第34話 幽霊船

 技術は継続して磨かなければ、即座にその知識も経験も発展の未来も途絶える。造船技術もそうだ。特に大型船ともなれば。

 かつて、空母の造船運用技術を持ち得ていたのは、英米日くらいであったが、現代ではそれも変わっている。中には、民間の大型船でさえ製造をしていなかった期間があったために技術継承が上手くされず、次に請け負った仕事で大赤字を出した企業を持つ国もある。

 物の良し悪しの判断、費用の見積もりすら、現場を離れれば僅かな間に能力は失われる。未熟であれば、よりその傾向は強く出る。

 日々、腕を鍛える環境を維持すればこそ、継承者を抱えればこそ、守られる技は確実にある。それを蔑ろにし過ぎた結果が、国家の斜陽ともなる。

 それは、過去の再現にも言える。

 例えば、縄文時代の船を忠実に再現して大陸を目指しても、なかなか上手くはいかないだろう。

 何故か?

 当時の船乗りは、現代とは別の知覚や見識でを捉えていただろうから。彼らが、その技術水準に支えられた生活の中で、どのように風や波を実感し、捉えていたか? どのような決意で、大海原に挑んだのか? その想いの強さまでは、測り知れないからだ。

 死者は語らない。


「でっけぇなぁ…」

 ゼファーが呆れたように、自分達より少し離れた平野の空中に浮いたボロボロの船を眺めている。

 この地の噂にある、幽霊船だった。

 霧を無効化する魔法の効果によって、カッツェ平野はその様相を晒している為に、レイナースもその全貌を遠くからではあるが確認できる。確かに巨大だ。

 帝国北部に広がる海には、勿論のこと軍船も配備されているが、その中の最大級と比較しても遜色はないだろう。

 船体の見た目はあまりに無残で、比べるまでもないが。

 首無騎士デュラハンの指揮する冒険者の一団は、南下の中止命令が出たので、街へと帰還している最中さいちゅうであった。ほぼ休みなく出現するアンデッドを討伐し続けても、ほとんど疲労がないのは、騎士の指揮能力の恩恵であろう。

 また、激しい戦いの連続を乗り越えた結果、"十二腕巨人ヘカトンケイル"の全員が成長を実感している。特に、ザインとピヨンはそれが顕著なようだ。

 行きで掃討していたので、帰路はほぼ化け物たちとも遭遇せず、緊張は維持しながらも周囲を観察する余裕はある。今日の作戦も終りに近い。

 幽霊船に魔導国の国旗が取り付けられているのが、ここからでも見えた。

「あの船とも、共同作戦とかしたりするのかしらね」

 パメラが誰にともなく呟く。

 兎角、この国には帝国の…と言うより人間の常識は通じない。

 そんな日が来るかもしれなかった。

「そうかも、な」

 ラキーンがパメラの独り言に答えながら、矢を放つ。一体で彷徨さまよっていた動死体ゾンビが、その一撃で倒れた。

 一行いっこうは、散発するアンデッドを叩きつつ、"墓守"へと進む。


 街の門を前に、レイナースたちに降り掛かった試練は、首無騎士デュラハンってもたらされた。

「みな、よくやってくれたのである」から始まる本作戦終了の挨拶は留まる事を知らず、夕日が沈み始め、夜を前に閉門したい街の門番たちまでをも巻き込んで、延々と続けられた。

 歴戦の帝国兵である者すらも、立ち続ける事の苦痛さに打ちひしがれていると、本体である魔導王陛下の軍団が集結し帰還する段となり、ようやくは終わりを告げた。それさえなければ、邪悪ではあれど凄まじく優秀な指揮官であった。

 首無騎士デュラハンに敬礼をし、別れる。

 魔導王による魔法がけたのか、再び漂い出した薄霧の中へと、まるで幽鬼の如く彼らは消えて行った。

 残された冒険者の皆も、街へと入る。

 長いようで、短くも激しい戦闘を終え、束の間の休息を取る。明日の朝には、一度エ・ランテルに戻り、冒険者組合に報告に向かう。

 しかし、その前にもやる事はある。組織に属する集団となれば、尚更。


 夕食も終えると、夜の"墓守"の街に繰り出す者も多いが、人の上に立つ者はそうそう遊んでもいられない。

 レイナース、ゼファー、ロイド、エメローラ、パメラの五名は、この街の中でも豪華な酒場に個室を取る。店の料金に比例して、秘密を守る信義を貫く類の場所は、広い都市であっても限られてくるので、探すのは逆に容易だった。

