中編/騎士への願い


 俊丸と隣の席にいたということは好都合だった。彼の友人を偽った真人たちは、対『蒼の闇邪鎧』の作戦会議も兼ねて、喫茶『ごっつぉ』へ場所を移すことにした。


 ウカノメへ連絡してロッカールームへと転送してもらうと、そこには既にベッドが用意されていた。枕元には水の入った洗面器とタオルも置かれている。



「手際がいいというか、なんというか……」



 最早魔法だ。俊丸をベッドに寝かせながら、真人は糺に訊ねた。



「なあ、ウカノメさんって何者なんだ?」


「神様らしいわよ。果樹八領――私たちが変身する『王の鎧』の保護をしているんですって」


「神様、ねえ」



 思っている程驚かなかったのは、自分が実際に変身をし、この喫茶店への転送も二度目だからかもしれない。



「あのさ、果樹『八領』ってことは、俺たちの他に六人いるってことか?」


「さあ?」


「さあ?」



 曖昧な返事をされ、真人は素っ頓狂なオウム返しをするしかなかった。



「私も前に訊いたけど、『いぐづあんのがわがんね』って言われた。私も、ニシキの他には一人しか知らないし」



 壁際の椅子に腰かけた糺は、テーブルに備え付けられた呼び出しボタンを押した。

 真人もとりあえず対面に座ると、糺から「ちょっと手をどけてて」と窘められる。

 言われるがまま、数秒後。卓上には二つのコーヒーカップと、シュガーポットが現れた。



「すげえ……」


「こっちに籠る時は、このボタンを使うの。いちいちカウンターに行くと邪魔になるからね」



 どうやらこの部屋は、完全に戦士たちの控室という扱いになっているらしい。しかしそう考えると、この殺風景な状態が気になってくる。



――止めなさい。……あんたのお父さんのようになりたくなかったらね。



 もし、もしだ。父が戦士として戦っていた人間の一人で、闇邪鎧との戦いの中で命を落としたのだとしたら。同じように他の戦士たちも亡くなっていて、その結果自分と糺、そしてもう一人いるという戦士以外残っていないのだとしたら。


 こんなに切ない伽藍洞の部屋はあったものじゃない。


 先ほどの戦いでは、変身解除にまで追い詰められた。一歩間違えば、いや、これからもずっと、死と隣り合わせになっていくのだろう。



――無理すんな? じゃあ誰があいつを止めるのよ。無理しなきゃなんないでしょうが!



 舞鶴山での言葉に籠められた重みが、胸を締め付ける。



「それで? どう倒そっか、アレ」



 コーヒーを冷ましながら、糺の上目遣いが問う。



「山形出身の画家はけっこういるし、最近なら今野忠一氏なんかが天童出身だけれど。青い絵の具が特徴的で、葛飾北斎に因縁があるといえば、アレは安藤広重で間違いなさそうね」


「歌川広重、な」


「……うっさい、バカ」



 蕎麦屋での指摘を思い出したのか、糺は赤らめた顔をコーヒーカップに隠してしまった。



「つっても、名前が判っただけじゃあな」


「そうね。ある程度、闇邪鎧の行動を予測することはできるんだけど……アレじゃあお手上げ。オカルトや都市伝説にそういうエピソードでもあればって思ったけれど、エセ霊能者とは連絡繋がらないし。困ったわ」


「エセ霊能者って、さっき言ってた『もう一人』の?」


「そ。LINEの既読はつくから生きているはずだし、連絡ついたら紹介するわ。口の悪いキザヤローだけど」



 真人は愛想笑いで茶を濁す。既読スルーと気障野郎がどう繋がるのかは知らないが、どうやら彼と糺とは馬が合わないらしい。まあ彼女の場合、誰に対してもそんな態度であるような気もするが。



 どちらにせよ、機会が来るまでは触れない方がいいだろう。

 蕎麦を食べ損ねた空きっ腹をコーヒーで落ち着け、真人は話を戻した。



「倒しても復活して、五体に分裂する歌川広重の闇邪鎧……か」


「復活したのは多分、私が倒したのが本体じゃなかったからって考えで合ってると思うわ。ただ、もしも分裂が、もっと増えたらと思うと」



 うへえ、と妙な溜め息を漏らし、糺が突っ伏す。

 ふと、その背中に声がかかった。



「……いえ、おそらく五体までで打ち止めでしょう」


「成生さん? 良かった、気が付いたんですね」



 真人は席を立ち、上体を起こそうとしている俊丸を支えてやる。そうしている間に、ウカノメから水を出してもらったらしい糺が、コップを手にやってきた。



「ありがとうございます。それと、盗み聞きしてしまい、すみません」


「いえ。ですが、五体で打ち止めとは、どういう……?」



 訊ねた糺に、俊丸は水で口を潤してから、話し始める。



「お二人も良く知る、世界的に有名で、あのヒロシゲ・ブルーとまで呼ばれる鮮やかな色使いをしたのは初代のことを指します。しかし歌川広重という雅号自体は、五代目まで存在していたのですよ」


