後編/僕が僕であるために


――山形県村山市・クアハウス碁点



 真人たちが戻ると、旅館の前に人だかりができていた。

 着の身着のまま、文字通りおっとり刀で飛び出してきた剣士たちに囲まれて、ジンスケ闇邪鎧が仁王立ちをしている。



「さっそくお出ましね。行くわよ、真人!」


「ああ。センセ、雪弥を頼みます。こいつの気持ちは汲みたいが、そうも言ってられない相手なんで!」


「かしこまりました。背中は任せてください」



「「「――オラ・オガレ!」」」


《サクランボ! 出陣‐Go-ahead‐ゴー・アヘッド、ニシキ! 心に錦、両手に勇気!!》

《ベニバナ! 出陣‐Go-ahead‐、レイ! 花開け、クリムゾン・プリンセス!!》

《ショウギ! 出陣‐Go-ahead‐、ソウリュウ! Flipping-the-board!!》










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  第4話/後編 『僕が僕であるために』

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 ミダグナスを蹴り飛ばして向かった先には、異様な光景があった。

 あれほどいた剣士たちが、みな逃げ惑っていたのだ。



「くそっ、遅かったか!?」



 ニシキは歯噛みしかけて、しかし、口が開いたままになる。

 ジンスケ闇邪鎧は刀を抜いてさえいなかった。実際、斬られている人も、その血だまりも見当たらない。彼らはただ、逃げているだけだった。

 大方、囲んだはいいものの、バケモノを前に腰が引けてしまったのだろう。



「悲しいな。これだけの剣士がいても、サムライは雪弥だけだったってことか」


「この時代でそれを言うのは酷よ」


「ああ……そうだな」



 自分たちが雪弥を止めたことを思い出す。たとえ刀を持っていようと、それを振るう技を体得していようと、彼らは一般人なのだ。



――武の道とは、そんな生き方をさせるものではないでしょう!!



