呪詛騎士レイナース
パクリーヌ四葉
序章 繰り返す悪夢
ふと気付けば、視界に広がるのは荒れ地の光景であった。
岩石が転がり、立ち枯れた木々がまばらにあるばかりで、吹きつける風が身に染みるような侘しさを感じさせる。
何かの存在が自分に重なるような感覚と共に、ジクジクとした痛みが走る。
今の姿が視界に入れば、どこを見ても傷と膿。
(私の精神は今、この化け物の中に入っている…)
心には恨みと後悔が押し寄せてくる。
そして、ああ、またかとウンザリとさせられる。
この怪物の記憶の追体験は、何度も何度も繰り返されているのだ。
もうこの時点で気分はすでに悪いというのに、今からさらに悪化するのが確定してしまっている事が、より憂鬱にさせた。
ヤツを討伐したあの日から、怪物の呪いを受けた私が何度も見る事となってしまった、これは繰り返す悪夢なのだ。
バハルス帝国。
この支配地の一角、とある貴族領内には奇妙な湖があった。見た目は、緑色に輝き美しいとさえ言えるのだが、その水は生き物を溶かし、致死性のガスを発生させる。もし、ガス溜まりに踏み込めば、数秒と持たずに人は絶命する危険地帯。
その毒性から草木も生えず、動物も寄り付かない。酸や毒に強い魔法生物などは時折やってくるが、そもそも食べ物となる生命がいない為に長居はしない。生命反応がほぼないので、自然に発生したアンデッドすら近寄ることもなかった。
故に、呪われた湖とも呼ばれる。
しかし、そんな危険な酸性の水でも、錬金術師にとっては魔法の材料となるようで、需要と収入が見込めると判断した領主によって開発が始まった。
国策として魔法技術の推進に力を入れているというのも、後押しになったのだろう。帝国の誇る魔法省からの協力を得られた事が、何より大きかった。
例え人体に有害な毒であれ、それに耐性を得られる道具の加護があれば、命を落とすような事もない。これで安全を確保し、より安心して事業を行える。
湖より高所に採水用施設を建て、耐酸性の容器、毒防護のマジックアイテムを揃え、設備を整える。周囲にガスが溜まる事のないように、風の通りを良くする工事も進められていった。
そして、その最中に出くわしたのだ、ヤツに。
大きな窪地に隠れるようにして存在していた横穴、その奥に巣食っていた怪物と。
ガス溜まりと思われる場所の調査と工事に向かった班が、正体不明の怪物と遭遇。
緊急事態を告げる鏑矢の音と、居場所を報せる赤い煙に気付いた救難隊が現場に辿り着いた時には、労働者たちは全滅。護衛である貴族の私兵もすでに二人がやられ、残った者はモンスターと距離を取り弓矢で応戦。魔法による調査に同行した三名の魔法詠唱者は一名が重症、残る二名で交互に攻撃魔法を放ち、なんとか牽制していた。
隊はこれに加勢するも、相手は近接においては護衛の皆を上回り、<
結局、そのまま仕留められず、一人の遺体を引きずって行くのも止められぬ内に、怪物は己の住処へと戻ってしまった。元から大怪我でもしていたか何かの病気なのか、信じられないほど大量の膿を飛び散らしつつ、何を言っているかも判別としない気の狂ったような叫び声を上げながら。
その場にいた誰もがその有様に戦慄して留まり、ぽっかりと空いた洞穴の暗がりに踏み込む勇気は湧かなかった。
奴は、何の皮製かは知らないが赤茶けたフード付きマントを着ており、これが魔力を帯びているのか薄く発光していた。それによって毒耐性か魔法抵抗を得ていると思われるが、外見もこのマントによって上半身が隠されてしまっている。
下半身は蛇に似ており、ここから亜人であるナーガかその亜種かまでは推測できるのだが、外套の隙間から見える手や顎先には細かな裂傷が多数あり膿が吹き出し、爛れている様子が見られるが、そのせいでより正体が判り難くなっていた。
