第10話 勇者の妹
(結局それだけさ。あいつも戦争が忙しくなって、学校をやめちまったからな。それ以来、会ってねえ。後腐れなく切れたと思ったんだけどな……)
センフィはハルトのことを覚えていた。
(俺のことも覚えてるし、昔と今も何も変わらねえおめでたい女だが)
別にだからどうというわけではないが、本当は少しだけ嬉しかったりもした。
(まっ……ダチができれば楽しいってことは、ウソじゃなかったな)
少し昔の夢を見て、ハルトは目が覚めた。
息を荒くして見渡すその場所は、見知らぬベッド。天井。
そして白いカーテンで周りを覆われ、消毒液のような匂いがする部屋だった。
ここはどこだ? そんな疑問を抱いた数秒後に、隣から声が聞こえた。
「あら、起きたの?」
目の前には椅子に座って本を読んでいる女生徒が居た。
ハルトが起きたというのに、本から一切顔を上げずに、ハルトにまるで興味を示さない。
ピンク色の髪は肩の長さで揃えられている。真っ白い肌に、触れたら簡単に砕けそうな細い体。不良の自分とはまるで縁のない、お淑やかな文学少女に見える。
だが、それは上辺だけ。ハルトには分かる。物腰も、そして視線を一度も自分に向けないのに、女にはまるで隙がないことを。
「……誰だっけ?」
思わず身構えるハルトを、光華は手で制す。
「天壌光華。勇者の一味にして、あなたが襲い掛かった勇者ハジャの妹よ」
「げっ、勇者だと。あー、それでか。ただモンじゃねーとは思ったけどよ」
「落ち着きなさい。ここは保健室。あなたは三時間ほど意識を失っていたのよ」
「三時間……油断した。まさか俺があんな優男に遅れを取るとはな」
「その様子ではもう大丈夫そうね」
「まあ、多少は腹が痛むが、この程度どうってことねえよ。ちっくしょう、まさか一撃であのザマとは情けねえぜ」
ハルトにとっては、腹の痛みよりも、イラつきの方が問題だ。
今すぐにでもリベンジしたい衝動に駆られるが、光華は涼しい顔で告げる。
「越前屋先輩は病院に運ばれたわ。幸い命に別状は無かったけど、顔面陥没骨折。腕と腿の状態もヒドいわ。運ばれた病院に優秀な治癒術士が居なければ、消せない傷が残っていたかもしれないわ」
光華はただの報告のように淡々と告げているが、どこか語尾に感情がこもっていた。
自分との喧嘩でやられた者の状況に対してどう思うのか。その反応を伺っているような感じだ。
しかし、ハルトは微塵も悪びれなかった。
「知るかよ。何とか屋が弱いのは自己責任だろうが」
「ふーん、そういう考えなの」
「あたりめーだ。喧嘩に身を委ねたら破滅への覚悟は当たり前だ。そんなギリギリの全力で命懸けの状況だからこそ生きがいだって感じられるんだ。それが、戦争だろうと喧嘩だろうと、拳で生きてきた奴らの唯一無二のルールだろうが」
どこか誇らしげに喧嘩の矜持を語るハルトだが、どこか予想通りだったのか、光華は深く溜息をついた。
「は~、覚悟ね」
「そーだ、覚悟だ。それがどうかしたのか?」
「別に。ただ」
「ッ!」
「本当の覚悟も知らない、怠惰な日々を過ごしてきただけの不良が、したり顔で覚悟を語ってもらいたくないわね」
怒気の空気。
表情そのものはクールなのに、痺れるような空気が光華の感情を雄弁に語っていた。
思わず、ハルトの口角が吊り上がった。
「くははは、ならどうする? お前も女のツラを捨てる覚悟があるんなら、俺はこのままヤってもいいんだぜ?」
「あらあら、ナメられたものね……私とヤルって?」
「ああ。まっ、テメエはツラはすげーかわいいから、喧嘩よりこのままベッドで一戦交えたいものだがな」
「あら、下品ね……私はもっとイケてる男性がいいのだけれど……」
一触即発。ベッドのシーツの下で、ハルトもいつでも飛び出せる準備をしていた。
相手は女とはいえ、戦争に勝った勇者一味の一人だ。
だが、しばらく見合っていた二人だが、光華は急に怒気を消して笑った。
「なんてね」
「あっ?」
「それだけ吠えるなら元気そうで良かったわ」
「はあ? どういうことだ」
「ふふ、越前屋先輩に感謝するのね。先輩が病院で言っていたけど、今回のことであなたに対して特別何かを訴える気はないそうよ? あれは、一対一の決闘で自分が負けた責任だって」