 頭を過った雪弥の言葉で、我に返る。



「(武力を持つから前に出ろと、そう押し付けようとしてしまっていたのか……?)」



 首を振る。違うだろう。大切な誰かを守るため、自発的に前に出るならばともかく、



「(闇邪鎧と戦う力を持っているのは俺なんだ! 戦うべきは――俺だ!)」


「オラ・カワレ!」

《ラ・フランス! 出陣‐Go-ahead‐ゴー・アヘッド、ニシキ! 心に錦、掲げるつるぎ!!》


「うおおおォォォ、『ラフランスプラッシャー』ァァァ―――――ッ!」

《ラ・フランス! 八楯奥義ヤツダテ・アルティメットストライク!!》



 洋梨盾から引き抜いた剣を振りかざし、ジンスケ闇邪鎧に飛びかかる。



『来たか、神器纏いし武士もののふたちよ!』



 振り返りざまの抜刀と、果汁飛沫の大剣が競り合う。

 その隙に、レイが間合いを詰めた。



《ベニバナ! 八楯奥義ヤツダテ・アルティメットストライク!!》

「懐がガラ空きっ! ――『紅花爛漫』!」


『むんっ!?』



 刀を振り上げたことで大きく晒すこととなった右の腹に、レイの拳が打ち込まれ――



『手緩いわっ!』



 ジンスケ闇邪鎧は、左手で鞘を突き出した。寸前でレイの手首が受け流され、明後日の方向にエネルギーが霧散してしまう。

 さらに闇邪鎧は足を捌き、飛沫剣を受け流しながらレイを切りつけ、返す刀でニシキをも切り払った。生き馬の目を抜くような妙技に、ニシキたちは膝をつく。



『うむ、良き連携であった。惜しむらくは、汝らの傷が癒えきっていないことか』


「くそっ……」


「わかってんなら、少しは時間空けて出てきなさいよね……」


『そうもいかぬよ、娘。口惜しいが、引導を渡そう』



 そう言って、闇邪鎧が再び鯉口を切り、抜刀姿勢をとった時だった。

 その背後に男の影が踊りかかったかと思うと、彼が振った刀で、闇邪鎧の背から火花が散る。



「まさか、雪弥くん!?」


「いや、違う!」



 真人は目を疑った。闇邪鎧に斬りかかったのは、雪弥の父だったのだ。



「へっ、へへっ。俺がバケモノを倒してやったぞ!」


『愚かな』


「へっ?」



 当然ながら、そこらの刀では、どんな名刀であろうとも闇邪鎧に太刀打ちできない。

 ジンスケ闇邪鎧は鞘にかけていた手で裏拳をかまし、雪弥の父を吹き飛ばした。



「がっ、はぁ!? 痛ぇ、痛え! あ、ははっ、悪かった! 俺が悪かったから! だから命だけは、な? なっ? たた、助けてくれ!?」


『太刀は卑怯、心は卑劣。語るに及ばぬ。刀を以て屠ることさえ躊躇うな』



 ジンスケが刀に手をかけ、一瞬で頭上へと振り被った。基本の技にして、技術の差が如実に現れる神速の一刀『抜き打ち』だ。

 間に合わない。ニシキは目を瞑る。



「(すまん、雪弥! お前の親父さんは……っ!)」



 不意に、剣戟が響いた。

 おそるおそる瞼を持ち上げると、そこには、ジンスケの刀を己が刀で受け止めている雪弥がいた。



「申し訳ありません、ミダグナスを処理している隙に……」



 駆けつけたソウリュウが、ニシキたちを起こしてくれる。そのまま加勢しようとした彼を、雪弥の叫びが制止した。






  * * * * * *






 雪弥は覚悟を決めた。



「手出しは無用です。ここは僕が!」



 制止の言葉と、己を奮い立たせる気勢を兼ねて叫ぶ。震えていた手足が、ようやく自分のものとなってくれた。



『汝か。よかろう』



 満足げに頷いて、ジンスケ闇邪鎧は間合いを切った。

 仕切り直しということか。

 頬に冷や汗が伝う。剣道は防具をつけて、かつ竹刀で行うもの。居合も演武が主で、巻き藁を切ることはあれど、実際の切り合いなどまずしない。

 未だ腕に残る痺れが、自分が足を踏み入れた死合しあいの恐ろしさを物語っていた。



『今一度問おう。そもさん、何故武の道を求む?』


「説破。分かりません」


『……うん?』



 きっぱりとに、闇邪鎧が唸る。

 雪弥は刀を鞘に納め、臆病風を悟られぬように、努めて雄々と立ってみせた。



「僕は最低な人間です。このまま父が殺されても構わないとさえ思ったくらいに。でも体が、心が! 動いたんです!」



 背後で腰を抜かしている父に目をやる。

 物心ついたときから憎んで生きてきた父。『親への恩』などというものは、養ってくれたことにしかないと思っていた。殺されても構わないと思ったのも本当だった。



「しかし、これだけは解ります。ここで刀を抜けないことこそ、僕の信じる武の道からは外れてしまうんだってことが!」



 刀に手をかけ、腰を落とす。

 嫌いだから見捨てるという理屈は間違っている。父親だから救うということもまた筋違いだろう。

 民治丸少年もおそらく、父がどうしようもない破落戸だった故に殺されたのならば、林崎甚助重信という名が現代に残っていないどころか、仇に土産を持参し酒を酌み交わしていたことだろう。


