第18話 勇者の力
勇者ハジャは、目の前でアスラが敗れたというのに、恐怖よりも興奮の方が大きかった。
(すごい。まともに戦えば確実にアスラが強かった。しかし、彼は喧嘩の全てを自分のペースに持ち込み、そしてアスラを引き込んだ。アスラは自分の実力の半分も出すことができずに敗れた)
そう、アスラの実力はこんなものではないということを誰よりもハジャは理解している。
だが、それでもハルトへの関心が高まる。
(不良? 魔族? 違う、彼は喧嘩の悪魔だ。戦争や武道の大会では使えないし、使わない戦法を、喧嘩というシチュエーションで見事に活かした。自分の身を削り、躊躇なく命すら投げ出す危うさ。しかし、それは特攻ではない。より強い勝利への執着心だ)
片腕を失い、全身はヤケドと打撲で傷つき、自身が流した血だまりの上に立つ魔族。
どう考えても重症で、今すぐにでも治療が必要だというのに、自分よりも遥かに格上の勇者を相手に牙を見せていた。
「さあ、本番だ。肉の焼き加減がイマイチだったから、今度はまともな料理を出してくれよな」
これ以上やったら死ぬかもしれない。
それなのに、何故、この不良はここまでするのか。
誰もが理解不能だった。
「面白いね、君は。あんな方法で、アスラを退場させるとはね」
「ああ、随分とイカしてるだろう?」
「でも、女性相手にあんな方法はいただけないな。男としてね」
「喧嘩の仕方に、男だ女だの論争は芸能人とでも語らってくれ。俺には興味ねえ」
「そうかな? それもまた君が目指す最強に必要なことでもあるんじゃないかな?」
「関係ないさ。死んでも勝つ。それが最強への道だ」
ハジャは、ハルトという存在に興味が尽きなかった。
これまで世界を舞台に戦い、色々な人間や魔族と出会ってきた。
一見、このハルトもまた街のどこにでも居そうなチンピラにしか見えない。
だが、それでも何かが違う気もした。
身勝手で、しかしどこまでも揺らがぬ姿に、ハジャも楽しそうに頷いた。
「よし、いいだろう。君の喧嘩を買おう」
「ハジャ、ダメだよ!」
「センフィ、危ないから下がっていて」
ハジャは、止めようとするセンフィを優しくどかせた。
ジャージを腕まくりして、軽く柔軟を見せる。
ハルトもこの時を待っていたとばかりに笑みを浮かべる。
「くははは、随分とノリがいい勇者だな」
「君の気持ち、何となくだけど分かるよ」
「お上品な坊っちゃん勇者が俺たちの何が分かるって?」
「分かるよ。僕も、男だからね。それで、喧嘩の方法は?」
「方法もクソもあるか。死んだ方の負けだ」
「分かった、いいよそれで」
「クハハハハハハ、勇者風情が不良をナメんなよなァ!」
気持ちが高まった。口角が歪む。気持ちが抑えきれず、ハルトは猛って走り出す。
拳を力強く握り締め、つまらない小細工なんかせず、正面から向かって行った。
「黄金の左! 握魔力拳!」
渾身の一撃を拳骨のように降り下ろした。
その拳は体育館の床に深々と突き刺さり、巨大な穴を開けた。
「ほう。間近でみると、より一層恐ろしく見えるね」
「そのツラをグッシャグッシャにしてやらァ!」
「そんな指の力で、アスラはぶすりとやられたわけか。気の毒に」
全身の力という力。魔力という魔力をただ、握った拳に溜め込む。
駆け引きもクソもない。既に何か悪巧みできるようなコンディションじゃない。
引いたら負けだ。押しまくるだけだ。
「死ね、ウスラカスが! 握魔力ツイスト!」
掴んで引きちぎる指先に触れ、ハジャの頬肉を僅かに毟った。
「驚いたな。実に超人的な握力だ。掴まれたら骨まで砕けるよ。こんな戦い方、軍の戦い方が染み込んでいる戦場では見れなかったよ」
「すぐにその顔面を整形させて、今よりイケメンにしてやるよ」
「それは勘弁願いたいね。だから、反撃させてもらおうかな?」
「ああ?」
ハジャの拳。確かに速いが、反応できる。先ほどのアスラほど速くはない。
「けっ、んなヘタレパンチ利くか! 千切るぜ?」
ハルトはその手首を掴み取り、渾身の握力でハジャの手首を潰す。しかし……
「残念だけど、僕には物理攻撃は効かないんだ」
ハジャの全身が帯電して光り輝き、腕が何事も無かったかのように元に戻った。
「へえ、兄さん……勇者の力で応えてあげるつもりのようね」
光華がボソリと呟いた。これがハジャの戦闘スタイルだと。
「勇者は雷を纏い、この世を覆う暗雲を切り裂く」
「おっ……こいつは、あの女と同じ!」
「魔闘衣(まとうい)・勇雷英化(ゆうらいえいか)」
全身がスパークし、その纏った光がハジャを神々しくさせる。
空間の空気がはじけて、ビリビリと肌に伝わってくる。
あまりの美しさからか、誰もが見惚れている。
「ちっ、んだそりゃ。スーパーなんたらか?」
「気闘衣だよ。ただ、物理攻撃の通じたアスラよりも、質は上回っているけどね。これが僕なりの戦闘スタイルだ」
「くだらねえ……何が暗雲を切り裂くだ。この、漫画脳野郎が!」
「へえ、それだけポンポンとよく悪口が言えるね。ある意味それも、すごいね」
「まさか、そんなもんで俺がビビると思ったか? なら、教えてやるよ」
ハルトは中指突き立てた。
「不良はビビッた時点で負けなんだよ。覚えておけ」
ハルトの決めゼリフにハジャもまた笑っている。
「分かった、覚えておくよ。なら、君も……僕の力を覚えておいてね」
次の瞬間、雷の速度がハルトを撃つ。ハルトは身動き一つ出来ずに吹き飛ばされた。
(ッ、疾ェ! 避けきれねえ!)
