第16話 イカれた男

「クソミソ女が、俺をぶっ殺せるもんなら殺してみろや!」

「ふーん、全員負けたけどね。私にそういうふうに啖呵きった男は」


 ハルトはアスラの顔面めがけて猛然と拳を振るう。


「握魔力……」

「そんなテロフォパンチ……」

「なんてな!」

「ん、フェイク?」


 だが、それはフェイント。本命は太ももを狙ったローキックだ。


「まずは足を砕いてやらァ」

「ったく、越前屋先輩のローキックには文句言ってたくせに、自分はやるのね! だけど、私には通用しないわ」


 しかし、アスラは悠然と立ったまま、ハルトのローキックを受ける。

 乾いた音が響く。手ごたえを感じさせる一撃だった。

 だが、


「アッチー! な、なんだ!」


 ハルトの蹴り足が、突如燃え上がった。己の足の異変に驚きながら、転がるハルト。


「魔族は『魔力』を使う。人間は『気』を使う。この世の常識でしょ?」


 何が起こったのか? 見上げると、アスラの肉体から青い炎が燃え上がっていた。


「私の気を炎と変えて、一体化する闘技。『気闘衣(きとうい)』の力よ」


 炎と一体化。文字通り、肉体と衣服すら炎のように揺らいでいる。

 アスラ自身が炎になったように見える。


「きと……う?」

「気・闘・衣よ! 覚えておきなさい! バトルマスターの称号を持った、『炎闘女帝のアスラ』の名前をね」


 体育館の温度が急激に上昇する。アスラの足元の床が、熱で溶けている。

 その熱量、そして、アスラから発せられる闘志は、ハルトの額に冷たい汗をかかせた。

 だが、それでもあえて強がりをやめないのも、不良としての証明でもあった。


「服まで炎にするなんざ、つまらねえ。服も燃やして素っ裸になるぐらいのサービス精神がねえから、勇者を口説けねーんだよ」

「ムカ」

「あっ、でも無理か。服の上からでも分かるぐらいの小っせえ胸で体の硬そうな筋肉女じゃ、男好みの体してる淫乱オウダにゃ勝てねえか」


 余計に炎の熱が上がった。


「私は淫乱じゃないよー!」


 センフィの言葉は無視するが、目の前のアスラは、流石に無視できる存在ではない。

 体育館の床が溶け出している。その表情に満ちているのは憤怒の炎。


「あんた、言ったわね~。私が気にしてるとこを。センフィみたいな柔らかい体の巨乳に嫉妬する乙女に対してよくも言ってくれたわね~」

「いっそのこと、勇者に揉んでもらえばどうだ? 意外とグラッとくるかもしれねーぞ? 硬くて揉みづらいだろうけど」

「こ、こんのおおおおおおおお!」


 目に見えてアスラがムカムカとした表情を強め、顔の筋肉が何度もピクピク動いている。

 だが、軽く深呼吸をして落ち着かせた。


「ふー、ふー、はー」

「おっ! 耐えた」

「ふふ、あんたのやり方は分かってるわ。挑発して私の冷静さを奪う気でしょ? そんなありきたりな戦法は私には通用しないわ」


 火力ばっかりあがって不安定だった炎がようやく落ち着きだした。この程度で油断はしないと、勇者一味の意地を見せた。

 

「ほら、いい加減にかかってきなさい。男なら口じゃなくて拳で語りなさいよ。その方が得意でしょ? 存分に語り合ってあげるわよ」


 ハジャたちも冷静になったアスラにホッとした。

 別に冷静さを欠いたからといって、アスラが負けるとは微塵も思っていないが、万が一もあった。

 だが、冷静さを取り戻して自分が何者かを理解したアスラに万が一もないと、誰もが思った。

 しかし、


「相手が男なら拳で語る。不良と語るならぶつかって語る。でも、お前はどっちでもねーだろ? カタギの女が俺と語りたければ、ベッドの中で語ってやるよ」


 中指突き立てて、邪悪な笑みを浮かべるハルト。ついに、アスラの中で何かがキレた。


「こんの、ゲス野郎!」


 アスラの体が陽炎のように揺れる。そう思った瞬間、腹部に衝撃と熱を感じた。

 アスラの拳。ハルトは一歩も反応することができなかった。


「がはっ……こ、この、女! 握魔力ツイスト!」

「はんっ、遅いわ!」


 ハルトが痛みに耐えながら手を伸ばす。だが、その手は何も掴めない。


「遅い遅い遅い遅い!」

「な、なろ、好き放題殴ってくれるじゃねぶはっ!」

「弱い弱い弱い弱い!」

「ッ、チョコマカ動きやがって!


