第3話 直観

「茨に飛び込んだ男の話はしたっけかな?」

「なんだい、そりゃあ」

「昔、家の二階から茨に飛び込んだ奴がいたんだが、案の定、傷だらけになったんで『どうしてそんな事をしたんだ?』と聞いたんだ。」

「そいつは、何て答えたんだ?」

「それが、『その時は良い考えだと思った』んだとよ。」


 突然の報に、帝城は騒めいていた。

 皇帝名で届いた<伝言メッセージ>の魔法で知らされた内容が、あまりに荒唐無稽であったのが理由である。

 とにかく警戒の段階を戒厳に上げる心構えだけはするものの、誰も皆、困惑しかなかった。

 ガテンバーグの悲劇、その再現では? との声も聞こえるが、そのすぐ後に<飛行フライ>で飛んできた魔法詠唱者マジック・キャスターの伝令が同内容を門番に告げ、門の詰め所から城内中枢に情報が飛ぶ。

 近衛が厳戒態勢を明確に打ち出し、迅速な行動に移りつつも動揺は隠せない。

 そこに緊急の旗を掲げラッパを鳴らす二騎の伝令が大通りを早馬で駆け、城を目指して来るを見るに、警備する全員が理解した。

 あれは馬鹿げた冗談などではなく、真実なのだと。

 悪い夢が現実に起こったのだ、と。

 帝国の誇る情報・警戒網の全てを掻い潜り、国家防衛の最前線に携わる誰一人に察知されることなく、魔導王は入国を果たしていたのだ。


 これで戯れにでも、王国軍二十六万を壊滅させた魔法をこの首都で唱えられたとしたら……、いったい誰にその地獄の再現を止められるというのか?

 先の戦争を知る者は、恐怖と絶望を感じずにはいられなかった。

 門番の兵士長が、誰に言うでもなく呟いた。

「歴代最強と言われた闘技場の武王も、どんな魔法で斬殺されたのか、想像したくもないな…」

 それが聞こえたのか、伝令が答える。

「いえ、剣で武王にとどめを刺しました。」

「…お前は、何を言っているのだ?」

「そして、魔導王…陛下は、その場で武王を生き返らせました。」

「本当に、お前は何を言っているんだ?!」


 道の左右を整列した帝国近衛兵が警戒する中、闘技場より帰城した皇帝の馬車が走る。極度の焦燥と緊張で、まるで空気が張り詰めているようだ。

 城の入り口に横付けされた馬車から、四騎士の二人と、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが降り立つ。

 いつもは余裕の笑みを浮かべている鮮血帝も、今日はどこか追い詰められているような焦りが、行動のそこかしこに垣間見える。

 四騎士である"雷光"バジウッド・ペシュメルと、"激風"ニンブル・アーク・デイルアノックも、皇帝の護衛として同行していたのであろうが、その表情は険しく足取りも重い。

 しかし、警護にしても二人を連れるのは過剰ですわね、とレイナースは思う。目的が闘技場の観戦であるなら、さらに謎だ。

 皇帝のその日の行動予定は、暗殺などへの対策で同行する側近や城内でも一部の者しか知らされない事も多い。帝城の守護として城内警備の任に当たっていたレイナースには秘されていた事について異議はない。

 ただ違和感がある。なぜ闘技場?

 つまり、ということだろうか。それが三人の渋面の答えであるのかもしれない。

 大体、魔導国の王と帝国の闘技場の関連がさっぱり分からない。実は元剣奴のアンデッドなの? 魔法詠唱者マジック・キャスターじゃなかったの? と、疑問ばかりだ。

 魔導王が帝国に密入国した時点で警戒は納得だが、緊急会議に貴族も呼ぶ以上、まだ何かがあるのだろう。

 今は、城に帰って来た皇帝陛下を、近衛に警備に全員最敬礼で迎えるのみ。

 一同を前に、皇帝は支持を出す。

「厳戒態勢を維持し、武官文官を問わず長を皆、大至急玉座の間に集めよ。」

 皆が礼を持って応える中、そのまま歩みを止めずに進む。四騎士の二人に加え、レイナースと近衛隊長、近衛兵、警備兵が付き従う。

 玉座の間を前に、ジルクニフが身支度を整える為に近衛と向かい、引き連れてきた警備兵は玉座の警備に組み入れる。扉が開かれ、来た者から続々と所定の位置に並び始めるが、集まってくる皆の「いったい何が起き、今から何が始まるのか?」のやりとりは留まることを知らない。

