第9話 諜報網
私は犯罪者の存在が許せなかった。
私は店内の監視カメラの設置に賛成した。
私は道路の監視カメラの設置に賛成した。
私は職場の監視カメラの設置に賛成した。
私は街中の監視カメラの設置に賛成した。
私は自宅の監視カメラの設置に賛成した。
私は自室の監視カメラの設置に賛成した。
私はありとあらゆる犯罪の可能性に対する監視強化に賛成した。
私は私の家族と生活のありとあらゆる場面を監視され続ける事となった。
私は自己の責任の範疇において商品の購入を決定した息子の選択的自由を抑圧する言動を当局によって観測され児童虐待者として裁かれた。
私が犯罪者となった。
帝国情報局局員イーグルは、相方のホークと共に"重爆"レイナース・ロックブルズ邸の監視任務を行っていた。
監視対象の周辺は帝都の一等地であるが、鮮血帝による粛清の嵐によって貴族が減った結果、こんな高級地に住めるような連中もいなくなってしまった。そのおかげで空き屋敷の一室を絶好の観測所として利用できるわけだ。
物事の光と影。去る者と来る者。まぁ、人の住まない家は老朽化も激しいものだが、魔法で保護されているから次の住民が来るまで持つだろう。
他の似たような建物の中にも二組、合計三組六人で正面、全体、裏門と死角を補い合うように配置されている。
小休憩は一時間交代、大休憩は三時間交代、差し入れは日に二回。対象が移動するなどの緊急時には、<
因みに、このチームで魔法を使えるのは、さっき交代してさっさと寝ちまったホークの野郎。
差し入れのアンパンを食い、牛乳で流し込みながら真面目に任務を果たしているのがイーグル。
牛乳は昔から帝国にもあるが、アンパンってやつはアダマンタイト級冒険者"銀糸鳥"の一人、……誰だったか? が、帝都のパン屋に依頼して味を再現してもらったらしい。豆は辛い料理に合うと思うのだが、こいつには小粒の豆を砂糖で煮込んだ物を具に、パン生地で包んで焼き上げる。
なんでも、この甘みが目を覚まさせてくれる、らしい。さらに監視任務に縁起がいいという話で、ゲン担ぎに情報局にも愛好者がいる。
…いや、やっぱ辛いのがいいって。豆料理はよ。
糖分を取ると、睡眠不足も祟って眠くなるんだよな。フラフラっと。
もっとも、朝も早くに屋敷から執事が出てきて、正門の通用口から辺りを見回すと遠眼鏡越しに監視しているこっちに向かって手招きしている姿を見れば、眠気なんて吹っ飛んじまうだろうけどな。
今の俺みたいに。
「おい……おい、ホーク…。起きてくれ。」
得体の知れない老人から目だけは逸らさずに、起きない相棒を蹴りつける。
「んがぁ、何だよ…。ホークって誰だよ……。ぐぅ。」
「おめぇの呼び名だよ! いいから起きろ! こっちを見てる奴がいる。」
眠気も極まっているだろうが、叩き起こして場所を変わり遠眼鏡を覗かせ、この変な状況を認識させる。
「…本当だ。こっちを見てるな、完璧に。……なんで?」
あのじいさんが何者であれ、監視員が居場所を見破られているのは、なんとも情けない。それどころか、対象にバレているなど任務失敗だ。
「手招きしてるぞ? どーすんだよ…。」
「俺が知るかよ…。聞いてみるしかねぇだろ?」
本当に不思議そうな声がする。
「聞くって……、誰にだよ?」
怒鳴る事はできない。しかし、小声に込められるだけの怒りをのせる。
「お前なぁ、上司以外に誰がいるんだよ!? …俺らで判断できねぇだろ、『監視対象の家の者から、誘われてます。』なんて状況、どうしたらいいんだよ?!」
ホークも心底困った顔だ。
「お、俺だってどうしたらいいかなんて、そりゃあ分かんねぇよ!…でも、今の説明だとな、俺らはとんでもない無能以外の……なんなんだよ?」
二つ名が"とんでもない無能"でもなんでもいい、イーグルは現状を打破する確たる指示が欲しかった。
ホークは<伝言>によって、自分たちがヘマをしたのではない事を言葉を選びながら慎重に話し、信じた様子が一切ない上司に発狂を疑われながらも、現地に確認しに来た連絡員による観測報告の結果、「なるべく散歩に来たような
この俺、イーグルに。
