第29話 呪われた肉体

 神、この場合は唯一神を信奉する連中が、その神の善性を信仰するあまりに、創造されたこの世界の悪意に満ちた創造物を前に嘆いた…という話は、笑い話なのか本気の悩みだったのか、今となっては判らない。

 捕食動物、寄生虫、托卵や他生物への産み付け等、動物たちの行動が研究によって明らかになるほど、神の説く倫理や教えには程遠い世界がそこには広がっていた。

 …まぁ、そりゃそうだとしか思わないが、が絶対的条件として不動の価値観の前提となると、途端に現実との整合性は破綻してしまうのだが、それに納得は出来ない、という事なのだろう。

 人の手を咥えて、路地を走る犬。

 自分で産んだ子を噛み殺す猫。

 生まれたばかりの子牛の目玉をついばむ鴉。

 私の身の回りでも、そうした例がある。残酷かと問われれば、そうだろうとは思うが、私が信ずるのは唯一神とやらではないのだ。

 それに見たまえ、そう、そこの岩場だ。太古の生物の化石だよ。

 人の手によって神が造り出される遥か以前から、この星では生命の絶滅や淘汰が繰り返されている証左だ。かつての死が土の中から這い出し、我々に過去の惨劇を物語ってくれている。

 それを研究資料の名目で人前に晒している行為は、では正しいのか?

 人を呪われた動物と呼んでみた所で、他の生物たちは見向きもしないし、神の教えとやらで異なる思想や信仰を排除する連中の方が、私にとっては邪悪だね。


 ああ、これは夢だな。

 そう気付く時が、ある。

 今がまさにソレであった。

 しかし、いつもの悪夢ではない。こんな出来事は初めてであった。

 ただ、闇が広がる中に、ポツンと一人だけ漂っているような感覚。

 何時いつなのか?

 何処どこなのか?

 それすらも暗黒の内にあるために、わからない。

 いったい、どれだけ時間が経ったのか?

 何故か、この闇が怯えたように感じ、やがて震えが伝わってきた。

 何? どうしましたの? そこに、誰かいまして?

 もしかしたらお前は、瘴気の呪いなんですの…?

 問いに、暗闇が蠢く。

 それは、右の顔の痛みとなって全身に走り、レイナースは飛び起きた。


「はぁ、はぁ、はぁ…ッ! んぐっ」

 体を跳ねるように目覚めれば、汗まみれで荒い息を吐いていた。

 右目の辺りが、激しく脈打つ度に鈍痛が広がる。

 呼吸を落ち着かせ、精神を安定させるように左目を閉じ、そのまま痛みが引くまで耐えて待つ。徐々に、呪いのもたらした苦痛が静まっていく。

 備え置きの乾布を取り、右顔の膿を拭う。そして、黄ばんだ布を見つめながら、今の夢は良い兆候なのか思案する。

 あれは、この呪いの最後の抵抗のようなものだろうか? 呪い自体が解かれる事を恐れているとでも言うのか? それとも、魔導王の影響であろうか?

 答えは出ない。

 解呪が成功するか否かは、今日、冒険者組合に行くまでは分からない。

 レイナースは、時計を確認する。まだ夜明け前だった。

 再びベッドに横になるが、興奮しているのか寝付けない。代わりに、精神集中へ意識を向けた。

 不思議と、激しい怒りも怨みもあまり感じない。

 期待と待ち遠しさが勝っているのだろうか?