光華が何を言っているか分からなかった。
だが、次の瞬間、光華はハルトが予想もしていなかったことを告げた。
「だから、早いうちに魔界へ帰ってくれるかしら」
「帰るだと?」
「今朝の事件は処理できたわ。センフィ姫が魔族の代表として学園側に謝罪し、兄さんがそれを後押ししてあなたの不問を訴え、受け入れられたわ。良かったわね」
「不問だと? ふざけんな」
ありのままの事実を淡々と語っているが、それは聞捨てならないものだった。
「こんなんで俺に貸しでも作って大人しくさせようってか? ふざけんじゃねえ」
「貸し? あなたに作って、何か得があるのかしら? 別になにもないわ。越前屋先輩が訴えない以上、兄さんも姫様もこの程度のことで夢を壊すようなことなどしないってこと」
「ああ? この程度? 勇者が命の危機に晒されたわりには、随分とヌルいじゃねえか」
「ぷっ、ふふ、命の危機? 本当にそう思っているなら、随分と過信したヤンキーさんね」
「テメェ、何がおかしいんだよ!」
「だから、勇者であり世界最強クラスの兄さんが、あの程度の力のないチンピラ魔族に絡まれた程度の問題だから、この程度なのよ。言い方は悪いけど、越前屋先輩の力で兄さんの実力を図っているのだとしたら、愚か者もいいところよ?」
この程度? 言われて少し腹が立った。
つまり自分の存在など取るに足らないと言っているようなものだ。
「どんな理由でこんなことをしたのか分からないけど、大人しく魔界へ帰るのね」
そして通告。光華のまるで有無を言わせぬ上から目線の物言いに少しカチンとなった。
だから、ハルトは逆に舌出して笑った。
「くだらねえ」
「あら?」
「このまま大人しく魔界へ帰るぐらいなら。大騒ぎして地獄へ行った方がマシだ」
当然、光華は不快な顔を浮かべた。
「不愉快な人ね。この平和の重さを何故分からないのかしら」
一見クールに見える光華だが、その瞳と言葉は重く猛っていた。
ハルトは思わずゾクッとなった。
世界を変えるほどの戦いを乗り越えた英雄の一人。内の中には熱いモノが蠢いている。
その迫力に、ハルトの頬にも汗が流れた。
「ッ、へへ。なんだよ、そんなツラもできんのかよ」
「そうね。ちょっと私もイラッときたからね」
「くく、そうだよ。それでいいんだよ。上から目線なんてもんじゃねえ。まるで自分たちがこの世の流れを決める神にでもなったと勘違いしてんじゃねえのか? 広い心で許すってのは、優しさじゃねえ。それは自分にとって取るに足らない相手だからっつう、相手に対する侮辱にもなるって覚えておくんだな」
「あら、取るに足らない相手というのは間違ってもいないんだけどね」
「ムカッ」
「そういうところは魔族も人間も男は同じなのね。本当にくだらないわね。無能なくせに、文句だけは一人前で、プライドだけは高い。兄さんとは大違いよ。まあ、そもそも兄さんと比べられる人はこの世のどこを探しても居ないから仕方がないんだけどね」
「くはは、それなら俺にブザマに負けた何と屋はどうなんだ? それ以下ってことか?」
「あらあら、人の価値を喧嘩の強さでしか見れないなんて、愚かを通り越して哀れね。越前屋先輩は敗れたとはいえ、義に熱く、仲間思いで、多くの人にも慕われて、少なくともあなたの何倍も価値ある存在よ?」
ハルトは今すぐにでも布団をぶん投げて、一発頭を殴ってやりたい衝動に駆られた。
「な、なんだ、この女は! ああああああああああ、ムカつく!」
「何を興奮しているの? 人がせっかく優しく魔界へ帰してあげようと言っているのに」
「優しくねえだろ! ボロクソに言いやがって!」
「ちょっと静かになさい。授業中よ。大体、あなたはセンフィ姫と同じ歳ってことなら、私より一学年上なんでしょ? 歳上としての落ち着きを見せられないの?」
「つーか、テメエは歳下なんだから礼儀をわきまえろってんだ! つーか、歳下だったのかよ!」
「仕方ないじゃない。今日は新入生は授業が無いんだから午前で学校は終わりなの。だから、私しかあなたの面倒を見れる人が居なかったんだから。まさか、保険の先生に魔族を任せるわけにはいかないからね」
「そっちじゃなくて、歳下ならもっと色々とわきまえろって言ってんだよ」
