第1話 停滞

 まったく前に進めている実感がないんだ。

 同じ所をぐるぐる、ぐるぐると、回っているだけなんじゃないかなって。

 そう思わされるんだ、同じ夢を見続ける、そんな時にはね。

 もう、さ。

 押すにせよ、引くにせよ、一切合切丸ごと全部にしてもいいんじゃないかなって、そんな想いが浮かび上がってくるんだ。


「あああああああああっ!!」

 レイナースは絶叫と共に目覚め、反射的に両の拳をベッドに叩き込む。汚れ防護・頑強の魔法がかけられている寝具ではあるが、今の衝撃でミシリと異音がする。

 部屋の窓まで、カタカタと震えている。

 かつて怪物から忌まわしい呪いを受けてより、何度も見る羽目になった悪夢から目覚める時は、特に悪感情を抑えるのが難しく、盛大に荒れる。

 自分自身を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。

 吸う。吐く、吐く、吐く。

 吸う。吐く、吐く、吐く。

 かつていたという"口だけの賢者"が伝えたとされる呼吸術、ラマーズ法も取り入れている。暴走しがちな感情を制御できるなら、藁にも縋る思いだが、これは効果があるような気がする。

 しかし、今朝は怒りが勝っており、乱暴に跳ね起き部屋履きを蹴り飛ばすと、夜着を脱ぎ捨て裸で衣装部屋に向かう。

 準備されているタオルで、寝ている間に顔の右半分から出た膿を拭う。もう一枚で髪を拭く。そこで、姿見に映る自分の顔を見てしまった。

 呪詛により膿が吹き出す、醜く歪んだ右側を。

 瞬間、無意識に手刀を鏡に振り下ろしていた。鏡面に激しく罅が入るが、自動修復の魔法が効果を発揮し、破壊跡をゆっくりと直していく。

 それも気に入らなかった。治らぬ顔面の呪いと、治る鏡面の魔法の両方が、この私を侮辱しているようで癇に障る。

 二度手刀で打ち、次に拳で叩く。

 鏡を殴り続けて息が上がる頃、ゆっくりとその場を離れ、下着を穿き、朝食用の簡易なドレスを着ると、鏡面が修復を終えるまで目を閉じて心を落ち着ける。

 貴族の令嬢として生まれ育ったが、過去の出来事が人生を大きく歪ませてしまった。今では侍従がいなくとも一人で着替えられるようになり、それをはしたないと恥じる事もなくなった。

 流行の服も一度着れば捨てていたものだが、現在では諸事情もあり、かつての常識は斯くも脆く崩れ去った。

 しかし、私は成長もしたのだ。何か一つでも、事態が好転することは願望ですらある。

 昔からの部下には「あのですね、一人で着替えるのも、同じ服を着るのも、その、普通ですよね?」と言われたが、意味が判らない。皆がそのような試練溢れる戦場の如き生活だとは、到底思われない。

 身支度を整えると、寝室に戻り呼び鈴を鳴らす。

 部屋の扉が開かれ、二人の男性使用人が挨拶をする。

「おはようございます。」

 若干の期待を込めて問う。

「何か変わりは?」

「ございません。」

 出鼻を挫かれた気分になるが、不満を押し殺し「そう。」とだけ呟く。何処かで歯軋りの音が聞こえた気もするが、幻聴であろう。

 二人が礼をもって応えたのを確かめると、夜の間に磨かれたであろう屋内用の靴を履きレイナースは朝食の席へと向かう。

 靴音を響かせて歩く屋敷は、閑散としていた。

 廊下、部屋の入口、窓、ガラスの向こうに見える庭、手入れが行き届いていないなどという事もなく、ただ住む人の側の問題かもしれない。

 バハルス帝国騎士の最高位、四騎士。その一人となってからここで暮し始めたが、帝都一等地である周囲には空き家も多い。

 若き皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスによる血の改革により、多くの貴族が粛清された結果として、住む者が亡くなり豪奢な建物だけが残されている。

 粛清対象の中には、自分の実家やかつての婚約者のように、私を家の恥として放逐した事への復讐によって滅んだ貴族家もあるが。

 とまれ、貴族階級が減ることで生活が向上したのは帝国民全体だが、その中で最高級の暮らしに届いた者は現状ではいない故に、街では活気が溢れ、屋敷は静寂に包まれる。

 改革の招いた栄枯盛衰。否応の無い変化。

 では、帝国自体はどうか?

 圧倒的な軍事力として強大なアンデッド軍団を支配し、呪文1つで王国軍二十万を虐殺した死の支配者を王とする、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国に手を貸した帝国は…、滅ぶのか?栄えるのか?

 特に、この私が。超重要。

 何を犠牲にしても果たしたい悲願は、顔にかけられた呪いを解くことだ。帝国の首席宮廷魔術師フールーダ・パラダインですら未だ不可能であるが、そのフールーダ以上である最悪かつ災厄、強力無比も極まる魔法詠唱者マジック・キャスターである魔導王は、その知識もあるのだろうか?

 例えあったとして、私を解呪してくれるだろうか?