「なるほど。つまりアレは、五代分が混ざった存在ってことね」


「名前は混ぜちゃいけない癖にな」



 真人がそう言った瞬間、糺のスリッパが後頭部に飛来した。



「おまっ……いつも持ってんのか、それ……」



 糺は苦悶の声を無視して、俊丸へ向き直る。



「成生さんは、少し休んでいてください。ここは喫茶店の控室なんですけど、じきに店主が来ると思います。すみませんが、私たちは出かけてきますんで」



 そう言って踵を返した彼女に、俊丸の待ったがかけられた。



「お二人は、もしや。昨日も舞鶴山で異形と戦った方では……?」



 糺が足を止める。少しの逡巡を経てそっと振り返った彼女は、唇に指を当てた。



「内緒ですよ?」



 さすがはアイドル。見惚れるようなウィンクを繰り出して、颯爽と部屋を出て行く。

 一瞬こちらまで気圧されていた真人だったが、気を取り直し、彼女の後に続いた。











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  第2話/中編 『騎士への願い』

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 一人、部屋に残った俊丸は、天井を仰いだ。



「そうですか、彼らが……」



 見たところ、二人とも成人したばかりくらいの年端だろう。そして自分は二十六。たった六つ。されど六つ。その差は大きい。

 こちらが世間的にはいっぱしの社会人ではあっても、だから何だというのだろう。人ひとり守れず、化け物に怯えて気を失う弱者でしかないのだ。


 無理もないと顔を背ければ楽だ。誰だって、このようなイレギュラーな事態に巻き込まれれば太刀打ちできないのだと。

 しかし、だから何だ。それが『普通』ならば、逃げてもいいと?


 将棋界で名を馳せ、全国的な知名度もある。優勝賞金最高額の竜王戦も制し、その他のトーナメントや、講演の仕事、私塾の収入を含めれば、それこそ収入面でも同年代の男性より頭一つ抜けているだろう。自分で言うのもおかしな話だが、顔だって悪くない。


 間違いなく成功者の一人だ。

 しかし、それでも。



「……私には、力がない」



 大切な人を守るための力が。

 将棋はかつての軍師たちが戦の作法を学び、戦術眼を鍛えるために行ったものだ。しかし現代に生きる自分にそれを活かす場もなく、棋士は伝統という名の飾りに成りかけている。


 いや、そうでもないさ。そう言ったのは五年前の自分だったか。

 将棋の町・天童市出身の棋士として故郷の発展に尽くし、培った知識で私塾を開き子供たちを育てよう。そう決めて、これまでやってきた。


 誇りは持っていたはずだった。昨日、折れてしまうまでは。


 作務衣の袖の中で、スマートフォンが震えた。バイブの種類が電話であることを確認し、取り出す。画面に表示された文字は、今朝も電話をくれた生徒の名前だった。



「はい、成生です」


『――先生助けて! バケモノが!』



 潜めていながらも切迫した様子の声に、ハッとする。


――先週習った葛飾北斎がゲームで当たったから、せっかく先生に自慢しようと思ったのに。


 葛飾北斎。そしてバケモノは歌川広重。すぐに事態の見当はついた。



「コウタくん、今、どちらにいるのですか」


『分かんない……山ん中の小屋に隠れた……っく、ぐすっ……』



 ぞっとする。山形県は代表的な盆地であり、天童市は県境を囲む山に沿った東端に位置している。関山街道に向かう途中の水晶山。天童高原や若松寺に行く過程の鵜沢山。ジャガラモガラを挟むように鵜沢山と反対に位置するのが雨呼山と、挙げればキリがない。

 とはいえ、それらは子供が容易に行ける場所ではない。舞鶴山のように、天童の市街地寄りに位置する山々――通称『出羽の三森』のどこかであってくれればいいと願う。



「落ち着いて下さい。どこの山ですか?」


『えっとね、ぐす……総合運動公園の……ひっく、近くの山……』



 越王山こしおうやまだ。かつて日本軍の兵器工場が建設されようとし、着工中に終戦を迎えたという歴史を持つ低山である。

 建設工事の跡も現在は殆ど確認できないと聞いているが、万一そうした横穴にでも迷い込んでしまえば危険極まりないだろう。



「今すぐ先生がそちらに向かいますから!」



 慌てて電話を切ってしまってから後悔する。通話状態を続けて、コウタくんを励ますべきだったのではないだろうか。しかし、今からかけ直したとして。もし彼がマナー設定をしていなかったら。自分のせいで彼を窮地に追い詰めてしまうことになりかねない。