 外が明るくなり始めると、レイナースは浴室に向かい、湯船にお湯を張る。時間をかけて入浴をして身綺麗にすると、予定の時間まで静かに待った。

 願望や葛藤が焦燥感へと変わらぬように、感情と行動を抑えて過ごす。

 他の皆は、それぞれの要件そ済ませつつ、誰が同行するかは昨日の組合で相談をしていた。

 呪いに関わる秘宝アーティファクトであれば、魔法で道具の鑑定が出来るパメラにマリク。回復が必要な場合を考えてエメローラ。不測の事態に止める役としてゼファーとロイド。

 レイナースを含む六名で、冒険者組合に向かう。

 その時間が、来た。


 指定された時刻に組合に行けば、用意された部屋にはアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と緑風、それに扉の前で待ち構えていたラケシルが「私も力になれるだろう」と共に入室した。

 レイナース一同は、魔導王陛下に礼をする。

「魔導王陛下、本日はよろしくお願いいたします。また、私の個人的な要望に寛容なるご配慮をいただきまして、誠にありがとうございます」

 レイナースの感謝に、魔導王は頷く。

「よい。それに、未確定の要素もあるからな。では、始めるとしよう」

 魔導王の言葉に、緑風が用意していた品を中央の卓に並べる。それは黒い提燈ランタンの様な物で、中には燈火ではなくそれぞれ別の奇怪なモノが揺らめいていたり、動いている。

