第22話 恩義

「なぜだ、なんでここまでしてくれる?」

「恩が、あるからだ」

「恩?」

「味噌汁と、おにぎり」

「何? 何の話だ?」

「もらった物さ、炊き出しをしているだろう? 昔も、今も」

「ああ、ボランティアで…。いやでも、それじゃ釣合が取れないだろう?」

「そんな事はない。俺はあの日、あんたから貰った握り飯で助かった。道を外れずに済んだんだ…。だから、こんな事はなんでもないんだ」


 夕食の片付けも終わり、夜間の見回り当番に夜食を渡すと、エルト・イナンウの今日の仕事はほぼ済んだ。さすがに連日の仕事が増えて凝った肩をほぐしながら、最後の確認に従業員の休憩部屋に行くと夫がお茶を淹れていた。

「お疲れ様、今夜も大変だったかい」

 温めた牛乳でお茶を割り、ミントの葉を浮べる。部屋にその芳香が広がった。

 二人並んで椅子に座ると、お互いのティー・カップを軽く掲げる。飲めば、温かな甘味と、爽やかな香りがした。

 この一杯で、ようやく一息つけたような気がする。

「大変なのはお互い様でしょう? 何かあったの?」

 エルトはノーラックに問いかける。

「…私も魔導国に行く事になりそうだよ」

 両手でカップを包み込み、目を閉じるエルト。

「私は、そうなるだろうとは思っていましたよ。あの我儘わがまま娘が、誰からもお世話をされずに生き残れるもんですか。朝食が用意をされていないだけで、餓死するのは目に見えているでしょう?」

 溜息を吐く妻に、苦笑するノーラック。

「これを機に、人様のありがたみというものを、少しは感じてくれればいいんですけどねぇ…」

「それには、まだ時間がかかるだろうね。…君は、残ってもいいんだよ?」

「嫌ですよ、この年になって離れ離れなんて。どうせもうじきお迎えは来るんです、それまで一緒にいる方がいいじゃないですか」

「そうだね」

 二人で笑い合った。

「少し、安心したよ」

「お嬢様が支えられているように、あなたにも支えてくれる人が要りますからね」

「なら、相談に乗ってくれるかい?」

「謹んでお請けいたしましょう」

 気取って言うエルト。

「子供たちには、何と言うべきかな?」

 老後は心配しないでね、と故郷で帰りを待ってくれている子に孫にどう伝えるべきか? ノーラックは悩んでいた。

「新しい冒険に行ってくる、と。それでいいじゃありませんか」

「冒険、か」

「人生は挑戦よ。私もたまには馬車に揺られて、知らない街の泊まったことのない宿で、初めて目にする料理をのんびりと食べてみたいわ」

 そういう冒険なら私も挑戦してみたいね、とノーラックは同意した。

「でしょう?」と、エルトは得意気に笑った。


 夜が明けると、レイナースは今日明日で一日六名づつ、必要な装備を揃える様に命じた。本日はホッドの基礎訓練は確定していたので、ロイドも担当する為に残った。屋敷の片付けには、パメラ、ラーキン、ザイン、サン。

 残りの六名が荷馬車で買い物に出かける。

 次の日は、別の六名が市場に向かうと、秘書官のマルドが、入れ違いに屋敷へとやって来た。いつもの馬車に、宝物運搬用の馬車と警護も連れていた。

 それに四騎士の鎧が運び込まれる。帝国へと返還されるために。 

 帝城でレイナースの退団式が、今日これから行われるのだ。

 付添いはゼファーとスコット。三人共に騎士団の正装に身を包む。四騎士の馬車が用意され、乗り込むと帝城へと出発した。

 城の方は慌しい。これは"重爆"の退団絡みではなく、依然として魔導国への属国化が予断を許さないからだ。現状の国力を把握し、魔導国からの要求を予測し、何をどれだけ譲り渡すのか、またその後の影響を試算するのは、関連項目の数だけ増大する。

