第四章 あの不埒なストーカーに怒りの鉄槌を

1 絆のペンダント

 ――うそだろ!?


 夏樹は目を見開いた。

 今、最も会いたくない人物が、目の前に現れた。

 慌ててマップ情報を確認するが、確かにストーカー接近を知らせる赤の三角表示が見える。

 システムの警告音も、しっかりと鳴り響いていた。

 ぼんやりと物思いにふけっていたために、完全に意識から抜け落ちていたようだ。


 ――バカバカバカ! 昨日の今日だろ! 街中だからって、警戒を緩めちゃダメじゃないかよ!


 自分の頭を、ぽかぽかと殴りたくなる。


 ――と、とにかく逃げないと。


 夏樹は走り去ろうと、もたれかかっていたフクロウのモニュメントから、身体を起こそうとした。

 だが、そうはさせじと、タカヤは夏樹の細腕を、がっちりと掴んできた。


「へっへっへ、今日は逃がさないぜぇ」


「やっ、めっ! 放してっ!」


 夏樹は腕をブンブンと上下に振って、掴まれた手を振りほどこうとした。

 だが、力が違いすぎて、とてもではないが剥がせそうにない。

 森の中での出来事を思い出し、全身が震える。

 ハッハッと必死で息を継ごうとするも、呼吸がどんどん浅くなっていき、苦しい。


「ご主人様を、放すんだぴょんっ!」


 うさっちが跳び上がり、タカヤの腕に噛みつこうとした。


「同じ手は食わねぇよ!」


 タカヤはニヤリと笑いながら、夏樹を掴む手とは反対の手で、うさっちの両耳を掴んだ。


「ぴょ、ぴょんっ!」


 うさっちは悲鳴を上げ、暴れまわる。

 だが、タカヤに耳を持たれたまま空中に持ち上げられ、前後の脚をむなしくばたつかせるだけに終わった。


「まぁ、そう興奮するなって」


 タカヤは夏樹の耳元に顔を持っていくと、ふぅっと息を吹きかけてきた。


 ゾクゾクゾクッ……。


 夏樹は、眩暈を催すほどの寒気に襲われた。

 イヤイヤをするように首を激しく横に振って、タカヤを拒絶しようとする。

 しかし、タカヤは夏樹を放そうとはしなかった。


「オレも、こんな人の往来の多いところで、何かをしようだなんて、思っちゃいねぇよ」


「な、なら、放してよ……」


 夏樹は涙声で訴えた。


「放したら、お前、逃げちまうだろ? まぁ、とにかく話だけでも聞けって」


 タカヤはにやついた表情を崩さぬまま、夏樹の腕を掴み続けた。


 ――くそっ、力が違いすぎる。おとなしく従うしか、ないのかよ……。


 夏樹はあきらめ、話を聞くことにした。


「最初っから、そう素直な態度を取ればいいんだよ」


「くっ!」


 憎きストーカーの言いなりになる屈辱に、夏樹は頬がカッと熱くなる。

 だが、今はどうすることもできない。


「じゃ、本題に入るぜ」


 タカヤは夏樹が逃げないように腕を掴みつつ、捕らえていたうさっちを解放して空いた手で、自分の胸元をまさぐりはじめた。

 服の中から、ひょいっと何かを取り出す。


「あっ!」


 夏樹は思わず声を上げた。


「へっへっへ、やっぱ見覚えがあるか。あたりだな」


 タカヤは舌なめずりをしながら、夏樹の目の前で何かをぶらんぶらんと振った。


 ――夏帆が大切にアイテム保護を掛けていた、あのハートのペンダント!? 嘘だろ、僕、無くしたつもりはないぞ!

 夏樹は慌ててアイテムインベントリを確認した。


 ――よかった、あるぞ! じゃあ、あのペンダントは?


 NPCの店にも普通に売られている、ありふれたペンダントだ。誰が持っていたところで、おかしなものでもない。

 だが、タカヤは夏樹に、これ見よがしに提示してきた。何らかのいわくがありそうだ。


「こいつはなぁ、あんたの固定パーティーメンバーの一人が、デスペナで落としたものだ。オレが拾ったのよ」


 タカヤはクックックッと忍び笑いを漏らす。


「なっ!」


 夏樹は絶句した。

 いったい誰の持ち物だろうかと、考えを巡らせる。


「いやぁ、あっちもいい女だったなぁ。ちょいと小柄だけど、なかなかの美人だ」


「まさかっ!」


 タカヤの話しぶりに該当するのは、間違いなくリリアだった。

 夏樹は思わず、天を仰いだ。


「相手は、お前が今考えているとおりだと思うぜぇ。リリアだったか?」


「お、おまえ! 私の仲間に手を出そうとしたのか!」


 夏樹はタカヤに顔を向けると、精いっぱいの虚勢を張り、怒鳴りつけた。


「あんたがさっさと、オレのものにならないのが悪いんだぜぇ」


 夏樹の勢いにも、タカヤはまったく動じない。にやけ顔をはりつけたままだ。


「そこで、だ。オレと取引をしないか?」


「取引だって? 何をバカな……」


「まぁ聞けって」


 タカヤは一つ咳払いをすると、続けた。


「オレは、このペンダントを返してやってもいいと思っている。正当にオレが入手したものなんだから、本来は返す義理なんてないんだぜ?」


「うっ」


 タカヤの言葉は、正論でもあった。夏樹は声を詰まらせる。

 別に、タカヤが脅迫や詐欺で奪ったものではない。単にリリアの後をつけ、デスペナルティーでドロップされたアイテムを拾っただけだ。

 後をつける行為が、迷惑行為に該当するほどひどいものでなければ、運営も何ら対処はしないだろう。マナーとしてはいかがなものかと思うが、規約で止められているわけでもない。