 話し合いの場に酒を提供する店を選んではいるが、レイナースは酔いながらの会議は断固として拒否している。酩酊した状態では、確実に問題が発生するからだ。命懸けの任務中に「酔っていて覚えていない」と発言するような間抜けの末路は、説明するまでもないだろう。

 酒豪のパメラも、その辺は納得している。すべては、皆の共通認識を整えた後だ。

 つまり今からここで開かれるのは、作戦後の"十二腕巨人ヘカトンケイル"反省会だった。

 紅茶と各種の肴が並べられた中で、静かに始まる。

「それでは、今日の作戦において二班それぞれの感想からにしますわ」

 レイナースを除く一班は、ゼファーとパメラ。

 二班はロイドとエメローラが、今回の代表となっていた。

「一班から、今回の作戦に関してはあたし達の力だけでは、到底不可能な任務であり、魔導国の支援なくしてはカッツェ平野の途中で全滅していたでしょうね。発見した廃墟に死者の大魔法使いエルダーリッチと赤い骸骨スケルトンの群れもいたけど、その前に築かれていた塹壕から這い出た軍団を見れば、あの支配圏に入った状況で突破も退避もほぼ無理」

 そう言ったパメラに、ロイドが続く。

「二班も同意見です。"漆黒"の二人は除外しますが、冒険者だけに限ってもゴ・ギンと"虹"の連携は、現状で我々以上と判断しますが、あの首無騎士デュラハンの能力がなければ、数に足止めされた所を魔法の範囲攻撃を受け、それだけで壊滅してしまう」

「そう言えば、"漆黒"は過去にアンデッド兵団の討伐も成功させていましたわね。今日の規模と同程度なら、帝国騎士団の一軍団とて苦戦もするでしょうに」

「いつもの霧の中だったら、もっと大変な事になってますぜ」

 レイナースはパメラを見る。

「あの霧を晴らしたのも、魔導王陛下の魔法だと聞きましたけれど、詳細は分かりまして?」

「霧への対抗魔法はあるけど、あれだけの規模…カッツェ平野の全体を効果範囲に含めるなんてのは、前代未聞で解析不能。該当する知識はあるかと、森司祭ドルイドのサンにも一応は確認したものの、やはり正体不明の大魔法のまま」

 未知を前に、魔術師ウィザードとしての無知さに悔しさを滲ませる。

 無理もない。

 戦士たちが、かなと日々思い知らされているのと、分野は違えど気持ちは同じだ。

「あの霧も謎だよなぁ。帝国と王国がぶつかる時は、何故か消えるのも」

「多くの生命が集まっている為に、アンデッド反応のある例の霧は退散するのでは、という仮説もありますね」とエメローラ。

 呪われしカッツェ平野は、神殿勢力も研究しているが実際は仮定の話ばかりで、根本の原因は判明していない。最も、アンデッドに関わる事は、死が身近にありながらも不明なものばかりだ。

 何故に人は生まれ、どうして死ぬのか、も命題ではあるが。

「魔導国がこの平野を支配するのは順当な気もする。あのアンデッド軍団がこの地を管理するのは、寧ろ人間を支配するよりも簡単に出来るのではないか」

 ロイドの言葉は正論に思われた。魔導王が不死者を伴って、死者の国に帰ってくれないかな~、とまで願ってしまうほどに自然な意見だろう。

 その夢想に五名とも、一瞬ではあるが天井を見上げた。だが現実は無情である。

「話を戻しますわ。今回の件で、私たちに見えた課題はありまして?」

 レイナースが皆を見渡す。

「想定される敵の規模の把握と、集団戦闘の経験が不足している連中をどうするか、ですかねぇ?」

「こちらも、援護を忘れてはいないが…」

「逆に言えば、まだまだ未熟という事だしね」

「見立てとしては、どうですの? ゼファー」

森妖精エルフの二人は強さはありますが、戦術や連携はそもそも習わなかったようで、これは兵法の学習も交える必要があるかと。逆にピヨンとザインにマリクは、帝国の教育の成果でしょうが、よく状況把握はしてますわ。ただ力量としては若干落ちるんで、重点的に鍛えるのはそこですね。問題は…」