 それは四騎士、特にレイナースも同じだった。

「いったい何事ですの?」

 ニンバスは隣の男じっとを見て、当人のバジウッドは肩を竦めている。

「それが俺にもさっぱりでね。只事ではない、ってのは判ると思うが、陛下のお話を聞いてからじゃないと、なんとも説明が難しいんだ、これが。」

 喋り方はお道化ているが、目は笑っていない。言えば危険な事があるのだろう。つまりは、どこまで語っていいのかがバジウッドには判断出来ないほどの秘密がある。

 この男の陛下に対する忠誠心はとても強い。裏切りと取られるような行為は、死んでもしないだろう。

 故に、もう一人に視線を向ける。ニンバスは困ったように笑う。

「バジウッド殿と同じく、陛下のご判断を先ずは聞いて欲しいところですが、闘技場での一戦については知恵を借りたいですね」

「それも理解が難しかったのですけれど、魔導王と武王が戦いましたの? いったい、どうして?」

 二人は首を傾げる。

「魔導王には理由があったみたいなんだが、聞きたいのはそっちじゃないんだ。なぁ、普通の武器が効かないモンスターがいるだろう?」

 話が飛躍している気がして苛立つが、とりあえず首肯する。銀や魔法武器でないと切れないような存在もいる。

「で、だ。魔法武器を持っている武王レベルの攻撃が一切効かないなんて事が、在り得ると思うか?」

 目の前の男が何を言っているのか分からない。

 なので、疑問を素直に口にする。

「貴方、酔ってますの?」

 言われたバジウッドは苦笑いだ。

「まぁ、実際に目にしなきゃそう思うだろうし、陛下も俺もニンブルも全員が酔って同じ悪夢を見ちまったってんなら、その方がありがてぇけどよ。ありゃあ、マジだったんだ。」

 ニンブルが強く頷く。

「初めは、武王の攻撃も効いていたよう見え、魔導王陛下も吹き飛ばされたり叩きつけられたりしていたのですが、武王が追い詰められ鎧を脱ぎ捨てた後に『本気の力』を見せて欲しいと頼んでから止めの一撃を受けるまで、その身にまったく打撃が効いたようには見えず、平然と歩いていました。」

 しばらくの沈黙があった。

「え、その身に? 修行僧モンクでも、武王の一撃でミンチですわよ…。仮に、肉体強化かつ永続的<不落要塞>並の武技など、存在しますの?」

 そこでレイナースは、本気で心配になる。

「貴方たち、本当に平気なんですの? 熱でもあるのではなくて?」

 彼女の普段の様子も知る身としては、複雑な気分の二人であった。偏執的に自分本位のレイナースに、ここまで身を案じてもらった事など、初めてではないだろうか。

 それほどまでに信じられない事を口にしている自覚はあるが、目にした現実は消えてはくれない。

「ご心配、痛み入るよ。ただ、近接戦で武王でも倒せない存在をどうすればいいのかなんて、考えただけで本当に熱が出てもおかしくないわな。あれが武技かも魔法かも、わかんねぇしな。」

「そもそも、魔導王は魔法詠唱者マジック・キャスターですわよね?知っている魔法の中にそのような効果の物はありませんし、 …未知の高位階魔法であるなら、私ではお答えできませんわ。」

 ニンブルが唸る。

「魔法といえば、死んだ武王を生き返らせてもいましたからね。」

 レイナースの左目が点になる。

「…生き返らせた? アンデッド化などではなく?」

 二人は揃って肯定する。「おそらくは、その時に持っていた杖の力を使ってだとは思いますが。」とニンブル。

 その杖がマジックアイテムであれば、種類によって使用の際に決まり事があるはずだが、魔導王は信仰形魔法も使えるということなのか、杖ははったりブラフで高位のアンデッドになると復活もできるのかは判断すら出来ないが、それはにはならないだろうか?

 呪いの解き方も知っている確率が高まる。ふと、右目に手を伸ばす。滲み出る膿に気付き、ハンカチで拭う。

 絶対の超越者オーバーロードの持つ力と知識、まったく底が知れない。期待は膨らむが、篝火に飛び込む蛾の末路も頭に過る。

 絶大なる存在は、レイナースにとって暗闇を照らす光か、身を焦がす炎か。人間の尺度で測れない為に、謎が謎を呼ぶ。

「復活の力まで使えるとは……。」

 バジウッドの顔が曇る。

「死者を蘇らせるってとんでもない奇跡を、パフォーマンスに使うんだからな。まるで手品みたいにサッと杖を一振り、はい蘇生、だ。魔導王の軍勢には、あれだけ強いアンデッド以外にも例の闇妖精ダークエルフなんかもいるわけだろ? 例え側近の一人を倒せたとして、ありゃ無限に復活も出来るんじゃねぇか?」

 聞きたくない、やめて欲しい、あってはならない現実だ。しかし、聞き逃せない言葉もあった。

「パフォーマンス?武王を復活させた事が、ですの?」

 闘技中にも死者は出る。対戦相手が、殺した剣闘士を蘇らせた、という話は聞いた事はないが、それをした魔導王には別の狙いがあったというのか?

