第8話『楽園の透明い蝶』
前編/輪廻の桜
――山形県上山市・某所
まだ緑も色づきの薄い山中で、ニシキたちはミダグナスと対峙していた。
「やっぱりこいつらが関わっていたか……糺、雪弥、貴臣。行くぞ!」
「先輩。敵の数に対して地の利が悪すぎます。固まって動きましょう」
「ああ!」
ゴテンの言葉に頷いて、ニシキはサクランボンボンを構えた。
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第8話/前編 『輪廻の桜』
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――山形県某所・喫茶『ごっつぉ』
少し時間を遡って――
ツノカワらとの戦いから一夜が明け、真人は『ごっつぉ』で暇つぶしをしていた。
「羽が透き通った、巨大な蝶?」
カウンター席の隣で、糺がカップを傾けていた手を止めた。
来ていた客の言葉に興味をそそられたらしい。
「んだのよっす。写真まで撮ったってのに、新聞記者の人さ声かけて山行ったら、いなくなっちまって。嘘だとか作り物だとか、酷い言われようで参っちまって」
ため息交じりに差し出されたガラケーを受け取り、真人は写真を覗き込んだ。
対象より少し遠くから取った写真のようだ。件の蝶は、確かに大きい。木の幹から大きくはみ出た羽は美しく、木洩れ日を透かしてきらめく美しさには、思わず息を呑む。
しかし、同時に違和感を抱いた。
もう一度、よく目を凝らす。
「蝶だもの、普通に逃げられたとかじゃあなくって?」
真人は再びコーヒーに口を付けた糺の袖を引く。
「いいや。逃げたは逃げたんだろうけど……ちょっとこれ、見てくれ」
「んー? 何、あんたもこういう話に興味があるんだ――どれどれ」
携帯の画面を向けてやる、糺はしばし硬直した後で、カップを取り落とした。
真人は慌てて拾い上げようとしたが、幸いにもほとんど飲んだ後のようで、僅かな雫がこぼれてしまった程度で済んでくれる。
テーブルナプキンで拭き取ってから、真人は、未だに携帯を凝視したまま動かない糺の様子を窺う。
「間違いないわ……」
彼女の声は、わずかに震えていた。
「体がミダグナス、だよな」
携帯を返してから、糺に耳打ちする。
真人が抱いた違和感は、羽の美しい蝶の胴体部分が、体を丸めたミダグナスのように見えたからだった。全身のおどろおどろしい呪詛めいた紋様は、間違いなく、これまで戦いの中で幾度となく目にしてきたものである。
「ええ、そうね……」
「…………?」
そんな時、店の前で鉢合わせたらしい貴臣と雪弥が入店してきた。
「ちーっす。昨日は大変だったんだって?」
「くすくす。貴臣さん、他にもお客様がいるんですから、お静かに」
「悪い……」
苦笑しながら、カウンターのところまでやってきた貴臣は、糺に声をかける。
「おはよう雛市さん、笑顔も好きだけれど、今日のようなアンニュイな顔も――ん?」
色ボケした態度へのツッコみが飛んでこないこともさることながら、運ばれてきたお代わりのコーヒーにさえ口を付けないまま難しい顔をしている糺。
アイコンタクトを向けてきた貴臣に、真人は鼻の頭を掻いた。
* * * * * *
――山形県上山市・某所
貴臣たちに事情を説明したところ、すぐにでも現場へ向かおうということになった。
『ごっつぉ』で出会った男性客は上山市在住であり、山菜取りの最中に蝶を発見したとのことで、ここからは国道13号線を車で飛ばしても一時間弱はかかるため、山の中も探索するとなっては、朝方の今のうちに出発してこそ、と貴臣が提案してくれたからだ。
「根こそぎぶっ飛べ――『スイカダイナマイト』!」
《スイカ!