 美しさの欠片もないタコ殴りだ。

 今度は両足、背中、腕に次々とハルトの肉体に衝撃が走っていく。


「炎正拳(えんせいけん)!」

「ぐはっ、がっ、が」


 中段の拳の一撃。ハルトの内臓が激しく暴れる。

 火傷なのか、打撲なのか、もう判断がつかない。


(この女、強くて速くて、炎が邪魔くせえ)


 全身の感覚が麻痺してしまっているハルトは、そのまま両膝をついて蹲った。


「もう少し、手を抜いてあげた方が良かったかしら?」


 圧倒的な力差。体育館に居た生徒たちの歓声が上がる。


「さっすが、アスラちゃん! 世界最強の女の子!」

「アスラちゃんに勝てる男なんて、ハジャくんしか居ないもんね」


 魔王を倒した勇者一味の力に偽りは無い。


(あー、確かにツエーツエー。名前が売れてるだけはあるな。だが……)


 だが、ハルトは大して慌ててはいなかった。

 アスラは確かに強いし、ダメージも嘘ではない。

 しかし、これぐらいならばと口元に笑みが浮かんだ。


「なるほどな。お上品すぎて、あんまりボーイじゃねえな」


 ハルトは立ち上がった。

 少しフラついているが、その瞳と表情は、未だにギラついていた。


「あんた……、ちょっと手を抜きすぎたみたいね。もうちょっと痛めつけるわ」

「くくく、ふははははは、お前は何も分かっちゃいねえ」

「何ですって?」

「痛めつけたら勝ち? 違うな、不良の喧嘩は、相手の心をへし折った方の勝ちだ。二度とこいつと喧嘩したくねえ。そう思わせねえ限り、お前は俺に勝ったなんて言えねえのさ」


 まだ自分は戦えると、ハルトは言う。しかし、アスラは返って呆れた。

 達人なら対峙しただけで相手の実力が分かる。僅かでも拳を交わせばその人物の底を知ることができる。

 アスラは既にハルトの全てを見切った。つもりだった。


「次はこっちから行くぜ! 握魔力弾(あくまりょくだん)!」

「えっ? うそ!」

「そらそらそらそら!」

「魔法? こいつ、魔法を使えたの? つっ、うっ!」


 離れた場所からハルトが腕を突き出して、グーパーさせて閉じた拳を開いたり閉じたりする。

 その度に、空気が弾けたような音がして、アスラの状態を揺らした。


「これは、空気の弾丸? 詠唱も何も無しで、しかもこんな連続で? いや、こんな魔法みたことないわ!」

「魔法? そんな上品なもんと一緒にすんなって! ボーイな技だろ?」


 見えない空気の弾丸。目に見えないが、それは野球ボールぐらいの大きさはあるだろうか?

 ハルトが離れた場所で拳を閉じたり開いたりするだけで、アスラの肉体に痛みが走った。


「違う、あれは魔法じゃない。握った拳を弾くように開いた衝撃で生じる空気を弾丸のように飛ばしている」

「空気弾? レオンくん、あんな技を使えたの?」

「へ~、やるじゃない」


 予想もしていなかったハルトの反撃に、ハジャたちは素直に感心した。

 伊達に不良の頭をハッているわけではない。それなりの力は兼ね備えているのだと頷いた。


「つっ、確かに驚いたわ。でもね、この程度の力じゃ私は倒せないわよ?」


 確かに驚いた。だが、ダメージはない。連発されると厄介ではあるが、殺傷能力は高くない。

 アスラの優位は変わらない。

 そして、連発されれば当然慣れる。


「よっと」

「おっ」


 アスラは握魔力弾を回避した。


「ちょっとした空気の流れやアンタの腕の位置さえ確認すれば、避けるのは造作もないわ!」

「ちっ。いちいちうるせー女だな」


 舌打ちするハルトは構わず空気弾を連発するが、もうアスラには当たらない。

 アスラは左右の見事なステップワークで避けながら徐々にハルト近づき、そして最後は上空に飛んだ。

 

「いくわよ、炎脚両断(えんきゃくりょうだん)!」


 くるくると何回転もして威力と速度を加速させた踵落としを放つ。

 当たったら、頭から潰れるか、体が真っ二つに割れるかもしれない。

 咄嗟に判断したハルトは、空気弾からの攻撃を切り替え、握った拳を更に強く握る。

 更に、左手で右手首を掴み、強固さをアップさせた拳をアスラの踵目がけてぶつける。


「超絶握魔力拳!」


 轟音とも爆音とも呼べる衝撃音。

 交差する二つのパワーの衝撃により、床に円上に亀裂が走った。

 その中心には空中で踵落としをした態勢で止まっているアスラに、拳でアスラの踵を受け止めているハルト。


「驚いたね」

「ごか、互角? アスラの炎脚を正面から相殺させた? レオンくんが」

「これは驚いたわね。ナチュラルなパワーだけで、アスラさんと正面からぶつかれるなんて」


 予想外に続いて、予想以上だった。少なくとも勇者一味はハルトが瞬殺されると思っていた。

 それが、ここまでの戦いに発展するとは思ってもいなかった。


「ね、ねえ、ハジャ。ひょっとしてだけど、ひょっとしてこのままアスラがやられちゃうなんてことは」

「いや、それはないだろう」

 

