第三章 憑依精霊術

1 豹変

 男の後にくっついて、夏樹は獣道をひたすら進んだ。

 あまりプレイヤーたちの通らないルートなのだろうか、地面はそれほど踏み固められておらず、丈の長い草が行く手を塞いでいた。

 ときおり蔓のようなものが足をからめとろうとしてくるので、つまづかないようにするので必死だ。

 男はナイフを片手に、邪魔な草木を払いながら歩いている。


「ねぇ、随分と歩きにくいところだけど、道はあってるの? ヴァルタに向かってるんだよね?」


 歩き始めてだいぶ経った。さすがに限界が近づいてきていたので、夏樹は男に問いかけた。

 ユウトと歩いたのも獣道だったが、ここまで歩きにくくはなかった。少し、イヤな予感がする。


「間違いなく向かってるぞ。街外れの倉庫には、こっちからが近いんだ」


「でも、時間がかかっても、歩きやすい道のほうが……」


 男はケラケラと笑いながら、問題ないと口にした。

 だが、夏樹にとっては問題が大ありだ。体格差や体力差もあり、男以上に疲労がたまっている。


 ――まいったなぁ。やっぱ、ついていかないほうがよかったか? 別行動で、ヴァルタの街で待ち合わせでも、良かったかもしれない……。


 分配品の収めてある倉庫にさえ行き着ければいいので、目の前の男と一緒に街へ帰る必要はなかったのかもしれないと、夏樹は思い始めていた。もはや、後の祭りではあったが。


「ねぇ、お兄さん。名前はなんていうの?」


 そういえば名前を聞いていなかったと思い、夏樹は尋ねた。

 それに、黙って歩いていては、次々にイヤな考えが浮かんできそうだったので、何かを口にしていたいという気持ちもあった。


「オレか? オレの名は、《タカヤ》だ」


 男――タカヤはいったん立ち止まり、ナツキに振り返って答えた。


「じゃ、今度からは名前で呼ぶね?」


 夏樹は作り笑いを浮かべながら、タカヤの顔を見つめた。


 ――怪しいところはあるけど、それは僕の勝手な思い込みの可能性もある。とりあえず、当面は友好的に接していないと。本当に、ただの親切な人って可能性のほうが、まだまだ高いはずだよ。