「あら、少し早く生まれただけで先輩ヅラするなんて、ますます無能な男のやりそうなことね」
ヤバイと思った。ここまで女を本気で殴りたいと思ったことは。ハルトの人生でも珍しい。
だが、この光華を殴った時点で、なんだかものすごい自分がカッコ悪くなってしまうような気がした。ハルトは頭の血管が爆発しそうなほどに怒りで引きつった笑みを浮かべながら、ギリギリのところで一線を超えぬように耐えていた。
そんな、耐えているハルトの様子に、ようやく先ほどのイラついた発言に対しての怒りが収まった光華は、小さく笑った。
「さて、もうこれぐらいにしましょ? それより、さっきも言ったとおり、早く帰りなさい。こんなことで、私たちの夢の邪魔はしないで欲しいわね」
口喧嘩は大勝利。まるでそう言っているかのように勝ち誇った光華が保健室のカーテンを勢い良く開ける。急に強い日差しが入り込み、ハルトは目を手で覆った。
眩しいのは太陽だけではない。どこまでも誇らしげだが、堂々とした光華の姿も、今のハルトには眩しく見えた。
だが、それを口に出すのも、うろたえて見せるのもカッコ悪いので、平静を装った。
そして、ムカついた心と頭をクールダウンさせて、落ち着いた口調で光華に返す
「テメェらの夢がなんだろうと、俺にとっては、不良としてのプライドの方が遥かに重い!」
「はっ?」
ハルトからすれば、勇者たちの思いなど知ったことではなかった。
「喧嘩に明け暮れ、気の合うバカ野郎たちと共に血を流し、テメェらの掲げる看板と命を懸けた。不良と最強が俺の生き様だ!」
想いに揺らぎなし。
身勝手で、だがその生き様には意地をも超えた信念があった。
その時、僅かだが光華も少し何かを感じた。
(この男……歪んでいるのに……どこか……)
光華が、少し言葉を失った。
「そして、最後は不良としてのケジメだ! だから勇者にとっとと会わせろ」
「ケジメ? 仮に兄さんにもう一度挑んだところで、あなたなんか……」
「俺の辞書に不可能の文字はねえ!」
「……」
「失った不良たちの誇りを、俺が取り戻してやる。だから、もう一度勇者に会わせろ!」
それは、ハルトの憧れた男の、そして自分たちの合言葉だった。
その言葉を聞いて、光華はどこかクールな様子から、少しだけ戸惑いを見せた。
(身勝手な馬鹿……でも、どこか揺るぎない信念を感じる。言葉と瞳に熱がある。街にいるチンピラや、学園に居る不良と同じなようで、少し違う感じもするわね)
光華は、ハルトを値踏みしていた。
一見、ただの身勝手なバカだと思ったが、どこか譲れぬ思いのようなものを感じた。自分たちがそうだったから、感じ取れた。
(ふーん)
すると、その時だった。
「あっ……」
激しい音楽が響きわたった。
「悪いわね、私の携帯電話よ。マナーモードになっていなかったようね……」
「この音楽……」
ハルトはその音に、妙な懐かしさを感じた。同時に胸が熱くなった。
この曲を知っている。分かった瞬間、ハルトの心臓は跳ね上がった。
「失礼。もしもし……あ、兄さん? あっ、はい。特に問題は……うん、うん。じゃ」
慌てて電話に出た光華は短く適当に相槌を打って、すぐに電話を切った。
相手は兄であるハジャ。しかしハルトが目を覚ましたことなどを報告しなかった。
その理由は分からないが、それも今はハルトにとってはどうでも良かった。
(しまった……)
光華は失敗したと思った。
ハルトの処遇に迷って、思わずハジャには黙っていたが、兄さんと呼んでしまった。
これでは、今すぐ連れて来いと言われるに決まっている。
だが、
「おい、今の……」
「……嘘はダメね……そう、兄さんからよ」
「んなこたァ今はいい!」
んなこたァいい! ハルトが聞きたいのは一つだけ。
「今の音楽……ロックンロール・インフィニティか?」
「……えっ……」
「四十年ぐらい前の伝説的なロックバンド、マグマ・ボーイズの曲!」
「……へっ……」
クールな光華がポカンと口を開けて固まった。それほどまでに、今のハルトの口から出てきた単語が意外すぎた。
「……あの……なんで……」
「そいつは俺の殿堂入りだ! 何故なら俺は、ボーイな野郎だからな!」
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