第19話 夜のチャイム

 トントントン

「こんな夜更けにどなたです?」

「旅の按摩でございます。土間の隅でも構いません、一夜置いてはくれませんか?」

「おっと、夜道は危なかろうて。土間と言わずに、さぁさ上がった」

「目の見えぬ身には昼も夜も道は同じですが、夜の寒さは身に染みます。いやそれにしても、ありがたい。人の情というものは、なんとも心に沁みますな」

「火に当たって白湯でも飲めば、寒気も何処かへ飛ぶだろう。丁度ここ何日か、母も腰が病めると嘆くので、診てやってもらえるかい?」

「そりゃもちろん、お任せください。火の温もりでかじかむ手から、震えも去れば百人力でさ」


「何コレ?」

 レイナースたちが神殿に行っている間に来たであろうパメラ・ドルメラエが、荷馬車に載った縄で縛られ気絶している男について尋ねる。

「今回の旅のさ」

 要領を得ないゼファーの説明に、色違い仮面越しの瞳をロイドに向ける。

「ホッド・トモッコ。冒険者になる神官はいないか、と神殿に頼んだら一番の問題人物を紹介されたようだ。倒れているのは、あまりに喚き続けるから、ある人物に大人しくされたんだ」

 の言い分。「性別で態度が豹変するんだが、男でも女でもなくコイツの頭が狂ってるんだ」

「…また変なのが増えたワケね」パメラの諦念。

 ゼファーはがさつな面もあるが、人に関しては面倒見がいいし、何より戦闘では仲間を守ろうと真っ先に飛び込む。その男がここまで露骨に嫌がるのは、相当おかしいのだろう。

 敵には容赦がないが、にも同様だ。それ以上かも。

 荷馬車から荷物が降ろされ、使用人に運ばれて行く。ホッドなる男は、ゼファーとロイドがレイナースの指示で何処かへ連れて行くようだ。

「あ、ロイド。それが終わったら、この荷馬車で乗せてってくれる?」

 何処へ、という行先とその理由を確認したいのだろう、ロイドがパメラを見る。

「街に行きたいの。お酒、あたしの好みで買いたくてさ」

 了解したように、ロイドは首を縦に振った。


 屋敷の修練場に気絶したままのホッドを寝かせると、ゼファーは縄を切ってやり、ロイドは荷馬車に戻った。

 レイナースは武装を整えて出てくると、男神官の様子見をゼファーと交代する。

 ゼファーも装備を用意する。今回は打撃などより魔法の防御を優先させる。その原因はあの神官、ホッド・トモッコにある。

 彼は帝国にいる信仰系魔法詠唱者マジック・キャスターでも珍しい第四位階の使い手だ。その戦闘能力は頼もしくも恐ろしい。…特に思考や判断がおかしいと、何をしでかすか分からない。

 支度の出来たゼファーに、「彼を」と言えばすぐにホッドの体を起こし、縛っていた縄をナイフで切ってやる。

 神官の男は呻き声を上げながら目覚める。

「ここは…?」茫洋としているが、レイナースに気付くと軽く礼をしてくるが、ゼファーの姿を見ると途端に不快気になる。

「貴様ぁ……」

 透かさず、レイナースが手にした剣でホッドの肩を打ち据える。

「あうちっ⁉」

 悲鳴を上げるが、肩は切れてはいない。今、レイナースとゼファーの持つ剣は、刃がない金属製の模擬剣。斬れなくもないが、打つ方に近い。

「よくお聞きなさい。一つ、勝手に行動せず話さない。二つ、返事は"はい"のみ。三つ、余計な事をすれば制約ルールが増える。お分かりになりまして?」

 ホッドは髪をかき上げる。

「フッ、そ…れぶしっ⁉」二度目の剣撃を喰らう。

「一つ、勝手に行動せず話さない。理解できまして?」

「理か…いびんッ⁉」三度。

「二つ、返事は"はい"のみ。…先程、言葉にしましたのに、もぅ忘れるなど」

 レイナースの呆れ顔。

「あなたが神殿で何を学んだかは存じ上げませんわ。けれど、他の人間と会話が出来ないのは、忌々ゆゆしき問題。様子を見ていますと、言葉を理解し実行する訓練から始めなければならないようですので、それを反復訓練しましょう」