秘宝アーティファクトの一つで、呪霊の檻と言う。呪いの精霊を封じ込めておける物で、使役したり自らに呪いを付与したりといった事に使える」

 禍々しい装飾の呪霊の檻が六つ。

「中には特殊な条件や金銭が必要な物もあるが、すべてロックブルズの呪いよりは強力だ。どれを選ぶかは君たちに任せよう。それぞれの特性はこの者に聞くとよい」

 緑風を示すと、彼は頭を下げる。

 こちらも礼を返しつつ、レイナースはそれらの秘宝アーティファクトを眺める。

 黒い炎や蜘蛛、橙色の光球、やたらとカクカクした…妖精? のような何か等。

「こちらから順番に説明をお願いできますか?」

 レイナースは左端の品を示して、緑風に尋ねる。

 森妖精エルフは、呪いの名称と利点と欠点がある事を話し始める。

 暗闇の闇妖精シェイド。攻撃の追加効果に暗闇を付与する他、夜や闇の中での行動に恩恵ボーナスが付く。代わりに光に関わる環境や魔法に若干だが弱くなる。

 再生の土蜘蛛。大地の上に立っている時に、妖巨人トロール並の再生能力が得られる。ただし、人工物の敷かれた道路や屋内、迷宮などでは効果はない。

 抵抗の光精霊ウィル・オー・ウィスプ。状態変化への抵抗値が上昇するが、状態回復にも抵抗値が発生する。

 闇波動の調しらべ呪詛騎士カースドナイトの放つ闇の波動を強化する。威力も上がるが、消費量も上がる。

 流血の制約。呪詛騎士カースドナイト自身の回復効果全般が弱まるが、傷つけた相手の回復や再生効果をより阻害するようになる。

 BA同盟へのいざない。基本防具二種固定かつ作成費用として金貨五百枚が必要。詳細は付属の防具情報データ参照。

 以上、六つの呪いが並ぶ。

「どれも驚くほどの呪物だな…」

 一同のであるはずのラケシルが、ずいずいと会話の先頭に立ってくる。個人的には、多様な意見を聞きたいながらも、こうも好奇心が剥き出しだと不快感がレイナースにはある。

 参考意見に期待して、魔術師協会組合長は放置と脳内で決定したが。

「効果は攻撃的、防御的な物が半々づつってところかねぇ」

 ゼファーの分析に皆も考察を始める。

「この再生能力付きは欠点がほとんどないな」常に前線に立つロイドの関心。

「抵抗値の呪いは、よくわかりませんね」

「風邪を引き難いけど、一度掛ると治り難い…という事でしょう」

 エメローラの疑問を受け、マリクが例える。

「混乱などさせられると、大変ですわね」レイナースの懸念。

「そん時は、状態回復にも抵抗しちまう、俺らの中で近接最強の個人とやり合う破目になるってことだろ? …参るねぇ」ゼファーが肩を竦める。

「攻撃に関すると思われる方も、戦闘力の向上になるな」

「回復に再生もさせないって、卑怯じゃない? 武王みたいな妖巨人トロールも倒せるんじゃないか?」

「あの鎧と分厚い外皮を貫ければ、ですわね」

「闇の波動ってのも、遠距離戦に使えそうね」

 攻撃手段が増えるのであれば、"重爆"の本領発揮だ。当然、興味も強い。

「最も判らないのは、誘いってヤツ? 防具固定の呪いなんてあるのね」

「お嬢は武具にも呪いの効果が掛かるからな、それに耐性がある防具なら有難いんじゃないか?」

「かもしれん」

 利点と欠点、その綱引きを皆で論じる。

「実際に戦闘で試したくはありますわね」

「……勘弁してくださいよ。この呪いの秘宝アーティファクト、一つでもとんでもない魔力ですよ? 市場価格が幾らになるか、想像もしたくないですよ…」

 マリクの言葉に、ラケシルもパメラも強く肯定する。

「…そんなに、か?」ゼファーは魔法詠唱者マジック・キャスターたちを窺う。

「あたしらの持ち物で、ここまで強力な物は一個もないね。それが六つも。目の前に、国宝級か封印指定物に相当する代物が並んでいるんだからね…」

 瞬間、全員が口籠くちごもった。え? そんな貴重なの?

 気付かれぬように魔導王の姿を確認するが、威風堂々としたもので何の感情の動きも読み取れない。この宝物ですら、数多ある財の一部でしかないのだろう。

「しかし、金貨五百枚、という説明の物もありましたが、そちらは?」

 エメローラの疑問に緑風が答える。

「この都市で流通している金貨とは違う物ですよ。王国硬貨で換算しますと、金貨千八十八枚分といった所でしょう」

「緑風殿、それはいくらなんでも安すぎるのではないですか? この秘宝アーティファクトだけでも、金貨数千、数万枚の値は確実です」とラケシル。

 その時、無言であった魔導王が口を開いた。

「それは、過去にその呪いを創り出した者が魔力を込めた時に、発生する費用を抑えようと腐心した成果だと思ってくれ。多くの者に広まって欲しい、という願いで力を注いだからこそ、その防具制作に必要な黄金量が少ないのだ」

 その言葉に様々な動揺が広がる。

「創り、出した…? これほど強力な呪いを…?」とあまりに断絶されている魔法技術の格差に、愕然とする魔法使いたち。

 その"創り出した者"の存在とやらを、語り口から魔導王が知っている事を察する者たち。

 魔導王の知己か、盟友か? そこまででなくとも、並ぶ存在がいるとでも言うのだろうか? この超越者オーバーロードに。

 そんな存在が、広まって欲しいと願うような防具とは、いったい?

 疑問と興味が湧く。

「その防具とは?」

 レイナースの問いに、緑風がその呪霊の檻に付属していた本、防具情報データを差し出す。檻の中では、四角張った妖精の様な、もしくは極端なモザイク画の様な存在が飛び回っている。

「こちらに掲載されていますよ」

 手渡された本を捲っていくと、確かに防具の情報が書かれているのだろうが、読めない。ただ、手にしているレイナースの頭の中には伝わってきた。

 データや魔力の量、硬度、能力値、必要金貨、など自分の常識や知識外の基準や専門用語などは、まったく解らないがどういった特性を持つ防具なのかは理解できた。正直、聞いた事もない程に強力だ。

