第10話 編直し

 人が、同じ過ちを繰り返すと言うなら、何度でもやり直せる事柄に夢中になるのも、仕方がないのではないかな?

 一度の失敗で取り返しがつかないのであれば、その時に間違えないように、何度も何度も練習するんだよ。

 練習で出来ないものは、本番でもできないって言うだろう?

 機会があり、それを自分で可能な範囲で出来るのなら、挑戦してみてもいいんじゃないかな?

 えぇ? 人生のミスの取り返し方がわからない、だって?

 …なるほど、それは僕にもわからないな。僕は君ではないからね。君の人生を取り返す事は出来ないんだ。


 レイナース・ロックブルズは、装備の一つ一つを確かめるように身に付けて行く。鎧下も鎧も、いつもの四騎士の全身鎧フル・プレートではない。

 アレはこの国を離れるとなれば帝国に返す物だ。今は自分の持つ最高のオリハルコン製全身鎧に、動きを馴染ませようとしている。

 屋敷の修練場は屋根があるので、雨後の泥土上で動き回るような破目にならないし、馬に乗って軽く周れる程度には広い。

 その中央に武骨な鎧があり、魔化もされてとにかく頑丈に作ってあるコレを標的に訓練をする。手にしているのも槍ではなく、両端を衝撃吸収する魔法の布で包んだ金属製の棍でやたらと重い。

 覚えている信仰系強化魔法をすべて自らに唱え、能力向上系の武技も併せて発動する。その最高の状態を維持し、静かに呼吸を整える。

「<戦気梱封>!」

 新たに武技を使用した瞬間、的に向かって自己最速の突きを繰り出す。

 的を中心に右へ回り込みつつ、槍の攻撃距離を想定しつつ突く、薙ぐと様々な角度から連撃を放ち、今度は身体の軸で棍を回転させ、より近い距離でてに行く。

 効果時間の短い魔法が切れると、突きと同時にか牽制技を出しつつ距離を取り、再度強化して突撃する。

「<火竜牙突き>!」と別の武技も交えて、発動できる集中力に余裕がある状況と限界使用の場合を思い描きながら、魔力が三割程度になるまで動き、唱え、攻撃をし続ける。

 四騎士最高の攻撃力を誇ると言われる、"重爆"の猛撃。

 実際には、さらに特殊技術スキルも重ねられるのだが、そうすると的である鎧を支えている柱が持たない。

 一際大きな音を上げる渾身の突きを最後に大きく後ろに飛び、さすがに荒くなった息を落ち着かせようとする。

 だが、思考の中では焦燥が沸き上がる。

 これでもまだ、魔導王のアンデッド一体にすら届かない。

 魔導国の冒険者になる、と口にし行くと決めても、今後の見通しなど深淵に飲み込まれてしまう。この世に明けない夜があるとすれば、それはの事ではあるまいか。

 それほどに強大なのだ、アインズ・ウール・ゴウン魔導王は。

 焦っても仕方がない、とは思う。これでは駄目なのだ、とさらに急かされるというだけで。

 気付けば、強く歯を噛みしめていた。

 治癒魔法をかけると、今度は魔力限界まで強化をし、わだかまりを振り払うように再び突撃して行った。


 バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国への属国化に向けての苛烈な激務に耐えていた。

 帝国の最大危機が訪れているとは言え、日々の行政に関する決定や政策の確認事項が無くなる訳ではない。その上に、宮廷会議、貴族会議、神殿勢力との協議に向けた取り組み、魔法省を始め騎士団や情報局への指示など多岐に渡る。

 恐らく今が最大の山場であると思いたいが、体力・疲労回復の魔法薬ポーションを飲み干す度に、「これは終りがあるのか…?」と心中渦巻く不安は、かの鮮血帝をして消すことが出来なかった。

 胃薬の瓶もまだ手放せそうにない。

 ただ魔法の薬の効果を以ってしても、やはり疲労や空腹や寝不足による集中力の欠如は、完全に拭い去る事は難しいのか、単に精神も肉体も限界が近いのか、思考が上手く働かない時もある。好きに薬を使用できない家臣であれば、さらにその傾向は強い。

 会議の合間に、ジルクニフは食事と小休止にできれば入浴をすませ、短時間でも休息を取る。議題毎に編成された皆は、この時間に引継ぎと交代を行い、休む者と次の会議に向かう者とに分かれる。

