4 誓い
しばらくの間、天井を見上げて、泣き腫らした。
少し落ち着いたところで、右手の袖で涙をぬぐい、再び日記帳に目を落とした。
日記帳の最近の部分には、件のMOTSに関する話題が書かれていた。
初めてログインした時の感激。パーティーメンバー募集に応募し、強敵を倒した時の喜び。どうすればより強くなれ、パーティーに貢献できるようになるかの悩み。
夏帆がMOTSにのめり込んでいく様子が、文面からよく分かった。仲間との交流の喜びも、あちこちにちりばめられていた。
このような、みんなと協力し合う喜びを感じてもらいたいとの一心で、夏帆は強引にゲームに誘おうとしていたのだろう。今なら、はっきりとわかる。
続けてページをめくろうとした時、指に何かが引っかかったのに気が付いた。よくよく見ると、ページの端に、小さいメモリーカードが丁寧に張り付けてあった。
ゆっくりと紙から剥がして、タブレット端末にカードを差した。
すると、一本の動画が自動で流れ出した。MOTS内のプレイの様子を編集したもののようだ。
パーティーメンバーとの狩りの様子や、ゲーム内の観光地と思しき所での記念撮影、街中での日常の一コマ。どの場面でも、夏帆は満面の笑みを浮かべている。
夏樹はふと、気が付いた。夏帆の映るほとんどの場面で、特定の二人のキャラクターも、必ず映っている事実に。
一人は少年だ。以前夏帆に見せられた動画の中では、狸のしっぽを身にまといながら、魔獣を囲い込む役目を担っていたはず。
もう一人は少女。夏樹が目を惹かれた、黒猫耳をくっつけた水色のローブ姿の精霊使いだ。
動画の様子から、夏帆はこの二人と特に仲が良かったのだろうと、推察できた。
夏樹はいくつかの動画のシーンの中でも、この二人と夏帆との初対面のシーンが、特に印象に残った。
動画の中で、夏帆はまず、笑みを浮かべながら手を差し出す狸のしっぽの少年と、硬く握手を交わした。
少年の、「君は、オレがきっと守ってみせるぜ」というキザったらしい言葉に対し、夏帆は「えへへ、ありがとっ」と弾んだ声で返している。
一方で、黒猫耳のローブの少女とは、軽く抱擁を交わした。
ローブの少女が、「私たちと一緒に、ともに命を懸けて戦ってくれませんか?」と、夏帆の耳元に口を寄せ、甘くささやけば、夏帆はお返しとばかりに、抱擁を交わす手に力をこめて、ぎゅっと抱きしめる。
ローブの少女が浮かべる夏帆への満足げな笑顔が、夏樹にはとてもまぶしく映った。
メモリーカードに入っていた動画を一通り見終えた夏樹は、さらに日記を読み進めた。
日記には、夏帆の恋の悩みらしきものまで残されていた。
特定の名前の記述はなかったが、夏帆はたびたび、ある人物に対して、いつか告白をしたいと書き残している。現実では成しえない恋だけれど、ゲームでならばきっと成就できる、と熱っぽく語られていた。
最新のページまで読み進めたところで、夏樹ははたと考え込んだ。
そのページには、とうとう告白ができるという、喜びと緊張にあふれた夏帆の想いが綴られていた。丁寧に、告白のための台詞まで、きっちりと残されている。
ゲーム内は、体感時間が大幅に引き延ばされていると、以前夏帆が言っていた。
このため、ゲーム発売からわずか一週間の段階で、もうすでに夏帆は、数か月を過ごしたと感じられるだけの体験を、ゲーム内でしていた。
人を激しく好きになっても、おかしくはないだけの時間が経過している。想いがあふれてきて、止められなくなったのだろう。
――もしかして、掃除当番を代わってほしいって頼まれた時に夏帆が言った、ゲーム内で人に会う予定っていうのは……。
夏樹は口元に手を当てながら、ふうっと息を吐きだした。
――十中八九、この告白をしようとした人物との待ち合わせ、だな……。
動画の内容を思い返しながら、夏樹は思った。
あちこちの場面で、夏帆と一緒に映っていた、狸のしっぽの少年……。きっと、あの少年が、夏帆の想い人だったに違いない。
事故がなければ、夏帆はこの少年に、日記帳で綴られていた言葉で、熱い想いを告げたのだろう。
――ごめんな、夏帆。バカな兄ちゃんのせいで、お前の幸せ、奪っちまった……。
夏樹はがくりと肩を落とし、うなだれた。
うつむいた瞬間、床に置かれた件のヘッドギアが、視界に飛び込んできた。先ほど、床に叩きつけようとして、結局できずに放置したままになっている。
夏樹は中腰になり、ヘッドギアを手に取った。
――僕は……。
夏帆の日記を目にして、夏樹の心は揺れ動いていた。
昔の夏樹に戻ってほしいと願う気持ち。好きになった相手へ、恥ずかしながらも告白をしようと決意する勇気。
これらの、夏帆が心に秘めていた想いを、夏樹は知ってしまった。
――僕は、こいつを、プレイすべきなのか?