 一緒に本の中身を眺めている周りの者も、読めないのではあろうが、防具の外装は絵で描かれている為に見れば分かる。

 が、困惑は隠せなかった。

「え?」

「これが…」

「なんだコレ…、何?」

 この秘宝アーティファクトの持ち主である魔導王の手前、あまりに否定的な意見表明は憚られるのではあるが、は拒否した方が良いのではと皆は思った。

「お嬢、これはちょっと…」

「この衣装は…その」

 ゼファーとエメローラが止めようとする声に、レイナースも頷く。

「斬新かつ先鋭的ですわね。気に入りましたわ」

「えっ⁉」

 満足気な言葉に全員が驚く。

 レイナースは本を閉じると、魔導王を真摯に見つめる。

「魔導王陛下、決めました。このBA同盟の誘いでお願いいたしますわ」

 決意も強く、深く礼をする。

 周囲の人々は動揺するが、魔導王はしばらく無言であった。

「意志ある者の瞳、か…。ならば良いだろう。ロックブルズよ、お前の決定を尊重しよう」

 魔導王は座っていた浮遊物体から床に立つと、何かの魔法を唱えたのか、暗黒空間が出現する。

「その呪いは特殊な防具制作も必要となるために、ここでは付与できん為に移動をする。それに、その顔の呪いも解呪を試さねばならん。同時に行うとしよう。防具の作成費用は後日請求で構わないか?」

「はい」レイナースは従う。王国金貨千枚程度であれば、問題は…多分ない。はずだ。頼みますわよ、ノーラック。個人資産など、把握してはいなかった。

 移動する、という事に不安はあるが。

「では、その呪霊の檻と外装データ…本を持って来たまえ。他の者はしばらく待っていてもらおう。秘宝アーティファクトの回収は任せるぞ」

「はい。お任せください」魔導王の言葉に緑風が返事をする。

 そして、レイナースと魔導王は、暗黒空間に消えて行った。


 闇の中に足を踏み入れたかと思えば、目の前に広がるのは木造建築の部屋であった。侍従の様な服を着た犬頭の、おそらくは亜人が一礼する。

「お待ちしておりましたわん、アインズ様」

 レイナースはその言葉に、傍らの存在を強く意識する。

 不思議な事に、その姿を目の当たりにした時や、話される言葉や態度は重々しく威厳に溢れているのだが、魔導王からは強者のような気配は感じない。能あるロック鳥は爪を隠す、とは正にこの事であろう

「お前も孤児院や保護政策に忙しいだろうに、わざわざすまないな」

「とんでもございません。アインズ様に仕える事こそが、我らの幸福、我らの誇りでございますわん」

 不死者の王は鷹揚に頷く。

「頼んでいた事は変わらないが、その前に工房で終わらせねばならない件があるのだ。ここの鍜治場まで案内をせよ」

「畏まりましたわん」

 再び礼をすると、先に立って進む。

 今の話にあった工房とやらに向かうのだろう。レイナースも魔導王の後に続いて建物を進んで行く。

 以前に皇帝ジルクニフを警護して向かった大墳墓の入り口脇にあった木の家よりも広いのは感じる。しかし、“雷光”に聞いていた大墳墓の内部、魔王の城ともまったく違う。

 人に知られぬ幾つもの居城があったとしても驚きはないが、その内の一つかもしれない。アンデッドであるのに、禍々しい住処でない事が、どうにも印象や伝聞とに違和感がある。

 やがて、鋼鉄の扉に頑丈な石造りの部屋が見えてくる。あれが工房だろう。

 犬頭の侍従が扉を開くと、中からは槌打つ響きと熱気が流れてくる。魔導王に続いてレイナースが入り、中を見回すと様々な種族の者たちが鍛冶仕事に精を出してたが、一斉にその手を止めると魔導王陛下に礼をする。