ギンザンが豪快にスイングした鉄球爆弾は、木々の間を器用にすり抜け、爆ぜた。
討ち漏らしたミダグナスを、ニシキ、レイ、ゴテンが素早く仕留める。
「一先ず、目につくところは片付いたようですね」
「ふぃー、だな。んで、真人。例の『羽の生えたミダグナス』ってのは?」
「あー……そういえば、さっきの中にはいなかったな」
変身を解いて、ぐるっと辺りを見回す。
景色の中に写真で見た蝶を探したが、影さえないようだ。
「おーい。糺、どうする?」
「そうね……もう少し、奥まで行ってみていいかしら?」
「了解。じゃあ、行くか」
――十分後
「ほんと、どこにいるのよ……」
「あれ以降、ミダグナスも音沙汰なしですね」
――さらに十分後
「お願いだから、出てきて……」
「構わないさ、雛市さん! 焦らず探そう」
――さらにさらに十分後
「あれっ?」
真人は目を凝らした。
土と木々と、隙間から望めるわずかな空だけだった景色が、徐々に変わってきていた。
緑の香りの向こうに、街並みが見える。
「こっちは南陽か?」
上山市と山を挟んで繋がっているのが、南陽市。
かつてイギリスの詩人から『アルカディア』と称され、県内外からも、銀山温泉に並ぶ『赤湯温泉』の所在地として知られている。
どうやら、抜けてしまったらしい。
真人たちが仕方なく山を下りると、糺が大きくため息を吐いた。
「ごめんね、みんな。付き合わせちゃって」
「別に構わねえけど。何か気になることでもあったのか?」
「ええ。ちょっと、ね」
笑ってみせる横顔は、どこか力ないように見える。
「糺――」
ほっとけずに、彼女のうなだれた肩に手を伸ばそうとした時だった。
「あれっ、糺ちゃん!? 何してるの、そんなところで」
空模様のように明るい声に、振り返る。
そこには、小柄な女の子がいた。髪を頭の横でちょこんと結んだ無垢さと、磨き上げられた微笑みは、少女から乙女へのステップアップする過程にあるような、絶妙なマーブル感を醸し出している。
「あなた――」
「吉野川さんじゃないですか!」
糺が目を丸くしているうちに、貴臣が滑り込んだ。
「えっ……? あ、あー! もしかして、『憧憬湯』の?」
「うっす、そうっす、延沢貴臣です!」
「知り合いか?」
真人が声をかけると、貴臣は鼻息荒く振り返った。
「お前な、『河北生まれのビューティ・サニー』と知り合ってるんだから、マジで一度『つや姫』勉強してこい!」
「ビ、ビューティー……なんだって?」
「雛市さんのことだよ。そしてこちらが『南陽育ちのキューティ・キャンディ』! 吉野川流香さんだ」
力強く拳を振るう貴臣に、真人は雪弥と顔を見合わせて苦笑する。
「「愛が……すごいな/すごいですね」」
そんな声はどこ吹く風。貴臣は吉野川流香という少女に向き直る。
「相変わらず超絶可愛い! この機会です、お友達からお願いしまっす!」
握手を求めて手を伸ばしたとき、流香はびくっと肩を縮こませた。
「はーいはい、こころちゃんに告げ口するわよー」
糺が耳をつまんで引き剥がす。
ほっとしたように苦笑しながらも、怯えの色が抜けない流香の瞳を、真人はそっと窺っていた。
――山形県南陽市・某所
久々の再会だという糺と流香の話は弾み、近くにあるスーパーへと場所を移すことになった。
様々な店舗が一敷地内に併設されたタウン型スーパーの店内には、米沢を本拠とするカフェ『茶蔵』の支店も入っている。
そこで濃厚な抹茶ソフトを注文した真人たちは、イートインコーナーに腰を落ち着けた。
「流香も元気そうで何よりだわ。今はバンド時代の仲間と一緒なんだっけ。調子はどう?」
「うん……元気だよ」
歯切れの悪い流香の返事に、糺はソフトクリームのスプーンを咥えたまんま、きょとんと目を瞬かせた。
「あ、あー……ごめん。『つや姫』の解散は私のせいみたいなものなのに、気軽に近況報告とか、訊ける立場じゃないよね」
「ううん、違うの! 別に糺ちゃんに怒ってるとかっ、そんなことは全然っ! というか、怒ってたら声かけないじゃん、ふつー!」
ぶんぶんと手を振ったあとで、流香はフローズンドリンクで喉を潤してから、真剣な顔に戻って、言った。