潜伏していた屋敷の裏門から回り込み、「おおっと知らない場所に迷い込んじゃった、帰り道を知ってるような親切な紳士でもいないかな~?」と歩いている一般人を装いつつ、どこをどう見ても執事以外の何者でもない老人の元に向かって行く。
…こんな所、普通の奴は入り込まない。
貴族階級が衰え帝国民が活気付いているこのご時世とはいえ、帝国にも身分や階級の差は依然としてある。住む世界が違うのだ。
交わる事の無い、歴然とした貧富の差。言葉遣い、服装、仕草、住居、その他のあらゆる点で容易に判別されるほどの、埋まらない溝。
気付けない奴がアホなだけの社会の明確な線引き、それを越えたら怪しまれるのは必然だ。イーグルの服装も中流階級には見えるようにしているが、他の任務からの泊まり込みでよれちまっている。巡回騎士に発見されれば、その場で拘束されてしまうかもしれない。
<
監視する人間と周りの連中は事前に調べてある。あの執事のじいさんは、ノーラック・イナンウに間違いない、ここまではいい。でも「監視に即座に気付けます。」とは、人物欄に注釈も何もなかった。
これは局の怠慢だ、俺のせいじゃない。そう思いたかった。
対象に近づくと、礼で迎えてくれる。
「おはようございます。早朝からの勤務、ご苦労様です。」
おはようございます、と返しながらも嫌味か本心か分からない事を言われる。監視員だと言うのは向こうも気付いているのだろうが、手招きで呼んだ理由は未だにさっぱりだ。
「実は、こちらからお手紙を出したいのですが、ご協力いただけないでしょうか?」
ザ・執事から二通の封筒を差し出される。
「手紙、ですか?」
まさか俺を、近所の空き屋に潜んでいた配達員とでも思っているのか?
「配達員にお頼みするのが常ではございますが、今から送りますと検閲から届け先の身辺調査と、いったい届くまでにどれだけの月日が経ちますのか、皆目見当が付きませんので、このような形でお願いできませんでしょうか。」
封筒に書かれている名前を確認する。宛てられていた人物は、情報局長。もう一つは、騎士団長だ。
「両方とも、局長殿にお渡しください。」
あ、はい。と気のない返事をしてしまうが、確認しなければならん事もある。
「あの、これが呼んだ理由で?」
「情報局の方であれば、伝達も迅速でしょうから。」
それはそうだ。さっきのように「気でも狂ったか!?」と問答するようでもなければ、確認した情報はどんどんと上に伝わる。
そして、最大の疑問があと一つ。
「…それと、どうやってこちらに気付いたんで?」
監視対象の一人に監視者が聞くような事ではないが、あれは本気でバレた理由が判らなかった。
執事は微笑む。
「手品の種は、残念ながらお見せできません。びっくり箱の中身も、知ってしまえば驚きはなくなってしまいますので。」
「確かに驚きましたね。」今日でクビになるかもしれない事も含めて驚愕だった。
また礼をされる。所作の全てが綺麗だと思った。
「では、重ねてお願い申し上げます。」
受け取った手紙を懐にしまいつつ、苦笑する。
「俺が出来るのは上司に渡すくらいですが、確かに。」
そうとだけ告げ、その場を去る。
終始、悪戯妖精に化かされるような体験だったが、詮索しても今より悪い立場になりそうで止めた。言われた通りにして、この奇妙な時を終わらせたかった。
さっさとホークの所に戻ろうか。
そうして曲がった角の先、潜伏先の屋敷に数名の巡回騎士が居た。
「本当にこの屋敷の裏から出てきた奴がいるのか? ん、誰だ?!」
棒立ちしていて、こちらに気付かれた。
(やっべぇ!巡回の連中には、話が行ってるはずがねぇ!)
情報局が騎士に「こことここで任務中だよ」などと伝えている訳がない。
共同作戦であっても、互いに知っているのは極一部だ。騎士団から情報が漏れる事があってはならないし、さらに秘密を漏らしてはならない情報局が、現場で姿を晒すようなマヌケをやるようなことがあってはならない。
つまりは、今の俺のような事態があってはならない。そのはずだ。
俺は、今朝から続く動揺を鎮め、正々堂々と騎士たちに近付く。あの執事のじいさんの立ち振る舞い、あれを思い出せ!