ただ、ハッキリとしているのは現戦力では手に負えない強敵であり、説得なども通じないだろう点である。
貴族の側も、毒耐性のマジックアイテムがそう豊富にあるわけでもなく、斯様な動き回る危険を放置もしておけない。穴の入り口を封鎖、監視体制を敷き、警戒する。
着手した新たな収入源の確保に遅れが出れば、今後の領地経営にも波及しかねない被害となる。この事態を可及的速やかに解決すべく、領主は若干の懸念を抱えつつも、持ち得る最大戦力の投入を決定した。
息が荒い。
全身が痛む。
荒れ地を這う身も、重い。
そっと手を見下ろす。傷と膿に塗れた肌は、全身に広がっている。この外見から、同族からも蔑まれ、かつて暮らしていた森から追われた。
魔法のマントに身を隠し、毒に耐性を得ることで、外敵のほぼ来ない毒の湖の傍にようやく住処を定めた。夜、近くの森まで狩りに出て、昼に全身の痒みや痛みを和らげるべく安静に過ごす。
それでも絶え間ない苦痛と絶望から、精神はとうに狂っていた。常に不安に駆り立てられ、寝ても覚めても苛んでくる焦燥感を払拭することは一度も出来なかった。見えない存在に怯え、逃げ道には異常に拘った。
時には、鮮明な思考で何事かを進められた事もあったが、大概は失敗に終わった。自分を支える確かなものが、何一つなかった。
発する言葉は意味をなさず、この身を侵す病も治る見込みすらない。そんな日々の果てに、人間の襲来だ。
たまりにたまった鬱憤を晴らすべく、集団に突撃し薙ぎ払った。が、距離を取られ矢や魔法を撃たれると思考が上手く回らなかった。
このまま突っ込んでも倒せそうだが、あちらこちらから離れて攻撃を受けると、煩わしさで暴れだしたくなる。魔法をこちらに放とうと顔を出した一人に、手近にあった石を投げつけるも、また背中に矢が刺さる。
そうこうしている間に、敵の増援が現れたため、死体1つを持ち帰るだけで終ってしまった。厄介な事になったというのに、それを乗り越える間の食事にはあまりに足りない。そんな気がする。
さらには入り口を鎖で塞がれ、これを壊すとたちまち矢と魔法が飛んできた。ここには多数の頑強な巨石があり、攻撃の余波で通路や奥まで潰れる心配は今のところないが、これでは迂闊に外へ出れない。
また鎖で塞がれ、破壊すると、反撃がある。この繰り返しにイラつき転げ回るが、別の解決方法を試すのはまだ躊躇われた。
逃げる方法はあるが、まだその時ではない。意識をしっかり保て、と骨をしゃぶりながら待ち続ける。いや,寧ろ今が好機かと様子見に行くと、今度は氷魔法をぶつけられる。明晰なひらめきに思えたが、結果は体力を消耗するに終わってしまった。
そんな状況が数日続くと、向こうから動きがあった。
洞穴の周囲に潜んでいると思わしき人間たちのざわめきが微かに聞こえ、静まる。何かが始まるであろう予感を前に、いっそこちらから出ようか、という考えを抑え込む。
暴れ出したい衝動も、腕を噛むことで耐えていると、そいつらは来た。
姿は見えず、音もなく、匂いもしないが、目にしている土が足の形に沈む。ゆっくりと近付いてくる存在を示している。
湧き上がる怒りを堪え、魔法を使うタイミングを計る。
が、先手は相手からの矢であった。腹部に刺さり、痺れる感じが拡がるがこれに抵抗し、攻撃した事で呪文の効果が消え姿を現した弓使いに<雷球>を唱える。
魔法の一撃は命中したが死には至らず、敵は顔を歪ませながらも二射目を構える。さらには、他の侵入者も距離を詰めていたのだろう。腕に剣が、尾に槍が突き立ち、胸には酸の魔法と二本目の矢が中る。