「むしろ、そーいう方が怒るよ? 流香たち、仲間でしょ」
「……ありがと。ちょっと最近参ってたかなあ。流香のおかげで元気出た」
「ん。よーし」
ぷくーっと頬を膨らませたかと思えば、まるでお姉さんのようにはにかんで見せる流香と、珍しくしおらしい態度の糺。貴臣の話では流香はまだ高校生ということだったから、ここだけ、年齢が逆転しているようだ。
真人はソフトクリームにかぶりついた姿勢のまま、そんな光景をぼうっと見ていた。
仲間、か。
果樹八楯としてのそれとは異なる、ローカルアイドル時代からの絆。
初めて見る糺の表情に、思わず嫉妬してしまいそうになったのは、ソフトクリームを噛み切って払い捨てる。
「んでんで。糺ちゃんたちこそ、何をしてたの?」
「ちょっと、巨大昆虫をね……」
「ああ、知ってる。流香も見たことがあるよ」
「「「「なんだって/ですって!?」」」」
全員からがっつりと食いつかれ、流香は「おおうっ?」と素っ頓狂な声を上げた。
彼女の話では、山間部を問わず、街中でも巨大昆虫の目撃事例があるという。
「SNSで追うと楽だよ。都会ではユーチューバー探しに、田舎じゃあ巨大昆虫探しに。便利な世の中になったものですなあ」
けらけらと笑いながら、流香が石段を駆けていく。
スマホでの情報収集の後に案内されたのは、先ほどのスーパーから市街地に向かってやや歩いたところにある、烏帽子山公園だった。
春には、敷地内に咲き誇る千本桜が一大風物詩となる。
そちら側の駐車場はぐるっと回らなければならないらしく、流香の先導で、神社側から石段を上ることになった。
「驚いた。こちらのほうは、まだ少し桜が残っているのですね」
「内陸よりも、
山形の桜の遅さに苦笑しながら、一足先に石段を上がり切った流香が、こっちこっちと催促してくる。
続いて踏破した糺と真人は、貴臣たちを待ちがてら、傍に立っていた大きな桜の木を眺めていた。
「わあ、見てよ真人。これ、輪廻の桜って言うんですって」
「輪廻? 観光地の命名にしては、仰々しいな。どういう由来なんだ」
「えーっと……母桜の幹の中に、子供の桜が芽吹いて、ここまで大きくなったみたい」
「へえ、親子が連なっているから、輪廻か」
案内板を要約してくれた糺に、真人は感嘆を漏らす。
東根の大ケヤキに見るような、雌雄一対の巨木はよく聞くが、親子という話は珍しい。
千本桜にはカウントされていない、特別枠の大桜。
改めて見上げると、大自然の神秘に心が洗われるようだ。
「熊野大社の縁結びも有名だけれど、こっちも素敵ね。永遠の愛……さすがはアルカディア。南陽ってロマンチックなのね」
「…………でしょ」
「ん?なんか言ったー?」
「ううん、何でもない」
流香が誤魔化すように首を振る。
ちょうどそこへ、貴臣たちもやってきた。
「遅いぞ、お前ら」
「言ってくれるなって。石段上ってる間も、周囲の景色に目を凝らしてたりしてたんだからよ」
そう言って、貴臣は真人の肩にポンと手を置き、目を細めた。
「お前の後方――本殿の向こうに、羽を見た」
「おいおい、マジかよ」
真人も振り返ってみたが、特に何も見当たらない。
『烏帽子山』公園というだけあって、小さいながら、ここも一つの山である。境内や左手に見える公園の敷地を除けば、その向こうは雑木林だ。
木々の一つ一つを舐めるように見ていくと、不意に、視界の端で光がちらついた。
「いた――っ!」
随分と奥に潜んでくれているらしい。
「糺と雪弥は、流香ちゃんを頼む。――貴臣、行くぞ!」
「合点!」
真人は貴臣を引き連れて、境内を駆け抜けていく。
* * * * * *
残された雪弥は、目の前でうずうずしている少女に声をかけた。
「行きたかった、という顔してますね。糺さん」
「ああいや、大丈夫。あの虫自体には興味ないから、大丈夫」
「…………?」
今日の糺はどこかおかしい。何か思うところでもあるのだろうが、道中の車内でも、ついにその理由を語られることはなかった。
流香に会ったときの安堵したような表情から、てっきり、『つや姫』時代の仲間が住む土地に闇邪鎧の影があるということに気を揉んでいたのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