 捕れぬドラゴンの皮算用、とも言えるが、帝国の未来が掛かっているのだから、やり過ぎるという事がない。例えば、魔導国が「産出する貴金属を全部よこせ」と要求してきたとして、そのすべては呑めないまでも、どの段階までなら市場の崩壊が起こらず、また相手を怒らせないに足る譲渡量かを考えたか否かでは、本交渉の際のこちらが返答する速度も変わってくる。

 バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの厳命に、事情を知る側近や重臣たちの気迫が、下の者にも伝わっている証左でもある。これが帝国の存亡に関わる大事だという事が。

 ただ、ジルクニフには帝国四騎士など上位の者たちの扱いを蔑ろにしたくはない事情もある。これは忠誠にも直結するが、冷遇されて面白いはずもない。"重爆"の退団式は、情勢を鑑み一部略式を採用する方針ではあるが、帝国の各代表者で正式に執り行う儀式には変わらぬ態度で臨む。

 近年の四騎士は、カッツェ平野の虐殺より前の戦争で王国戦士長との戦いにより二名が戦死、大墳墓からの使者によるで"不動"が殉職、そこに"重爆"の退団だ。

 帝国最強位として四騎士を扱わねば、今後に続く者にも悪い印象を与えてしまう。

 そもそも、帝国四騎士の位を捨て魔導国の冒険者になる選択をする者だ。「裏切者は放っておけ!」という意見もある。

 そこで、時間の短縮や簡略化はするが、儀式としては皆できちんと行う事にしたのだ。四騎士の特権としての特別措置と受け取られるようにもする。宮廷会議の為に帝都に各地の重鎮が集まっているのも、呼び集める手間が省けて短時間開催には幸いした。

 集まった皆にも様々な思いがある。同じ四騎士である"雷光"や"激風"にも、各騎士団長にも、次の最強位を戴くであろう者たちにも。ジルクニフは不安要素が一つ減る事の方が重要であったので、"重爆"の魔導国行きは歓迎する側だ。

 この数日、レイナースに関する全てを任せていた秘書官マルドからの報告では、使う事を許可していた資金も武具も一切要求されなかったようだ。秘密裏に用意した物なので、使わなかったのであればそれに越した事はないが、皇帝は少し迷う。

 四騎士の鎧が帝国へと返却され、皇帝からは褒美として勲章と褒賞を与える…のだが、"重爆"は四騎士の位に就いてから長い訳でも、特に厚い忠義があった訳でもないので、規定に従った額ではあるが褒賞が若干寂しい。

 騎士団の法に則った褒賞金を逸脱するのは、特別措置ではなく、他の者に示しがつかない愚行と成り兼ねない。そして、国を去る者を偏重しては、帝国に忠節を尽す臣下にも揺らぐ切っ掛けとなるだろう。

 だがしかし、帝国の冒険者募集が魔導国の罠であり、この流れも、操られている或いは裏切る可能性のある"重爆"の扱いもすら…ある種の試金石なのでは?

 そんな疑念が湧く。

 特別扱いを徹底すれば、帝国の忠臣からも、我々には国からの支援がないと不平不満を持つ冒険者志望からも、要らぬ怨みを買う。

 しかし、帝国騎士団から情けない集団が魔導国に行った結果、「帝国にはこんなのしかいないの? じゃ、滅ぼそーっと」などと虐殺魔法を放たれる危険性も。なくはない。

(可能性の問題であれば、どんな事すら起こり得るのがだ。ここはどうするのが最良だ、ジルクニフ?)

 皇帝は自身に問いかけるが、答えは出ない。あのアンデッドの思考など、読めと言う方が間違っている。

 なので、素直に聞いてみる事にした。

「レイナース・ロックブルズ」

「はっ!」

 打てば響くような、理想の反応ではあるが、聞きたいのは本心だ。

「この度の其方の決心、帝国にとっても難事となろう。何か望む物はあるか?」

「過分なお言葉をありがとうございます、陛下。すでに多くの恩義がありますれば、これ以上は身に余るというもの。寧ろ、帝国に逸材在りと思わせる働きを示す事で、この御厚情に報いねばと想いを新たにしました」

 断られちゃった。

 周りも多少ではあるが、やはりざわつく。

 これ以上は出来ないと諦め、鷹揚に頷くにとどめる。

 これで、"重爆"レイナース・ロックブルズは、四騎士の位を降り、帝国騎士団より退団した。

 この流れはこちらの予定調和、のはずだ。

 裏切りの容疑が晴れぬ者を、賛同者と共に国外に送り出す。帝国内の不安材料はこれで減った…よな?

