第4話 変成

 水。

 たった100℃の温度差で、個体・液体・気体に変化。

 中性で、かつ、ほとんどの物質を溶解。

 電気分解する事で、燃焼も可能。

 私の奇跡のような価値を知りたければ、少しでいい。君の生活のあらゆる面で、この私を絶って生きられるかどうか、考えてみてくれないか?

 その時には、君の体の約何%が私で出来ているのか、思い出して欲しいね。


 宮廷会議が始まり、四騎士の部屋でレイナースと二人、帝城の守護に付いているのではあるが、バジウッドは闘技場の件で溜まった疲れがより一層蓄積していっている状況に参っていた。

 魔導王は冒険者に何を求めていますの?

 魔導国の支援はどんなものですの?

 条件は何かありまして?

 女性との会話は、バジウッドの楽しみの一つだ。お互いの心をくすぐり合うような甘く喜ばしい時、その筈である。が、現在の相手は同僚で、その上これはまるで尋問だ。

 一つ話をすると質問が来襲し、疑問が増えるとさらに質問が重なる。"重爆"の二つ名は、こので獲得したのではないかとさえ思える。

「俺は魔導王本人じゃないっつーの! 答えられるのにも限界があるっつーの!」と怒鳴りたくなるが、レイナースの様相はいつもより輪をかけて尋常ではない。

 左の目をカッと開き、瞳孔をほぼ動かさずにこちらを凝視している。嘘はないか? 誤魔化しはないか? 身動き一つすら疑われているようだ。

 見た目から常人とは明らかに様子が違い、何がきっかけで暴れだすか判らない……そんながある。

 突然襲ってくるのが病人みたいな連中であれば、なんか嫌だなとは思っても恐怖は感じない。だが、今この部屋で目と鼻の先にいるのは同格の戦士だ。

 何コレ?

 帝国最強騎士同士が「質問に答えないんですの?」程度の因縁で死闘となるなど嫌すぎる。

 そして、魔導王が闘技場で帝国の冒険者を勧誘したのかなど、何故その発想に行き着いたのかは、本当の所はわからないだろう。武王の試合が始まる時、などは。裏切る事も考慮して四騎士に採用された女に知られてはいけない。

 故に、レイナースが魔導王の勧誘の話題に喰い付いている事は、帝国にとってはありがたい目晦ましとも言える。バジウッドには身の不幸であるが。

 四騎士として、確認しなければならない事もある。

「なぁ、それだけ熱心に聞くって事は、魔導国に行くのかぃ?」

 レイナースのガン開きしていた瞳が、少し落ち着く。

「…この呪いが解けるのであれば。」

 あの魔導王の凄まじい大墳墓から戻ってから、彼女が魔導国に興味を示しているのは分かっていた。

 兵たちの一部で「"不動"は沈み、"重爆"は揺れる。」と噂される。死亡と裏切りで四騎士が半数になるかもしれぬ事を揶揄したものだが、中庭の騒動からこちら、近衛に騎士に魔法詠唱者マジック・キャスターにと、帝国でも強者の被害が多過ぎるのは確かだった。

 ただ、突然に亡くなったり失踪されるよりは、事前にいなくなる事が判明していた方がずっと助かる。"不動"の死は、あまりに呆気なさすぎた。

 レイナースが帝国を去るというのなら、それは惜しくもあるが、折り込み済みの問題が1つ解決するだけだ。これがもし、を持って魔導国に降るような事態にでもなれば、国外に出る前に俺か"激風"に討伐令が出たかもしれないな、と思う。