 しかし、それでも結末は変わらないだろうとハジャは断言した。

 その理由は、今のハルトの状態にあった。


「くは、くはは、両断できねえ刃に意味なんてなかったな」

「あんた」

「さあ、続きだ」


 手招きしてアスラを挑発するハルト。

 だが、アスラは見逃さなかった。ハルトから溢れる汗を。


「無事なはずがない。今の衝撃に、彼の右腕は完全に壊れた」


 英雄の必殺の一撃だ。無事で済むはずがなかった。

 ハジャたちの見立てたとおり、ハルトの右腕は肩が外れ、腕の骨がへし折れていた。

 これ以上は、喧嘩ではない。勝敗は既に決している。だが、それでも戦意を失わずにギラついた瞳で牙を見せるハルトに、アスラも少しだけ胸を打たれた。


「もう、これまでにしましょ。あんた、お世辞抜きでよくやったわよ」

「あん?」

「あんた、フツーに強かったわよ。私もみんなも驚いたわ。だから、これ以上意地張んのはやめなさい」


 アスラの表情には既に怒りはない。それどころか、ハルトを気遣っていた。そして、認めてもいた。


「最初はちょっとお仕置きしてやるだけのつもりだったけど、これ以上は喧嘩じゃない。殺し合いよ。流石に私もそこまでやる気にはなれないわ。それに、もうこれ以上、あんたと戦いたくないわ」

「は、はあ? 何を言ってやがる。まだまだこれからだろうが」

「言っておくけど、私はまだ半分の力も出してないわ。このままあんたが戦っても勝ち目はないわ」


 お前が強いのは十分分かったから、もうここでやめよう。アスラのその提案は情けだ。

 だが、アスラもハジャたちも不良という存在の性質をよく分かっていない。

 情けをかけ、哀れまれたり、安い同情をされることほど死ぬほどの苦痛だと言うことを。


「勇者の妹が言ってたよ。俺は本当の覚悟を知らないってな」

「えっ?」

「確かに俺は戦争にも出てねえ。国のためだとかも知ったこっちゃねー。だから、お前らの言う覚悟ってのがどんなもんかまでは分からねえ。だからこそ言うぞ。相手を破滅させる事への覚悟がねー奴が、不良の世界をナメんのもたいがいにしろよ?」


 ハルトの目つきが変わった。今まで邪悪で歪んだ笑みの混じった表情から、殺意のこもった瞳へと。

 そこに笑いはなく、ただドス黒く鋭い寒気のするような空気が全身から溢れ出ていた。

 不良をナメた奴は殺す。そう言っていた。


「井の中の蛙。鳥なき島の蝙蝠。よく、俺たちの世界はそう呼ばれた。だがな、そいつは間違いだ。井の中に、鳥無き島にいたのは、最強で最高のバカ野郎たちだった。戦争に出ていた奴らと不良の俺たちじゃ覚悟は違う? ふざけんな! テメエの誇りと仲間とチームのために命を懸けて血を流すことに、違いがあるわけねえだろ! 俺たちの街は、俺たちの世界は、俺たちと共に駆け抜けた奴らはそんなにヌルくなかったぜ!」


 猛るハルトは、左手で使い物にならなくなった右腕を掴む。すると、力を入れて、


「うおりゃあああああ!」

「ちょっ、バカ!」

「ぐ、ぐああああああ、ぐっ、ぐああ、つあ!」

 

 悲鳴が響き渡った。一部の一般生徒たちは目を逸らし、吐き気に襲われ、中には気を失ったものすら居た。

 鉄の匂いが広がり、ハルトの足下は青い血の海ができ、その海の中にハルトは自分の体から引き千切った腕を放り投げた。


「あ、あんた、なに、考えてんのよ!」


 理解不能。その行動に何の意味があるのか?

 いや、意味など無い。ただ、ハルトは意地になってバカなことをしたに過ぎない。

 だが、それでもその無意味な行動にアスラは戦慄した。

 使い物にならなかった右腕を自分で引き千切って捨てる。あまりの激痛にハルトはのたうち回り、何度も床に頭突きをした。


「くっ、がっ、はは、くははははははははは」


 痛みで頭がおかしくなったか? それとも元々おかしかったのか?

 それでもハルトは笑った。


「く、くはは、この程度でイカれてると思うぐらいなら、お前は不良の世界では生きていけねえよ。俺たちはお前らの想像を遙かに超えた世界に居るんだよ」

「はあ?」

「腕折れたぐらいがどうした。腕が無くなったところで、俺はこうして何一つ折れちゃいねーんだよ。テメエはな、まだ俺に勝っちゃいないんだよ!」


 この時、アスラは直感した。この男は危険すぎると。

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