中編/双鬼、墜つ
――山形県東根市・関山峠
真人は一人、関山大滝を望むための石段を下りていた。
手すりでありながら『危険』『近寄るな』という本末転倒な貼り紙に、ここが水場であることと、雪の重み――東根中心部の市街地では少なくともここまで来れば話も変わってくる――という自然の脅威に苦笑しながら、ゆっくりと、足下を確かめるように歩を進める。
生きている。
魔王の凄絶な奥義を受けて、尚。
その事実が一縷の希望となって、胸に灯った。
やがて、手すりと同じ赤い色の橋のところへと出た。
素のまま飲めそうな程に透き通った水は、日差しを受けて水面下に虹を描いている。
随分と浅く感じる渓流を遡れば、そこにあるのが高さ十メートル、幅十五メートルにも及ぶ大滝が、雄大に構えていた。
紅葉の季節に見る色鮮やかな艶姿も見事ではあるが、こうして初夏の爽やかな新緑を纏う瑞々しさもまた、見惚れる程に美しい。
目を閉じて、音に耳を澄ませる。
飛沫が細やかな霧となり、空気中を漂って肌に吸い付く。
心身ともに清められるかのようだ。
俊丸の話では、この大滝からの水が流るるのは『乱川』らしい。
ここ関山から東根市内を通り、やがて最上川に出る川だ。また、途中で同名の地域を通過するのだが、そこは東根との境ではあるものの現住所は天童市である。
そして織田信長の伝説は、川に囲まれた土地『清州』から端を発している。
美しく澄み、時には猛々しく荒れ狂う神秘。
そういった縁のひと欠片があったことで、『魔神・織田信長』は大滝の力を持つメダルを現出させることが出来たのではないか、という見立てだった。
「……来たか」
真人は気配を感じ、頭に巻いた包帯を解いて振り返った。
「待ってたぜ。ノブナガ――いや、ダイロクテンマオウ!」
『クク。デ、アルカ』
闇邪鎧を睨みながら、解いた包帯を拳にきつく巻き付ける。
丹田から、熱く深く長く、呼吸をする。
滾る血に、今か今かと拳が震えた。
「今度は、勝ぁつ!! オラ・オガレ!!」
《サクランボ!
インロウガジェットをドライバーにぶち込んで、真人はダイロクテンマオウ闇邪鎧へと飛びかかった。
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第12話/中編 『双鬼、墜つ』
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一方その頃、関山トンネル前にて――
ハチモリとの決戦へと繰り出していった糺たちを見送り、雪弥たちはトンネル側へと残っていた。
トンネルから出て来たところで、雪弥は日差しに目を細めて空を仰ぐ。
眩しいことには眩しいが、ほんの少し、視線を下ろすことは躊躇われた。
昨日の戦火の痕が生々しく刻まれた景色に目を戻す。未だ撤去が完了していない廃車たちが痛々しい。
そこまで歩み寄り、ボロボロになった車のボディを手のひらでそっと撫でる。
過去最大規模の被害、忘れるわけにはいくまい。
正義を胸に。闘志を胸に。
そして、戦いに際する責任を胸に。
「……多いな」
抱えるものの重さに、汗が垂れる。
父に支配されていた頃の自分に、もっと窮屈な現実が待っていることを話したら、一体どんな顔をするだろう。疑うだろうか。それとも、落ち込むのだろうか。
いいや。と首を振った。
これは紛れもなく自分で選択した道。
投げ出そうものなら、何よりも自分自身に――そして、剣になると約束した少女に申し訳が立たない。
決意を新たにしていると、そこへ俊丸たちが戻ってきた。
「撤去作業をされていた方々の避難勧告、終わりました」
「こっちもドライブインの従業員に声かけ、終わったぜ」
「ありがとうございます、俊丸さん、貴臣さん。こちらもトンネルの向こうの方々への連絡がつきました」
人の力とはたくましいもので、昨夜のうちから、仙台方面からの支援まで駆り出されての復旧作業が取り進められていたらしい。
ここはそれだけ重要な道路なのだ。
戦いを終わらせるための避難勧告であるのに、皮肉にも気が引けるようだった。
「改めて、受け入れ先確保の件、感謝します」
「気にすんな。今日は平日で、予約客もいなかったしな。袖があるなら振らなきゃだ」
そう言って、貴臣が気恥ずかしそうに歯を見せた。