咳払いをしつつ、真っ向から説明する。
「俺は帝国情報局の者だ。任務でこの近辺調査をしている。怪しまれるような事はしていない。」
騎士たちは、お互いの顔を確認し、同時に頷く。
分かってくれたようで、イーグルは安堵する。乗り切れた、後は上司に手紙を渡して今後の指示を仰ぐだけだ。
騎士からまるで今朝からのドタバタを労うように肩に手を置かれ、すぐさま腹部を殴られる。
「おぐっ?!」
え、な…何故!? いったい何が? こいつら、騎士の格好をした強盗団か?!
「嘘を吐くな!」ドカッ
「騙せるとでも思ったか!」バキッ
「情報局が、そんな判り易くうろついているものか!」ゲシッ
殴る蹴るの暴行を受ける。重い一撃は回避に専念し、隙を見て転がるようになんとか逃れるが、それが疑いに拍車をかける。
「むっ! 盗賊のような身のこなしだ!」
「さては連続空き巣事件の犯人か!?」
「おとなしくお縄につけ!」
「うああ…!? は、話を聞いてくれ!」
向こうは、こちらが手は出さない為に剣は抜かないが、逃げられると思ったら本気で殺しにくるだろう。イーグルは仲間を呼ばれたり剣で仕留めようとされても終りなので、付かず離れずの距離で攻撃を避けながら説得するしかない。
騎士が囲む、イーグルが抜け出し逃げる意志は見せずに声をかけるも、また囲まれる。結果、グルグルと同じ場所を回るようにして追い駆けっこをしている。
「本当だ、信じてくれぇ!」
「みんな、そう言うんだ!!」
この騒ぎに気付いたホークが連絡員に伝え、騎士連中を止めてくれたおかげで助かった。…俺はそこまで信用がないってのか?
しかし、騎士から謝罪を受けつつも、情報局の醜態もまた大公開してしまった俺は、強くも出れなかった。
その場で、じいさんから預かった手紙二通と頼まれた内容を連絡員に渡して、ホークのいる所まで戻った。
監視はしばらく続けていると、昼前には二人の交代が来て「今日は休め。」と言われた。
俺とホークは虚脱しながら、今の自分達とは対照的に賑わう市場を歩き、酒を買って帰り、ガバガバと飲んで寝た。
悪夢は朝から見たせいか、何の夢も見なかった。
そこは帝城内の一角、互いに向かい合って遊戯盤を楽しむ為のテーブル席がいくつも並んでいる部屋であった。
今は、遊戯盤ではなく明かりの置かれた一つのテーブルに座る男二人と、その背後に二人づつの護衛がいるだけで、静かなものだった。
席に座す男たちは、互いに手紙を持ち無言で読み合っている。しばらくすると、両者の物を交換し、また読み進める。
その内容に、どちらともなく苦笑する。
「相も変わらず、実直と言いますか…。」
「変化は不可避、という言葉もありますが、かつてのままで居てくれる存在も、またありがたくありますね。間違った道を歩もうとした時、ふと気付き立ち止まれる。」
「それでも、止められぬ事柄も多くあった。彼女については、今回の事だけではないですからな。かつての騒動の時、歯痒い想いもされたでしょうね。」
「…彼女の身に起こった不幸を利用し、粛清の発端にしたのですから。」
「しかし、最も疑われている秘書官に接触するとは…。」
「自覚があってやっているのではないとしても、周りの苦労が偲ばれますよ。」
「それは、確かに。」
「彼女の言動が原因とは言え、他の者まで疑っていては、我らの負担が増すばかり。ここは後押しをしても良いと思います。」
「同意します。常に裏切りを警戒されるのも、居心地が悪いですし、これで肩の荷も軽くなるでしょう。」
「陛下には、明日にでもお伝えしようと思います。」
「その時は、私もご一緒します。もしこの進言に陛下がお怒りの際には、その半分を受け持てればと。」
「それはありがたい。…血の改革で、確かに帝国は活気づきました。しかし、置き去りにしてしまった物もまた多い。」
「我らが少しでも彼らを掬い上げる事で、そうした不満も減らせましょう。これで、皇帝陛下の心労も多少は和らげられると良いのですが。」
急進と保守、その速度差が生み出す摩擦。多くの帝国民はそのどちらでもなく、両者によって発生する熱量に身を焦がされる状態が続けば、国家は加速度的に衰退する。
限界点を超える前に、速度を軽減してやらねばその場で破綻する。
それだけは、阻止しなければならなかった。
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