動死体ゾンビになれば、問題ないよね?」と有無を言わせずアンデッド化されるような気もする。

 帝国最強騎士の一人ではあろうと、魔導国が使役するアンデッドは見ただけで恐怖で震える、悍ましいまでの強さであった。しかも、そんな化け物が数百体存在するという。

 嘘だと言って。

 敵対すれば絶対死、助力を願いたくてもその術が無い。皇帝からは、私が魔導国に行くのを止めるどころか、暗に薦められているようにも思うが、あのアンデッドの王が、力はないのにコレといった理由なく鞍替えはするような人物を重用するはずはない。

 きっかけが欲しい、切実に。それを探して帝国内と魔導国内の情報を集めさせているが、正直、八方塞がりだ。

 しかし、諦める事など出来はしない。

 この呪いを解くまでは。

 ああ、本当に、イライラしますわ。思わず指に力をこめると、ゴキリ、と骨が鳴った。


「おはようございます、お嬢様」

 白髪の執事と朝の挨拶を交わす。

「おはよう、ノーラック」

 ノーラック・イナンウ。

 私が生まれる前から、ロックブルズの家に仕えており、生活に関わるあらゆる面を支えてくれている。実際、家に居る時はその姿を見ない日はない。

 今でもレイナースをお嬢様と呼ぶ、数少ない内の一人。

 執事が椅子を引く。その席に座ると、男性使用人が朝食を乗せた銀のプレートをテーブルに運んで来る。

 因みに、この屋敷…というよりも、レイナースの周りには基本的にどれだけ優秀であっても、女性を配置しない。呪いによって顔の右側が歪になってからは、女の顔を見ると不満や敵意を剥き出しにするようになったためだ。

 美しければより激しい嫌悪を向けるし、容姿が優れていないと判断されるのもまた、勝手な評価を如実に押し付けられる当人にとっては面白かろうはずもない。軋轢の種にしかならないので、レイナースの目に見える範囲からは、女性はなるべく遠ざけられている。

 結果、屋敷の使用人は男性ばかりだ。厨房などにはノーラックの妻を始め女性もいるが、主の事情を知ってはいてもやはり肩身は狭い。

 もちろん、彼女らに作られた食事にも罪はない。

 かぼちゃのスープ、パンにバター、鴨肉のロースト、揚げた芋、レタスに玉ねぎと人参のサラダ、他。これらの料理が、気分を変えてくれることを祈る。

「それで、良い報せはないかしら?」

 執事は遠くを見るような素振りをする。

「さて、お嬢様には若干おもしろくないであろうお話もありますので、お食事の後では?」

 バターをパンに塗る手を止め、ノーラックの目をじっと見つめる事で、先を促す。

「では、悪い報せから進めましょう。実はお嬢様がお休みの間に、当屋敷にて局所的な地震が起こりまして…」

 即座に該当するの眉間に皺が寄る。

「屋敷の主に、弛まぬ努力と忠誠を誓う者が、不安に思っております。この地震はいつまで続くのか? この身が被災するような事は起こらないか? と。特に心配していますのは、当然お嬢様の身の安全ではございますが。」

 レイナースの吐く息が荒くなる。その様子を見つつ、執事は問う。

「お嬢様、お怒りの時は?」

「……十、数える。」

「では、もし激怒されたなら?」

「百、数える。でしょう、ノーラック?」

 ゆっくりと静かに呼吸を整えていく。

「老人との些細な約束を憶えていてくださり、光栄に思います。」

 長く重い息を吐く。激発せぬように言葉を紡ぐ。

「怒りの理由も知っていて、それを言うのね。これで何度目かしら?」

「上の者が乱れれば、下の者はより混乱いたします。道を誤れば迷いますが、現在地も分からないのと、出発点まで戻れるのとではやはり違いましょう。基本や基準は何度確認してもよろしいかと」

 苛立ちはあるが、こういった話題は続けても延々と諭されるのは経験則で思い知らされている。

 以前「時々は小言に首を絞めたくなる」と言った事があったが、「その時は死霊レイスと成り果てましても、忠節を尽くしたいと思います。」と返された。この男なら本当にそうなりかねない。

 頷くことで、了解の意志を示す。

「次は?」

「はい、こちらは良い報せかと。懇意にしております商人の方から、魔導国の様子を記した書類が届いております。」

 それはレイナースにもありがたかった。問題解決のヒントが得られるかもしれない。

「警備任務の合間に読むわ。」

 スープの味が先ほどよりもよくなったように感じる。


 食事を終えると、今日は果実水を飲みつつ、しばらく庭を眺める。

 次いで全身を洗い流し、いつもと同じように装備の準備をする。

 四騎士に与えられる全身鎧を身に纏う。

 槍を持つと、手に馴染ませるように数回振るう。

 馬番から、愛馬の手綱を受け取ると、同行する警護兵が並んで待つ門へと進む。

 不思議と、この時間が一番落ち着くのは、性分なのだろう。馬車に揺られるよりも、馬に乗る方が好きなように。

 力と鉄の魅力。令嬢として扱われるよりも、レイナース・ロックブルズはこちらの方に魅かれるのだろう。

「行きましょう」

 兵たちに号令をかけ、城へと向かった。

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