 ゼファーが、ちらりとパメラにエメローラを見る。

「ホッドの奴でして、パメラとも様子を見ていたんですが、あいつは今日の戦いですら、アンデッドの一つでも倒していませんぜ…。それは当然…」

「把握していますわ」

 一班にいたレイナースも、実際に見ている。

「神官のアンデッド退散は範囲が広いために、禁止していたとは言え、その条件はエメローラも同じですわ」

 作戦には冒険者以外にも、死の騎士デス・ナイトを始めとした魔導国の兵もいたために、もしアンデッド退散を使い、即座に自分達もカッツェ平野を徘徊する亡者の仲間入りだ。

 それを防ぐべく、神官の能力で誤射しかねないものは事前に禁則事項として厳重に注意をしていた。

「その上で、ホッドは無討伐ですぜ? 性格も行動も難あり、ってのは承知しちゃあいましたが、これじゃどうにも役には立ちゃしねぇ」

「治癒や強化の魔法は、確かに第四位階の使い手ではあるけど、あたしら女にだけはって限定的よね? 男には対応がすこぶる遅れるのは、問題よね」

「…すみません。神殿でも、教育はしていたのですが」

 二人の評価に、何故かエメローラが詫びる。

「神殿勢力から破門されるだけの性格破綻者なのは、今に始まった事ではない。行き場を失っているのは、本人も承知している…はずだ。後は、我々がどう受け止めるかだろう」

「神殿にだって、お抱えの暗殺部隊がいるってぇのに、あの振る舞いを続けてたんだぜ? 俺らが鍛えても、逆恨みされちゃあなぁ…。野郎のヘマで全滅するのは、結局の所は俺たちだ。冒険者稼業を継続するんなら、今日みたいに魔導国兵団や"漆黒"の援護がある方が、むしろ珍しくなるだろ」

 斬り捨てるなら早い方がいい、とも取れるゼファーの言だった。騎士団でも内部を決定的に荒すような異常のやからは、味方によって消されて行く事も間々ある。ただ、皆もその裏を考えている。

 このままでは、ホッドがいつか全体を危険に曝す失敗を犯す確率は高い。難しい依頼であればある程、それは大きな問題となる。

 しかし、内密にしたとして、その事を魔導国側に調査されれば、これもまたどういった方向に転がるか判らない。不思議とこの国は法に厳格でもある。

 そんな様々な事情を鑑みて、皆の行く先を決定するのはレイナースの役目だ。

「彼も魔法詠唱者マジック・キャスターとしての力はありますわ。適切に活用するのも、我々の課題ですわ。ホッド・トモッコは引き続き連携の強化と、攻撃手段を増やすようにしましょうか。特に信仰系魔法で何か使える物を、覚えさせる事は出来まして?」

 エメローラを見ると、「下位の魔法から教えてみます」と返ってくる。

「結構。では、他の者はどんな戦闘の様子でしたの?」

 レイナースは次の話に移る。

 冒険者の団"十二腕巨人ヘカトンケイル"は個人ではない。集団として機能するかどうか、試されるのはこれからが本番となってくる。一人をないがしろにするつもりもなければ、固執するつもりもない。

 それに、自分以上に我儘でなければ、レイナースもあまり気にはしない。復讐日記を書かなくなった事もあるが、過去の呪いから解放されて生活も考えも変化があったのも、おそらく大きく関わっているのだろう。

 ホッドも、現在囚われている感情が変わっていけるのであれば、自ずと解決もするかもしれない。

 しなかったら、その時は…。


 宿の酒場、その卓の一つに座りながら、ホッドは手にした陶器の杯をただ見つめていた。

 中身は少し残った赤葡萄酒。

 王国との交易も少しづつ戻ってきてはいるが、これは流通が続いていた帝国産だ。

 神殿には、酒との距離を取る者もいるが、ホッドは気にせず飲む方だった。ただ、体質的に飲めずに弱いエメローラは別にしても、泥酔するほど飲まないのは、一般常識での節度に含まれる。