同時に4人から攻撃を受けたが、これで全員なのかも不明。力量は自分がかなり上のように思うが、相手の連携を崩せない。とりあえず手近な剣士を殴りつけるが、盾で防がれ逆に脇腹を斬られる。
周りの者も、二撃、三撃と攻め続けており、次々と傷を増やされる。
舌の上に嫌な苦みが生ずる。まずい。
尾に力を込めて場を薙ぎ払うと同時に、<火球>を住処の中心に着弾させ、炎と土を撒き散らす。目くらましの効果も期待しつつ、隠し通路…もう一つの出口への抜け穴に飛び込む。
その一瞬、金の髪と槍の先が目の前を駆け抜け、右目が切り裂かれた。
突然の衝撃に叫び声を上げ、尾に複数の追撃を受けながらも、立ち止まらずに進む。やがて、行き止まりに着くと振り向きざまに魔法を放ち、いるだろう追っ手を威嚇し、続いて隠し出口をカモフラージュしている土砂を<火球>で吹き飛ばす。
炎と土煙の向こうに、外の光が見えた。その先を目指して、一心に進んだ。
困難を抜け出し、安らげる時が来ることを思いながら………
(これは、この夢は怪物の見た世界であり、あの日の再現なのだろうことは、初めて見た日に理解はしていた。)
(今日まで、何度となく繰り返されるということ以外は。)
荒れ地を進む。
(駄目…)
立ち枯れた木々の先、森に向かって。
(もう、たくさん!)
不意に、背後から矢を放たれる。次いで炎が炸裂する。追っ手は、どうやら撒けなかったようだ。振り向けば、二人の剣士が盾を構えながら斬り付けてくる所であった。
(来ないで!)
左右の腕をそれぞれに振るうが、両者は倒れることなく反撃してきた。それと同時に、槍を構えこちらに突き進んでくる何者かが見える。
(よしなさい!)
金の髪をなびかせ、おそらくはその一撃で決着をつけようとする人間の姿が。先ほど自分の目を斬ったのも、こいつなのだろう。憎しみと、ある確信が擡げてきた。
(やめて!)
突撃してきた人間の放った渾身の槍は、狙いを外すことなく我が心臓を貫いていた。そして、人間もまた狙い通り、こちらの手中に捕らえた。両手で胸部を固定するように鷲掴みにする。
(ヤツの狙いは!)
命はお前にくれてやる。ただし、怒りも恨みも、ありとある我が身の悪意ものせて。胸の奥から吹き出る瘴気の塊、それを人間に向かって口から吐き出した。
(よけて!)
怪物は、そこで力尽きた。
が、吐き出された瘴気は、モンスターに掴まれたままの人に迫る。必死で身を捩るが、抜け出せない。
そのまま……
この悪夢は過去の出来事、その再現だ。
呪われて彷徨う怪物と、それを屠った私との、消せない過去。
だから、夢の中の私の祈りも願いも届かない。
確かな事実を、かつての過ちを、積み重なる後悔と共に、記憶に刻みこまれるだけだ。深く、何度も。
やがて高速で飛来する瘴気の塊は、懸命に避けようとしたものの、私の顔、その右の眼に触れて弾けた。
焼け付くような激痛が全身を貫く。
「あがあああああああああっ!!」
(いやあああああああああっ!!)
怪物の目に映る私と、怪物の精神に冒された私が、揃って絶叫を上げる。
ここにおいて、化け物の苦痛と絶望と死をもって、私の顔を歪ませて膿を噴き出す呪いは成就した。今度は怪物の代わりに私が、傷と膿に塗れて荒野を流離う事となるのだ。
歪んだ呪いを解く、いつになるかも分らぬ、その日まで。
そして私……、帝国四騎士が一人、"重爆"レイナース・ロックブルズの意識は、急速に覚醒へと向かって行った。
この悪夢から目覚め、過去の後悔が、歪んだ右顔と共に延々と続く現実へと。
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