体育館の壁に激突し、壁に巨大な亀裂が入った。
背中の激痛。だが、こんなものはまだ耐えられる。
「ぐ……いってーじゃねえの……やってくれんじゃねえか、ウスラボケ!」
「なるほど、体は丈夫だね」
「捉えた。死にやが……なっ!」
「その程度のスピードでは僕は捉えられないよ」
ハルトは再び正面から殴りかかる。
だが、空振りに終わる。ハジャは目の前で突如と消えた。
「き、消えた! ちっ、どこに!」
「すぐそばにいるよ」
「っ……」
「見えなかったかい?」
ハジャは空振りしたハルトの拳に乗っていた。声をかけられるまで気付かなかった。
「ハルト君。僕は今から、喧嘩とは違う力で、君を圧倒して応えよう。心を折るには痛み? 違うね、想像を絶する圧倒的な力差だよ」
その瞬間、ハルトの笑みは止まり、ゾクっとなった。
不良として修羅場はくぐり抜けてきた。ヤバイ状況も、興奮して自ら飛び込んで行った。
(な、なんだこいつ! この殺気! ヤ……ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!)
この時ばかりは全身の細胞がヤバイと告げていた。
「ッ!」
知らなかった。自分がどうしてさっきまで勇者に恐れを感じなかったか。
魔王を倒したとはいえ、勇者がそれほどビビる相手じゃないと思っていたからだ。
だが、実際には違う。勇者が本気の殺気と敵意と気迫を見せていなかったからだ。
自分は敵とも思われてなかった。だから、ハルトもビビッていなかった。
しかし今、勇者の明らかなる殺気に振れ、全身が震え上がった。
「これは痛いから……死なないでくれよ?」
まさか、ハジャがこんな鋭い目つきが出来る男だとは思わなかった。
一瞬で、ハルトの本能と全身が萎縮していた。
「四面万雷(しめんばんらい)!」
四方から雷と化したハジャの攻撃が、中央で十字に交差してハルトの全身を痛めつけた。
「君が半端な手加減や同情を望まなかったから、手を緩めなかった。僕なりの礼儀だ」
雷が鳴り終わり、体育館の床の上に元の姿に戻ったハジャが立ち、代わりに全身を黒こげにされたハルトは力なく倒れ込んだ。
強がりすら言う暇も与えられぬ程の圧倒的な出来事だった。
同じ人間たちですら、息を飲んでいる。
「君は不良の道を通してきた自分に自信があるようだが、それは僕も同じこと。この拳で僕たちは、世界も歴史も未来も掴んできたという自信があるんだ」
気が遠くなる。何を言っているのかがうまく聞き取れない。だが……
「数多の戦場を駆け抜けた。多くの仲間を、友を失いながらも突き進んだ。失ったもの、倒れた者たちから強く熱いものを受け継ぎ、時代に、世界に、あらゆるものに挑み続けた」
薄れゆく意識の中、その言葉だけは聞こえた。
「せ……世界……だと?」
ふざけるな。そう言ってやりたかった。だが、うまく言葉がでない。痛みからではない。
街の不良で名を挙げてきたハルトには、あまりにもスケールの大きすぎる話。
マグダの意思を継いで、『世界』という言葉を口にしたが、それとは違う。
「不良をナメるなというのなら、ハルトくん、君の方こそ僕たちを、あまりナメないでくれたまえ!」
ハジャの口から出た『世界』はとてつもない重さと実感が込もっている。
(な、なんだこいつ……ツエー……て、手も足も出ねえ……そして……デケェ……次元が違ェ……こんな強かったのか……)
喧嘩でボロボロになることも負けそうになることも何度もあった。
それでも何度でもハルトは立ち上がってきた。
しかし、それすらできぬほどの威力を持った力と器の差。
(くっ……ふ、震えてやがる……俺が、こんな……くそ……クソォ……。今だから分かる。こいつはただ強かったから戦争に勝ったわけじゃねえ。抱え込んでるもの、背負ってるもの、見ているものが根本的に違う。それがデカすぎて俺には分からねえだけだったんだ)
その時、ハルトの脳裏に濃く宿った。「このままでは、勝てない」と。
「ハルト君。僕はもう君を傷つけたくはない。時間はかかるかもしれないが、戦争の悲劇を乗り越えて、僕たちはきっと魔族も人間も分かり合える世界にしてみせる」
正直、ハジャの言葉はハルトの頭の中には入ってこなかった。
(クソ……立てねえ……体中の器官が痺れてやがる……だが、立ったところで……)
次元の違う力の前で完膚なきまでに叩きのめされ、心までもが折れかけた。
(このままじゃ、勝てっこねえ……こんなバケモン……情けねえ……畜生!)