握りしめるヘッドギアを、じいっと見つめた。
夏帆の望んだように、ゲームをプレイしながら、小さいころの夏樹に戻れるよう、対人関係の意識改革を図るべきだろうか。
また、夏帆が好きになった相手に、日記帳に残された告白の言葉を、伝えるべきだろうか。
――なにより、僕がもう一度、夏帆に会いたい……。
事故のあった日、夏帆に冷たい態度を取ったまま別れたという罪悪感と、心の整理がつかず、葬儀での最期の別れを、きちんと受け入れられなかった後悔と。
――夏帆のアカウントでログインすれば、もう一度会える……。
髪型などの細かい点を除けば、ゲーム内アバターはリアルとまったく同じはず。ゲームに飛び込めば、夏帆に会えるのだ。
――そして、夏帆の願いを、僕が代わりに……!
人と関わり合いになりたくないという心の傷なんて、気にしている場合ではないと、夏樹は思った。
夏帆の兄妹愛にも気づかなかった自分の愚かさを、嘆いてばかりではいけない。いつか自分が死んだときに、あの世で夏帆に笑われないように、兄としての務めを果たさねばならない。
夏樹は、決意をした。
ゲームで夏帆となり、夏帆が好きになった相手に、夏帆の告白の言葉をきちんと伝えようと。
夏帆自身の身体でもって、夏帆が告白しようと思っていたとおりの言葉を使って、ありのままを伝えなければ、意味がない。夏帆が果たせなかった想いを、夏樹が代わりに果たしてみせる。
今まで女扱いされるのを嫌っていたのに、はたして夏帆を――女を演じていくことを許せるのかという不安もあった。だが、それでもやらなければいけない。
夏樹から嫌われるかもしれないとの不安を恐れずに、献身的に夏樹の身を案じてくれた、夏帆のこれまでの無私の愛を思えば、今度は、そのもらった愛を、夏樹自身が夏帆に返す番だ。
自己満足だと笑われるかもしれない。だが、これ以外に、夏樹は夏帆に対する罪を償うべき術を、思いつかなかった。
夏樹は、覚悟を決めた。
ゲームを通じて、夏帆が追い求めてやまなかった、幼き日の夏樹自身を取り戻してみせようと。
夏帆のあこがれたヒーローとしての夏樹を、ゲームの中で再び見出してみせる。心をえぐり取ろうとする悲しい過去とは、もう決別しなければならない。
夏樹はヘッドギアを持ち上げて、目の前に持ってきた。ゆっくりと頭に装着し、電源ボタンを押下する。
瞬間、機械からの警告音が響き渡った。意識がVRに取り込まれるので、リラックスできる体勢を取るようにとの注意だ。
夏樹は夏帆のベッドに横たわると、警告を解除する。刹那、視界が暗転した。
暗転した視界の中に、操作メニューが表示された。
どうやら、意識で自在にカーソルを動かせるようだ。どのような機能があるのかをさっと確かめた。
ログイン、ゲームチュートリアル、保存した動画・画像の確認、フレンドリスト、メッセージ機能などなど……。
夏樹はMOTSについて、ろくに知識がなかった。
これから、夏帆になりきってゲームを進めていかなければならない。
スムーズに世界に入り込むためにも、ソフトに付属しているチュートリアルをしっかりとやりこみ、必要な知識を得る必要があった。
また、実際にプレイをするのは夏樹とはいえ、夏帆のキャラクターアバターを操作するのであれば、ゲームの性質上、MOTS内のフレンドたちはそのアバターを、夏帆本人だと思うはずだ。
夏帆を演じようと決意した手前、早々にぼろを出すわけにもいかない。
チュートリアルに加えて、ヘッドギア内のメモリに残されている動画や画像を、きっちりと確認しつくした。できるだけ多くの対人関係を、頭に叩き込んだ。
もちろん、把握しきれない情報も多い。そこは、うまくごまかしていくしかないだろう。
それから一日かけて、夏樹は必要な知識を頭に詰め込んでいった。
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