今回の避難者たちは彼の提案で、少し下ったところに泊めたバスを使い、銀山温泉で一時受け入れを行うことにしていた。そこで昼過ぎまで時間を潰してもらい、戻って来たころには
宮城県側への連絡も貴臣が執り行い、そちらは関山峠の道中にある作並温泉へと協力を依頼している。
「さて、後は俺たちの仕事をするとしようか――なあ?」
貴臣が、トンネルの方へと視線を向ける。
すると二陣の瘴気が吹き込み、既に鬼の姿を解放している闇邪鎧たちが現れた。
カツイエが満足そうに笑う。
『重畳。気配を察するだけの力はあるか』
「こちとら山ン中で温泉相手に日々やり合ってるもんでね。自然の中の異物には敏感なんだわ」
貴臣も負けじと笑って見せた。
意気は上々。あとは――
「僕がナガヒデと立ち合いますので、お二人はカツイエをお願いします」
勝つのみである。
「お一人で大丈夫ですか? ……いえ、詮無いことですね。任せました」
「はい。任されました」
俊丸とアイコンタクトで頷き合い、闇邪鎧へと向き直る。
「行きましょう! ――オラ・オガレ!!」
「「オラ・オガレ!」」
《バラ!
《ショウギ!
《スイカ!
華やかなる情熱の鎧を纏ったゴテンは、得物を腰に佩いて地を滑った。
狙うはナガヒデの
「はあああああっ!」
左足を蹴り、遠間から一足で間合いを詰め、ぐんっ、と重心を落とす。
流れる水のような動きは、まるで蛇がとぐろを巻くようである。
十全な腰の捻りから、鞘引き。
牙を剥いた迅雷の一閃を放つ。
『にっかり』
ゴテンマルの刃は、変わり身を遂げた石灯篭を寸断した。
『我が「にっかり青江」の前には、無駄な事だと申したでしょう』
「さて、どうでしょうか。無駄かどうかは、刮目してくださいッ!」
背後からゆらゆらと迫る殺気に、ゴテンは残心の姿勢から体を転換させた。
ぬらりと伸びてくる刺突を受け流し、回るように足を捌いて斬りかかる。
『むんっ? その動きは……っ』
数合打ち合ったところで、ナガヒデは間合いを切った。
『なるほど、正眼の構えは水に擬えられますが。目には目を、歯には歯を、にっかり笑う幽霊には幽霊の如き足捌きを、といったところですか』
「…………」
ゴテンは押し黙り、刀を抜いたまま、正眼――剣道で言う中段の構えのまま、じりじりと足先で間合いを詰めていく。
『ですが其の構えは、「水の構え」であると同時に「人の構え」とも呼びます。で、あれば……その名を持つ以上、其方は人でしかない。
ましてや、其方が得意とするのは居合の業と見ます。巌流島の宮本武蔵とは訳が違う。鞘中の理を捨てた今、最早、其方に勝ちの目はありません』
「くっ……」
そこまで見抜かれているのは誤算だった。
確かに自分は、剣道よりも居合道の方を得意としている。
理屈でいえば互助であり、どちらにも通づる教えを活かして高め合い続けた力量は自信となっていた。『剣術』として見た時は――例えばゴテンと、ニシキのフランメイルとで比較すれば――こちらに分があるものの、少なくとも『剣道』の腕という点では、先輩である白水真人には一歩劣っていたことも事実。
そして、今まさに目の前にいるのは、戦国の世を生き抜いた武人。
戦の手柄を以て立身出世を競う者たちの膂力は、現代人とは遥かに差がある。
しかし、
「(そんなことは百も承知している!)」
気勢を発し、ゴテンは再び切りかかった。正中線に振り被ってからの、袈裟に掛けた斬撃。
『にっかり』
「――にっかり!」
『何っ!?』
石灯篭を斬る直前で刃を翻して、喝とともに納刀の姿勢を取ったゴテンに、ナガヒデの声が上擦った。
一瞬の隙。
それはたかが一瞬なれど、決して埋めることのできない絶対的な時間となる。
剣を振るのに必要な時間は、コンマ五秒を切ると言われている。
剣道を修める子の試合を応援に来た保護者などが一様に「今のはどちらが勝ったの?」という疑問符を浮かべることが多いのはこのためだ。
しかもそのコンマ数秒の世界は『振り上げて振り下ろす』までのもの。
つまり、鞘から放たれた刀が獲物を捉えるまでの時間は、さらに短い。
――鞘中の理を捨てた今、最早、其方に勝ちの目はありません。
そう、だからゴテンは欲したのだ。
ゴテンマルを鞘に納めるまでの僅かな時間を。
「
《バラ!