そして、事態は更に不利になる。
「オラァ、さっきはよくもやってくれたわねェ! ぶっとばしてやるわ!」
「アスラ、無事だったのかい?」
「どいて、ハジャ。そいつを焼失させてやるわ!」
怒り心頭のアスラが復活し、更に……
「ハジャ君! 大丈夫かァ!」
「魔族が学園で暴れていると聞いたが、怪我はないか!」
「ハジャ殿」
杖や西洋剣、弓矢などの武器を携えて、武装した生徒たちが体育館に入ってきた。
「ハジャくん。先ほど万雷の音が聞こえましたが? おっ、この魔族は、越前屋をやったという魔族ですか?」
「部長さん。それに白皇守備隊の方々……アンシアもお疲れ様です」
学園の治安を守る者たちが駆けつけ、生徒たちも安堵の息が漏れる。
「よく、がんばった方よ……もう、十分私も満足できたわ」
光華もこの結末に満足したのか、その場を立ち去ろうとしている。
「さあ、レオン・ハルトと言ったな? 君を捕獲する」
白皇守備隊と呼ばれた連中が、ハルトを無理やり引き起こして連れて行こうとする。
(これが……世界を変えた男……)
ハルトは不良としての敗北と死を受け入れようとした……わけではない。
「同じじゃねえかよ」
「なに?」
「命懸けの想いを受け継いで、死んでも負けられねえって想いに何の違いもねーんだよ!」
ハルトは体を身じろぎさせて、連行しようとする白皇守備隊を振り払った。
勝てないかもしれない。死ぬかもしれない。しかし、負けを認めることはない。
「やめろ、レオン・ハルトくん。このままでは本当に死ぬぞ!」
「問題ねえ。死んでも勝つ!」
「往生際が悪い。何故、そこまで反発する」
「俺たちは、反逆する生き方しか知らねえ奴らだからだ! 俺は負けねえ! 死んでも負けねえと死んでも誓う!」
ハジャは顔には出さないものの、心の底では僅かに動揺した。
(どうしてだ? 彼より強い者など、世界には腐るほど存在する。なのに、何故倒れない? 何故、立ち向かってくる? 力の差だって分かり切っているはずなのに、何故心が折れない? 意地なのか? 不良とはなんなんだ? 何が彼をここまで支えている)
倒しても、痛めつけても、心が折れない。心が折れない限りは負けではない。
命知らず。死に急ぎ。今のハルトは正にそれだ。おそらく今のまま続けても、文字通り死んでも負けを認めないだろう。
ならば、どうやったらこの男に勝ったことになるのだろうか?
どうやったら、心を折ることができるのだろうか?
(仮に、一撃入れて気を失わせても、目が覚めたらまた挑んでくる。そんな目をしている)
そう、もはや息の根を止めることでしか、ハルトを止める方法がハジャには思いつかなかった。
だが、その方法だけは絶対にできない。ならば、どうする?
そしてまた、ハルトもある決意を胸に秘めていた。
(このままじゃ勝てねえ。……だから、アレをやるぞ……相手は不良じゃねえけど……このまま不良をナメられるわけにはいかねえからよ!)
ハルトの瞳が再びギラつく。
すると、その時だった。
「ハルト。あんま人を心配させんなよ」
冷静な言葉と、それとは対照的に騒がしい、何十台ものバイクの排気音が響きわたった。
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