4 少女リリア
日が暮れてきた。
遠くに見える山際が、真っ赤に染まっている。
地表では相変わらず狼が、唸り声を上げながら、木の幹の周りをうろうろしていた。
「えー……、冗談抜きで、夜明かしなのぉ?」
夏樹はうんざりしながらつぶやいた。
「ご主人様、まだ制限は解除されないぴょん?」
「あ、そういえば!」
すっかり忘れていた。夏樹は素早くシステムコンソールを開き、確認する。
「あっちゃー。まだダメだよ、うさっち」
「ぴょん……」
夏樹が頭を振ると、うさっちはがっくりと首を垂れた。
ステータス欄の隅に、バッドステータスとして、『精霊術制限』と赤字の表示がされている。効果時間がわからないため、いつまで待てばよいのかが不明だ。
――まいったな。ログアウトもできないし、いきなり、とんだクソゲーをつかまされた気分だぞ……。
とそこに、システム音がポーンと鳴り響いた。
「ん? なんだろ?」
聞き慣れない音に、夏樹は首を傾げた。
「その音は、フレンドからの通信だぴょん! ……ご主人様、忘れちゃったのかぴょん?」
「え? あはは……。そうだったね」
うさっちからのツッコミに、夏樹は頭を掻きながらごまかした。
――あっぶねー。また、うっかりとぼろを出すところだった。いちいち驚いていちゃ、ダメだな。
夏樹は少し顔をうつむけて、片手を胸の前に当てた。
しっかりと自分に言い聞かせるように、冷静になれ、冷静になれ、と心の中でつぶやく。
「確認しなくてもいいぴょん?」
「あっと、そうだね。誰からだろ?」
フレンドリストを開き、対象を確認する。
――ええっと……。《リリア》か。確か、パーティーメンバーの、例の黒猫耳の娘だったはず。
夏樹はリストから《リリア》を選択し、通信を許可しようとした。
そこで、ふと指が止まった。
――あれから、いろいろとリリアの情報は収集した。でも、今の僕に、はたしてまともな会話のキャッチボールが、できるのか?
ぼっち生活も、もう五年になる。まともに付き合ってきた同年代は、夏帆だけだ。
夏樹は両手をぎゅっと握りしめた。じわりと汗が染み出る。
――本当に、僕なんかが、夏帆の代わりを演じてもいいのか?
胸が苦しい。すぐにもログアウトして、逃げ出したい衝動に駆られる。
「ご主人様?」
動きを止めた夏樹を不審に思ったのか、うさっちが顔を覗き込んできた。
――いや、ダメだ。ここで逃げたら、夏帆の願いを、いつまでたっても果たしてやれない!
夏樹は腹を決め、指を動かした。
『ナツキちゃん、ナツキちゃん! 久しぶりじゃない!』
耳がキーンとなるほどの甲高い声で、リリアはしゃべりかけてきた。
『どうしたのよ、一週間も! 私、待っていたんだよ?』
嵐のように一方的に話しかけるリリアに、夏樹は圧倒される。
――えーっ、これが本物の《リリア》か? 動画でのイメージと、だいぶ違うぞ……。
動画上では、物静かですごく大人びた少女に見えた。ところが、実際はどうだ。夏帆以上にやかましい。
「えへへ。ちょっち、リアルでゴタゴタがあってね。ごめん、リリアちゃん!」
理由は適当にぼかしつつ、リリアに答えた。
『まぁ、リアルが忙しかったのなら、仕方がないよね。でも、一言も断りがなかった点に、私はプンプンなんだよっ!』
拗ねるような声で、リリアは夏樹を叱責する。
「うぅ、本当にごめんよぉ。急な用事だったんだ」
『……なーんてね。私とナツキちゃんとの仲だもの。気にしてないわ』
一転、リリアは口調を戻した。
『また、接続してくれて、ありがと』
甘ったるい声だった。
……ふと、以前に動画で見た、夏帆とリリアとの初対面のシーンを思い出す。あの時、リリアが夏帆に耳元でささやいた時の声色と、同じような印象を受けた。
夏樹は少し、顔に熱を感じた。
「こっちこそ、待っていてくれてありがと……」
熱さを振り払おうと、夏樹はぶんぶんと頭を振りながら、礼を口にした。
『うふふ、どういたしまして』
満足げに、リリアは声を返した。
しばし、沈黙が流れた――。
『話は変わるけれど、今どこにいるの?』
静寂を破り、リリアが尋ねてきた。
「えぇっとね、今――」
夏樹は現状を説明した。
草原にログインしたところで、狼型の魔獣に襲われ、木の上に避難をしたこと。システム上の制約を受け、《憑依精霊術》が使えないこと。使い魔と融合ができないため、魔獣と戦う術がなく、木から降りられないこと。
『えぇー? 精霊術が使えないって、ほんと?』
リリアの大声に、うさっちが身体をぴくっと震わせ、夏樹から少し離れた。うさっちは、見事な耳を持っているだけあって、聴覚が人間より優れている。
おそらく、耳に痛かったのだろう。
「ほんとなんだよー。で、悪いんだけど――」
『皆まで言わなくても大丈夫! お姉さんに任せなさいっ!』
救援を頼もうとするや、リリアは言葉をさえぎって、自信満々に答えた。胸を叩くドンッという音まで、漏れてくる。
「うぅ、本当に、助かります」
夏樹は頭を下げつつ、感謝の意を述べた。
『ちょっと待っててねー。たぶん三十分くらいで行けるはず。あ、《ユウト》の奴も、一緒に連れていくからっ』
うきうきとした声でリリアは答えると、そのまま通信を切った。
最後に、《ユウト》の名が出てきた。
動画内で、いつも夏帆やリリアと一緒にいた、狸のしっぽをくっつけた《剣士》だ。
鎖帷子の上に金属製のブレストアーマーを身につけ、長剣と丸い中型盾を装備している、短髪黒髪の少年。
顔は……中性的な夏樹とは完全に別系統な、男の子らしい美形だった。
どうやらいきなり、夏帆の想い人と思われる人物と、出会うことになりそうだ。
――動画ではキザったらしい、カッコつけタイプに見えたけど……。夏帆が気になっていたくらいなんだし、実際は違うのかもなぁ。
夏樹は、先ほどのリリアとのやり取りを思い出す。
――リリアだって、大人っぽい女の子かと思ったら、全然違ったんだし。変な先入観は、持たないでおこう。夏帆の告白の言葉を伝えるのも、しっかりと相手を知ってからだな。
焦っても、ろくな目に遭わないだろう。慎重に事を進めなければと、夏樹は改めて心にとめた。
周囲はとうとう、闇に包まれた。
夏樹はアイテムインベントリからカンテラを選択し、明かりをともす。
「うさっち、これからリリアとユウトが、助けに来てくれるって。もうちょっと、我慢してね」
「了解ぴょん!」
そのまま、夏樹はうさっちを抱き締めつつ、リリアたちの到着を待った。
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