3 魔獣とダンス

 夏樹は用心深く、眼前の木々の様子を窺った。

 いつ魔獣が飛び出してくるかわからない。《大樹の杖》を握り締めつつ、腰を落として警戒する。


「うさっち、魔獣は何匹いるかな?」


「おそらく、単体ぴょん!」


 うさっちの聴覚は、非常に頼りになる。見立てに間違いはないだろう。

 マップ情報にも、エネミーの表示はされる。だが、その詳しい数まではわからなかった。

 接敵前にきちんとした情報を得るには、《盗賊》クラスに斥候役をしてもらうか、感覚の優れた使い魔に探ってもらう以外ない。


「私たちだけで、勝てると思う?」


 どんな答えが返ってくるかは予測がつくが、念のため、うさっちに見込みを確認した。


「……ご主人様、ごめんだぴょん。正直言って、無理だと思うぴょん」


「そうだよねぇ……」


 やはり、絶望的なようだ。

 いくらこの周辺の魔獣が低レベルとはいっても、攻撃手段の乏しい夏樹では、どうこうできるはずもなかった。

 魔獣を倒して事態を打開しようとは、考えないほうがよさそうだ。


「さて、どうしようか」


「このまま、別な方角に逃げるぴょん?」


「それが、無難だよねぇ……」


 戦っても勝てる見込みがない以上、逃げる以外に手はない。正面は魔獣、背後はストーカー男。となれば、残るは、右か左の二択だ。

 できれば、ヴァルタの街に近づく方向を選びたい。


「ぴょんっ!」


 とその時、うさっちが耳をピンっと立てて、鳴き声を上げた。

 正面の藪がガサゴソと音を立てながらうごめき、間からにゅっと何かが出てきた。


「まずいっ、距離を詰められちゃった!?」


 現れたのは、間違いなく魔獣だ。マップ表示にも、エネミーの赤印が表示されている。

 目視できる範囲にまで接近されては、すんなりと迂回はできない。

 夏樹は覚悟を決めると、両手を広げて天に掲げた。


「《憑依精霊術》!」


 掛け声とともに、うさっちと融合した。

 眼前では、魔獣がその姿を完全に晒した。


「猪型の魔獣! さすがにこれは、逃げ切れないかなぁ……」


 猪よりも敏捷性に優れるうさぎを使い魔として憑依しているため、夏樹自身の敏捷性も大幅に増している。

 だが、そもそも、《精霊使い》のクラス自体、敏捷性が他よりも大きく劣っていた。元が低い以上、大幅にステータスが増したところで、素の他職並みか、それよりもやや良い程度の値になっているにすぎない。

 加えて、森の中という、人間には不利な条件まである。

 猪と競争をして、勝てるはずもなかった。


 ――ここで、下手に精霊術を使って失敗したら、リキャストタイムでボコボコにされそうだ……。どうするかなぁ。


 精霊術で打開するにしても、術の選択と使用タイミングをきっちりと計らないと、自滅しかねない。

 夏樹はアイテムインベントリをざっと確認する。

 リキャストタイム中にソロで戦えるだけのマジックアイテムは、用意していなかった。


「前衛のまねごとなんて、さすがに無理だよね。また《スネア》で動きを止めて、逃げるしかなさそう」


 手持ちのカードを考えると、先ほどタカヤ相手に仕掛けた足止め作戦が、最も逃げ切れる確率が高そうだと、夏樹は結論付けた。

 精神を集中し、精霊術の準備をした。しかし――。


「うわっ!?」


 猪が突進をしてきた。夏樹は声を上げながら、どうにか左に避ける。

 猪はすぐさま反転し、再び突進をしようと、前脚をブンブンと振っている。


「うぅー、まずいよー。精霊術を使う余裕もない……」


 このままでは、《スネア》のキャストタイムを確保するのも難しかった。

 猪は鼻息荒く、ギロリと夏樹を睨んでいる。


「く、来るなら来いっ!」


 夏樹は全身に力をこめ、いつでも回避ができるように構えた。

 同時に、アイテムインベントリから《爆裂石・中》を一個、取り出す。


「ブホォッ!?」


 猪は怒声を発すると、夏樹に向かって一直線に突っ込んできた。


「ほらっ! これでも食らいなさい!」


 猪の真正面に《爆裂石・中》を放り投げると、夏樹はすぐさま右に、身体を投げ出した。

 瞬間、大きな破裂音とともに、砂煙がもうもうと舞い上がった。

 猪は悲鳴を上げて、後ずさる。

 物理攻撃無効の霊素被膜を剥がしているわけではないので、大したダメージは与えられていないはず。今のは、単なる目くらましだった。


 ――この隙に、いったん木の上に……。


 夏樹は周囲の木々を見回し、登れそうなものを探す。

 猪なら、木には登れないはずだ。樹上で時間を稼ぎ、《スネア》のキャストタイムを確保したい。

 手ごろな木を見繕い、夏樹は素早く登攀体勢を取った。


「ブモオオッ!」


 しかし、思いのほか早く、猪が正気を取り戻した。

 夏樹が木に登ろうとする様子を見つけ、再び突進しようと構える。そのまま、前脚で地面を激しく蹴りだした。


「いやっ! 来るなーっ!」


 夏樹は叫んだ。

 すでに、最初の大きな枝に、どうにか手を掛けられる高さまで登っていた。しかし、まだまだ状態は不安定。ここで木に突進されては、衝撃で落下しかねなかった。

 夏樹は耐えようと、全身に力をこめる。

 激しい衝撃音とともに、木がゆさゆさと揺れた。


「くぅぅっ!」


 必死に木の幹にしがみつき、振り落とされないように耐える。


「あっ!?」


 しかし、にじみ出てきた汗で滑り、夏樹は樹下にすべり落ちた。

 そのまま、直下の猪の胴体に直撃する。


「ぐっ!」


「ブホォォォッ!」


 猪も、真上に夏樹が落下してくるのは想定外だったようだ。

 慌てて夏樹を振り落とすと、激しく鳴き声を上げながら、木から離れていった。

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