 警戒は緩めないが、敵意を出すわけにもいかない。無難な対応を心がけようと、夏樹は思った。


「あぁ、かまわないぞ。ってか、臨時パーティーでは名前で呼んでいたじゃないか」


 タカヤは片手を上げながら、ニッと白い歯を見せる。

 こうしてみると、ただの好青年に見える。

 しかし、鳴りやまないシステムからのピーピーという警告音が、どうしてもタカヤを不審人物に認定しようと、夏樹へ迫ってくる。


「さっきから疑問だったんだが、本当にオレのこと、すっかり忘れちまったのか?」


 タカヤは一歩夏樹に踏み出すと、覗き込むように顔を見つめてきた。


「え? あぁ……。うん、そうなんだ。ごめんね」


 夏樹は慌てて両手を振り、謝罪した。

 タカヤが近づくと、システム音はさらに大きくなる。やはり、タカヤに対して何らかの反応を示しているのは、間違いない。


「まぁ、オレなんて、なんの特徴もない顔しているしなぁ。別に、構わないさ」


 タカヤは苦笑しつつ、再び夏樹に背を向け、先に進み始めた。

 夏樹もすぐに、あとに続く。

 距離を取ったためか、警告音は少し収まった。


「ただ、ナツキのような美少女に忘れられているっていうのは、ちょっぴり寂しいものがあるな……」


「容姿を褒めたって、何もあげないよ?」


 本来なら、容姿を褒められて悪い気はしない。夏帆が美人だった事実は、夏樹自身も認めている。

 だが、タカヤに褒められても、不信感を抱いている現状では、嬉しくもない。


「別に、そんなつもりじゃないさ」


 タカヤは片手を上げて、ひらひらと手のひらを振った。


「っと、そろそろだな」


 突然、タカヤは立ち止まった。


「え?」


 夏樹は周囲を見回した。

 いまだに、鬱蒼とした森の中だ。しかも、だいぶ奥深くまで入り込んだような気さえする。

 ヴァルタの街に近づいた気配はない。

 夏樹は、ぞくりとした寒気を感じた。


「ナツキ……」


 タカヤは低く、くぐもった声でぼそりとつぶやいた。


「どうしたの、タカヤ」


 夏樹は一歩前に進み出て、タカヤの肩に手を掛けようとした。

 と、その瞬間――。


「オレのこと、すっかり忘れてくれていて、助かったぜぇ」


 タカヤは振り返り、ニタニタと下卑た笑みを浮かべながら、差し出された夏樹の腕をつかんだ。


「えっ!?」


 不意のタカヤの行動に、夏樹は目を見開き、頓狂な声を上げる。


「まんまとおびき出されたな! さて、お楽しみといこうぜぇ」


「ひっ!?」


 タカヤはナツキの腕をぐいっと思いっきり引っ張った。

 夏樹は悲鳴を上げながら、タカヤの胸の中に、身体を引き摺りこまれる。


「な、なに? 何なの?」


 事態の推移に頭がついてこず、夏樹は固まった。


「何なのだって? はっ、かまととぶっちゃって、まぁ。本当は、わかってるんだろぉ?」


 舌なめずりをする音が聞こえた。


「や、やだっ……。やめてっ!」


 夏樹は大声を上げ、身体をよじって抵抗を試みる。

 男の心臓の鼓動が感じられ、ぞぞぞっと背筋が凍った。


「そいつぁできない相談だ。どれだけオレが、お前と二人っきりになるために苦労したと思ってるんだよぉ」


 タカヤは夏樹を抱く腕に、さらに力をこめた。

 ぎりぎりと締め付けられ、夏樹は身動きが取れない。

 ハァハァと呼吸を荒くしながら、タカヤは夏樹の胸をまさぐり始める。


 ――このままじゃマズい! 不本意だけど、女じゃないってアピールするしかないか?


 夏樹はとっさに考え、口調を夏樹のものに戻す。


「は、離せっ! 僕はおと――」


「へっ、男の振りをしようったって、だまされないぜ。こんな美少女な男が、いてたまるかってよ」


 夏樹の言葉に、タカヤはまったく乗ってこなかった。

 タカヤはべろりと、夏樹の頬を舐めた。

 あまりの気色悪さに、夏樹は身震いが止まらない。


 ――くそっ、逃げ出さなきゃ。このままじゃ、夏帆の身体が汚されちまう!


 夏樹は必死に頭を働かせ、脱出する手段を考えた。

 とその時、夏樹たちの足元から、まばゆく輝く白い光が漏れ始めた。


「ご主人様、今助けるぴょんっ!」


 光の中からうさっちが現れ、ぴょんっと飛び上がった。

 システムに備わった、使い魔の自動顕現だ。

 主人側に一定以上の恐怖心などの感情が現れた際に、システムコンソールからの操作なしで、使い魔が自動的に顕現し主人を救出する、お助けシステムだった。

 うさっちは夏樹を抱えているタカヤの腕に、思いっきり噛み付いた。

 不意をうったうさっちの攻撃に、タカヤはたまらず腕の力を抜いた。

 システム上PKはできないが、プレイヤー同士であっても、ある程度の軽いダメージは通るようになっている。

 まったくの無痛だと、日常のちょっとしたやり取りなどに不都合が生じるだろうとの、運営側の思惑があるようだった。

 夏樹はすぐさまタカヤから離れ、距離を取った。うさっちも、ぴょんっとタカヤの腕から大きく飛び上がり、夏樹のそばに移動する。


「《憑依精霊術》!」


 夏樹はすかさずうさっちと融合し、タカヤに対抗できるよう態勢を整えた。


「ちっ! 使い魔か!」


 タカヤは悔し気に顔をしかめ、夏樹の頭部に付いたうさ耳を、するどく睨みつけた。


 ――とにかくここは、逃げの一手しかないな!


 夏樹は《大樹の杖》を取り出し、精霊術の準備に入る。タカヤはまだ、使い魔を顕現していない。逃げ出す機会は今しかなかった。


「《スネア》っ!」


 術の名を叫び、杖の先端をタカヤの足元に向けた。

 地面にちょっとした罠を作り出す、緑の精霊術の一つだ。

 杖から発せられた緑の光が、タカヤの足を包み込む。


「ぐっ! しまった!?」


 タカヤは叫び、そのまま地面に転がった。多数の蔦に足をからめとられ、引っ張られたからだ。


「さよなら、強姦魔さん! もう二度と、会いたくはないよ!」


 夏樹は怒声を上げると、タカヤに背を向けて、森の中へと一目散に駆けた。

 背後から、タカヤの悔しげな怒号が飛んでいる。

 だが、夏樹は決して振り返らなかった。

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