3 はじめての魔獣

「いけないぴょんっ! 魔獣の気配だぴょんっ!」


 うさっちの警告が飛んだ。

 夏樹はすぐさま腰を落として、周囲を油断なく見渡す。


 がさがさっ……。


 草をかき分ける音が強くなったところで、狼のような魔獣が一体、その姿を現した。


「グルルルルルッッッ!」


 狼は唸りながら、夏樹たちの元に寄ってきた。


「ご主人様、精霊術だぴょん!」


「うん、わかってる! いくよ、うさっち!」


 夏樹はうなずきながら、両手を広げて天に掲げた。


「《憑依精霊術》!」


 スキル名を声高に叫ぶと、夏樹とうさっちの身体が、白い光で包まれる。

 しかし、その瞬間――。


「えっ!?」


 不意に光が消滅し、眼前に赤い警告表示が現れた。


『ログインに問題があったため、一定時間、各種能力に制限がかかっています』


 どうやら、ログイン時の認証エラーで、アカウントに軽いロックがかかっていたらしい。しかし、どうにもタイミングが悪い。


 ――まじかよ! これじゃ、精霊術が使えないし、魔獣と戦うなんて無理だぞ!


 後衛型の《精霊使い》なので、使い魔と融合して精霊術を使わなければ、たとえレベル二十五の《ナツキ》であっても、身体能力はただの村人同然の能力しか発揮できない。

 武器も杖なので、肉弾戦を挑もうにも、勝ち目があるようには見えなかった。


「ご主人様、どうしたぴょん?」


 うさっちが慌てた様子で、夏樹の周りをぴょんぴょんと飛び回り始めた。


「まずいよ、うさっち。システムの制限で、今、《憑依精霊術》が使えないっぽいよ!」


「ぴょんっ!」


 うさっちは身体をビクッと振るわせ、素っ頓狂な鳴き声を上げた。


 ――一定時間って言ってるから、いずれは制限も解除されるんだろうけど……。あの魔獣が、待ってくれるはずもないよな。


 夏樹は杖をぎゅっと握りしめた。手汗がジワリと染み出て、滑りそうになる。

 狼は夏樹たちの動揺などいざ知らず、じりじりとにじり寄ってくる。


「ガルルルルルッ……」


 口元からだらしなく唾液を垂らしながら、狼は夏樹の顔をじいっと睨みつけていた。

 悪臭と雑菌にまみれているだろう唾液を見て、夏樹は背筋がぞくりとする。


 ――ヤバイ、ヤバいぞ。こんなところで、デスペナなんて食らいたくない。


 夏帆がどこで位置セーブを取っていたかがわからない。

 死んだら位置セーブをした場所へ飛ばされるのだが、その場所が、ここからはるかに離れた場所だったとしたら……。

 大まかな地理は、チュートリアルで頭に入れている。とはいえ、まだまだ操作にも不慣れだ。短時間でこの場所に戻ってこられる保証はない。

 時間がかかれば、だれか他のキャラクターに、デスペナルティーで失ったドロップアイテムを、拾われてしまってもおかしくはない。


 ――アイテムの精査もできていないところで、夏帆の持ち物を、失いたくなんかないっ!


 ここは逃げを打つしかないだろうと、夏樹は周囲を窺った。

 狼は一匹。今立っている場所は、障害物もほとんどない草原の真っただ中。


 ――逃げ切れる気が、しない……!


 夏樹は後ずさりをしながら、狼と距離をとろうとした。

 トンッ。

 背中に何かが当たった。

 ちらりと一瞥すると、先ほどまで寄りかかって寝そべっていた、木の幹だった。

 後がなくなった。このままでは、喉笛を掻っ切られて、絶命する未来しか見えない。


 ――ちくしょう! いきなりピンチかよ!


 夏樹は必死に打開策を探し続けた。


「ご主人様、いったん木の上に逃げるぴょんっ!」


 うさっちからの助言に、夏樹は素直に従った。

 勢い良く幹に取り付くと、そのままするすると登っていく。

 この世界のあれやこれやは、うさっちのほうがよくわかっている。ログインして一時間にも満たない夏樹が、足りない知識で下手な考えをするよりは、よほど信頼ができるはずだ。

 木の中段あたりまで登ったところで、太めの枝に腰を落ち着けた。うさっちもするすると後を伝ってよじ登り、夏樹の太ももの上にちょこんと座る。

 褒めてと言わんばかりに、うさっちが顔を擦り付けてくる。夏樹は微笑を浮かべながら、優しく頭を撫でてやった。

 ワンピース姿で登るのは少々骨が折れたが、夏樹の幼いころの経験が生きた。伊達に、夏帆のヒーローはやっていなかった。木登りだって経験済みだ。

 あまり下から覗かれたくはない体勢だが、今この場所にいるのは魔獣のみ。特段の問題はないだろう。


「さて、どうしたらいいかな。うさっち、何か妙案はない?」


「《憑依精霊術》が使えないと、あちしも力を発揮できないぴょん……」


「むぅ……」


 悲しげに鳴くうさっちの言葉に、夏樹は頭を掻いた。

 困った。

 身体能力で敵わない以上、このまま魔獣があきらめてくれるのを、樹上で待つしかないのかもしれない。

 システムの制約から、何者かにターゲットにされている状態で強制的にログアウトすると、自動的にデスペナルティーが課される。

 何もせずにアイテムを失うのは、さすがに勘弁願いたかった。


「このままここで、夜明かしするしかないのかなぁ」


 夏樹はため息をつきながら、樹下で唸り声を上げる狼に視線を遣った。

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