雪弥は薄く深呼吸をした。
ともあれ、闇邪鎧が近くにいることは間違いない。
先ずは己の成すべきことを成すまでだ。
「糺さん、提案なのですが」
「んー?」
「先輩たちに加勢するためにも、一度、吉野川さんには帰っていただくというのはいかがでしょうか」
「はあ? 何それ、ここで私を仲間外れにすんの?」
思わぬところからのブーイングに、雪弥は困ってしまう。
「っていうか、あんたたちは何を目的にしてるわけ? 糺ちゃんは『虫自体には興味ない』とか言うし、そっちの――なんだっけ、名前」
「雪弥。楯岡雪弥です」
「そ、雪弥クン。キミも変なこと言っていたでしょ、流香、聴き逃してないよ? 『先輩たちに加勢する』ってさ。加勢って何? ただの昆虫採集ってわけじゃなさそうだよね」
「それは……」
先ほどまでの可愛らしさとは打って変わって、底冷えするような視線を向けられる。
女性は化けの皮の上に猫まで被っているとは、以前糺から聞かされたことがあるが、まさか、ここまでとは。
まして、年下だからと見くびっていた部分もあったかもしれない。中々どうして、流香は鋭い。
『両手に蝶とは、良きものでございますね』
「――――っ!?」
頭上からかけられた声に、正気に戻る。
「雪弥くん、あそこ!」
糺が指さす方に目を向けると、神社の屋根のところに、昆虫のような甲冑に身を包んだ闇邪鎧が立っていた。
「えぇ……何よ、あれ」
「昆虫採集!」
戸惑う流香に歯を見せて、糺はインロウガジェットを構えた。
しかし。
「え……嘘。やっぱり」
どこか明後日の方向へ目を向けたかと思うと、糺はムズムズとメダルを掌で弄びはじめ、
「ほんっっっとごめん、雪弥くん。ここ任せた!」
走って行ってしまった。
「ちょっと、糺さん? 糺さーん!」
『蝶がひとひら――逃がしませんよ!』
こちらの状況など、当然お構いなしに、闇邪鎧は腕を払う。
ミダグナスたちが地中から沸いた。それも、例の羽を持って。
闇邪鎧は生み出したミダグナスたちを満足げに睥睨すると、糺の走って行った咆哮へと飛び去って行く。
糺には戦う力がある。一先ず、僥倖と言うべきか。
「ねえ、雪弥クン? いい加減、説明してくれない? 何なの、コレ」
「化け物です」
「そんなの見りゃ分かるわよ!」
背中にぽかぽかと打ち付けられる拳に、雪弥は周囲を警戒しながら囁きかける。
「僕が奴らの注意を引きますから、吉野川さんはその隙に、石段を下りて逃げてください」
「それは……無理、かも?」
「何故です?」
服裾を引かれるままに視線を向けると、石段の下の方からもミダグナスが迫ってきていた。
「こっちへ!」
手を引き、境内の中心部へと躍り出る。
石段を上がってきたミダグナスたちを迎え入れると、背後で流香が小さな悲鳴を上げた。
この位置からでは、ミダグナスに囲まれていることがよく分かる。
裏を返せば、視界も良好だということ――!
「吉野川さんは、ここから動かないでくださいね」
《バラ!
「貴女は僕が守ります――オラ・オガレ!」
《バラ!
鎧を纏ったゴテンは、流れるような動きでゴテンマルを召喚し、ドライバーのスイッチをさらに二度、手のひらの撃鉄で打ち据えた。
流香を巻き込まないように神経を集中させる。
「
二人を中心に膨らんだ大輪の花が、ミダグナスたちを焼き払う。
羽を広げて上空へ逃げた個体も、花弁から迸る灼熱の気が捉え、燃やし尽くした。
周囲の安全を確保したところで、雪弥は変身を解き、流香に向き直った。
「怪我はありませんか」
「あ……、あ……んた……何者、なのよ」
「事情は後で。僕より糺さんの方が詳しいですから」
「糺ちゃんも、なの……?」
目を白黒させて、彼女は尻もちをついてしまう。
「それよりも、ここは危険です。少し離れましょう」
「ちょっ、やあっ、気安く触らないで! ばかぁ、あほぉ!」
すっかり腰の抜けてしまったらしい小柄な体躯を抱きかかえ、雪弥は公園の方へと歩き出した。
――中編へ続く――
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