「ようこそ、アインズ様。我らの工房へ」

 代表して挨拶をしたのは、この場で最も目立つ巨体だ。

 レイナースが見た事もない、多くの腕を持つ巨人。ユグドラシル世界においては十二腕巨人ヘカトンケイルと呼ばれる存在であった。

「うむ。皆も作業中であるのに悪いが、少しお前の力を借りたいのだ」

 その巨体が感動に振るえ、周りの職人たちも羨望の声を挙げる。

「私の腕が必要とは、嬉しい限りでございます」

 魔導王はレイナースを手で示すと、巨人に命じる。

「この者の鎧を造って欲しいのだ。必要な金貨はここにある」と言いながら、虚空から袋を取り出す。中には例の金貨五百枚が入っているのだろう。

「ロックブルズ、先程の本を鍛冶師に渡すがよい。選択要素もあったはずだから、話をして決めよ」

 決めよ、と言われても、目の前の巨人は凄まじいまでの力強さを感じさせ、会話するにも圧迫される。さりとて、魔導王陛下を待たせる訳には尚更いけない。

 勇気をもって一歩踏み出し、巨人に持って来た本を差し出す。

「こちらを、お願いしますわ」

 巨人の鍛冶師は、腕の一つで本を受け取ると頷く。

「心得た」

 巨体が自らの席に座り、本と金貨の袋を金床に置くと、それらが瞬時に溶け合って混ざり合い、輝く魔法陣が現れる。

 同時に、レイナースの目の前に様々な色相が並ぶ。

「鎧の色を決めてくれるかな」

 巨人の言葉にレイナースは色を選ぶ。

 鮮烈な青。宝石の様な透明感もありながら、金属の光沢を放つ色を。

 決定すると、巨人が手にした槌で魔法陣の中心を三度叩けば、金床の上に手首に着ける腕輪があった。

 それを巨人から渡される。

 見事と言うしかない繊細な造形と精緻な紋様が刻まれており、あの三度の鎚打ちでどうやってここまでの品が出来るのか、レイナースの認識を超えていた。

「見事だ。また今回の件とは別だが、お前にはドワーフたちの相談役となって貰う事になるかもしれん。その時はまた頼むぞ」

「アインズ様のお役に立てるのならば、幸いです」

 レイナースには凶悪な顔にしか見えないが、声の調子からは褒められて喜ぶ少年のようだ。このような巨人にまで絶対の忠誠を捧げさせる存在、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の放つ圧倒的カリスマを実感させる。

「皆も頼むぞ」

 他の鍛冶師たちも、その一言にやる気をみなぎらせる。

 魔導王とレイナースが工房を出ると、侍従が閉めた扉の向こうから、鎚を打つ音が微かに聞こえてきた。

「さて、もう装備は完成したので呪霊の檻を使用するだけなのだが、どこか適当な部屋はあるか?」

「でしたら、多目的使用の部屋がございますわん」

「そこにしよう」

 犬頭の侍従が再び案内をする。

 到着した部屋は広く、部屋の一角に机や椅子が集められていた。会議や集会などを行う部屋なのだろう。

「では、始めるか。ロックブルズよ、腕輪を嵌めて呪霊の檻を使用せよ」

「はっ!」

 オリハルコンの全身鎧の上からでも、腕輪は左手首に装着できた。檻の方を開放すると、中で飛び回っていた妖精もどきが、レイナースの腕輪に吸い込まれると同時に、今まで装備していた鎧や鎧下の一切が消え、呪いによる固定防具の一つに強制変更される。

 それは、紺色の女性用衣服らしい。

 腕輪は変わらないが、服の袖や特徴的な襟、腿の途中までしかないようなスカートの裾などに白い二本線が引かれ、襟の下から胸元に白いスカーフ。三つ折りの白い靴下に、焦げ茶色の革靴。

 あの本から流れ込んできた知識では、セーラー服、と呼ばれる物であるらしい。

 生地としては丈夫…どころか、アダマンタイトより硬い素材のようだ。これだけで充分に強力なのだが、もう一つの固定防具は更に頑丈だと知識にある。

「なんか、すごい違和感だな、やっぱり…」と呟く声が聞こえたような気がした。

 骸骨であるはずの魔導王が咳払いをする。

「ここからは、お前の出番だ。このロックブルズの右顔に掛かった呪いを解けるのかどうか、試してみて欲しいのだ」

 来た。

 自身の願望の中枢、魔導国にまでやって来た最大の目的が叶うかどうか。

 その瞬間が。

「では、調べてみますわん」

 それにしても、解呪するのがこの犬頭の侍従とは想像もしていなかった。

「気を楽にして、該当箇所を見せてくださいわん」

 犬の亜人(?)の言葉に、昨日のように右の前髪をかき上げて、呪いに歪んだ右の顔を晒す。

 侍従の顔が少し歪む。笑ったのではなく、痛ましいものを見たかのように。

「アインズ様。この呪い、生きていますわん」

「ん?」

 晴天の霹靂と感じたのはレイナースがやはり大きかった。

 生きてる? 呪いが?