 返事は? と問えば、今度は「はい」と応える。笑顔と白い歯を見せながら。間髪入れず、レイナースの拳が飛ぶ。

「一つ、勝手に行動せず話さない。自分が余計な事をして神殿の信用を失墜させたのを忘れましたの? 今度は多くの人の命を失わせるつもりで、何度となく同じ愚行をしているのかしら?」

 心底、不思議そうなレイナース。

 ゼファーから見れば、二人の偏った思考は男か女かの違いでしかないので、どちらも他人には危険だ。ただ、レイナースは呪われる前は他者を守る意志があった。男を嫌悪するホッドには、呪われてもいないのにがまったく無い。これには大差がある。

 出会ってから数時間だが、明らかに言動がおかしい。犯罪組織では、こうした突拍子もない人間も役に立つが、神殿でも冒険者でも仲間を危険に曝すだけだ。帝国騎士団であればで消える類の、度が過ぎる愚か者。

 になるかを今すぐに見極めないと、レイナースも焦りで爆発するかもしれないし、替えを探す時間もなくなってしまう。

「自分に治癒魔法をおかけなさい」

「はい」これには従うホッド。口に受けた傷も消えていく。

「よろしい。次は気を付けの姿勢。真っ直ぐに立ってご覧なさい」

 背筋を伸ばしたのを、顎を引きなさいとレイナースが指摘し、ゼファーが両手で頭を正しい角度に修正する。すると、ホッドが反応する。

「男が…ぼふぅんッ⁉」

 腹を強打され、その場に膝をついて倒れ込むホッド。

「回復。そして、気を付け」

 坦々としたレイナースに、呻きつつ「はい」と答えて立ち上がるホッド。

「基礎だけでも憶えて行きましょう。あなたが自力で回復を出来なくなるまで」

 “重爆”はを有言実行した。


 帝都の日が沈む。

 呼び鈴にノーラックが出れば、右目に頬を赤く腫らせたスコット・ジャンジーが立っていた。

「ようこそおいでくださいました」

「お世話になります」苦笑するスコット。

 おそらくは今の女性と別れて来たのであろうとは予想しても、執事はただ屋敷に迎える。

「先に届きましたお荷物を確認なさいますか?」

「そうします」

 ノーラックが荷物置き場に案内すると、屋敷の奥からロイドがやって来る。

「馬車を戻してきました」

「ありがとうございます」礼をする執事。

「こちらこそ、荷物運搬に買い物にと助かりました。…お、スコット」

 着替えでも入っているのだろう、手提げ袋を一つ持って、顔を腫らせた男がいた。

「大丈夫か? 大部屋に案内しよう」

「頼むよ、なんだか疲れちまった」

 ノーラックから夕食の時刻を教えられてから、寝泊りする大部屋へと廊下を進む。その間にスコットはロイドに聞きたい事を尋ねる。

「なぁ、日毎に六人づつ集まるんだろ? 今日はオレら三人以外は誰?」

「エメローラ、パメラにホッド・トモッコという神官だ」

「フーン、どんなヤツよ?」スコットの質問に、しばらくの沈黙がある。どうしたら上手く説明できるか考えているのだろう。

「…男を毛嫌いしている。女性崇拝者、だそうだ。今はレイナース様とゼファーに基礎訓練を受けているようだ」

「基礎訓練? どっちの意味で?」

 基礎訓練が必要なのは、新兵か、役立たずか、或いは…。

「…信仰系の第四位階まで使えるそうだが、短い時間でも見た限りでは、基礎もなく、それ以上に性格が危う過ぎる」

「あちゃー、ダメな奴じゃんか…」

 ふとロイドが立ち止まり、スコットを見つめる。

「どしたの?」

「トモッコと言う男は、お前のように恋の多い性格とも、また微妙に違うのかもしれない。同性を憎むのはレイナース様の呪い故の嫌悪と似てはいるが、男性であるというだけで拒絶するのは常軌を逸している」