さながら燕返しの如く切り返された燃えん太刀が、背後に出現したゆらぎの機先を制した。
『がああああっ!!』
腰元から肩口にかけて逆袈裟に切り上げられ、ナガヒデはたまらず仰け反った。
傷口を抑えても、出血のように噴き出した神力宿る焔が耐えることはない。
『か、っは……。一撃を躱されども取り乱すことなく、残心を経由してさらに攻撃を繰り出す。
成程、「二の太刀」ですか』
「はい。昨日あなたと剣を交えてから、ずっと考えていました。しかし剣道の動きでは、闇邪鎧の装甲を破るには大振りにならざるを得ません。
ゴテンは刀を納めながら答える。
『嗚呼、成程、成程……剣聖・林崎が神より頂いた絶技。ならば「二の太刀」は誤りですね。一の太刀の後、また一の太刀、といったところですか。ふっ……あっはっはっはっは』
渇いた、しかしながら満足げな笑みを空に零して、
『
ナガヒデは仰向けに倒れ、爆ぜた。
* * * * * *
雪弥の戦闘開始と時を同じくして――
命の泉の鎧を纏ったギンザンは、先手必勝とばかりにスイカフレイルをぶん回した。
『甘いわ!』
カツイエが鎖を掴み、引き寄せる。
「うぉっ!?」
「貴臣さん!」
ソウリュウの援護射撃を避けるため、カツイエは止むを得ずスイカフレイルを解放する。
「すまない。助かった」
「礼には及びませんよ」
優しげな声に、肩越しに手を振って返す。
それにしても、とギンザンは歯噛みした。
出会い頭の一撃は、ドローといったところか。
あのまま引っ張られていれば、カツイエの持つ巨大斧の餌食となっていただろう。
『連携は悪くない。だが、鬼柴田の名は、この程度の小細工で止まる程、軽くはないと知れ!』
「小細工呼ばわりかよ。さすがに少しイラッと来るな!」
ギンザンはフレイルの鎖を収縮させ、メイス状態にして踊りかかった。
対するカツイエは、ぶおん、と重苦しい風切り音を放ちながら斧を振りかぶる。
遠心力によって速度と威力を増した横薙ぎの一撃が迫る。
メイスを両手で構えて受け止めようと試みたが、まるで高速道路を走る大型トラックとでも衝突したかのような重さに、踏ん張る足ごと押し込まれてしまう。
それでも何とか踏みとどまり、ギンザンは立ち上がった。
「へっ、どうよ。力比べも負けちゃいねえだろ?」
『笑止。――莞爾』
カツイエがそう呟いた瞬間、ギンザンはかっと目を見開き、文字通り
「そいつを待っていた!」
ギンザンは快哉を叫ぶと、躊躇なく、カツイエに向かって得物をぶん投げた。
『小癪也!』
打ち払うべくカツイエが腕を振るう。
しかし、その腕に当たった途端、スイカが弾け飛んだ。
『ぬぅ、発破か!』
燻ぶる煙に苛立ちを隠さず、カツイエが唸る。
『儂の一撃を得物で受け止めたのはこのためか』
「その通り。
『だが、評価は変わらぬ。所詮は小癪な技よ。斯様な小細工を幾千幾万と弄したところで、この鬼、倒れることはないぞ?』
「もちろん、これで倒そうとしているわけじゃないさ」
『……何?』
「考えて見ろよ。俺があんたの攻撃を受けて吹き飛ばされそうだってのに、さっきまで援護射撃をしてくれていた相方はどこに行ったかな?」
挑発するように鼻で笑って見せると、カツイエは一瞬考え込んで――
『上かッ!』
すぐに看破してみせた。
頭上を飛び越えるようにして天上盤下の弓を引いたソウリュウが放つ光弾の雨から、翳した斧で身を守る。
まるで小雨相手に傘を差してぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷと口ずさむ子供のような余裕。
「さすがは天下の名将様だな。だが!」
ギンザンはドライバーのボタンを叩き、再びスイカフレイルを召喚した。
「足下が水たまりだってことを忘れてるぜ! 『スイカダイナマイト』ォ!!」
《スイカ!