 この都市で悪夢を見なかったのは、本当に呪い自体が怯えていたからだと言うのか? なんだそれは。

 魔導王が「ふーむ」と少し考えこみ、「であれば、ちょうど呪霊の檻があるのだ。ロックブルズ、捕らえてみろ」

「そ…はい!」

 一瞬、「そんなの無理ですわ」と言いそうになってしまったのを、グッと耐えた。

「それでしたら、使う魔法の種類と数も増えますわん」

「そうか。であれば、どうするロックブルズ? 魔法使用の支払いもお前になる。防具の制作費用も合わせると請求金額も相当になるが、どうする?」

 ここまで来て、レイナースに断れるハズがない。

「魔導王陛下。解呪が叶うのであれば、かまいませんわ。お願いします」

 継ぎ接ぎだらけの犬の顔が頷く。

「痛みますけど、出血はないですわん。回復魔法も我慢してくださいわん」

 そうとだけ言うと、侍従は片腕をレイナースの顔の前に向ける。

 瞬間、何が起こったのか理解は出来なかったが、右目の辺りが妙に軽くなると同時に、焼かれる様な痛みと焦げ臭さが押し寄せて来た。

「ああっ……、痛ぅッ⁉」

 思わず顔を抑えようと手を伸ばすが。視界に、鏡で見て来た自身の右顔が、床に落ちているのが映る。

 推測。呪いに侵食されている部分を焼き切った⁉

「アインズ様、本体の解呪の方は成功しましたわん」

「えっ⁉」突然の事に、思わず驚きの声を上げてしまう。

 叶ったというのか、こんなにも幾多の状況が重なったような混乱の中で、長い間苦しめられていた呪いから、こうも呆気なく?

「ならば、始まるな。身体から切り離された呪いの瘴気が、受肉するぞ」

 魔導王の解説に、警戒心が呼び起こされる。

 レイナースが苦痛を押し殺し、臨戦態勢で床に落ちた自身の顔の一部を睨む。

 すると歪んだ顔の肉が蠢き、赤黒い血を飛び散らせながら、変化していく。肉塊がのたうつ蛇のような形を取る。

 その醜悪な動きを左の目で睨んでいると、痛みを和らげる暖かな力が体にかけられる。侍従からの治癒魔法だろう。

 徐々に視界が広がっていく。

 呪いを受けいびつになってから、前髪で覆い人目からひた隠しにしてきた。もう、遠い昔に無くしていたようにすら思う右の瞳が、今日、ようやく戻って来たのだ。

 知らず、流れ出した涙で視界が滲む。

 だが、まだ油断は出来ない。自己を苛んできた呪いとの決着はついていない。

 切り落とされた部位の肉は、今は黒い霧のような瘴気を纏いながら、その形が定まりつつあった。

「使え」

 魔導王の言葉に、レイナースは空になった呪霊の檻を掲げ、起動させる。

「封印!」

 魔法の檻が呪いの瘴気を捕捉し、魔力の風で吸引する。

 カチンと金属音が鳴り、呪霊の檻の蓋が閉まると、其処には前の妖精もどきの代わりに、漆黒の鱗に黄色い瞳の蛇がいた。

 こいつが瘴気の呪い、呪霊ということなのだろうか?