 誰も彼もが、安息を求めていた。

 その安寧を得る為の、貴重極まる値千金の時。それを割いてでも必要な休息にも、相談事は止まない。多くは次の会議まで待たせるが。

 しかし、情報局と騎士団の長が願うとなると捨て置けない。両者が急を擁すると判断するからには、相応の危険がある。

 直談判に応じると感謝する二人だったが、それが食事の席と聞いて恐縮しているのは何ともおかしくはあった。

「本当に気にするな、付き合え。この非常時、何も無駄にしたくはない。」

 失礼になると思っていたが、話す機会が流れるのは困るようで、礼を述べて食事をしつつの会話となる。

 忙しさで食欲もなく、あまり喉を通らなかったが、今後に備える意味でもしっかり摂ろうと思い直す。属国案も大筋は固まったのもある。後は外交官への指示と、魔導国へ譲る量的調整と向こうからの返答予想に対案への準備で、重臣に任せられるのも増えるだろう。

 でなければ困る。非常に。

「それで、話はなんだ。」

 切り出してもらえる事を待っていたであろう、情報局長が答える。

「"重爆"が魔導国の冒険者となる件ですが、我々に一部でも任せてもらえませんでしょうか? そのお願いに参りました。」

 ん、レイナースの件? それはそこまで重要か? と訝しむ。帝城内での危機は去ったと考えたが、実際は大規模反乱でも企てているのだろうか?

 情報局がその動きを掴んだなら、もっと緊急に報せるはずだが。

 騎士団長の方を見ると、彼も話を進める。

「"重爆"は冒険者となる際に、彼女の部下からと騎士団の中から数名で、計十二名ほどを募るつもりらしいのです。これは、帝国騎士団の人材育成能力とその価値を魔導国に示す目的もあると聞きました。」

 皇帝は頷く。人間の価値、その一部でも提示できれば、生き残れる確率も上げられるかもしれない。

「ただ、それでは帝国の冒険者組合から人材が流れるような魔導国の勧誘を、促進したと思われ兼ねません。」

「我が国では冒険者組織の力は低い。その理由も知っているだろう。確かにあの勧誘は組合を敵に回すような引き抜き案だが、騎士団として気にする事なのか?」

 二人が顔を見合わせ、団長が続ける。

「騎士団として情けなくはありますが、かの虐殺の恐怖からか精神不安定や退団希望者が多く現れてしまいました。」

 それは皇帝にも悩みの種であった。

「こうした者たちの受け入れ先を用意せねば、道を外れ、武装強盗や犯罪組織の傭兵、皇帝反対派勢力の先兵となるやもしれません。」

「騎士団で鍛えられた者が犯罪集団に身を置くのは、誠に遺憾ながらも事前に止める事は難しく、治安悪化の原因の一つとなっております。」と情報局長。

「こちらの精兵が、金次第でそのまま敵に仕えるのだからな。」

 皇帝もぼやく。鮮血帝が言うのも何だが、暴力の需要は絶えない。

「ですので、そうした騎士を出さぬよう冒険者組合などとも連携したいと考えております。"重爆"が魔導国の冒険者として力を誇示したいように、帝国騎士から人材を組合に紹介し、騎士団は退団者の受け入れ先を少しでも確保する。これの先例として、国内に残る"重爆"の小隊を使いたいと思います。」

「そこが判らん。なぜ、そこまであの小隊に拘る?」皇帝の不信。

「彼らの忠勤にも係わらず、"重爆"の陛下に弓引くかのような発言のおかげで、やはり肩身が狭くありました。挙句に彼女が四騎士を辞し魔導国に行くとなれば、さらに裏切るかと見られながら残される立場は、陛下に仕える騎士として辛くあります。彼らは実力もあり、その先行きが他の者の良い見本となれば、皆も希望が持てるでしょう。」

 局長も賛同する。

「騎士の中から脱落者が続出し、何の保障も救いもないとすれば、不満は募ります。彼らの望みとなる事例を、帝国が率先して提示するのは意味があります。」

 皇帝は手元の皿を見る。焼いた赤身に、玉ねぎをベースにしたソース。交わる事で、深まる味わい。

 そう思えば、ここ最近は料理に思いを馳せる事もなかったな。

 思考に生活にと、如何にあのアンデッドに追い詰められていた事か。

「帝国を去る者、裏切りの疑いのあるまま残される者、両者を支援することで、国内の不安を解消したいというのだな?」

 両者が「その通りでございます。」と返答する。

「"重爆"の小隊は分かった。だが、連れて行く人材をヤツの隊だけでなく騎士団から出すのは、どうなのだ? いや、待て。」

 ジルクニフがハンドベルを鳴らすと、部屋の扉にいる近衛の一人がその場から一歩前進して、命令を待つ。

「秘書官マルドを呼べ。」

 近衛は一礼すると部屋を出て、廊下で待つ者に命を伝えて、元の警備に戻る。

 その間も皇帝たちの会話は続く。

「レイナースは十二名ほど連れて行くと言うが、団や省からいったい誰を引き抜くつもりだ?」

 優秀な者は他の皆の支えでもある。安易に許可は出来ない。

「騎士団の中には、虐殺を目撃し心が壊れた者もいますが、逆に魔導王の力に強く魅かれる者もいるようです。こうした者たちから選べるとは思いますが、他の職業クラス、特に魔法詠唱者マジック・キャスターは魔法省の管轄であり、陛下や省の責任者の許可なく選択も決定は出来ません。」

