第23話 城壁

 支援もなく、包囲された城の中で、人々が何を食うかとなれば自ずと答えは限られる。

 飢饉や飢餓の発生の度に食されるは、古くからの解決策の一つに過ぎないとも言えるが、

 周りを囲む城が国家に代わっても、虐殺を犯す者には事欠かない。

 レーニンによる農村への懲罰は、現存する当時の資料だけでも数百万人の死者と飢餓を生み、ロシア史上最悪となろう。特に酷かったとされる○○○○川、○○○○、現○○○○〇などでは×××が横行したという。

 毛沢東による三面紅旗政策の死亡者数は推計で三千万を超える、人類史上の大虐殺…であるが、この後に劉少奇に批判されてなお文化大革命までも引き起こし、さらなる犠牲者を積み上げる。×××は三面紅旗の段階で既に発生していた。

 決定的な失敗をした者は、その帳尻を合わせようと。まるで犠牲者の数を競い合っているかのように、愚行を愚行で塗り替える。

「これは必要だったんだ」「原因は他にある」と事実を歪曲する。

 虐殺者にとって、生きる人々とはただ数字に過ぎないのかもしれない。


 レイナース一行は、帝国最後の街を出る。

 この先は砦と国境だけだ。

 南にはアンデッド多発地帯のカッツェ平野、このまま道なりに南西へと進めば、目的地の城塞都市エ・ランテル。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の都市だ。

 ゼファーとスコットが先頭。レイナースが続き、その後ろに二台の大型馬車で、道中ピヨンとザインもそれぞれ買った馬に乗り、殿しんがりに付いている。

 軍馬が、カッツェ平野の虐殺による退団者の増加の煽りで余剰気味になってしまい、値が少し落ちたのだ。騎士団の払下げ馬車と同様に買い時だと判断した。

 最も、魔導国では王国の軍馬がかなり余っているそうで、さらに安く買えると先程の街で聞き、二人が初めて見るような深刻な顔をしていた。

 馬、特に軍馬となれば安い買い物ではない。ピヨンとザインには生涯で最も高い金額だったのだろう。これから冒険者になれば、目の玉の飛び出るような物品にも触れたり購入する事になるので、慣れては欲しいところだ。

 帝国内の道すがら手合わせをし、全員の実力を量って来たがこの二人は第二、第三騎士団の所属であっただけに筋がいい。

 問題なのは二人。一切の信仰系統の攻撃魔法が使えない事が今更発覚したホッドと、暴力を間近に見ると様子がおかしくなるサンだ。冒険者の生活は神殿の中で女漁りだけしていても成り立つものではないので、性格も行動も魔法も良い所がないホッドはさらに役立つ範囲が狭まり、トロンが何かにつけて支えているサンも不安がある。

 不安、という点では、これから向かう先に勝るものはないが。商人からの報告書に目を通し皆で話たが、魔導国の都市に入るのですら覚悟がいるのだ。

 そんな事を考えている内に、道の先に国境の砦が見えてきた。

 帝国の側と、少し距離が離れて元王国の物と。

 どちらも門と壁に物見の塔があり、騎士が駐屯し旅人も泊まれる店や商店もある為にそこそこ広い。壁は砦を囲ってある範囲以外は木の柵に換わり、それも道から見える辺りからは、一定距離毎の杭や石柱になる。国境警備はこれに沿って警戒巡回し、不法入国や密輸者に対処する。

 帝国の砦にはかつての賑わいがない。エ・ランテルが元王国領であった時は年に一度の戦争中でもあったが、国境や麻薬の取締りやカッツェ平野のアンデッド対策には帝国も王国も融通し合い、流通などが滞らないように配慮もあった為に、商人も旅人も多くあった。

 今は、新規開拓に挑む商人はいるものの、旅人はまばらで、屋台の店主も客のあまりの少なさにこちらに期待の眼差しを向けてくる。

 ゼファーが速度を落とし、レイナースに並ぶ。

「お嬢、いい調子で進めてますし、小休止にしませんか? 店も旨そうなのが並んでいるのに、これはちと憐れですぜ。帝国料理の最終地ですし、ね?」

「スコット、ピヨン、ザインもよろしくてよ。馬車は先に検査を受けますわ。その間に、持ち帰れる物を皆の分も購入しなさいな」

 承諾に子供のように喜ぶゼファーは、三騎を連れて屋台に向かう。

 店主は来店客に喜んだが、大量に買おうと突撃するゼファーはともかく、スコットの値切り攻勢の前に防御陣地は蹂躙され、この一団に期待の視線を向けてしまった事を後悔すらした。