「どうやら、解呪も捕獲も成功したな。職業クラス構成などに、何か変化を感じるかね?」

 レイナースは自らの能力や特殊技術スキルを確認する。

「はい。以前とは、攻撃の際に付与される呪力が変わっておりますが、その程度に思われます」

「では、呪詛騎士カースドナイトのままか。一応、確認してみるか。ロックブルズよ、気持ちを落ち着けるように」

 そう言われ、魔導王から魔法が掛けられる。

「概ね成功、と思ったが…種族が、人間かつ異形種になっているな」

「魔導王陛下、それはいったい…?」

 どういう事なのだろうか?

「…呪いの妖精の方が強力なために、肉体が異形化したという事なのか? 今は異形種の特性で老いや寿命もないようだが、対人間種への魔法なども効果を受けるようだ」

「それはつまる所、人間種と異形種のどちらの利点と欠点も備えてしまった、ということでしょうか?」

「そのようだ」

 想定外だ。老いがない、というのはこれからの歳月を過ごさねば実感も湧かないが、様々な魔法などの影響は最速で戦闘に反映される。

 右顔の解呪が成功したのは喜びが大きいが、新しい呪いも手放しには歓迎できないようだ。

 でも、なんとかなるような楽観が心から滲み出てくる。…これも異形化とやらの効果だろうか?

「ところで、それはどうするかね?」

 魔導王が指で示したのは、レイナースの持つ秘宝アーティファクトだ。

 中に封じてあるのは、顔を歪ませていた瘴気だ。いますぐに消滅させてやりたいが、この呪霊の檻は魔導王陛下の物。

 勝手は出来ない。

「解呪の願いは叶えていただきました。魔導王陛下の決定に従います」

 檻に手を添えて魔導王陛下に捧げる。

「そうか。では、呪霊よ答えるがよい」

「はい」

 レイナースが瞠目する。話せるのか、呪霊と? 知能は高いようだ、この蛇。

「お前の名はあるか?」

「ありません」

「そうか……では、名をマーシュとする」

「はい」

「ロックブルズ、その呪霊の檻は二重封印をして、お前に貸し出そう。これで間違っても解放される事もない。使役して見せよ」魔導王が手の平を向けると、檻の取っ手がカチリと動く。

「マーシュはその人間の力となる様にせよ」

「はっ!」

 レイナースとマーシュが応える。

 積年の怨みは消えないが、呪霊の檻を貸してもらった事でこの蛇を使う事は出来るようだ。せいぜいこき使ってやるとしょう。

「お前の方から、何かあるか?」

 魔導王がレイナースに問う。

 答えは一つであった。

「魔導王陛下、私の願いを聞き入れていただき、誠にありがとうございます。今後とも、魔導国の冒険者として尽くしていきたい所存でございます」

「そうか、期待しているぞ」

 魔導王に深く頭を下げると、次に犬頭の侍従を見る。

「解呪をしていただいた貴女にも、感謝を」

 侍従は一礼するのみであった。主に命じられたのみだ、と。

 だとしても、レイナースは心から気持ちを伝えたかった。

「では、お前を元のエ・ランテルに戻すとしよう。さらばだ」

 魔導王の言葉と共に、レイナースの姿はこの場から消えて行った。

 それを見届けて、アインズは侍従長に話しかける。

「ご苦労だったな、ペストーニャ」

「お力になれたようで、嬉しい限りです、わん」

 しかし、とアインズは今日の出来事を振り返る。

 この世界は、ユグドラシルでは知らなかった事や気付けなかった事、まったく未知の現象や能力など、様々な事が起こるなぁと毎度の事ながら思う。

 秘宝アーティファクトを冒険者に貸し出すのも、新しく発見できる隠し要素があるかもしれないとの淡い期待があるのだ。

 それにしても、種族が変わる事は普通に起こり得るが、人間且つ異形なる種族も有り得るのかと。

(実際、BA同盟への誘いは破格の強さではあるけど、まさか妖精の呪いで種族まで混ざるなんてなぁ…。まだまだ、調査事項は多いな)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る