「情報局としましては、人材育成と人手の不足が問題の一つで、機密事項とも密接な手練れは特に他国にはやれません。もう一つは、魔導国に帝国情報局の手の者を冒険者として送る事で、国家スパイを疑われた場合に、それをどう晴らせばよいものか皆目見当が付かない事です。」

 アンデッドへの無罪の証明など、ジルクニフでも解らない。「生きている事が罪。」などと言われても、答えが"死"では人間にとってあまりに酷い。

 その時、扉が叩かれて秘書官の到着を報せる。入室の許可を出すと、短い髪の精悍な男が入ってくる。官として採用された時はひ弱だったそうだが、激務に耐えられるように日々鍛えた結果、体格がかなり良くなったという。

「お呼びでしょうか、皇帝陛下。」

「来たな、マルド・シカクネス。お前は、冒険者やワーカーの事情にも詳しかったな。」

 マルドは連日勤務の疲労は滲ませつつも、得意分野には自信あり気に頷く。

「"重爆"の件はロウネから報告があったな。」

「はい。充分な資料も作成してありました。」

 ロウネ・ヴァミリオンには現状回せる仕事がほぼない為、非常に素早く詳細を纏めてくれていた。洗脳を疑われて閑職に甘んじている辛さが伺える仕事ぶりだ。

「レイナースが望む冒険者は十二名。"重爆"特別小隊からは数名で、残りは騎士団などから募る腹積もりのようだ。騎士であれば、ここにいる団長と確認して決めよ。情報局からは盗賊シーフでも送ればスパイを疑われる危険があるというので、却下とする。」

 団長と局長が揃って頷く。

魔法詠唱者マジック・キャスターが必要であれば、魔法省にはお前から話せるよう許可証を出すが、高弟やマジックアイテム製造など重要な秘密に関わる者は駄目だ。これはフールーダの高弟と相談せよ。」

「はい。」

「神官は…、この後を考えると出したくはないな。」

 帝国神官団もあるが、人数はやはり必要数には遠い。神殿勢力とも隔たりがあるので、起こり得る国内の医療崩壊を防ぐ為には最重要となっている。

 すると、今度はマルドが発言をする。

「陛下、神殿内にも様々な考えの者がおります。高額治療を保持する神殿の方針に異議を唱え、野に下る、またはワーカーとなる方も。こうした者たちを説得する事は可能かもしれません。勿論、神殿長の皆さまからも許可が必要になると思います。」

「ふむ。」皇帝も唸る。

「それは、神官団にも取り入れられるか?」

 これには、秘書官の表情も暗くなる。

「これらの多くは、無償あるいはより低額での治療を、平民や貧困層の救済の為に行いたいと思う者たちが多く、軍務に参加するのは難しいかも知れません。そうした者がワーカーになる場合がありますのは、高額報酬から寄付をしたり、無断治療も個人の責任と見なされるからです。これが冒険者では、神殿からの要請を断れないというのもあります。」

「待て、冒険者になると神殿勢力の圧力を拒否出来ないのであれば、"重爆"の件はどうなる?」

 皇帝の疑問にマルドは答える。

「魔導国の冒険者組織の詳細や神殿勢力とどうなっていくのかは不明ですが、貧者救済目的の神官には、魔導国の冒険者として活躍する事で、アンデッド支配地の人間保護に繋がると推していければ良いかと、現状では考えております。」

「…神殿勢力も、魔導王の無敵さは痛感している。支配地の民の生活を助けるというのであれば、冒険者に同意する神官も、あれらアンデッドの警備にも手出しはせん、か。」

 手を出せばどうなるかは理解していると思いたいが、神殿勢力だけではなく、裏で暗躍する法国特殊部隊や個人のに溢れる神官がどう動くのか?