「オレらの悪い部分を総取りってこと?」頬をさするスコット。

「身も蓋もなく言えば、そうかもしれん。だが、出来れば支えてやりたい」

 ロイドの懸念、無駄に散る命。ゼファーと共に隊の突撃と防衛を支えてきた、前衛二大巨頭。願いはいつも、全員の生還だった。

 会ったばかりのお馬鹿な神官も、その例外ではないのだろう。

「ま、オレも気を付けるさ。女とも別れを済ませたし、引き締めて行くよ」

 頼む、とだけ言うとロイドはまた歩き始めた。

「しっかし、女っ気がないと寂しくもあるわなぁ…。今なら、パメラのおっぱいにだって恋をしそうだぜ」

 フッ、と日が沈み暗さを増した屋敷の廊下に、空に浮かぶ影が見えた。厨房から向かってくるは、鬼女の如き凄惨で身の毛もよだつ形相をしていた。

「誰がブスだってぇ~~ええっえっえっ~」

 <飛行フライ>で飛んでくるパメラであった。

「どぅおわー! だ、だれもブスなんて言ってませんパメラ様ーッ⁉」

 手提げ袋を投げ捨て、脱兎のように元来た道を逃げ出すスコット。

「えぇ~けっけ!」

「わぁー待って待った! <魔法のマジック・アロー>は…あ痛ッぁ!」

 鬼女から幾筋の閃光が放たれ、口を滑らせた男は無残にも転がり、追いつかれて杖でタコ殴りにされている。

「あたしのおっぱいを馬鹿にしたのは、この口か! この口ね!」

「…わ、わたくしめ…はぁ、っ! いってましぇんっ!」

 ロイドはその場で盛大な溜息を吐いた。


「これ程とは思いませんでしたわ…」と、落胆を隠さないレイナース。

「さすがにここまでにしましょうや、お嬢」

 ゼファーも止める。二人の目線の先には、ホッド・トモッコが脂汗を流しながら左手を押さえる。治癒魔法も唱えられないほど、消耗しているのだ。

 実際、レイナースは精神の限界まで基礎訓練に付き合うつもりであった。真夜中になるのも覚悟していたが、夕食になる前に終わってしまった。

 しかも、気を付け、休め、礼くらいしかやっていない。

 それもこれも、ホッド・トモッコは言われた行動が出来ないのだ。

 男のゼファーが係わるだけで、勝手に動くし自論を喚き出す。と言ってレイナースの言う事にも、一々余計な言葉や奇怪な動作を入れるので、まったく物事が進まないまま彼の魔力が尽きた。

 その度に注意をするのだが、即座に忘れるのか、聞く気がないのかは判らない。

 騎士団にも軍務に従わぬ者はいる。それでは統一のある行動は出来ないし、命令に沿って動けなければ高度な戦略も不可能になる。因って、基礎訓練があるし不足とあらば再教育が行われ、秩序だった連携が執れるようにするのだ。

 それで認識を共有し、能力を底上げし、結果として無駄な犠牲を出さずに済む。こうした訓練に厳しい態度で臨むのも、間抜けを放置すれば人死にが増大するからだ。痛い思いでまだ済むように、戦場で死なない為の措置を講ずる。

 ホッド・トモッコには、それが出来ない。

「自分で治癒できないのであれば、ここまでにします。それで、普通に答えられるのかは分かりませんが、あなたは自殺志願者ですの?」

 汗まみれであっても、ホッドは不敵に笑う。

「ボクは一度として自殺を考えた事はありませんよ」

「では何故、まともな受け答えや言われた事も出来ませんの?」

「それは実に心外。ボクは神の教えに忠実なだけです」

 前髪を弄りながら語る姿を余所に、レイナースとゼファーは顔を見合わせる。

 こいつは何を言っているのだろう。

「信仰系魔法を使う身としましても、私はあなたの言うような神の教えを聞いた事もありませんし、それは神殿の方々も同様でしょう」

「弱き者を救うのは神の教えです。弱き者とは、そう女性です」

 右手を天に、左手を胸に当て、空を仰ぎ見るホッド。

「いやいや、お前さんよぉ…。弱い人間に男も女もないだろうが」

「男など救うに値しません」神官の断定。

「なら、今ここで私があなたを殺しても、問題はないのですわね?」

 男が救うに値しないのであれば、ホッドも同様だ。救う価値がない事になる。

「ボクは女性崇拝者、救うべき存在です。弱者救済の為にも問題があります」

「でもあなたは、救うに値しないはずの男性ですわよね?」

 はっはっは、高らかに笑う神官。

「ボクは別なのでぴゅ…」

 言葉は最後まで言えなかった。レイナースの一撃が顎を砕いた故に。何の容赦も呵責も、そこにはなかった。

 地面でのたうつホッドの首を掴んで告げる。

「私の左目を見なさい。見ろ。いいですわね? 私には目的があり、それを積極的に邪魔するあなたはモノですわ。それを預かったのは神殿に恩義があればこそ。そして神殿の意向は、私の願望に優先しません」