 ピヨンもザインも唖然とするし、ゼファーも呆れている。周りの屋台からも痛ましい目で見られる。

「スコット、お前なぁ…」

「これから魔導国に行くんだぜ? これくらいまけてくれてもいいだろ?」

 店主は疲れたように笑うと、「今度はあんただけで来てくれ」とゼファーに愚痴る。「向こうで成功したら、その時にまた来るさ」とだけ答えると、四人は馬で先に進んだ者たちを追って行った。

 集団の中、話に聞いた四騎士の一人も見た気もするが、店主には噂に聞く外見以外には本人かの判断は出来なかった。

 すると、今度は先の集団で御車をしていた男が、何人かの騎士も連れてこちらに歩いてきた。

 周りで開いている屋台の連中も集めると、店主に「これで砦の騎士たちに昼食の差し入れをしてくれ」と袋を手渡す。中にはかなりの金額が入っていた。

「こ…ッ!」こんなには貰えません、と言おうとして肩を叩かれ「頼んだぞ」と、去って行く。

 連れてきた騎士たちが、木箱を並べて、その上に馬鹿デカい調理用鉄板を置いて「出来た物は、この上に並べてくれ。みんなで食べさせてもらうよ」と言えば、屋台の皆は急いで各店の料理を運んで来た。

 お金を渡された店主は、袋の中身を確認して屋台の数で割るが、それでも多過ぎる。どうしたものか、と騎士たちに聞く。

「騎士の旦那方よぉ…。これだけいただいちまうと、何日あんたたちに無料ただで喰わせるべきかで悩んじまうよ」

 聞かれた騎士は笑った。

「あの方が言っていただろう? 『昼食の差し入れ』ってね。今、出来る分だけでいいさ。残りはあんた方の取り分だよ」

 その声が聞こえたのであろう、屋台の方々ほうぼうから歓声が上がる。

「…あの一行いっこうは見間違いでなきゃ、四騎士のお一人じゃなかったですかぃ?」

「ああ、四騎士であった"重爆"レイナース・ロックブルズ様とその配下の方たちだ」

「でも、身に着けていた四騎士の鎧じゃなかったような…」

「ああ、四騎士はお辞めになられた。…なんでも、魔導国の冒険者となるそうだ」

「四騎士を…」

 店主はそれ以上が言葉にならなかった。

 帝国最強位を捨ててまで、あの恐ろしい国に行く必要があるとは思えなかった。しかも、冒険者になるという。恵まれた要職から、不安定限りない職に就く気持ちが分からない。

 ただ、逆に切り開けるものがあると確信すればこそ、難事に挑もうとしているのかもしれない。ここを行き来する商人らのように。

 正直、店を畳もうかと思っていた。魔導国から離れ、出来るだけ東の地に行こうかと。だが、何かが変わるかもしれない。

 商売人や強者が見出すがあるのなら、むしろこの地にこそ可能性があるのかもしれない。

 そう考え、手にした硬貨を握り直す。

 とりあえずは足りない食材を商店で買う為に、店主は決意を新たに駆け出した。


 帝国の砦と同じく、魔導国側の砦も今の時間は門が解放されていた。

 二重に調べられるのは手間だが、互いの国で禁輸品も違う。元王国では、砦間で大体は把握していたが、魔導国になってからまだ日が浅く、また向こうが報せてくれないと何が禁制品に該当するのか判断は出来ない。