 ならば何故助けたのか。



「それが人としての矜持だから! 僕が僕であるために武を修める。それが僕の答えです!」



 その時、刀の感触がなくなった。

 はっと手元を見ると、碁点丸が光り輝き、その刀身を縮めていく。刀を折り畳み、鍛え、その密度を高めるように、神々しい力が凝縮されて、手のひらに収まった。



「これは……」



 片仮名の『ム』を象形化した村山市章が描かれたインロウガジェットとモンショウメダル。メダルを返せば、燃えるように咲き誇る薔薇が刻まれていた。


 美しい花は、しばしば気高い人生に喩えられる。

 斯く在れと、言われているような気がした。


 雪弥は迷うことなく、メダルをインロウに装填し、



「いざ、参ります!」

《バラ! Yah, Must Get Up! Yah, Must Get Up!》



 刀を抜くように、闇邪鎧に向けて翳した。



「オラ・オガレ!」

《バラ! 出陣‐Go-ahead‐ゴー・アヘッド、ゴテン! あくそくざんとくすいさん!!》



 現れた戦士は、黒漆の下地に薔薇の軽鎧を纏うサムライだった。彼はドライバーのスイッチを押し、宝刀『碁点丸』を召喚する。

 刃長は三尺、反りは高く、最上三難所を表した波文は深く、切っ先に向けて三重刃へと折り重なった刀身そらには、船頭たちが標にしていた月が浮かんでいる。


 刀剣史上最も美しいとされる三日月三条宗近に引けを取らぬ、清廉な一振りである。

 碁点丸の真の姿を確認した戦士は、鞘に納めて、ジンスケ闇邪鎧と対峙した。



「僕は未来切り拓く刃! 武刀王ゴテン!」


『汝も八幡太郎に選ばれたか。不足なし!』



 ゴテンは碁点丸の鯉口を切り、機会を探った。

 ジンスケの眼からは、猟犬のような銀光が牙を剥いてくる。肉親の仇を取らんと修羅に身をやつし、神威の絶刀を得た者の餓えた瞳だ。

 呼吸を悟られてはならないのに、呼吸をしようとしなければ胸が凍てついてしまうようで、気ばかりが逸る。

 恐怖からくる耳鳴りに耐えながら、ゴテンはじっと待った。


 相睨み、どれ程の時間が経ったかは分からない。

 だが、それが訪れてからは一瞬だった。


 ちりちりと熱せられた紐が、ついに千切れ飛ぶように。

 両者のつま先が動いた刹那には、既に刀が振り抜かれていた。


 ノーガードで斬り合うという、戦士と異形だからこその異色な戦い。しかし、どちらも人智を超えた存在とはいえ、そこにも力量の差というものは存在する。


 こちらが一太刀を抜きつける間に、ジンスケ闇邪鎧は二太刀を放ってくるのだ。一合さえも刀の交差を許されず、斬撃の威力によってゴテンの太刀はごと止められる。

 攻撃は最大の防御、などという言葉では温い。

 本来、純然とした必殺の技には防御など不要。『居合の極意は鞘中に在り』という教えに偽りはなく、刀が鞘から放たれるということは即ち、勝負が決する瞬間なのだ。


 武刀王の鎧がなければ、初めの抜き打ちで死んでいたことだろう。

 ゴテンは肩口まで斬り上げられた衝撃に歯を食いしばりながら、それでも退くことだけは絶対にするまいと、足を踏ん張った。


 林崎甚助を起源とする夢想神伝流には、初伝に陰陽進退いんようしんたいという技がある。敵は退げ、こちらはう技だ。

 何故これが初伝にあるか。それは陰陽の世界に踏み込む覚悟がなければ、以降の技をどれほど修錬しても無駄だからだと、ゴテンは考えている。


 では陰陽とはなにか。それは紛れもなく、死と生だ。

 そしてもう一つ。



「……切り結ぶ、太刀の下こそ地獄なれ。踏み込み行けば、後は極楽」



 かの剣豪・宮本武蔵が遺した言葉を、口の中で諳んじる。

 命を奪い合う地獄いんふみこみ、生き残るという極楽よう退かえるという、己が内で完結する、うねる螺旋の宿業。


 できるかどうかではない。僕は、成さなければならない!