 最も、"重爆"のに来てから、パメラやスコットのような常軌を逸した酒乱の存在も知ったが。

 今夜も一杯だけを頼み、鬱々と悩む合間に少しづつ飲む程度。

 酒を出す店側にしてみれば、良客ではないだろう。しかし、他の者と街に出る気にもならなかった。

 声を掛けてくれるような女性の姿もなし。

 冒険者は、鼻も聞くし耳聡い。神殿から故意に漏らされたホッドに関する情報は、魔導国に属する皆の知るところとなっていた。アインズ・ウール・ゴウン魔導王に対し、この国の神殿勢力が何か声明を出した事はないが、厄介な事情を抱えた神官と関わって、変な火種となるような真似は誰もしない。

 何故、と自問しても、自答できるような確たる根拠が、ホッドの中にはない。

 溜息を吐き、杯を置くと懐から櫛を取り出す。

 それは実に見事な装飾の逸品であった。

 秘宝アーティファクト"美容師見習いの櫛"。

 三十種類の髪形から選択可能で、使用者の魅力も一定時間上昇させる。毛の質などもかなり細やかに変更が利く。

「…それ、戦闘で使えるのか?」とはゼファーの問いだが、詐欺師インポスター職業クラスを有するホッドには、外見を磨くのは能力の向上にも繋がる…らしい。

「え? 詐欺師なの?」

「それって、職業なの?」

 そんな疑問も浮かぶが、冒険者組合にいた水晶型の怪物モンスターによる診断を受けなければ、判明しなかったかもしれない。特に知りたくもなかったが。

 詐欺師インポスターの能力。特定条件者の力を、上昇または低下させる。これは取引や交渉などで、特に効果を発揮する。商人マーチャントよりも限定的である分、戦いの中でも常に効果がある。

 良くも悪くも。

 ホッドの場合、特定条件とは性別で、男性であれば能力を僅かに下げ、女性であれば若干上げる。亜人や異形種にも効果はあるが、両性や無性の存在に対しては何の影響もない。

 つまり、女性限定の味方で組み、男性限定の敵と相対すると、最大効力を発揮できる。最も、それは微量ではあるけれど。

 櫛を、再びしまい込む。

 冒険者組合で秘宝アーティファクトを提示された時、カッコ良さからコレを選んだのだが、今日のカッツェ平野での作戦中を振り返れば失敗だったかとも思う。

 討伐、0。

 アンデッド退散の使用は、誤って魔導国の兵団を攻撃しないよう禁止していた事を含めても、不死者に対して強い力を発揮する神官であり、さらには倒す対象には事欠かない多発地帯で、この結果だった。

 骸骨兵スケルトンの一体にでも、手にした武器を振るえなかった。

 正直、ビビっていた。

 震えが、止まらなかった。

 ただ、死にたくない。その一心で、皆から離れない為だけに走り続けた。

 バハルス帝国の神殿に居た当時、あらゆる手段を講じて前線に行く事を避け続けてきたというのに、冒険者となった挙句に、この様であった。

 怖い。

 レイナースたちとの訓練で痛めつけられても、手加減は感じていた。理不尽な暴力、自分を否定する言葉、否応の無い強制であったが、指し示す先があった。

 つまりは、「お前、このままだと簡単に死ぬぞ?」という現実の提示。

 それも、どこか他人事だった。

 痛みは、自慢の神聖系魔法で癒せる。

 だが、死は?

 どうか?

 ここは、神殿の中でもなければ、訓練場の一角でもない。魔導王の支配する、兵団が徹底管理された魔導国とも違う。

 生者の命を奪わんと殺到する化け物の巣窟、カッツェ平野だ。

 その中で、自分は今日、何をした?

 このホッド・トモッコは、いったい何を成せた?

 恐れ、おののいていただけだった。

 ホッドは残っていた葡萄酒を飲み干すと、杯を卓に置く。

「くそぉ………」

 呟く声はあまりにか細く矮小で、誰の耳に届く事もなかった。


「出発しますわ!」

 翌日、レイナースらは支度が整うと"墓守"の街を発った。

 街道をエ・ランテルに向かう途中、南の方に動く霧が見える。

「なんだありゃあ?」

「多分、幽霊船だ。周囲に霧を発生させて移動するそうだからな」

「へぇぇ」

「あの船も、これからどうなるのかしらね?」

「貿易船になったりしてな」

「…あながち、冗談ではないかも」

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国は、新たな支配地と民を手にした。

 本当に、今後この国はどうなって行くのか?

 それこそ霧に包まれたように、未来の予想などまったくつかないのだった。

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呪詛騎士レイナース パクリーヌ四葉 @paku-yotsuba

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