 確かに、タカヤが返す義理はなかった。


「取引はこうだ。あんたとオレで、PvPで戦う。あんたが勝ったら、ペンダントは返してやるよ。以後、オレはあんたに近づかない」


「……おまえが勝ったら?」


 夏樹が尋ねるや、タカヤはニヤリと下卑た笑いを浮かべた。


「もちろん、あんたがオレのものになれ」


 全身が震えた。ドキドキと、鼓動が早くなる。

 いまここで挑発に乗ってしまえば、今度こそ、タカヤに何をされるかわからない。まったく、馬鹿げた取引だった。

 普段の夏樹なら、相手にもせず、首を横に振るだけだ。

 しかし――。


 ――リリアを利用したのは、絶対に許せない!


 夏樹のせいで、リリアがペンダントを失ったともいえる。

 タカヤが夏樹に執着していなければ、リリアが後をつけられるような事態にはならなかったはずだ。デスペナルティーでドロップしたペンダントを、リリア自身で回収しなおすことも、できたかもしれない。

 大切な友人になりつつあるリリアのためにも、あえてタカヤの挑発に乗るべきではないか。ペンダントを取り返すべきではないか。

 夏樹は悩んだ。

 リリアへの想いと、タカヤへの恐怖と。夏樹の頭の中で、二つの感情がぐるぐるとせめぎ合う。

 夏樹は、タカヤに捕まれていない側の手でシステムコンソールを操作し、ペンダントをアイテムインベントリから取り出した。そのまま、ハート形のペンダントトップを、ぎゅっと握りしめる。


 ――ペンダントが、リリアにとって大切な物だった可能性も、かなり高い気がする。


 件のペンダントは、レベルが二十を超えたプレイヤーたちが持つようなアイテムではない。わざわざ持ち歩いていたのは、それなりの理由があってのことだと、容易に推測が立つ。

 夏帆のようにアイテム保護をかけられなかったのは、個数の制限のためだろうか。プレイヤーたちは、多かれ少なかれ、そういった無くしたくない物でも、保護を掛けきれずに失う経験をするものだった。

 夏帆とお揃いな点からみても、夏樹の知らないところで、夏帆とリリアはペンダントを通して、何らかの誓いでも立てていたのだろう。

 単に、仲がいいからお揃いのものを持つ、といった考えもなくはない。

 しかし、それにしては、他のメイン装備品を除外してまで、ペンダントに保護を掛けていた夏帆の行動は、不自然極まりない。店で簡単に買えるものなので、無くしたなら、すぐに買い直せばいいだけなのだから。

 だが、失ったら簡単には取り戻せない何らかの願掛けを、そのペンダントに託していたと考えれば、納得もいく。

 暖かな風が、ふわりと夏樹の頬を撫でた。

 瞬間、なぜだか、夏帆の声が聞こえた気がする。「がんばれ夏樹! 自分の心に負けちゃダメ!」と。

 夏樹は慌てて、握りしめていたペンダントトップを見つめた。恐怖に負けそうになっていた夏樹を、夏帆が励まそうとしてくれたのだろうか。

 勇気をもらえた気がした。頭の中で幾度となくせめぎ合っていた、リリアへの親愛とタカヤへの恐怖も、最後には、リリアへの親愛が勝利を収めた。


 ――夏帆とリリアの想いを弄ぶなんて、許せない……!


 夏樹は唇をぎゅっと噛み、タカヤを睨みつけた。


「おぉ、怖……」


 夏樹の視線にもまったくひるまず、タカヤはおどけたように口にする。


「いいわ! 受けて立とうじゃないの!」


「へっへ、いい返事だねぇ。じゃ、さっそくPvPフィールドへ行くぞ。選ぶフィールドは、《ヴァルタ》でいいな?」


 夏樹はうなずいた。

 PvPフィールドは各街に用意されており、いくつかの選択肢の中から選べる。

 ここヴァルタの街には、無人のヴァルタの街を再現した《ヴァルタ》、ユウトとソロ狩りをした街の北の深い森から、魔獣のみを除去した《大森林》、ヴァルタの地下を迷路のように巡る水路を再現した《地下水路》の三つがあった。

 このなかで、木々や迷路などの環境的な妨害要素のない《ヴァルタ》が、最も癖がない無難なフィールドだった。

 街外れの闘技場内に、PvPフィールドへ移動するための転移ポータルがある。

 夏樹はタカヤの後に付き、闘技場に向かった。

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