 故に、帝国側の物は取り締まれるが、魔導国側の砦での取締りは基準が不明瞭ではある。

 商人の話では、砦は特別なにかを調べたりはしないそうだ。

 ただ、聞いただけの事を鵜呑みにするのも、未知の相手には怖さがある。

「皆、気を付けなさいまし。ただし、こちらから手を出す事は絶対に許しません」

 レイナースが注意喚起をする。

 気持ちの問題ではあろうが、砦の門が迫ってくるようだ。

 魔導国の兵士は、槍も持たずに立っている。まだ経験が浅いのか、顔が緊張しているのが見て判った。

 ゼファーが一足先に向かい、こちらの到着を報せておく。武装した集団が来れば警戒するのは当然であるため、目的を伝えて騒動を避ける。

 この国境間を行き来する者がほとんどいない為、ゼファーもすぐに戻って来たが、どうにも不思議そうな顔をしている。

「お嬢、商人の話にエ・ランテルでの講習ってのがあったでしょう?」

 レイナースは肯定する。魔導国の都市となったエ・ランテルでは、問題の発生を未然に防ぐ為に講習を行うらしい。その内容に驚いたので、報告書を読み聞きした者はどうしようか悩んだものだ。

 結局、レイナースが行くと言えば、魔導国の入国条件を呑むしかないのだが。

「その講習がどうかしまして?」

「帝国からエ・ランテルまで行って、また戻ってくる連中もいたんだそうで、ここの砦でも事前講習が行われるそうですが、受けます?」

 否応もない。どうせ受けるなら、しっかりと確認した方がいい。

「受けますわ」と言って、一同にも声をかけて知らせる。

 砦に着くと、門番が緊張しながら声をかけてくる。まだこの仕事に就いて、日が浅いのかもしれない。人当たりの良い一般人にしか見えない。

「ようこそ、アインズ・ウール・ゴウン魔導国へ。皆様は初めてという事ですので、事前講習を受けますか?」

「おうよ、頼むぜ。こっちは全員で十三人だ」ゼファーが応える。

「了解しました。では、こちらへどうぞ」

 門番が歩きながら手の平で示した先には、「事前講習会場、こちら→」と案内板が丁寧にも置かれていた。

 砦の門を潜り抜け、視界が広がると矢印の方向には、屋根付きの広場になっており、馬や馬車でも並べるようになっていた。奥が壇になっており、なにか板に言葉が書かれている。

 そして、砦の壁の死角に何かがうずくまっている。

 その存在に気付いた者は皆、背筋が凍るような悪寒が走った。気配をまったく感じず、視界の隅に捉えるまでいる事も判らなかった、

 寝そべって首だけ立たせているだけで、成人男性の腿くらいまである。立ち上がれば、頭から前足までの高さが男性の胸にも届くかという大きな犬だった。

 全身の毛はやたらに短く、真っ黒であった。両の瞳だけが紫の妖しい光を放ち、呼吸も瞬きもせずにレイナース一行が前を通るのをただ見つめている。

 強い。

 圧倒的に。

 生物に見られているような感じが一切しない。刃物のように冷たく、獲物を狩る為だけに其処に在る……そんなだった。

 レイナースの感覚では、あの大墳墓で見た死の騎士デス・ナイトと同等。

 敵対すれば、恐らくはこの場で全滅する。

 そんな存在が、いる。

 この犬が、この砦の本当の門番なのだろう。人間の兵士は見せかけの案山子で、乱暴狼藉に及ぼうとする輩はコイツに食い殺される破目になる、と。

 国境を越えた段階で、すでに戦慄する。ホッドですら、顔面を蒼白にしている。これで、少しは事態を飲み込めたかもしれない。

 逆にパメラが興味を示して、「何? あのワンちゃん、お利巧」と手を小さく振っている。女性崇拝が黙ったかと思えば、犬好きが浮上してくるとは…。

 黒犬はただじっと見てくるだけで、動く事はなかった。

 兵士は、壇の前まで案内し「こちらでお待ちください」と一礼をして戻って行く。馬から降り、馬車は御者以外はその横に縦列で並ぶ。

 壇上で嫌でも目に付く板には、でかでかと注意事項が帝国語と王国の文字で書かれている。つらつらと読んでいると、広間に隣接する建物の扉が開かれた。

 直立歩行する爬虫類のような姿、蜥蜴人リザードマンが三人現れ、二人が扉の両脇に、一人が壇上へと進む。それぞれ違った特徴をしていた。

 壇に上がった蜥蜴人リザードマンは、赤い瞳で皆を見回すと話し始める。

「私はこの砦の入国管理官、となるノシホ・ルーリーである。私の仕える魔導国は特殊な事情が多い故、事前講習がここで行われる事となったのである。詳細はこの先の都市エ・ランテルでされるのではあるが、ここでは講習の内容をあらかじめ知ってもらい、入国を滞らせる事のないようにするのが目的である。早速、始めるのである」