 それは読めないが、最悪は「あいつらがやりました。」と神殿を名指ししてでも、帝国の寿命を延ばしたい気もする。

 闘技場の件は忘れない。

「いずれにしましても、神殿との協議の際には神殿長の皆さまにご挨拶をしたいと思います。明日の会談に私も参加をお願いしてもよろしいでしょうか。」

 ジルクニフは許可する。

「冒険者云々は抜きにしても、神官団への志願者が増えてくれる可能性は高めたい。神官長たちとも軋轢を解消していかなければ、民の医療も崩壊する。」

 頼むぞ、という皇帝の言葉にマルドは頭を下げる。

「では、マルドには"重爆"の件ではある程度の裁量権を与える。騎士団長、情報局長とも今のうちに詳細を詰めよ。」

 そなたも座れ、と言われて秘書官は慌てる。

 皇帝の言葉と、すでに席に着いている二人の「わかるよ。」と言わんばかりの苦笑に、感謝を述べて座ると冒険者計画の確認を進める。

 ジルクニフは、コーンスープを終えると、トマトとチーズのガレットに手を付ける。ふと思った事があった。

「エトロワ。」

「はい、陛下。」と、梨を切り分けていた手を止め、料理長が応える。

「今日は、さっぱりとした物が多いな。」

 私は重要な話など何一つ聞いていませんよ、という態度の給仕たちも動きが若干止まる。食事についての不興となれば、他人事ではない。

 が、当の料理長は平然としたものだ。

「この所、陛下もお食事が進まぬ様子でしたので、脂質の多い物や刺激の強い料理控え、体の基礎を支えられるようにと選んでみました。」

「そうか。」と微笑む。

 ナイフとフォークで料理を切り分ける。ジルクニフが食事に専念すると、周りにもほっとした雰囲気が広がる。

 皿を下げさせると、先ほど料理長が切り分けた果実類が添えられたヨーグルトのタルトが運ばれる。口にすると、爽やかな酸味と柔らかな甘みが感じられた。

 勿論、ナザリック地下大墳墓で飲んだ、あの飲み物の方が素晴らしい味であった。しかし、今ここに並ぶ料理は、食材から流通から調理からすべて、帝国民の築き上げた結晶である。

 決して無くしたいとは思わない。

「まったく、忙しない。食事くらいはゆっくりと楽しみたいものだが、このような時だからこそ気付かされる事もあるのだな。」

 確認事項も終えたであろう三人が、やはりすまなそうな表情になる。

「やはり、お邪魔でしたでしょうか?」

 皆を代表して騎士団長が尋ねる。

「こちらが許可したのだ、お前たちに非など無い。エトロワも嬉しそうであるしな。」

 料理長は笑顔で答える。

「はい、陛下。私は陛下に料理を召し上がっていただくのが、何よりの幸せです。しかし、陛下だけでなくより多くの方も喜んでくださるのは、それに輪をかけて幸福です。」

 いやぁ美味しかった、などと語り合う彼らの声を聞きつつ、城の厨房も連日大変なのだろう事は理解できる。家臣から貴族から、総出でここに集まっており、警備は厳戒態勢。

 騎士全員の食事までは、帝城の厨房でも無理だ。

 帝都の主要施設や騎士団関連施設も最大稼働して、ほぼ休みなく調理しているはずだ。民間へも大量に食品発注しているかは、食量調達担当に聞かねば分らんが、備蓄糧食庫を解放しても運ぶ馬車も御者も食わねば動けない。

 アンデッドあらざる人には、必要不可欠な食事だ。それが巡り続ける限り帝国は死なぬが、凄まじい勢いで食事に関わる経費が増大している。

 この警戒態勢は、それほど長持ちはすまい。

 …アンデッド使役実験は帝国でもさせていたが、本当に食事も睡眠も不要な奴等は、相手にすると性質たちが悪すぎる。人でも亜人でも生命が暮らす都市を、あの不死の軍団が囲んでいれば、自然に食えなくなって自滅する。

 そんな事態にならぬように、今できる事に集中する。

 互いのやる事を再確認した三人は、感謝の言葉を残して下がり、各々の仕事に戻った。

 ジルクニフは寝室に向かうと、疲労回復薬を飲み干して、ベッドで横になる。ここで魔法薬ポーションを飲んでおかなければ、忽ち深い眠りに落ちる確信があった。

 目を閉じて、延々と頭を悩ませ続ける問題の発端である魔導国を「こちらからの干渉はまず不可能」として諦め、国内と周辺国家の事柄にのみ対策を絞る。

 判断が出来ぬなら、出来る問題から進める。

 従属願いの手紙は完成し、すでに空護兵団とロウネに最大速度で運ばせている。

 後の事は、今の準備次第だろう。だから帝国よ、今は持ちこたえてくれ。

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