第8話 一撃


「うわああああああ!」

「おっ、まだ動けんの」

「ちっ、ふ、不覚! 私としたことが、情けない」


 体をよじらせて、血だらけの越前屋は拳と蹴りを振り回す。抵抗の意思を見せるものの、そこには先程までの冷静で洗練された動きはなかった。

 だが、それでもハルトの頬を切り裂き、魔族の青い血が流れる。

 しかし、その流れた血を舌で舐めとりながら笑みを浮かべるハルトに、底知れぬ邪悪さを際立たせるだけとなった。


「くははは、頑張るじゃねえか。だが、喧嘩はクレバーと地味なんじゃなかったのか?」

「だ、黙りなさい。こんな、こんな程度のことで私が負けるなど、断じて許されないのです、き、君みたいな……君みたいな、夢も、大義もなく、常識すら守れない不良に……私たちの夢を壊させるわけにはいきません」

「ああん? その通りだ、俺には夢も大義もねえ。俺はひねくれてるからな。だが、それこそケンカに関係ねえ。そんなのをケンカに持ち込むんじゃねえ。ケンカに持ち込むのは、譲れねえ意地だけだ。それの張り合いこそがケンカだろうが」

「黙れェ! この、ようやく手にした平和を! ようやく踏み出した夢への一歩を! なぜ、壊すことができる!」


 完全に頭に血が上った越前屋は、無意味に拳と蹴りをガムシャラに振り回す。

 当然、当たるはずがない。我を忘れ、動きにキレもない。それどころか、今度は逆の立場だ。

 越前屋に空振りを多く打たせて、疲れてきたところに拳と蹴りを叩き込む。


「ぐっ、はっ、く」

「どれ、少しは必殺技も見せてやろうかね」

「はあ、はあ、はあ」

「しゃあ! 握魔力ツイスト!」

「ギャァァァァァァ!」


 突如、越前屋の二の腕と太ももの一部から噴水のように激しく血が飛び散る。

 あまりにも突然のことで何が起こったかわからない一同だが、歪んだ笑みを見せるハルトの血に染まった両手を見て、戦慄した。


「エリートの割には、ちょっと筋肉がヤワすぎじゃねえ?」

「ぐっ……うう……」

「オラ、まだだぞ~。今度は、握魔力アイアンクロー!」

「ガアアアア!」

「あーあ、ギャーとかガーとか悲鳴は統一しろよな」


 肉の一部を摘んで捻って引き千切った。何の小細工もない。力任せの技。

 だが、そんなことは、ある意味戦場の戦士はやらない。

 その光景に、流石のアスラたちもゾッとした。


「に、肉を引き千切っ……なんて酷いヤツ……おまけにあのフザけた握力でアイアンクローだなんて、……先輩、ストップ! それ以上はもう無理よ!」

「止めるぞ! このままでは、殺される。もう、越前屋くんの心は完全に折れている」

「ええ、これ以上は見ていられないわ……って、何をする気! 彼、先輩を持ち上げたわ! ……まさか! やめなさい!」


 二回の頭突きと捻りとアイアンクローで既に意識が飛びかけている越前屋を頭上に持ち上げた。

 何をする気か? 聞かなくても分かる。頭上に持ち上げた越前屋をそのまま頭から地面に叩きつけるつもりだ。


「さあ、トドメだ! 覚えておきな! 不良とロックの神はハデ好きなんだよ!」


 握魔力ブレーンバスター。

 無防備な越前屋をそのまま叩きつけたら、下手したら死ぬ。

 だが、ハルトに一切の躊躇いはない。

 

「レオン君、ダ、ダメえええええええええええええ!」


 それはマズイ。取り返しのつかないことどころではない。

 越前屋が遅れを取ったことと、ハルトの思わぬ実力に目を奪われて、誰もが反応が遅れた。

 だが、そんな中で、


「すまない、不良くん!」

「あっ?」


 誰の悲鳴よりも、誰の動きよりも早く駆け出していたのは、勇者だった。

 ハルトも、気づかなかった。いつの間にか勇者が間合いに入り込み、その右拳を深々と自分の腹部に叩き込んでいたことを。


「……あっ……」


 全身の力が抜ける。足元から頭の先まで感覚が奪われ、胃液を吐き出していた。

 

「うっ……がはっ……な、テ、テメエ」


 たった一撃。

 不意打ちを食らうなど、集団で喧嘩をしていれば良くあること。

 だから、不意打ちを卑怯だと言う気はないが、それよりもその一撃があまりにも桁外れだった。


「さ、さっすがハジャ!」

「ふ~、最悪の事態は免れてよかった。光華殿」

「分かっています。これは、保健室どころじゃないわね。越前屋先輩を急いで病院に!」


 たった一撃が計り知れぬほど重い衝撃。

 今までハルトが味わった、どのケンカの拳ともケタが違う。

 ハルトは一瞬で思った。


(何だ、これは! ウソだろ。この俺が……『威』を使わなかったとはいえ、一撃で!)


 全身の力が意思に反して抜け落ちる感覚だった。


「すまない、不良くん。男同士の真剣勝負に水を差した。だが、これ以上は喧嘩の領域を超えている」

「なっ、ば、ばか、やろ……クソ、ゆうしゃ……」

「目が覚めたらもう一度謝ろう。そして、好きなだけ僕を殴るがいい。元々、君の標的は僕だったんだから」


 ハジャの発言は、鳥肌が立つぐらい甘い言葉。薄れゆく意識の中で、ハルトは反吐が出そうになった。


(ちっ、……こいつ、キラキラと胸糞悪い目つきしやがって……つうか、喧嘩もしらねえ坊ちゃんが、何が喧嘩の領域だよ。再起不能や破滅への覚悟が喧嘩のルールだっつうのに……なのに……)


 だが、


(なのに、こいつ……なんつう、ツエー目をしてやがるんだよ)


 ハジャの瞳は異様に重く、曇りも無く光り、己の道をしっかりと見据えていた。

 ただの一撃と瞳だけで伝わる勇者の器。そして強さ。


(これが勇者ハジャ……あの……おっさんが敗れた戦争の勝者……)


 その瞬間、ハルトの意識は落ちた。


(だからこそ俺は……必ずこいつを! そうだろ、おっさん……俺は……)


 そこで、ハルトの意識が真っ暗になったのだった。


(……ってか……勇者って……女だったんだ……)

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