今すぐ市民病院へ行くぞ! タクシーは呼んである!」


「はぁ?」


 夏樹は、何を言っているんだとばかりに、小首をかしげた。


「橘夏帆が……。お前の妹が、交通事故に遭った! とにかく急げ!」


 一瞬、担任の口にした言葉の意味が理解できず、夏樹はぽかんと口を開けた。

 その後も、担任が何やら大声で話しかけていたが、まったく耳には入ってこなかった。

 気付いたら、夏樹はタクシーに乗せられていた――。

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