 二人が目配せをし合い、ニンブルが答える。

「闘技場で魔導王陛下が対戦した目的が、武王との闘い後に行った魔導国への勧誘と宣伝であったようです。復活魔法を使って見せたのも、その一環だと思われますね。」

「…勧誘? 帝国で、ですの? あの魔導国が?」

 あれだけ異常で異様で圧倒的な軍事力を保持する国が、バハルス帝国の闘技場でいったい誰を勧誘するというのか? 武王? 自分で殺しちゃってますけど?

「求めているのは、あの国に来てくれる冒険者のようです。死者再生も可能な、強力な力でサポートする、と。」

「は?」

 闘技場、武王、復活魔法ときて、なぜそこで冒険者?

 それ必要ある? エ・ランテルには冒険者が誰もいないの? など、疑問ばかりが増えてしまう。

 だがしかし、冒険者? ……それも、魔導国の…。

 その時、皇帝及び玉座の間への集合が完了した事を告げる大太鼓が鳴る。

 全員が黙して整列し、敬礼を掲げる。再度、大太鼓が鳴るとジルクニフが姿を見せ、玉座に掛ける。

 城に戻ってきた時にはどこか疲れも見られたが、今は重大な物事を完遂させる意志と覇気を漲らせていた。

 変わったのは雰囲気だけでなく、儀礼による進行を片手で制し、二人の高官に拡声のマジックアイテムを用意させている。

 準備が終わると、明瞭な皇帝の声が玉座の間の端端まで届く。

「異例ではあるが、迅速に事を成さねばこの国が不可逆の荒廃に呑まれる。故に、我が忠臣である皆には皇帝としての決定を直接この場で告げ、その後に叡智の発揮と不撓不屈の献身を望む。先ずはその絶対の大前提として、バハルス帝国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となる。」

 静寂があった。それ以上に動揺も。それが皆の口から出る前に「聞け。」と鮮血帝が機先を取る。

「なんとしても、これを成す。皆の疑惑や不平不満は、帝国の安全を確立してから耳を傾ける事はここに宣言しよう。只今は、そこに至るまでの未来を獲得すべく、それぞれの役割を忠実に果たせ。」

 帝国の運用に関わる臣下は、現在集められるだけこの場にいる。闘技場で何らかの大事件が起こった事も、短い時間の間にも多少は聞き及んではいる。だが、この帝国が属国化する程の物だったとは、重臣を始め誰もが納得しようもない。

 ただ、玉座の"鮮血帝"の気迫は、過去に類を見ないほど苛烈だ。

「これは帝国建国以来、最大の難事である。しかし、この困難を乗り越えねば、繰り返すが帝国…いや、人間に未来の希望は無い! 油断や失敗、それらが即、人類の命取りになると肝に命じよ。今より宮廷会議を開き、属国の草案作成を始める。各所は専任官を選出する事。外交長官。」

「はっ!」

「諸国に帝国属国化の旨、正式に通達する。魔導国の動く前に、これを果たせるよう手筈を整えよ。」

「畏まりました!」

 各官の長に皇帝からの支持が飛ぶ。

 内政は貴族も集まっての、国内の取り纏め。"激風"はこの時の警護の任。

 騎士団は厳戒態勢の維持と、各地での内乱の警戒。

 近衛も態勢の維持。帝城守護には、"雷光"と"重爆"、レイナースの役割も決まる。

 ジルクニフは采配し、大前提の属国化に向けた各所の基本方針を決め、休む間もなく宮廷会議を開く。長官や隊長は配下と共に動き出し始めた。

 帝国が内部から大きく動く。アインズ・ウール・ゴウン魔導国という、外部の存在によって。

 鉄火場、戦場の空気は好きでも、国家存亡の危機の真っ只中にある城内のソレは勘弁して欲しかったバジウッドはぼやく。

「なんとも嫌だねぇ、剣で決着が付かないってのは。戦っても負けるにしたって、あまり力になれねぇ事ばかり進むってのは堪えるぜ…。」

 四騎士として守護の任務も大事だが、今の政治や外交に奔走する皇帝陛下の役に立てているかは疑問だ。

「貴方は陛下の支えになっていますでしょう? それに…」

 訝しむバジウッドは、レイナースを見てぎょっとする。彼女の左目が見開かれ、爛々と怪し気に輝いているようだからだ。

「希望はまだ、あるかもしれませんわ…」

 右顔が疼く。

 冒険者、か…。もしかすれば……

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