 レイナースの表情には感情という物が一切に見られない。それ故、本気だった。

「これ以上、愚劣極まる異常者に付き合って、私の貴重な時間を浪費したくはないんですの。従うか? 従わないか? 今、決めなさいな」

 ホッドは顎を割られ、喉を締め付けられて、どう答えればいいのか分らなかったが、ただ頷いた。

 真実かどうか見極めるように、レイナースの隻眼が射貫く。

 やがて、手を放された。喉の痛みと急に圧迫から解放されて咳き込む。

「その怪我は自分で治すように。ゼファー、後は任せます」

 修練場の入り口を見れば、執事とエメローラがこちらへ来る所だった。お食事の準備が整いました、とノーラックの声がする。

 レイナースがこの場を去り、別の女は二人の傍に近付いてくる。

「悪いがお嬢の宿題でね、坊やの傷は自分で治すようにってさ」

 エメローラにゼファーが釘を刺すのを、ホッドは何か言いたにするが、喉も顎も痛みで呻き声しか出ず、また咳をする。

「大体は察しているつもりです。神殿では問題となっていましたので」

 困ったようにエメローラは話す。

「トモッコさんが風の神殿で行った事は、神殿勢力への不信と不満を増大させ、寄付金以外に性別での差別まで持ち込み、神官内でも問題視されていた不平等さを、更に悪化させただけです。破門すら有り得たでしょう」

「は、も…ぐ」

 ホッドは声を詰まらせながら、多少は魔力が回復したのか、下位の治癒魔法を唱える。喉の痛みが消えて行く。

「破門ですと? そのような世迷い事、あり得ません!」

 エメローラは首を左右に振る。

「誇大妄想を語り、人を惑わせ、世を迷わせたのはあなたですよ、ホッド・トモッコ。私の言が信じられぬとあらば、今より神殿へ赴き審問の場に立ちますか?」

 神官である所の男は、喉の痛みは取れているのに、口をつぐむ。

「男性を不当に貶め、女性であれば金銭を持たぬ貧者を誑かし、相談者を払えぬ治癒で拐わかし、治癒の必要のない富裕者から巻き上げる。弱みに付け込むそのような行為は、婦女を暴行する強姦魔と変わりありません」

「ボクは女性の救済を…!」

 荒ぶるホッドに、エメローラはあくまで平静に語る。

「あなたが救っているのは、自分自身の虚栄心に過ぎませんよ、ホッドトモッコ。女性崇拝などと詭弁を弄し、惑う者を己の情欲の捌け口にしていただけです。人も己も欺き、自身の下劣な欺瞞の歪みを男性の罪だと擦り付け、神の教えも汚す。女性を食い物にしているのは、あなたに他なりません」

 何かを言おう、言おうとばかりに口を開くホッドの肩を、ゼファーは叩く。

「今、何かを言ったとしても、堕ちるのはお前さんの格とか、魂ってヤツだぜ。きっとな…。今までの詐欺やペテンで女遊びを楽しんできたツケを払うつもりで、堪えた方がいいと思うがな」

「思考や行為だけでなくその結果として魂まで堕落したら、後戻りは出来ないでしょう。風の神官長様が何故あなたを此処に預けたか…考えてはみましたか?」

 ホッドはただ、哀しいような、怒っているような、そんな中途半端は表情をし続けるだけだった。

 半日、刃のない剣で叩き続けられた事よりも、男の心は打ちのめされていた。

 ゼファーがぽんぽんと馴れ馴れしく肩を叩き、飯にしようやと話しかけ、地面から立つのに手を貸してくれる。

 ホッドは振り払う事もせず、腕を引かれるままに立ち上がり、何も言わなかった。

 エメローラは、外に広がる夜に思いを馳せ、見守ってくれている水神に静かに祈りを捧げる。私たちのこれからの旅路に、平穏と祝福あれ、と。


 ゼファーの使っていた武具を片付け、食事の席へと向かう途中の廊下で、エメローラの祈りは大半が届かなかった現実に襲われる。

「ん? ありゃなんだ?」ゼファーの呟きに廊下の向こうを見れば、恐らくはテーブルクロスから、酒瓶を持った腕が二本突き出している怪物が二体、空を飛んでこちらに突撃してくる。