 皇帝ジルクニフは、何をやっても確信が持てない現状に徒労感を増した。

 ともあれ、賽は投げられた。

 帝国にとってもそれが良い目であると祈るしかない。

 それくらいしか、出来なかった。


 次の日、サントアッド商会の最後の幌馬車とロックブルズの荷馬車と騎士団からの払下げを購入した大型の幌馬車、そして秘書官の馬車が並んでいた。

 マルド・シカクネスは最後の挨拶を終える。

「それでは、ロックブルズ様。短い間ではありましたが、ありがとうございました」

 深く頭を下げる秘書官に、レイナースは頷く。

「貴方もご苦労様でした」

「御武運を」とマルドは祈りを捧げ、帝城へと戻って行った。

 次に、商人クフガルアとノーラックがやってくる。

「こちらも積み込みが完了次第、魔導国に向かいたいと思います」

「ええ、四人を頼みましたよ」

 結局、屋敷の従業員で魔導国に付いて来る者は、執事とその妻に馬飼いとなった。皆、貴族であった頃からの顔ばかりであった。グマルカ老も行くと言ったのには、少し安心した。「惜しむ命でなし、儂は馬の面倒を最後まで見たいですわ。もしアンデッドに向こうでなりましたら、そのままずっと馬の世話をしてますわい」

 ノーラックたちは商人らと共に、先に魔導国での住居を整理する為に先行する。これにラーキンの妻アマンダが付いて行く。これが四人。

 レイナース達は三日後に帝都をつ。それまでは宿屋に滞在し、帝都で最後の準備をする。なので、屋敷を離れるのはレイナースらが先だ。

「ノーラックも、後はお願いしますわ」

 屋敷の確認を終えたら、鍵類を帝国の管理者に返却しなければならない。それも執事に任せてある。

 ノーラックとクフガルアが礼をする。

 レイナースは愛馬に跨り、屋敷を見る。生家に次いで長く住んだ場所だ。

 そして、自分とこの先の旅に向かう者へ目をやる。レイナースの動きに、ゼファーとスコットが馬に乗り、大型馬車にも四名が乗り込む。残りの六名は、もう一台の大型馬車で先に宿を取っているはずだ。

 レイナースは馬を進める。

 貴族令嬢ではなく、四騎士でもない、新たな人生である冒険者となる為に。


 帝都アーウィンタール最大の宿屋は、問題なくレイナースたち十三名を向かい入れた。これから三日間は、この宿を中心に徹底的な準備に取り掛かる。

 未知なる魔導国に挑む下準備に、帝国にはここ以上に様々な品揃えの都市はないであろう。勿論、分野毎に特化した都市もあるが。

 明日に備えて、今日は鋭気を養う。

 そして……、一晩で叩き出された。

 この宿屋史上最悪の"魔の夜"として記憶される事となる大騒動の果て、レイナースらは二日目の宿の捜索から再出発する破目となった。

 冒険者の集えるような宿屋は出禁の噂が即座に流れ、請負人ワーカー連中御用達の"歌う林檎亭"に、パメラとスコット、ホッドの頭に布を被せ首と手足を一本の縄で縛りつけた上で泊まる事となった。

 そこもレイナースのに、ベッドは粉砕され建物全体が震え、朝食と共に出立を余儀なくされる。

 結局、別の準備が必要になった。

 三日目にして、野営の日々が始まったからだ。

 通りがかる巡回の帝国騎士すべてを「…何故、宿に泊まらないのですか?」と、困惑させつつも、彼女たちは帝国を南西へと進んで行った。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の都市、エ・ランテルに向かって。

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