 ルーリーは板に書かれた文字を順番に読み上げる。途中で質問しようと呼び掛けたスコットは無視された。最後まで説明してから、レイナースたちに向き直る。

「以上、質問はなんであるか?」

 スコットは憮然としつつも質問する。

「あの、本当に裁判で精神操作をするんですか?」

 皆もこれには同意しかねる、最大の難点であった。

 支配魔法は効果を発揮すれば、強烈に個人の行動を束縛する。かかってしまえば抵抗は無意味、相手の意志などお構いなしに命令を強制できるのだ。

 警戒するのは、人の社会では当然。精神操作魔法で裁判を進めるのは、外道の行いだ。

「ふむ、元からの狂人でなければ、問われた事に正直に答えれば自ずと無実となろう。戦士であれば、祖霊に恥じるような行為をせねば良いのである」

 問題は、どうしてそこまで信じる事ができるのか? という点なのだが、蜥蜴人リザードマンにはその根拠があるらしい。壇上の言葉に、扉に立つ二人も頷いている。

 納得が出来なくとも、魔導国の都市に入り暮していくには、どうしても受け入れなくてはならない事も確かではある。

 他にいくつかの質問をすると、法文のような詳細な説明でなければ、概要として教えてはくれた。法律としては、王国の頃からそれほど変わっていないらしい。

 質問を終えると、ノシホ・ルーリーは「では、あなた方の祖霊から祝福のあるように、である」と告げ、一礼すると出てきた扉に二人を伴って消えた。

 レイナースは馬に跨り、「行きますわよ」と声をかける。皆も乗り込んで、砦をエ・ランテル方面に向かう。

 こちらの砦は、帝国側よりさらに静かであったが、商店もあれば屋台もあるし、客もいる。帝国に向かう馬車もあり、多分ではあるが魔導国の商人だろう。すれ違いざまに「酒は持っていないかね?」といった話を振られたので、パメラの買い込んだ酒を一箱売った。

「あたしの⁉」

 余計な荷物と騒動を増やしていた者の抗議は無視し、商人に尋ねる。

「魔導国ではお酒が入り用なんですの?」

 商人は肩を竦めた。

「国の方で買ってくれるってんで、集めているんですわ。なんでも外交に使うみたいですけどね」

「外交に?」

 他国の重鎮を酒でもてなす、という目的でもあるのだろうか?

「なんでも、山小人ドワーフの連中が好きそうな酒が欲しいみたいでしてね」

 レイナースは内心驚く。バハルス帝国属国化の流れの中で、すでに山小人ドワーフの国とも外交を始めているとは、思いもしなかった。

 電光石火で経済圏を拡大している。

 乗り遅れたような焦燥を、忍耐で押し殺す。

 様子の変わったレイナースを訝しむ商人に、スコットが「いい酒が手に入るといいな」と送り出す。商人もそれ以上は留まろうとせず、「一箱分、酒をありがとう」と帝国に向かった。

 馬車からエメローラが心配そうに声をかける。

「大丈夫ですか、レイナース様?」

 何かに耐える様にレイナースは俯くが、やがて小声で話す。

「…平気ですわ。でも、少し急ぎます」

 そうとだけ言うと、馬を進めた。疼く右の顔を白布で拭いながら。


 速度を上げた事もあり、夕方となる前にエ・ランテルの三重城壁の最外縁部の門に辿り着いた。

 帝国でも、ここまで立派な物は珍しい。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王は、この堅牢な城壁を打ち破る事無くカッツェ平野での大虐殺魔法の一撃で、敗北したリ・エスティーゼ王国より譲渡された。

 死の王が支配する魔都。

 アンデッドの蠢く死都。

 そんな想像とは裏腹に、外からでも人の姿が確認できる。

 それは話に聞いていたし、こうして目にしてもいるが、この門が高笑いする骸骨の様にも見えてくる。

 城壁に入るという事は、という事でもある。門が閉じられれば、牢獄の囚人と大差がない。

 今から、そうなる。

 自らを解放する"鍵"を求めて、レイナースはここまで来たのだ。

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