「しっかし、国に仕える冒険者か。国家が運営する冒険者機関とか、真に冒険とか、なんじゃそらってなるわな。」

 帝国騎士であれば、新たに探検部隊を創設するようなものであろうか。

「元々、モンスター討伐をしていましたし、騎士の主従とあまり変わりないのかもしれません。」

「雇用主が違うってのは大きい問題じゃないか?」

 "重爆"の右手が、顔の右半分を覆うように動く。

「この帝国ですら、これの解決は未だ叶いませんわ。であれば、より多くの知識を持つであろう存在の支援を受けられるのなら、今より願いに近付けるかもしれません。」

 魔導国でも呪いを解けない可能性はある。その時は、冒険者として支援を受けつつ、解呪方法を探索すればいい。二段構えだ。

 バジウッドは苦笑して、息を吐く。

「お前さんの願いが、叶うといいな。」

 これは本心だった。

「まだ魔導国の冒険者になると決めたわけではありませんわよ?」

 ここまでの時間を返せ、とバジウッドは思うが理性で口にはしない。だが、どっと疲れが圧し掛かってくる。

「ほんじゃ、そろそろ交代で休憩を取ろうぜ。時間は?」

 二人で時計を確認する。

「私はあと四時間の予定ですわね。」

 当初と状況は大きく変わってしまったが、宮廷会議に貴族会議にと長丁場になるのは確実だ。厳戒態勢下では、帰宅も難しい。休める時に休息を取るのは必須である。

 騎士たちも負担は大きいだろうが、替えのいない立場が上の人間は、さらに深刻な時間的拘束を余儀なくされる場面が出てくる。

 四騎士の中では、伯爵でもあるニンブルが、皇帝陛下の警護に貴族への対応にと最も激務となろう。

「なら、先に休ませてもらうぜ。」

 バジウッドはそそくさと仮眠に向かった。また質問攻めはこりごりだ。

 せめて寝ている間は、何事も起きませんように。


 バジウッドが部屋を出ると、レイナースはしばらく目を閉じていた。やがて長椅子から立ち上がると、棚の引き出しから紙と封筒を取り出し、己の机に向かうと連動ベルを鳴らし、ペンを取って何事かを書き始める。

 先程と同じ者が顔を出すと、ゼファーとロイドともう一人、城内移動時の付き添いを呼び出す。

 部屋の中で三人えお待たせ、手紙を書き終えると封をして、ロイドに渡す。

「二人は私の屋敷に行き、これをノーラックに届けなさい。返事は待たずに戻る事。」

「はっ!」

 二人は敬礼をすると、さっと行動に移す。雑談や会話ではなく、こうした命令時に「これは何です?」と聞いても、機嫌を損ねたり話が抉れたりと碌な事がないので、慣れている。

「貴方は付いて来なさい。」

 しかし、付き添いに選ばれた連絡員は失念していた。

「はっ!それはどちらで…」

「チッ!」

 疾風の如き舌打ちが飛び、睨みつけてくる隻眼から敵意が滲み出る。

(動けば……殺られる!? え、なんで?!)

 行動の目的確認はそれだけの重罪だったであろうか?

 永遠とも感じられた数秒間が過ぎ、重圧が消えて行くとレイナースは目は逸らさずに行先を言う。

「秘書官室です。権限のない者が伝言だけ伝えても埒が明きませんわ。なので、私が出向きます。さぁ、行きますわよ。」

 連絡員はただ黙って頷いた。


 秘書官ロウネ・ヴァミリオン。

 魔導王の密入国、帝国の属国化、宮廷会議、さらに貴族会議まで控えており、同僚の秘書官全員が城の内外を問わず駆け回っている最中に、彼は一人だけ秘書官室の机にポツンと座っていた。

 仕事はあるといえば、ある。ただとある理由で閑職に回されている為に、皆から「これは任せていいレベル」と検閲・選別されてから作業になるので、秘書の仕事が次から次へと処理ばかりの現在はが仕事であった。

 窓際のこの席は、今にも雨が降り出しそうな空と同じようにロウネには感じられた。

 これも全てはあの魔王の城に入り込んでしまったせいだ。帝国と魔導国建国の打ち合わせ時に一人残り、その間は言葉で人を操る蛙の化け物デミウルゴスと接触している為に、皆からは洗脳を疑われているのだ。

 自分とて、「私は正気だ! 操られてなどいない!」と叫び回って、信じてくれる誰かに気付いて欲しい渇望はある。誰か、助けてください! …だが、その行動の末路は、鉄格子に囲まれた収容施設だろう。

 帝国の神官団や神殿の魔法では、あの魔導王の側近の邪悪力を無効化できるとは到底思えない。洗脳を疑われている張本人による自己申告の自己証明など、尚更説得は無理だ。

 この身を評価してくれた帝国の制度や政治、秘書官筆頭まで取り立ててくれた皇帝陛下には、勿論多大なる恩義と忠誠を捧げている。

 疑わしき者を政治中枢に関わらせる訳にはいかない判断も正しい。自分だってそんな怪しい者を遠ざけておくだろう事は明白だ。

 知性と理性を持って、今のこの処遇は為政者として適切な対応である。悪魔の息がかかっているだろう人物を、国の決定に関わらせてはいけない。官の一人として肯定する。

 しかし、ロウネもまた人なのだ。誇りでも権威でも立場でもなく、心が叫びたがっているんだ。

 でも、飲み込む。心を感情を。自らの失敗で、帝国をアンデッドのおもちゃ箱にされる確率は0%にしてみせる。これは味方にすら監視される者の、孤独な戦いなのだ。

 決意も新たに、机の上を見る。

 そこには帝国の老若男女が遊び、賞金制の大会も行われる盤上遊戯であるSHOW☆GIが置かれていた。いつ、どこで誕生したのかも不明だが、歴史は古く数百年前の遺跡からでも発掘される時もある。