『読めておるわ、小童ァァァ!』
地響きを起こすような雄叫びを上げて、カツイエは脇腹へと迫るフレイルの
地面にめり込んだスイカの爆発は、僅かに斧を浮き上がらせるのみに終わった。
『貴公、さては舐めておるか! ここは戦場である。愚弄は万死に値すると知れ!』
「舐める余裕なんてないさ。けどな!」
ギンザンはスイカフレイルの柄を掲げ、これ見よがしに振って見せた。
「莞爾!」
『何ッ!?』
叫ぶギンザンに、カツイエは思わず斧の先を見やる。
その刹那の時が、彼の致命的な仇となった。
「王手です――『
《ショウギ!
『ぐうぅぅぉおおおおっ!?』
斧を持つ側とは反対の腹を、ソウリュウの奥義によって召喚された精鋭兵たちが撃ち抜いて行った。
『が、あ……はっ、おのれ……』
よろよろと覚束ない足取りで振り返ったカツイエは、ソウリュウを睨んだ。
しかしソウリュウは、泰然自若とした様子で視線を迎え撃つ。
「莞爾とは、微笑みという意味を持つ言葉。そして同時に、貴方が操る技の名でもあります。その効果は、貴方自身が良く知っている。だからこそ、斯様な小細工に引っかかってしまった」
『ぐっ……』
「仰る通り、ただ漠然と幾千幾万繰り返したところで貴方を倒すことは敵わないでしょう。しかし、小細工を二重三重と重ねていくことで、それは『策』となります」
ソウリュウの言葉に、カツイエは嗚呼、と呻いた。
だらりと下ろした手から、斧が零れ落ちる。
『流石は将棋の力を賜った八楯、か。美濃攻めの時の今孔明を思い出すわ……。クク、そこな温泉の八楯のような右腕となるべき人物があの頃の今孔明に在らば、
脇腹を抑え、今にも崩れ落ちそうでいながら、カツイエは頑として膝は折らなかった。
『小童と舐めて掛かっていたのは儂の方であったか。「掛かれ柴田」も、邪に身を窶せばこの無様よ』
その時、近くで爆発があった。
それは、ゴテンの勝利を告げる音である。
『逝ったか、五郎左』
そう呟いて、カツイエはフッと肩の力を抜いた。
『貴公ら、見事であった。名は』
「慧識王ソウリュウです」
『そちらではない。諱を教えよ』
「あ、はい。名前は成生俊丸と言います」
『温泉の。貴公は?』
「貴臣。延沢貴臣だ」
『あちらの若侍は』
「彼は楯岡雪弥と」
『そうか。しかと胸に刻もう!』
ぐらりと、カツイエの巨体が傾いた。
『母衣衆の
囁くような言葉を最期に、鬼の名を冠した闇邪鎧は、爆発四散した。
――後編へ続く――
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