「はあっ!」



 持てる全てを懸けた是極の一刀を振り抜く。

 胸を真一文字に斬られた闇邪鎧が、たたらを踏んだ。



『むぅ……然らば拙の賜りし神威、神妙秘術の抜刀でお相手しよう!』


「願ってもない。胸をお借りします、先生!」



 ゴテンはドライバーのスイッチを二回叩いた。



《バラ! 八楯奥義ヤツダテ・アルティメットストライク!!》



 目を閉じる。林崎甚助が熊野明神から授けられたという技は『電瞬卍抜』。鞘中から迸る刀は稲妻の如く閃き、瞬く間に敵を斬り伏せる、居合の極意の頂にある神技だ。

 それに対抗するには、同じく早いだけの刀では足りない。極めに極めた伝説の技に、自分のような未熟者が敵うはずもない。


 ならば、覚悟、意志、誇り、持ちうるだけの大きな気を背負うしかない。

 真人たちは、かの魂が『歪められたもの』と話していた。それを信じる。剣聖との死合に活を見出す術は、他にはなかった。



『奥義――「電瞬卍抜」!』


咲誇もえあがれ――『焔薔薇ほむらばな』!」



 迸る紫電の一閃と、花開くように芽吹いた一閃が交錯する。

 数瞬の沈黙の後、



『……若き仕手よ。見事也』



 そう言い残して、ジンスケ闇邪鎧は爆ぜた。






  * * * * * *






 大会参加者らを巻き込んだ騒動は、闇邪鎧の依代となってしまった男性が解放されたことで収束に向かっていた。

 幸い一人の死者も出なかったが、それでも負傷者は多い。真人たちも、昨日から尾を引く戦いのダメージが残っていた。


 穏やかな流れの最上川に向かってうんと背伸びをした真人は、振り返るや否や飛び上がり、露天風呂の湯船に飛び込んだ。



「ちょ、っと先輩。そういう行儀の悪さはいただけませんよ」


「ははっ、悪い悪い。俺たちだけしかいねえって思ったら、ついやってみたくてな」


「まあ、気持ちは解からないでもありませんが。それで? 次は泳ぐつもりですか?」


「どうしてバレた!?」


「はぁ……」



 雪弥の半眼に、真人はつま先立ちでスタンバイしていた体勢を正した。

 その隣で、俊丸が笑いを堪えている。



「お二人は、本当に仲が良いのですね」


「んだべ!」


「そう……見えますか?」


「えっ……?」



 縋る顔を寄せると、雪弥が手で押し返してきた。



「……わかりました、わかりましたよ。仲が良いので、その顔やめてください。至極鬱陶しいです」



 しばらくじゃれついてから、真人は改めて、居住まいを正した。


 真人、雪弥、俊丸と三人並ぶと、その体躯の差がよく分かる。

 文化系である俊丸はやせ形だが、筋肉があるというほどではない。真人自身も、農作業という肉体労働をしているとはいえ、現役バリバリで鳴らしていた当時と比べれば、幾分か肉の質が変わっている。


 そして雪弥だ。服を着ていれば中性的な顔立ちと細いボディラインとが引き立ち、さぞ人目を引くような姫若子であるが、脱いだ姿は完璧に『武人』のそれであった。ボディビルダーのように盛り上がった大胸筋や、がっつり筋の見える太腿こそないものの、それは必要がなかっただけで、楯岡雪弥という武人の身体能力を引き出すための筋肉は十分に締まっている。

 それをひけらかすこともない。彼にとっては、これが自然体なのだ。


 真人は持参のタオルを噛んだ。同性の、それも後輩に見惚れる日が来ようとは。

 悔しい気持ちを振り払うように視線を逸らす。



「親父さん、無事で良かったな」


「はい」


「雪弥さんのことを、誇らしい息子だと話していましたよ」



 俊丸の一言に、雪弥の目がすう、と細くなる。



「……どうでしょうか。人はそう簡単には変われません。今まで下に見ていた息子から助けられたショックと、ゴテンの力を得た僕に胡麻を擦っているだけじゃないでしょうか」



 そう、辛辣に捲し立てた後で、「いえ、詮無いことでした」と湯で顔を洗う。



「邁進します。父に誇ってもらえていると、自分自身が誇りに思えるように」



 再び上げた顔にあったのは、だった。



「そっか」



 真人は何も言わず、微笑む。言葉を差し控えたからではない。かける言葉など不要だった。

 自身が剣を磨くことで、相手の剣をも磨く。切磋琢磨、活人剣など、様々な言い方をされる現代武術の概念ではあるが、それを今、目の当たりにした気がした。

 だから、



「これからは僕も、先輩たちと戦わせてください」



 そう言って突き出された拳にも、清々しい気持ちで返すことができる。

 拳を打ち合わせ、握手を交わし、真人は露天スペースの向こう側へと叫んだ。



「おーい、糺、いいよな?」



 しかし、川を挟んだ小さな山に、声が空しく反響するだけで。



「おーい、なあー、糺ー?」


「うっさい、呼ぶな恥ずかしい!」



 再三の呼びかけに、ようやく返事があった。



「なんだよ、カリカリしてんなー!」


「そっちはどうだか知らないけれど、こっちは他にも人がいるの! あんたみたいなバカの連れだと思われるのが嫌なのよ!」



 真人は雪弥たちに肩を竦めて見せた。

 そんなおどけた背中に、さらに怒声が突き刺さる。



「言っておくけど、覗いたら殺すから。まあ距離もあるし? 無理だと思うけど」


「そう言われると……フリにしか思えませんよなあ?」



 ゲスの微笑みを湛えて屈伸運動を始める。「先輩、止めた方が……」という雪弥の苦言を無視して、真人が露天風呂のヘリに足をかけた瞬間だった。

 建物の死角になっている向こう側から洗面器がブーメランの如く飛来し、こちらの顔面にクリーンヒットしたのだ。



「覗くなって言ったでしょうが。死ねっ、変態!」


「どだなだず……」



 どうしてバレた。女性の直感恐るべし。

 頭部への衝撃によって重心を見失った真人は、そのまま頭から湯船に落下した。



「先輩、お行儀が悪いですよー」



 ぷかぷかと浮上した体に、そんな言葉がかけられる。



「まったく。闇邪鎧という脅威と戦うヒーローも、正体が先輩では、締まりませんね」


「英雄とは得てしてそんなものです。むしろ彼こそが、ホンモノかもしれませんよ」


「くす。だといいですね」


「二人とも、聞こえてるぞー」



 遠慮なく投げつけてくる二人の会話に、真人は、気がつけばすっかり昇っていた太陽を仰いだままぼやくのだった。



――第4話『薔薇民治丸』(了)――

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