6 ヴァルタの黒うさぎ

「うさっち!?」


 突然の出来事に、夏樹は目を見開いた。

 うさっちのいたはずの場所に、ぐいっと手を伸ばしてみるも、何も掴めない。


「な、何……。何が起こったの!?」


 夏樹はわなわなと空中で手を震わせ、何も残されていない空間を、茫然と見つめる。


 ガサガサッ……。


 大きな物音が聞こえ、ハッとして夏樹は目線を藪に戻した。

 眼前には、一羽の黒いうさぎが佇んでいる。


「う、うさぎ……? うさっちじゃ、ないよね……」


 うさっちは全身、曇りのない純白。逆に、眼前のうさぎは、漆黒だ。

 黒うさぎは飛び跳ねると、ちょんっと夏樹の真正面に着地した。


「き、君は……? うさっち?」


 黒うさぎは首を左右に振った。どうやら、人語がわかるようだ。


 ――この知能……、誰かの使い魔?


 ユウトは子狸を使い魔にしているので違う。他の知り合いにも、黒うさぎを使い魔にしている人物はいなかったはずだ。


 ――悪意がなさそうにも見えるけど、魔獣の可能性もある。油断はできないな。


 夏樹は懐から《爆裂石・中》を取り出し、左手でしっかりと握りしめた。怪しいそぶりが見えたら、即投げつけるつもりだ。


 ――ここで魔獣の追加なんて、勘弁してくれよ。どうか、誰かの使い魔が、斥候に出てきているだけでありますように……。


 油断なく黒うさぎを見つめながら、夏樹は祈った。

 黒うさぎはちょこんと首を傾げると、さらに夏樹に近づき、ほぼ足元まで寄ってきた。


「お前……、魔獣じゃないのか?」


 黒うさぎはうなずくと、おずおずと右前脚を差し出してきた。


 ――手を……いや、脚を取れっていいたいのか?


 くりっとした瞳を輝かせながら、黒うさぎはじいっと夏樹を見つめている。


 ――どう見ても、悪意はない。むしろ、友好的に見える。


 夏樹はゴクリとつばを飲み込んだ。

 膝をつき、視線を黒うさぎの前脚に向ける。


「えっと。この前脚を握れってことで、いいの?」


 黒うさぎは首肯する。

 夏樹は一瞬躊躇した。

 ふうっと大きく息を吐きだすと、意を決して手を差し出す。

 思い切って、きゅっと前脚を握り締めた。刹那、ぱあっと周囲に白くまばゆい光が立ち込めた。あまりのまぶしさに、思わず目を閉じる。


 ――なんだなんだ、何が起こった?


 事態に頭がついてこず、夏樹は混乱する。

 視覚を守るためにも、しばらく目をつむり続けた。

 やがて光が収まったと感じた夏樹は、そろそろと目を開く。

 すると――。


『この動物を、使い魔に設定しますか? Yes / No』


 眼前にでかでかとシステムウィンドウが現れた。 


「え? な、何よこれ!」


 突然現れたメッセージに、夏樹は目を丸くした。

 使い魔は、一人のプレイヤーにつき、原則一匹だ。複数は持てない。

 たいていのプレイヤーたちは、初ログイン後に初心者用の街へ向かい、そこの使い魔専門のペットショップから、自身に合った使い魔を選択する。

 今夏樹の目の前に現れている選択ウィンドウは、そのペットショップで使い魔を選んだ際に表示されるものと、まったく同一だった。

 夏帆の残した動画にも残っていたので、夏樹も見知っている。


 ――これ、《Yes》を選択したら、うさっちが消えちゃうんじゃないのか?


 使い魔のシステムを考えれば、新たな契約で上書きされ、元々のうさっちとの使い魔契約が破棄される可能性が高そうだ。

 夏帆の選んだうさっちを、夏樹の勝手な判断で捨てるなんて、できるはずがない。それに、今はもう、夏樹とうさっちとの間にも、強い絆が生じている。


 ――ここはもちろん、《No》を選ぶべきだよな……。


 夏樹は人差し指でメニューを操作し、《No》を選ぼうとした。

 すると、黒うさぎが夏樹のワンピースの裾をぐいぐいと引っ張ってきた。


「ちょ、や、やめてよ!」


 生地がちぎれんばかりの勢いで引っ張る黒うさぎに、夏樹はたまらず声を上げた。

 黒うさぎは必死に首を左右に振っている。


「もしかして、《No》を選ぶなって言いたいの?」


 夏樹の問いに、黒うさぎはこくこくとうなずく。


 ――どういうことだ? 《Yes》を選んじゃうと、うさっちとお別れになっちゃうんじゃないのか?