 白いテーブルクロスには、粋がった十代が書くような卑猥な落書きが描かれ、腕の出ている他にも目と口と性器の部分に穴が開いている。

「我、新入りを発見セリ! 衛生兵、えいせいへ~い! こっちだワン!」

「ぶーっ! 赤髪⁉ あたっしと被ってんじゃやんかー! 丸刈り確定ッ」

 二体の怪物の声でゼファーの顔が引き攣る。

「ヤベェ、あいつらもう出来上がってんのか…。逃げるぞ!」

 言った傍から、怪物より投擲された何かが、エメローラに命中する。パシャンと液体が飛び散る。

「これは……液た、ふにゃぁぁぁぁ~~ん」

 一瞬で顔が紅潮し、気の抜けた表情になる。この効果は確か、気持ちよく酔えるというの錬金液だ。

 ただ、普通はここまで急激に変化はしない。多分だが液に強い酒を混ぜた特別製なのと、お酒に滅法弱いエメローラだからだろう。

(すでに二対二かよ! 一人しか止めら……ぐッ!)

 一体から魔法が飛んでくるが抵抗する。…が、その硬直した所に、もう一体からさっきの錬金液と酒瓶の中身が飛んでくる。回避は不可能。

「ちっ! 逃げろ、トモッコ!」

「…え?」限界まで魔法行使した疲労と、打ちのめされた影響で判断が特に鈍っているホッドは、怪物たちの洗礼からは逃れられなかった。

「そ~れ、いらっしゃ~い! ここは地獄でねえちゃんは美人よ!」

 無理矢理に口を開かれて、酒瓶と中身を入れられる。流れ込む酒に抵抗したいが、いま変に動くと盛大にむせるだろう事は確実だった。

「むぐぐぐ…」

「イエー! おかわり? 任せてこっちだ、飛ぶぜオレらの最終障害!」

 かなり小ぶりの瓶が取り出される。

「あ、馬鹿! それはっ…」ゼファーの静止も空しく、ホッドの口にその酒が入れられる。

 瞬間、喉から胃から空気を出す鼻の穴から、灼熱が立ち上るが如き強烈な味だった。脳まで焼かれるかのような、この感覚。

「あーあー、お前ら…悪乗りし過ぎだ!」

 ホッドの耳にゼファーの声は遠い。自分の血流の音が、耳の奥までガンガンに響くのがハッキリと分かる。

「ばっか! 気に入ったみたいだって、こりゃ。さすが赤毛同盟!」

「パーメラ、パメラパーメラ、フゥッフゥ~♪ …オレと勝負か、タフガイ?」

「おぉーい、ロイド。こっちだ! くそ、俺も酔いが始まったか…」

「ポー! ぽーッ! …ポー!」

「お、新入りやる気だな! ぐっといけ、ぎゅっと!」

「パメラ、歌いまっす…ッ! 『我らが帝国魔法省』! 来たる栄光この身に浴びて…あれ、コレ二番だっけ?」

「ボク、ちょっとお外…走ってくりゅ!」

「いっけー!イケイケ我らが勇士!」

 …それからはすでに記憶がない。

 目覚めた時には見慣れぬ庭園の通路の隅で、「四等賞!」と書かれた自分の下着を頭に被り、酒瓶の口が尻穴に刺さっていた状態で、法衣はなく紐に花を結び付けた物を胸と股間にけていた。

 こんな姿を見られたら、それこそ自殺ものだ。

 庭木に擦り寄る様に近付き、尻から酒瓶をゆっくり抜く。その途中、何か重く深い悲しみが胸の奥底から溢れ出し、ホッド・トモッコは涙を流した。

 悲哀と苦労の末、酒瓶を引き抜くと音がしないよう、静かに地面に置き、周囲を見回すとが目に入った。

 丸く刈り揃えられた美しい庭木から、女の下半身が天に両脚を向けて生えていた。上半身は枝葉の間に突き刺さっているのか、詳細は見えないが…見えている部分は全裸だった。素っ裸だった。一糸まとわぬ姿だった。

 もう一つ、同じような物が別の木に生えているのを見てしまった。こちらは男で、尻に「三等賞」と書かれている。

 はなりたくない、断じて!