 ロウネも幼少より嗜み、帝国公式戦では上位の成績だ。

 これは縦9×横9の81マス上で、歩兵・騎士・戦車・英雄・魔術師・神官・将軍・皇帝の種類の駒を争わせ、残った皇帝側のプレイヤーが勝者となる。相手から奪った駒は密偵として再配置可能、二歩兵は即敗北、盤外戦略(罵倒・恫喝など)の禁止、など細かなルールもあり対戦が基本のゲームだが、詰みまでの手順を思考する一人で出来る遊びもある。

 ただ、ロウネはその先の段階へと進んでいた。

「ロウネ様、お逃げください!」

 サッと皇帝の駒の前に、騎士を動かす。

「ロウーネ、しかし…。」

 そこへ敵陣から英雄が配置される。

「ふふ、お前の悪運もこれまでだ。」

「させないわ!」

 裏声で話しながら、騎士の隣に神官の駒を置く。

 駒同士の掛け合いが粛々と進められて行く………。

 それは、使用する駒の全てに名前を付け、声:自分、シナリオ:自分、総監修:自分による役割を演じる遊びロールプレイングゲームに興じているのであった。

 そう、一人で。ぼっちが。孤独に。

 これが閑職に追いやられたロウネ・ヴァミリオンの新境地!

「くらえ! ロウザーソー…。」

「何をしていますの?」

 突然の声に「ぱうえぁッ!!?」とロウネの奇声が上がる。驚きに心臓が跳ね上がり、瞬時に全身から汗が噴き出る。

 声の方向を見ると、レイナース・ロックブルズが不思議そうにこちらを眺めていた。

「は? へ?! …ロックブル、ズ…様?! い、いったい…その、どうして!?」

 混乱が収まらない。

「それはSHOW☆GIですわよね? 新たな戦術思考法? 軍師志望でしたの?」

「えっ、いや…その! ……いつから、ここへ?」

 そう聞くのが精一杯だった。

「先ほどからですわ。」

 せめて取り繕おうと咳払いをする。

「ん、ゴホン! せめて、入室の際はノックくらい…」

「ノックはしましたし、この鎧も音がしますし、声も掛けましたでしょう?」

 何も言えなくなる。そこまで没頭していたのだろうか? 溜息を大きく吐くと、恥ずかしい気持ちを無理矢理心から押しやり、"重爆"に向き直る。

「それで、今日はどうなさいました?」

「秘書官の知恵を借りたくて来ましたの。ここでは帝城守護の任務に支障が出ますので、四騎士の部屋でお手伝いくださる?」

 それは、今の彼には難しい話だ。洗脳による無断行動、反逆の前兆とされてしまえば、最悪は死刑にされかねない。

「そうなりますと、私個人の権限を越えてしまいます。」

 すると、レイナースが右の手を挙げる。何をする気か、とロウネが後退る。

「仕方ありませんわね。くらえ! ロウザー…。」

 その一撃はあまりに酷過ぎる。

「わ、か、り、ま、し、た! 行きます! …それでご勘弁を。」

 彼女が勝利の笑みを浮かべ、ロウネは力なく項垂れた。

 レイナースに連れられて部屋を出ると、警護の者と思わしき人物と、メモ書きや資料を抱えた秘書官の一人と出くわした。

 同僚が驚きつつ尋ねる。

「ど、どうしたんだロウネ? ロックブルズ様も、なぜ…?」

 ロウネは、ふぅと疲れ切った息を吐く。

「…すまない、四騎士直々の頼み事があるようなのだ。手の空いている秘書官は私だけだろうし、少し相談に乗るだけだ。皆にもそう伝えてくれ。」

「おい、お前…立場が拙いのは理解しているだろう? なのに…。」

 こちらの心配を余所に「…いいんだ。」とかすれるような声で呟くと、背を向けてトボトボとレイナースたちに連れられて行ってしまった。

 それをしばらく見送っていた秘書官だが、やがて蒼褪める。

「……これは大変だ。」

 もしかして、洗脳されているのがとしたら? 帝国に密入国が可能なのは、さっき判明したばかりではないか?

 それが、そうであったなら? 実際には規模も人数も不明で、把握すら不可能では?

 魔導国の情報を集め、興味を示していたのは、いったい誰であったか? 暗号のやり取りだとしたら、我らが解明できるのか?

 過去から裏切りを示唆し、最近は頓にあの国へ行きたい素振りを見せていたのは…? それはすでに取引済みだったとしたら?

 大切な資料などが床にブチ撒けられるのも構わず、元来た道を走った。

 宮廷会議の場に戻るべく。

 誤解かもしれない、考え過ぎにも思う、疑心暗鬼に陥るべきではない、信じてやりたい、だが、その決定は個人でしてはならない。

 一手誤れば、滅びるのはこの帝国なのだ。裏切りも洗脳も些細な疑いも晴らさねばならず、その判断を下せるのは、ただ一人しかいない。

 だから、全力で駆ける。


 帝国歴代最高と言われる、ジルクニフ皇帝陛下に報せるために。

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