 それならばやるべきことは一つ。一刻でも早く現地に向かうだけだ。



「私は、力が欲しい……!」



 誰かが決めた幸福の尺度ステータスなぞどうだっていい。私はそんなものが欲しいんじゃない。



「今、手を伸ばす力が欲しい!」



 願った矢先、光が降り注いだ。

 室内で起こるサンピラーは、なんとも不思議な感覚である。光は俊丸を囲むように踊り、やがて一つの円形へと収束していった。



「これは、メダル……?」



 表には将棋の王将駒が、裏には『て』の字を鶴のようにした天童市の市章が、それぞれ描かれている。



「ないだって、んだがっす」



 気が付けば扉の傍に、恰幅のいい妙齢の女性が立っていた。エプロン姿であることから察するに、彼女がこの喫茶店の店主なのだろう。



「おかげさまで目が覚めました。失礼ですが、急ぎの用事があるのでまた後日」



 介抱のお礼は改めてさせていただくとして、今はコウタくんの下に行くことが先決だ。

 しかし、逃げるように出て行こうとした俊丸とドアの間に、店主の腕が差しこまれた。



「メダルだけじゃんまぐねえ。こいづばたがっていがっしゃえ」



 店主の手に握られていた印籠に、俊丸は目を丸くした。これには見覚えがある。そしてその使い方も。ちょうど小一時間前に、直接この目で見たのだから。



「気ぃ付けで、行ってらっしゃい」



 そんな温かい言葉に視界が滲みそうになるのを堪えて、



「はい。行って参ります!」



 俊丸はドアノブに手をかけた。






  * * * * * *






 真人たちは、ヒロシゲ闇邪鎧が飛び去った方向を目指し、バイパス(国道13号)を跨いで県立総合運動公園の方まで出向いていた。


 総合運動公園は、サッカーチーム『モンテディオ山形』やバスケットチーム『山形ワイヴァンズ』のホームでもある。この近くにある東北パイオニアでは、かつてバレーチームの強豪『パイオニアレッドウィングス』も活動していたなど、天童市はスポーツが盛んな街でもある。


 しかし、モンテディオ山形の試合がある日ともなれば駅前から総合運動公園にかけてサポーターでごったがえす場所も、平素は穏やかな田舎の空気で満ちている。



「この先にいるといいのだけれど……」



 そう、糺がぼやくのも無理はない。

 総合運動公園を抜ければ、そこはもう山麓の集落か山間の高原しかないと言っていい。道路に沿って右に行けば山寺。左に行けば48号線から宮城県は仙台市へ。


 ヒロシゲが北斎を追っている以上、人気のない山の中にいる可能性は考えにくいと見ていい。

 飛び去る姿を見逃さないよう、空へも注意を向けながら歩いていると、前方から子供たちが走ってくるのが見えた。小学校高学年くらいだろうか。見事な全力疾走である。



「ははっ、元気でいいなあ」


「いえ、待って。何かおかしい」



 異変に気付いた糺が足を早める。

 彼女の予感どおり、走ってきた子供たちの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっており、とても普通の状況にあるとは思えないものだった。



「ボクたち、どうしたの?」



 膝を曲げ、糺が訊ねる。



「コウちゃんが、バケモノに!」



 息も絶え絶えの男の子がやっとの思いで発した一言に、真人たちは顔を見合わせた。






  * * * * * *






――山形県天童市・越王山山中




 富樫コウタはじっと息を潜めていた。


 皆とはぐれてしまったし、走り疲れたし、ここは暗いし、ただただ泣き出したかった。



「先生、助けに来てくれるって言ったもん」



 それだけがお守りだった。頭が良くて、格好良くて、優しい先生が来てくれる。だからバケモノなんてへっちゃらだった。


 どうしてこうなってしまったのだろう。

 友達とスマホでゲームをしていて、昨日実装されたばかりの新キャラ・葛飾北斎を当てたことを自慢したかっただけなのに。


 北斎のステータス画面を見せようとしたとき、あのバケモノが降ってきた。

 走って、走って走って、気が付けば山の中で迷子になっていた。

 見つけた山小屋の鍵が壊れていたため、どうにか逃げ込むことはできた。けれど、鍵が壊れているということは、いつでもバケモノが入ってきてしまうということ。


 風が吹く度、小屋がギシギシと揺れる。壁にかけられたノコギリやペンチがカタカタと鳴る。

 そして――



『北斎ィィィ――!!』



 びくん、と肩が跳ね、隠れている机に頭を打ちつけてしまう。

 この音で気づかれてないよね? おそるおそる窓から外を窺い、ほっと胸を撫で下ろす。


 コウタはそそくさと机の下に潜り、膝を抱いた。



「オレ、良い子になります。ピーマンも食べます。勉強もします……っ!」



 だから、早く来て。先生!




――後編へ続く――

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