 すでになっているのでは? という疑念を振り払い、ゆっくりと周囲を窺いながら着る物を探して進む。

 今までの人生で一度も体験した事の無い緊張に包まれていた。

 それにしても寒い、こんな格好でよく凍えなかったものだ。時刻は、まだ日の出前…だと思いたい。記憶を失う前は、確か夜になる頃。あれから丸々一日以上経過しているなどあってはならない、悪夢以外のなんだと言うのか。

 その時、カタンとどこか屋敷の扉が開いたような音がする。その場に伏せると、今度はサッサッと箒で掃く音が遠くに聴こえてきた。

 使用人の掃除の時間なのだろう。非常なまでの尊厳の危機が訪れている。ホッドは冷静かつ迅速に行動する事を、己の自尊心によって余儀なくされていた。

 だが、世の中にはそんな物お構いなしに動ける者がいた。女の下半身から「ぬ…うぐぅ…ほっ!」と掛け声がして、派手に動き回りながら木から中へと浮かび上がる。テーブルクロスの怪物の一体だった。

 怪物は「ぱんつ…ぱんつ…」と尻をポリポリと掻きながら、下着を探してフラフラと彷徨う。やがて目当ての物を見つけたのか、降りてきて体に何か身に着け始めたようだ。

 そこに箒を持った執事が、何やら手渡しつつ挨拶をしている。

「いや~、ありがとうございます」

「随分、盛り上がっておられましたが、お身体はどこか痛めていませんか?」

「平気みたいですわ。でも、馴染み深いみんなと飲むと、どうしても騒がしくしちゃいますね。これは変わんないのかなぁ」

「そうかもしれません」

 二人が少し笑っている様子を庭木の影から覗くと、執事が突然こちらを見る。

(気付かれた⁉)そう思うと、心臓が早鐘を打つ。

 しっかりと確実にこちらに近付いてくる足音。隠れる? 何処へ!

 動けば見つかる、物音でも発見される。

 気配は音と共に向かってくる。凄まじい重圧だった。それは、恐らくは自分の羞恥心から感じる圧力だろうが、物理的な重みさえあった。

 足音が止まる。…ここまでか。

 そう覚悟した時、近くの低木に布のような物が置かれた。どこかになくした法衣だった。それと執事の声がする。

「さて、どなたかいらっしゃったような気配もしましたが、気のせいでしたね」

 それだけを残して執事は去って行き、また離れた場所で箒の音がする。

 ホッドは音を出さないように法衣を取ると、誰にも気付かれぬように着た。

 執事は男だとか、どうでも良かった。ただ彼の気遣いが嬉しかった。男でも女でもなく、こうして信頼は誰とでも築けるはずなのだと実感する。

 本当は自分でも気付いていたのに。神官として、美男子として力を強めた増長と傲慢さを取り繕う為に、より大きな嘘を吐いていただけなのだと。今なら、その事をしっかりと向き直せるはずだ。自分に偽りなく、真っ直ぐ、素直に。

 屋敷の中庭に朝日が差し込む。

 それは、ホッドの心にわだかまった傲慢の闇を晴らしてくれるかのような輝きを放っていた。朝露に濡れる草花が、その光を美しく彩る。

 新しい自分に生まれ変わる夜明けがきたのだ。

 奇しくも、レイナース・ロックブルズが屋敷から中庭へと歩いて来る所であった。今のままでは破門されていたかもしれなかったという、自分の状況を知らずにいたホッドの忠誠を示すのは、この時ではないのか?

 庭を散策するレイナース。

 四騎士としての力量があれば、いずれ気付かれる。ならば、自分から声を掛けようとホッドは覚悟を決めて立ち上がると、挨拶から入る。

「おはようございます、ロックブルズ様」

 レイナースは驚いた顔で全身を眺めると、「ハッ!」と噴き出すように笑う。

 いったい何が? とホッドは自身の体を見れば、法衣の胸と股間の部分に穴が開いており、萎れた花が三つ飛び出ていた。

「あははははははは!」

 気付けば、怪物テーブルクロスもこちらを見て爆笑している。

 これは執事の罠か⁉ と叫びたくなったが、昨夜にみんなの前でホッド自身が切り抜いた穴だそうだ。知りたくもない事実。向き合いたくもない自業自得の現実。

 ホッド・トモッコにはこの日、一切の救いがなかった。

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