 夏樹は悩んだ。

 目の前の黒うさぎが、夏樹に嫌がらせを企んでいるとは、思えない。

 どちらを選ぶべきか、逡巡した。


 ――とりあえず、頭の動きで『はい』と『いいえ』はわかるし、もう少しこの黒うさぎから情報を引き出すか……。


 あまり時間はない。だが、ここは慎重に事を運ぶ必要がありそうだ。


「君と契約を結んじゃうと、元々の契約のうさっちと、お別れすることになっちゃうよね。私、それはイヤだなぁ」


 黒うさぎのくりっとした瞳を見つめながら、今夏樹が抱いている考えをぶつけてみた。

 黒うさぎはぶんぶんと首を左右に振る。つまり、答えは否。

 黒うさぎと契約を結んでも、うさっちとの契約が解除されるわけではないと、言いたいのだろう。


「信じてもいいの? 使い魔って、一匹しか持ていないって聞いてるよ?」


 黒うさぎは反対の前脚も持ち上げて、両前脚で夏樹の手をぎゅっと握りしめた。

 つぶらな瞳が、自分を信じてくれと言っているように見える。


 ――いいのか? 本当に、《Yes》を選択して問題はないのか?


 夏樹は、胸が締め付けられる思いだった。

 とその時、視界の端のマップ表示に、大きな動きがみられた。

 エネミー表示の赤が動き出している。《スネア》の効果が切れ、魔獣が動き出した証左だ。

 いい加減、決断をしなければいけない。

 このまま、ここに留まっていては危険だ。

 かといって、うさっちが原因不明のまま、召還されてしまっている。精霊術が使えないと、この先心細い。


 ――ええい、ままよ!


 夏樹はやけくそになり、《Yes》を選択した。

 すると、システムからピーピーと音が鳴り響き、黒うさぎとともに光に包まれた。


『使い魔の登録をしました。名前を決めてください』


 ぽんっとシステムウィンドウが開き、名前入力欄が現れた。これも、夏帆の動画で見たものと同様だ。

 空中に浮かぶキーボードからの入力でも、音声での入力でも、きちんと認識される。

 夏樹は少し考えこみ、浮かんだ名前をキーボード経由で入力した。


「名前は……《クラリク》だ!」


 入力が済むや、光がぱぁっと消滅した。


「新たなご主人、よろしくな!」


 黒うさぎ――クラリクは、嬉しそうに鳴いた。

 夏樹は念のため、システムコンソールから使い魔の項目を確認した。

 見ると、登録使い魔に《うさっち》と《クラリク》の、二つの名前があった。二羽とも、正常に使い魔登録されたようだ。


 ――皆が知らないだけで、複数の使い魔を持つ手段があるのかもしれない。今の僕みたいに……。表示がバグってない点から見ても、あらかじめ、システムで用意されていたっぽい感じだな。


 夏樹は腕組みをし、今の謎の現象について思いを巡らせた。

 とそこに、クラリクからの大声が飛んだ。


「ご主人、追われているんだろ? 今すぐに、オレを憑依するんだ!」


 ハッとして、夏樹は目の前のクラリクに視線を遣った。

 突飛もない事態に翻弄され、今の危機的状況をすっかり失念していた。


「よし、憑依するよ!」


 夏樹は両手を広げ、天に掲げた。

 だが、そこではたと気が付いた。


「あれ? 君ってもしかして、雄?」


「あたりまえだろ。オレは雄だぞ?」


 クラリクの返事に、夏樹は固まった。

 本来、使い魔と主人は、雌雄が一致していないと融合ができない。

《ナツキ》の身体は女性だ。一方で、クラリクは雄……。これではシステム上、憑依精霊術が使えないのではないか。


「このまま憑依精霊術を使おうとしても、融合できないんじゃないかなぁ」


「知らん! いいからやってみろ!」


 クラリクはそう強弁しているが、無理やり術を使ってもいいものなのだろうか。

 使い魔登録はきちんとされている。その点は問題がない。だが、性別の不一致だけは、いかんともしがたい気がした。


「急がないと、取り返しがつかなくなるぞ!」


 マップ表示での赤の点が、どんどん近づいてくる。確かに、今憑依精霊術を使わないと、どうにもならない状況に陥りかねない。

 夏樹はぎゅっと唇をかみしめた。


 ――元々、ヘッドギアをつけてプレイをしている生身の僕は、男だ。クラリクと雌雄が一致する。……その点に、賭けるしかない!


 夏樹は決意を固めた。

 クラリクを、信じると。

 きっと、問題なく憑依は成功するはずだと。


「《憑依精霊術》!」


 夏樹は声高に術名を叫ぶと、両腕を天に掲げた――。

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